本書は、中年のごくありきたりの夫婦が、夏休みの二週間を利用して、レンタカーで 二五〇〇キロ、イギリスを南から北までドライブ旅行した顛末を綴ったものである。ホ テルもほとんど予約せず、大まかな計画に沿って、イギリスの風物や人との出会いを楽 しみながら、ある時は睦まじく、ある時は口げんかもし、のんびりと、時には強行軍で 、旅をした一部始終ー旅行の準備から帰国までーが、率直に語られている。類書も少な く、しかも、いろんな観点から読者の興味をそそる側面を持っている。
ピ−ター・メイルの「南仏プロヴァンスの十二か月」が、ベストセラーになったが 、これは、日本人にとってももうすこし手を延ばせば、それが自分の手に入るところま で来たということを物語っている。そういうことに憧れを持つ層に訴えたことが、ベス トセラーになった大きな要因のようだ。現にその後日本人を含む多くの観光客が南仏に 押しかけ、当のメイルさんは米国に避難する騒ぎまで引き起こしている(朝日新聞95/3/ 29 夕刊) ことがそのことを裏付けている。 本書も次のような、もうすこし手を伸ばせば手に入るものを、提示している点で、読 者に訴えるものを持っている。
(1)夫婦で共に行動すること。 まだ、日本では夫婦で一緒に二週間も旅に出るようなケースは多くない。しかし、現 在日本でも、若い世代だけでなく、中年世代や定年後の世代でも、夫婦で一緒に行動し たいと思っている人は多く、これからは確実に増えていくだろう(参照:日本経済新聞9 5/3/30 夕刊) 。その点、本書は、ほんの少しだが時代に先行した形で中年夫婦が一緒に 旅行した実践録である。やってみれば、誰にでも出来て、実に楽しい。ここには、すこ し新しい側面があると同時に、誰にでもやってみたいという気をそそる側面がある。今 後は必ず夫婦同行の時代が来る。その際、参考になる点が多い。
(2)海外でのレンタカーを利用したドライブ旅行であること。 ドライブ旅行も、国内ではすでにポピュラーになり、レンタカーも一般化したが、海 外まで出掛けてレンタカーとなると、まだそれほどポピュラーだとは言いがたい。一千 万人が海外旅行へ出掛ける時代であるが、まだ添乗員付きのパック・ツア−が主流であ る。しかし、出来合いのパック・ツアーも一巡すれば、その次は、自前の計画に基づく 旅行の時代が来るだろう。その際、選択肢の一つとして、是非ともドライブ旅行を加え ていただきたいものだ。やってみれば、思ったより簡単で、これほどのんびりと楽しめ る旅もない。一度味をしめると、止められなくなること請け合いである。そのノウハウ もこの旅行記のなかには入っている。
(3)中年のありきたりのサラリーマン夫婦であること。 高峰秀子・松山善三夫妻のような高名なカップルではなく、別段、とりたてたことを しているわけでもない、ごく普通の中年のサラリーマン夫婦が、ある日思い立って海外 へ出て、二週間の旅をする。特別な準備もせず、ホテルの予約もしないで、どたばたと 出掛けてもそれなりに楽しめる時代なのだ。本書を通じて、その手軽さを理解して貰え るだろう。そこらに転がっているごくありきたりの夫婦のこと、いつもいつも仲睦まじ いだけでなく、激しく口喧嘩する日もある。失敗もする。飾りだてしないで、ありのま まを素直に綴っているので、誰にでも親しんでもらえるだろう。
(4)旅行先が、取っつきやすいイギリスであること。 現在、イギリスがいろんな意味で注目されており、林望の「イギリスはおいしい」を はじめとして、イギリスを扱ったベストセラーも多い。イギリスはなんと言っても、日 本人に一番取っつきやすい国である。英語は中学時代の必須科目だから多少はかじって いる。車は日本と同じ左側通行である。その連合王国を構成する四王国のうちイングラ ンド、ウェルズ、スコットランドの三王国を、夏休みの二週間をかけて、中年の夫婦が レンタカーでドライブしたわけである。一読、親しみやすい国民や、日本人好みの箱庭 のような風景が随所で待ち構えていることに気付かれるだろう。
(5)文章は、読みやすく、ユ−モアに溢れていること。 著者は、すでに三冊の著書を商業出版した経験や、随筆を月刊誌に丸五年連載、週刊 経済誌のコラム欄に八年間執筆、二度の受賞(80 年東洋経済社、90年時評社) した経験 を持っている。文章もこなれていて読みやすい。趣味は広く、好奇心は旺盛、食い物に 眼がなく、いろんなことに興味を持つ。したがって、旅行中も、精力的に歩き回り、様 々なことに首を突っ込む。読者は、豊富な話題に引きずられ、飽きずに、最後まで、読 み進めることができるだろう。