イギリスを走ろう

イギリス・ドライブ紀行(8)   930924/940712/950629             

   

8  カ ナ ー ボ ン     

ウェールズの小さな町カナーボン城

ウエールズの小さな町

 翌朝、八時四〇分から、朝食をレストランの例の窓際のコーナーで取った。

 昨日より一 つだけ入口に近く、後ろがすぐ壁になっている。食堂は別の部屋のように明るい。ここで は、軽い朝食が四・五〇ポンド、イギリス式が、六・五〇ポンドである。もちろん、イギ リス式を選ぶ。オレンジ・ジュースとグレープ・フルーツ・ジュースを飲み、コーンフレ ークに干しイチジクとプラムとグレープ・フルーツを加え、ミルクを入れて食べる。ポー チ卵二個に、焼いたベーコン、ソーセージ、トマトの一皿。パン類はクロワッサンとトー スト。クロワッサンは籠に入れてある。マーマレードと苺ジャムがたっぷり皿に盛られて いる。後は紅茶にミルク。白地に花柄の入った美しい容器セット。

 食後、庭に出る。気温十五度、曇り。幸い、これまで雨には一度もあっていない。朝の せいか、昨日の野兎はほんの数羽見かけただけ。

 名残惜しいので建物の中もゆっくりみてまわる。廊下には、四季折々のハンティングの 絵が、数えきれないほどかかっている。馬に乗った狩りの様子、獲物を追う猟犬の様子、 雪のなかの狩りの様子など、絵柄を工夫して、狩りの百景をうまくとらえている。ロビー から階段を上がっていくと、この建物の見取り図や、青写真の額がかかっている。十九世 紀に建造されたものらしい。

 ロビーには、いろんなチラシやパンフレットが置いてある。 ベッド・ルームの部屋数は五二。このホテルで、アンチーク・フェアもやれば、ディスコ 付きの夕食会・音楽会もやる。結婚式もやれば、会議、セミナーも開く。クリスマス・シ ーズンから新年にかけて、昼食会、夕食会、それも屋外、屋内のレストランからテラス付 きのスイート・ルームまで、イベントとしては、音楽つき、ディスコつき、エンターテイ メントつき、形式もシッティングからビュッフェまで、実にさまざまなメニューが用意さ れている。値段も一人一三・五ポンドから六二・五ポンドまで、スイートの部屋代は、別 途六五ポンドということになっている。近隣といっても、バーミンガムあたりからも、お 客が来るらしい。日本のホテル同様、売上を伸ばすためにいろいろ苦心しているようであ る。

 出発は十時半。出発の直前に、ロビーの近くの男用のトイレに入ると、壁に少々ふざけ た絵が四枚かかっている。要するに犬が道路で立ち小便している図である。大小まちまち 、種類もまちまち、赤や緑の上着を着たのもいれば、首輪だけのも、毛の襟巻きをしたの もいる。飛ばす高さを競ったり、他犬のを覗き込んだりしながら、壁に向かってやってい る図もあれば、ICI(フランス語で此処の意味。書いたのはフランス人なのだろう。) という札のぶら下がった樹の幹に気持ち良さそうにやっている犬の後ろに七匹も待ってい る。終わった一匹は満足気に笑っている一方で、我慢ができずに、下腹部を押さえ、片足 で飛び上がている犬もいる。要するに、人間そっくりの恰好で描かれているので、思わず にやりとしてしまう。一体、女性用のトイレにはどんな絵がかかっているのだろう。

 ホテルの入口の前で、記念撮影して、A四八八号線に出る。 今日は、ひたすら走らなければならない。ただ、全部A級の道路なので、スピードはか なり出せる。A四八八号線からA四四二号線、A四五八号線へ入る。

 Pのマークが、日本 同様駐車場の標識だが、道路脇にかなり頻繁に出てくる。ほとんどは、林の前に設けられ ているので、トイレの施設はない。やりたければ、林のなかでどうぞというのである。木 立のなかに入って行くとそれらしき形跡が残っている。もちろん、トイレの建物のある駐 車場も、移動可能のトイレを置いたところもある。

 少々運転にくたびれてきたので、どこか休もうと思っていたら、道路のすぐ左手に、大 きな広場がある。そこに入ると、広い駐車スペースがある。トイレの建物も立派なものが ある。雑草が、ぼうぼう生い茂っており、荒れた感じがするが、ちょっとしたハイキング の目的地にもなりそうである。

 三〇メートルほど離れたところにヴァンが停まっていて、太った 男性がその周りを動き回っている。なにごとならんと見ていると、ヴァンのなかから、鳩 が一斉に飛びだし始めたのである。羽音も高く、次々に舞い上がって行き、上空で群れを 作り、右に左に旋回し、次第次第に、われわれが進む方角の遙か向こうに広がる森へ消え ていった。 ヴァンが引き返して来たので、運転席の太った男性に、鳩は何羽いるのかと尋ねると、 およそ一千羽だという。メアリー・アーデンの農園に、それこそ一千羽も飼えそうな鳩舎 があったが、この男性も、それくらいの施設を、持っているのであろう。ちょっと、自慢 そうに答えたのも、うなずける。

 道路は、一昨年の一二月に訪れたことのあるシュルーズベリーという町の側を通るの だが、立ち寄る余裕はない。遠く街影を望むだけで済ます。道路はここから、A五号線に なった。 もうそろそろウエールズに入るのではないか。運転していると地図を見る暇がないので 、傍らのナビゲーター殿に確かめると、もう入ったの、いや、まだの、あいまいな答えし か返ってこない。と、国境の町Oswestryという標識が出てきた。UNITED KINGDOMを形成する四つの王国の一つウエールズ王国へ、初めて入国するのである 。敬意を表して、立ち寄ってみることにした。

 古い町らしく、道路幅は狭い。まず駐車場を探すのに町のなかを二回ほどぐるりと回り 、おおよその感じを掴む。町の中心地域もそれほど大きくない。目抜き通りと思われる場 所の近くに、大きな駐車場があったのでそこに留める。入るときに、カードをとり、出る ときはカードを差し込み駐車時間に応じて、コインをメーターに投げ込む方式のようであ る。コインを投げ込むとバーが上がるのだ。

 駐車場から、右手に出ると、そこはもう商店街である。ショーウインドーに、キドニー パイを始め、様々なパイが並んでいるので、八ミリビデオカメラで撮影する。と、店の主 人夫婦が、袖をひっぱりあい、ほら、撮ってる、撮ってると顔を見合わせている。日本人 が珍しいのか、振り返ってみる老婦人もいる。四つ角で、足の悪いお婆さんが、道路を渡 ろうとしているので、手伝おうと近寄ると、太った中年のオバサンがさっと寄ってきて、 手伝ってやった。

 そのオバサンが、どこから来たのかと尋ねる。東京からと答え、この町 で見るべきものはなにかと聞くと、あんまりないけれど、と口籠もり、頭を傾げ、強いて 上げればと二つ教えてくれた。この道路に沿って行くと、右手に、黒い木の枠のある古い 建物がある。それがひとつ。その建物の角を右に曲がって坂を登って行くと城跡がある。 それがもうひとつの名所というのである。 わざわざ、その古い建物の近くまで一緒に行ってくれた。三階建ての大きな建物で、一 六〇四年に建てたと書いてある。シェイクスピア関連の建物同様に古い。確かに、大きな 木の枠は、全て黒くなっている。二階の壁に、首が二つあるペンギンのような鳥が書いて ある。一階は、ギャラリーや、玩具屋になっている。

 その角を右に曲がると、ゆるやかな坂道になっており、石畳の親しみやすい商店街があ った。一般の車は通らないので、安心して歩ける。道の行き止まりを左に行くと、古い教 会があり、その右手に小高い城跡があった。一八九〇年に開設されたとなっている。 階段を登って頂上へ出る。ほとんど、建物の跡らしいものはなく、大きな石の塊がある だけである。文字通り、木が茂り、草が生え、強者どもの夢の跡だ。中年の男が、犬を連 れて、散歩に来ている。町の全景が、見渡せる。赤レンガの壁に、青みを帯びた屋根の建 物がいっぱい建っている。緑も結構多い。町の後ろには森が見える。

 坂の商店街に戻って、テークアウェイのベーカリーで、ローストビーフ・サンドとジュ ースを買い込む。途中で食べながら、行こうというのである。おつりで、駐車場で払うコ インも用意しておく必要もあった。感じのいい中年の女性の店員が応対してくれる。 駐車場では、出口で、カードを差し込み、二時間分のコインを投げ込むと、バーはすっ と開いた。

 再びA五号線に戻って、走り出す。 ウエールズに入ってからは、道路標識に、英語と、ウエールズ語とで、上下に二段に表 示されるようになった。そもそも英語と全く別の言語であるウェールズ語は、まったく読 めない。例えば、Llangollenという地名が出てきたのだが、最初のLLの重な ったところを、スウェというふうに発音するらしい。しかし、ウェールズ人以外うまく発 音できないのだそうだ。

 ウェールズは四国ほどの広さで、人口は約二八〇万、そのうちウ ェールズ語を話せる人は四分の一程度とも聞く。かつてブリテン島には、ケルト人が住ん でいたが、ローマ帝国の支配を受けたあとゲルマン民族に侵略され、島の周辺部のウェー ルズ、スコットランドへと追いやられたたのである。独立を保っていたウェールズも、ス コットランドもそれぞれ一五三六年と、一七〇七年にイングランドに併合された。したが って、いまもって、イングランドと、周辺のケルト文化地域との対立の構図が残っている らしい。ケルト語は、ウェールズでは、ウェールズ語として、スコットランドでは、スコ ティッシュ・ゲーリックとして保存されてきたのだ。

 せっかく買ったサンドイッチを食べるところを探していたら、キャンピング・カーのサ イトのマークが出てきた。どんなところかちょっと覗いて見ようと脇道に入っていく。更 に狭い脇道があって、個人農家と表示がある。両側が生け垣の狭い坂道を登って行くと、 広いキャンピング・カーの溜まり場があった。農場の一部があてられているのだ。すでに 何十台も駐車している。殆どが白。入口にある小屋の前に、着いたらベルを押せと書いて ある。それに隣接して、農家の建物がある。母屋から、飼料をうずたかく積み上げた納屋 まで、ひとそろいそろっている。相当大きな農場である。周りは、小高い緑の岡が連なっ ており、大勢の羊の群れがのんびり草を食んでいる。午後十時以降に到着した車は、ここ に駐車してください、と書かれたところに駐車して、昼飯を食べる。生け垣も手が入って いるし、農家の壁も真っ白。よく整備されている。

のんびり、サンドイッチを頬張っていたら、中年の中背のがっしりした女性がつかつか と現れて、

「ここは、プライベートの場所だ。パブリックのピクニック場ではない。そこの駐車して いるところも、私の芝生だ」

にこりともしない。顔が強張っている。全身から怒りが、冷たく立ちのぼっている。 すみません。謝って、ほうほうの体で、逃げだす。

 確かに、悪かった。迂闊だった。プ ライベートとパブリックの用語の使い分けの好例を経験させてもらった思いがした。今後 は注意しなければならない。

 道は、次第に高度を上げていく。ウェールズは山の多い地域なのだ。日本の道に近くな る。人家がまばらな地域をしばらく行くと、右手に、感じのいい、喫茶店があるので、一 服する。みやげ物店を兼ねている。沿道にぽつんと建っているのだが、道路の直ぐ脇に、 レストランとティー・ショップと書いた白い看板を建て、建物の白い壁にも大きくBRO NNANT CAFEと書いてある。車の客を一人でも多く、つかまえようというのであ ろう。

 お茶を飲み、ホーム・メイドのケーキを賞味する。道路に面しているので、窓から 、通り過ぎる車が見えるのだが、台数は疎らである。道路の向こう側には緑の牧場がある 。道路に面した窓の高いところに、凸面鏡が付けてある。店の奥からでも、部屋の様子が 分かるようになっている。われわれの他に、地元の人らしい一グループが、奥のテーブル で食事をしているのが、鏡に映っている。 レストランの壁にも、鍵掛けや、栓抜き、サラダようのスプーンとフォークのセットな どの商品が掛けてある。そのなかから、妻が、鍵掛けを買う。母がすぐ鍵を置き忘れるの で、買っていってやろうというのである。真鍮製で、産地を確かめるとインド製という。 まあ、いいやと言って買う。もう、お土産買ってもいいでしょというので、旅行中は、余 程重たくてかさばる物でない限り、見つけたときに買わないと、見逃すことになる、と経 験談を披露する。

 店には、銀製の手作りの装飾品や、人形や動物のミニュアチアも売って いるが、こちらは見るだけに止めた。食事のサービスも、店のレジも、若い女子店員が一 人でこなす。おとなしそうな、感じのいい子であった。

 Betws−y−Coedに差しかかると、登山口になっているのだろう。あたりには 、登山服の人々が溢れている。車も速度を落とさなければならない。そこから、道路は、 まるで箱根の山道を走るような感じになってきた。

 雨になった。ウエールズは雨が多いと 言われるだけのことはある。 風も出てきた。Llyn Ogwen付近は、左手に岩のむきだした山が迫り、右手に 鉛色の大きな湖がある。車を止めて、八ミリで撮影しようとするが、風が強く、冷たく、 傘を開くのに手こずる。持参したヤッケを着てちょうどいい温度である。左手の山が、ウ エールズで一番高い山スノードン山系に繋がる山の一部であろう。高さは千メートルに少 し足りないが、実に険しい山で、道路脇からいきなりそそり立っており、ごつごつした大 きな岩がごろごろしている。麓近くには、低灌木が生えているが、中腹からは、岩だけで ある。雨が降り、風が吹いている。だが、冒険大好きで登山の楽しみを世界で初めて発見 した英国人は、この程度の天候など少しも気にしない。登山者の姿を、そこの山道、ここ の岩陰にいくらでも発見できる。

 霧も出てきた。波立つ湖のなかに、小さな岩が頭を出し ている。その上に、鴎が二羽、吹き飛ばされそうになりながら、とまっている。湖の向こ う側にも、岩のむきだした高い山がある。見るからに、荒々しい光景だ。迫力がある。 雨のなか、曲がりくねった道を進む。

 道は次第に下りになり、A五号線からA四八七号 線へ左折する。真っ直ぐ進めばウェールズの北西端にくっついているAnglesey島 である。 右手に海が見えてきた。鉛色の海である。海とはいいながら、すぐ向こう側に大きなA nglesey島がぴったりくっついているので、川のように見える。

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  • カナーボン城

     目指すカナーボン(Caernarfon)は、スペルを最初見たときとても発音出来 なかった。そこにある城が、プリンス・オブ・ウェルズの称号を与える立太子式を行うと ころで、現在のチャールズ皇太子も一九六九年に、ここで、称号を授けられている。

     海岸線を行くと前方にカナーボンの町が見えてきた。大して大きな建物もない。道路沿 いにプリンス・オブ・ウェールズ・ホテルというホテルがあるのに気づいたが、これも、 こじんまりしたホテルである。

    そのまま、真っ直ぐ行くと、右手に城が見えてきたので、右折する 。右折したところに、ツーリスト・インフォメーションがある。その前を通って、右に曲 がると、細い道で、ずらりとB/Bが並んでいる。VACANCYのサインも出ている。 宿は心配なさそうである。城門を出て、もう一度、ぐるーっと、町を一回りして、引き返 し、今度は、城の表側に回る。 巨大な城である。すぐ、海に面している。

    じっくり見るのは後にして、とりあえず、城 の前の道路を突き進んで行くと城壁に沿って、右に回り、城門を潜る。そこが、先程のツ ーリスト・インフォメーションのオフィスのある通りである。左に曲がると、B/B街である。

    妻は、今日はさんざん走って疲れているし、面倒だから、B/Bに泊まろうかという。ま ぁ、とにかく宿泊の情報を貰ってくるよと、車をその角近くに留め、ツーリスト・インフ ォメーションへ、行く。 二人の女子職員が、客の相手をしている。一方の手が空いたほうに、宿を探している、 情報が欲しいというと、条件はと聞く。条件をいうと、パソコンで検索して、書類を作り 始めた。二つ三つ紹介して貰って、訪ねていこうかと思っていたのだが、しょうしょう面 倒臭いのと、妻も疲れていることだし、早めに宿に入ったほうがいいだろう。そう思い、そのま まにした。

    ホテルの名前を聞くと、プリンス・オブ・ウェールズ・ホテルという。場所は分かるか と聞くので、分かると答える。

    ホテルの前に車を留め、レセプション・デスクに行くと、名前が連絡してあったので、 すぐ部屋に案内してくれた。眼鏡をかけた三十代とおぼしき女性だが、少し太めである。 にっこりと笑い、愛想はいい。ポーターがいないので、三階まで、荷物は自分で運ばなければならない。かなり急な狭い階 段で、三階の上がり切ったところに、防火用のドアがついているので、大きなスーツケー スを二つ同時に持ち上げるわけにはいかない。部屋は、海の方面に向いているが、ホテル の裏のごちゃごちゃした建物の向こうに海がちょっぴり覗いているだけである。ホテルは 、この町の主要道路に面しているので、駐車は、左斜め前にある別のホテルの駐車場に入 れるのである。

     まだ十分明るいので、歩いて城を見に出掛ける。ホテルを出て右手に進む。商店街の建 物も、せいぜい三階程度で、それほど大きな店もない。曇天で、雨が降ったり止んだりしているので、街全体が薄 暗い感じがする。人の通りも疎らである。

    十分たらずで、城に着いた。一三世紀の末、ウェールズを征服したイングランド王エド ワード一世が、この地方を支配するための拠点として築城したものである。歩いて見ると 、その大きさが、よく分かる。道路から垂直に城壁がそそり立っている。黒ずんだ小さな 石材がのけ反るほどの高さまで丹念に積み上げられているのだ。建設にどれほどの歳月と 人手とを要したことだろう。銃眼付きの胸壁には鋸歯状狭間が無数にある。城の角からは 、見張りの小塔が、何本も空に突き出している。向かって一番左手の小塔の屋上から二本の旗が翻っ ている。イギリスの国旗と、ウェールズの国旗らしい。大手門には、落とし格子ががっし りと通路を閉ざしている。

     ウェールズを征服したエドワード一世は、生まれた第一王子、のちのエドワード二世に 「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を授け、イギリス王に従うことに不満なウェール ズの豪族を納得させたという。これ以降、イギリスの皇太子は、かならずこの称号を授け られることになったのだ。 城の前には、船の停泊地がある。海は相当に干っており、ヨットやボートなど様々な船が、海底に腹を擦りそうにもやっ ている。すぐ前に小さな島がある。橋を渡ると、すぐ目の前に、美しい花壇があって、目 を引きつける。海岸に沿って右回りに歩いて行くと、右斜め前にアングルシー(Angl esey)島が見える。淡い青の混じった灰色である。かなりの干潮で相当遠方まで砂地 になっている。そこから、振り返ると、城が黒々と聳えている。城壁がずーっと左手にも 延びていて、街をぐるりと取り囲んでいる。橋の左手にある船の形をした海上レストラン も、今は砂の上だ。 気温はかなり低く、妻はレインコートを着、私はヤッケを着ている。どこまで行ってもきりがないので、途中で 引き返す。橋の上で、

    「あれは、なんという鳥かしら」

    砂地の中に、橋の下から遙か遠くまで、細い水流が出来ているが、水流が広い水面に接す るあたりに、白い色の水鳥が沢山いるのが見える。かなり、遠方なのでしかと分からない 。

    「鴎かなぁ」

    自信はない。橋を渡り、水流を左に見ながら、城壁に沿ってゆっくり歩いていく。大きな 犬を散歩させている人がいる。セントバーナード犬のようだ。先程の白い鳥は、白鳥だっ た。白鳥がかなり沢山、水路の中を泳いでいるのだ。青黒い水流に純白、見るからに優雅である。水の中に盛んに頭を突 っ込んでいる鴨もいる。黒い砂地の上では、鴎や鴨が餌をついばんでいる。その他にも、 かなりの種類の水鳥がいる。烏も紛れこんでいる。餌が豊富なのだろう。

    ぐるーっと、城壁に沿って歩き、右手に折れる。城壁はその先もずっと続いている。城 壁の一部に、大きな窓があり、明かりが灯っている。なにか公共の用途に使われているよ うだ。その先の城門から町中に入る。ひっそりとした佇まいである。街中、どこへ行って も、かもめの鳴き声がする。暫く進むと先程のB/B街に出た。と、いきなり妻が、

    「私が何かしようというと、いつも、あなたはすぐ反対して別なことをやる。さっきもB /Bに泊まろうかというと、あなたは、ツーリスト・インフォメーションに行って、ホテ ルにした」

    ぷりぷり怒っている。B/Bを見て、突然、怒りがこみ上げて来たらしい。なにも、故 意に反対してホテルにしたんじゃないと何度弁解しても、怒りは収まりそうにない。とん だ濡れ衣だが、頭に来ている女房族を、すぐ冷まさせる妙手など持ち合わせていない。最 後は、

    「怒りたいのなら、怒ってもいいが、今日のことに関しては、おれの善意だけは、疑わな いで欲しい。逆らうつもりなんて全くなくて、インフォメーション・オフィスに行ったときは 、B/Bでも、いいと思っていたんだけど、係の女の人が、あんまりさっさと手続きをし てくれるものだから、それならそれでいいと思って、決めてきただけだよ。B/Bは、あ まり好きでないようなことを言っていたので、ぼくの一存だけで押しつけるようなことを したくなかったし、今日はさんざ走って疲れているようだから、あれからB/Bを訪ね歩 くよりは早いほうがいいと思って、少々高くなってもと、ホテルにしたんじゃないか。む しろ、喜んでもらえると思ってやったぐらいで、全く悪意なんてないよ。それだけは、信じてくれ」

    一緒に旅行していると、まったくとんでもない方角から、思いもかけぬ流れ弾が飛んで くるものである。これだけは、用心しても、当たらないようにするのは、至難のようだ。

     夕食は、ホテルのレストランで取った。ワインは赤。スープは、マッシュルーム・スー プ。これは、ポーランドにいたころ、よく食べたものだ。それより、すこしあっさりした 味だ。メインはせっかくウェールズに来たのだからと、ウェリッシュ風のものを選んだ。 ブレイズド・キューブ・ビーフ・ウェールズ風というもので、ビーフの角切りを油で表面に色がつく程度にいため、 なべに少量の水を入れ、ふたをして、とろとろ煮込んだものらしい。どのあたりがウェー ルズ風なのか判然としなかったが、おいしくいただけた。

     食事を終えて、ホテルのロビーに行くと、入口のすぐ右側にあるバーから、大きな歌声 が聞こえてくる。覗くと、カラオケをやっているのだ。カラオケの指導員らしい人が、マ イク片手に、動き回りながら、大声で歌っている。リズムのはっきりした曲だ。テレビの 画面には、英文の歌詞が流れている。客は静かにそれを見物している。ほとんど、中年以 上で、若い人はいない。結構入っている。バーの中は明るいが、室内は薄暗い。入口に、カラ オケの看板が出ている。本日、木曜日は八時から、二二日日曜は、カラオケ・キッズとと もに、などと書かれている。カラオケ・キッズというグループでもいるのだろうか。レセ プションの受付にいた先程の女性が、中に入って一緒に歌えという。その彼女に、カラオ ケは好きかと尋ねると、大好きで、ときどき歌うという。カラオケはここでも盛んなのか と聞くと、一年ほど前に、広まりだし、ウェールズ人は、歌好きだから、結構流行ってい るという。日本文化は、北ウェールズにも、伝播しているのだ。少々疲れ気味なので、カラオケは遠慮して 、その夜は早めに床に就いた。


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    イギリス・ドライブ紀行(9) 930924/931201/940712/950629             

         9 湖水地方

    一番長い駅名の町コンウィー城チェスター湖水地方へケズウィックバ タミア湖ダブ・コテージヒル・トップトーマス

    一番長い駅名の町へ

     翌朝は、依然雲が低く立ち込めている。朝食は、ホテルで伝統的ウエリッシュ・ブ レックファーストを取ったが、出てきたのは、グレープフルーツジュースとハム、ベー コン、ソーセージ、フライドエッグ、トースト、ジャムなどである。どこが、イングリ ッシュ・ブレックファーストと違っているのか、よく分からない。
     九時十分にホテルを出る。霧雨が降っている。きめの細かなやわらかな雨である。カ ナーボン城の回りをお別れに一回りする。海は、また干潮である。城は、曇り空の下に 、黒々と立っている。建造されて八百年余り、決して穏やかとは思えない気候に晒され 、黒々とした皮膜をまとって、この地にこうして立ち続けて来たのである。歴史を生き 抜いて来たものの重みがずしりと胸に伝わってくる。
     昨日来たA四八七号線を少し引き返す。今日は、湖水地方まで走る予定だが、まず、 ANGLESEY島に立ち寄って、英国一長い駅名の町を見、それから古い城壁の街チ ェスターを見て、湖水地方のどこかで宿を取る予定である。
     表面の濡れた車道を進む。左にANGLESEY島への標識が出てきたように思った が、ナビゲータ殿が違うというので暫く進む。だが、どうも先程の標識がそれらしいと いうことで、引き返す。やはり間違いなかった。しばらく進むと、大きな橋に差しかか った。それがANGLEY島へ渡る有名なMENAI吊り橋で、下を船が通れるように かなり高いところに掛かっている。橋の塔は石造りでがっしり出来ている。道路は島の 一番西端にある小島、HOLYHEADを終点とするA5号線である。橋を降りて暫く 走ると、目的地を示す表示らしきものが、見えて来た。そんなに目茶苦茶に長い地名で はないが、それらしいのだ。運転していると、じっくり見る余裕がない。左にハンドル を切り、高速道路を降りて、細い田舎道に入って間もなく、右手にその駅が現れた。大 きな駐車場があり、その右側に大きなショッピング・センターがある。観光客を見込ん での施設らしい。まだまばらな駐車場に車を留め、その奥にある駅に向かう。駅舎は、 こじんまりとした建物である。無人駅らしい。駅舎の右手の木の柵についている木戸を 抜けてプラットフォームへ出る。横に長い看板があって、そこにこう書かれていた。
     
     Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobw llllantysiliogogogoch

    赤地に白抜きで一気にこう書いたのとところどころにハイフンを入れて読みやすくした 、白地に黒ペイントで書いたのが二行になっている。 「読んで見てよ」 妻に、声をかけたが、読めたものではない。スペルを間違えずに書くのも難しい。意味 は、「聖テイシリオの赤い洞窟の側の早い渦巻きに近い白いはしばみの側の窪地にある 聖マリア教会」ということらしい。地図や道路標識には書き切れないので、Llanf air P.G.と略記するらしい。これを、高速道路を走りながら、路肩の標識でち らっと見たのである。線路を跨いで茶色の陸橋が掛かっていたので、向こう側のプラッ トフォームにも渡って、妻を看板の前に立たせて記念の写真を撮る。乗客らしい人が一 人と、観光客らしい親子がやって来た。十歳位の息子に、父親がいろいろと教えてやっ ている。

     ショッピングセンターに行き、絵はがきを買い、それぞれの実家宛に出すことにする 。郵便局の場所を尋ねると、もうすこし先に行った所で、近いという。歩くことにした 。ひっそりとした商店街だ。テークアウェイの中華料理店の看板は漢字で書いてある。 郵便局で、切手を買うと、女の局員が、目の前で、例の長い駅名の入った丸いスタンプ をポンと押してくれた。すっかり、定型化しているらしい。葉書は、自分で郵便局の前 にある赤いポストに入れるのである。  その先へ行く時間的な余裕はないので、引き返す。ところがメナイ大橋の手前ですこ し道を迷った。地域の名前が、メナイ橋なのに、橋への標識と思いこんで、右へ曲がる ところを、左へ曲がってしまったのだ。メナイ大橋の上からメナイ水路を見下ろすと、 海水は満々と流れ、両岸は木々の緑で溢れている。A5号線から離れ海岸線寄りの道路 を選んでチェスターへ向かう。この海岸線には、古い城が沢山あるらしい。チャンスが あったら、ひとつやふたつ立ち寄って見たいと思っている。妻には内緒だが。今日中に 、湖水地方まで行くということで、妻が、寄り道は極力避けて一刻でも早く目的地に着 きたいと思っているのが、見え見えなのだ。

     相変わらず、雲は低くどんよりと立ち込めている。やがて左手に見えてきた海も、鉛 色をしている。

    コンウィー城  

    北ウエールズらしい風景が続く。その中に古城の塔が、ポツンと立っている。運転し ていると、なかなかよく見えない。道路標識を見ていたらコンウィーという地名が出て きた。確かここに有名な古城があるはずである。左側にハンドルを切って、高速道路か ら降りる。

    「どうしたの」

    妻が、不信気に聞く。城を見たいなどとは言えないから、

    「ちょっと生理的現象」

    ところが、降りたところから、道路が縦横斜めに複雑に絡まっていて、なかなか城のあ るところに出ない。標識に行き先がいろいろ書いてあるが、どの道を行けばお城がある などとは書いてない。あからさまに城を探しているとは言えない悲しさ、行きつ戻りつ するうち、やっと前方にコンウィー城が見えてきた。小高い岩山の上に築かれている。 さて、城に近づいたものの何処に駐車したらいいか。城の前のラウンドアバウトで停車 したら、トイレのマークがある。妻は、ここに駐車したらという。が、まさかラウンド アバウトのど真ん中に駐車もなるまいと狭い道をそのまま前進すると、たしかこの城の 特徴とされる白い吊り橋が見えてきた、その先は狭い道路が続いているだけである。し ょうがないのでUターンして、先程のラウンドアバウトに出る。そこを左に曲がると駐 車場ありの標識がある。しからばと左に曲がり、城の城壁に沿って降りていくと、駐車 場はかなり先のようだ。

    「引き返したら」

    妻が語気を強めて言う。

    「トイレは遠くなるだけよ」

    仕方なく再度Uターンをすると、またもや先程のラウンドアバウトである。

    「ここに駐車すればいいじゃない。トイレはすぐ近くだし、交代で車の中に乗っていれ ばいいんだから」

    ますます妻の語気は荒い。ラウンドアバウトの端に駐車して、まず、私が先に降り、観 光案内所の階段を登る。トイレを済ませて、折角だからと、案内所の窓から目の前にそ そり立っている城壁をカメラに数枚収めて、車に戻る。妻は冷たい目でじろりと私を見 、黙ってトイレに立った。

     十分とは言わぬまでも、城を拝むことは出来た。十三世紀にエドワード一世によって 建設され、ウエールズ人を制圧する目的で建てられものらしいが、円柱形の塔の形も綺 麗だし、保存状況もいい。ウエールズにある古城の中でも、最も美しく、中世を代表作 の一つとされるのも、頷ける。街全体が、二一もの半円形の塔のある城壁で囲まれてい る。

     さて、時間をこれ以上無駄にするとますます妻の機嫌を損ないかねない。急いで高速 道路に引き返す。

    「一体なんなのよ」

    すごい剣幕で妻が襲いかかってきた。

    「私の言うことは、一つも聞こうとしないのだから。結局、ラウンドアバウトのなかに 駐車したじゃない。」

    「別に、無視したわけじゃないよ。ラウンドアバウトの中に駐車なんて、普通やらない よ。やっちゃいけないんだよ。だから、どこか他にいい場所はないかと探しただけじゃ ない」

    「昨日だって、私がBBに泊まろうと言ったらそれを無視して、さっさとホテルの予約 をしてきた」

    「無視したなんて、とんでもない。一日中走り回ってすっかり疲れているようだったか ら、あれからあちこち歩き回って、BBを探すより、ツーリスト・インフォメーション で手っとり早く、ホテルを紹介して貰ったほうがいいと思っただけじゃないか」

    「いつも、あなたは、私の言うことを無視して、反対の事ばかりやるのよ」

    「すくなくとも、昨日のホテルの件に関しては、僕の善意を信じてくれよ。ストラット フォートでBBに泊まったとき、もうBBは泊まりたくないと言っていたし、昨日は、 疲れていたようだったからホテルにしただけだよ。オフィスの職員も勝手に手続きを進 めるし、断ることもないと思ったしさ。べつに反対の事をやろうとしてやったわけじゃ ないよ」

    「あなたは、いつもわたしの言う事を無視して、反対のことばかりやるのよ。ラウンド アバウトに駐車しちゃいけないならどうして、駐車したのよ」

    「いけないとは思っていたけれど、あれ以上、争いたくなかったから、言うとおりやっ ただけじゃないか」

    「いつも、あなたは、口が巧くて、誤魔化してしまう。私の言うことは無視ばかりして 」

    大変な剣幕である。こっちが何か言うと、強い言葉が返ってくる。こうなったらもう 、きりがない。

    「こんなことで、言い争うのは、もう、いい加減にしようよ。これでも、時速百キロ以 上で高速道路を運転しているんだから、危険だよ」

     さすがに、危険と言われて妻も口を噤んだが、全く思いもかけない、方角から矢は飛 んで来るものである。  双方口を閉ざしたまま、車の中には気まずい空気が充満しているが、交通状況は良好 で、A55線の車は順調に流れている。コンウィーのすぐ先には、

    「不思議の国のアリ ス」

    で有名なリゾート地スランディドノがあるのだが、寄っている暇はそれこそ全くな い。ひたすら先を急いだ。
     正午すこし前には、チェスターに到着した。チェスターはウェールズから僅か三マイ ル、イングランドに入ったところにあるのだ。それでも、イングランドに入ったせいか 、天気はすっかり良くなった。

           チェスター

     チェスターは、イングランドで一番よく保存された城壁に囲まれた都市だそうだ。起 源はローマ時代に逆上り、イングランドで最も中世の面影を強く残す町とも言われる。 ディー川らしい川を渡り、城門を一つ潜ったので、市内に入ったのはわかるのだが、一 体自分たちがどこにいるのかを、まず、特定しなければならない。車が前にも後ろにも 数珠つなぎで、ゆっくり地図を見る暇もない。地図といっても、ほんの略図程度のもの だが、どうもブリッジ・ゲートから入ったようだと見当をつけ、右に折れて、暫く直進 すると、また城門を潜り、やや開けたところに出た。

     そこにツーリスト・インフォメー ション・オフィスがあった。そこで、もうすこし詳しい地図を手に入れ、現在地を確か めると、さきほど潜った城門が、新城門で、我々は、城壁の外に出ているらしい。引き 返して、新城門の近くのパーキング・ビル(Grosvnor Park)の二階に駐 車し、城壁の上に作られた全長三・二キロの散歩道を左回りに歩く。人がすれ違うこと が出来る程度の広さで、城門の所は高くなっていて、階段がついているが、そのあたり は人一人が通れる広さしかない。向こうからやってきた夫婦連れが我々に道を空けてく れた。

     しばらく進むと町一番の目抜き通りとぶつかった。そこが東門で美しい陸橋がそ の上を跨いでいる。そこから美しい時計が見える。早速カメラに収めたが、後で調べる と、世界でビッグ・ベンに次いで最もよく写真に撮られる美しい時計、イーストゲート ・クロックで、一八八七年に市に贈られたものらしい。橋の鉄格子の間から、溢れるよ うな人並みや、その中を縫うように走る観光バスが見下ろせる。

     目抜き通りの両側には 、中世の二階建てのアーケード街「ロウズ」がある。建物自体は、三階、四階もあり、 白壁に黒いティンバー(梁)が映える。デザインがひとつひとつ違っていて、美しい。 建物は十六世紀から十八世紀にかけて建てられたものらしい。バグ・パイプらしい音が 聞こえてくる。

     もう少し進んだら、左手にチェスター大聖堂が見えてきた。これも、十一世紀にさか のぼる古い建物で、様々な建築様式のみごとなサンプルを留めているらしい。大聖堂を よく見ようと、散歩道から降りる。大変大きな建物で、回りには人びとが憩っている。 鳩も沢山いる。大聖堂に向き合って、これも大きなタウン・ホールが建っている。その 間の通りが北門通りである。広い歩道でバグ・パイプを演奏している人がいる。先ほど イーストゲートあたりで聞いたのはこの音だったのだろうか。北門まで歩く。大聖堂か ら三百メートル程度しかない。

     北門は低くて、バスの屋根がつかえそうである。そこからまた 城壁の散歩道に戻り、右回りに引き返す。城壁の外側に水路があって、遊覧船がゆっく り走っている。食堂がついていて、食べながらの遊覧を楽しんでいる。

     もう一度、大聖堂のところで降りて、すぐ近くのレストランで昼食を取る。ヨークシ ャー・プディング(三・七五ポンド)と紅茶をとり、二人で分けて食べる。        
     外に出ると、相変わらず大変な人出だ。胸に名札を付けている人もいるが、パッ ク旅行の一員なのかも知れない。特にロウズのあたりの混みようは凄い。今度は下から 見上げるのだが、堂々としており、なかなか美しい。その近辺に、宝石貴金属店があっ た。ディスプレイがいい。商品のデザインも悪くない。しかも、円高の為替レートで割 り戻して見ると、値段も手頃である。いや、安い感じさえする。

    「まあ、あの指輪のデザイン素敵じゃない。ちょっと見るだけならいいでしょ」

    と、妻が一寸入って見ようという。入ろうとしてもドアが開かない。中から鍵がかかっ ているのだ。合図すると中からドアを開けてくれた。中に入ると、見るからにこういう 店に相応しい品のいい三十代の女店員が、ニッコリとして、迎え入れてくれる。

     妻が、ショーウィンドウに展示されているものの中から気に入った指輪を二三見せて 貰う。最初のは、大きくて値段も張る。値段が手頃なほうを値踏みしている。女店員は 、良く似合う、デザインがユニークですなどとうまく勧める。値打ち物ですよ。ご主人 も、この際、思い切って奮発しないと後で後悔することになりますよ、と私にも矛先を 向けてくる。妻も、もう買う気になっていて、これ、気に入っちゃった、ねえ、いいで しょうと振り返る。

    「すこし、ディスカウントしてくれるなら・・・」

    と店員に仄めかすと、ちょっと二階の店のオーナーに確かめて来るといい、店の右手に あった階段を登っていった。しばらくして、にっこり笑いながら降りてきた。特別に二 十ポンドほど引いてもいいという。旅行中は、買える時に買っておかなければ、買い損 なうことよく知っている。しかし、この際、ちょっと条件をつけておこうと、

    「すくなくとも、この旅行中は、今日みたいに、つまらないことで怒らないと約束する なら」

    と条件を出すと、

    「もう、言わない」

    こう言うときは、妻もあっさり兜を脱ぐ。こうして妻の最初のお願いを聞くことになっ た。

     店を出ると妻は、いかにも嬉しそうである。しかし、二時間の駐車切れまであと僅か しかない。目抜き通りの人込みをかき分けて進む。六万人の人口の町にしては、店の数 も多く、世界の一流店が軒を連ねている。見たいのは山々だが、時間がない。その前を 飛ぶように通り過ぎるだけである。時間切れ一分前に駐車場を出た。

    「しまった。思い切ってあの大きい方の指輪にすれば良かったかしら。デザインも良か ったし、すごく安かったし」

    早速、妻の繰り言が始まった。

    湖水地方へ

     後はもう湖水地方へひたすら走るだけである。天気はいい。しかもチェスターからは 、高速道路が繋がっている。時間に余裕があったら、途中でリゾート地であるサウスポ ートやブラックプールに寄ってみようかとも思っていたが、チェスターの出発が午後二 時になってしまった以上、きっぱりと諦めもつく。まだ、二百キロ=は走らなければな らないのだ。

     M56からM6へ。最高一八〇キロでふっとばした。さすがに抜くことはあっても抜 かれることはほとんどない。五時前には、湖水地方の東の入口にあるケンダルに着いた 。

     湖水地方に着いたら何処に泊まることにしようか。旅行前に、さんざん考えた。ウイ ンダミアかボウネスかグラスミアかケズウイックか。考えても決まるわけがなかった。 湖水地方がどういう所か、これらの町がどんな町か、なんにも知らないのだから比べよ うがないのである。着いてから、良く見て、決めることにしよう。それが結論だった。

     ケンダルを出てしばらく走るとウィンダミア湖が見えてきた。まったく別世界に来た 感じだ。光の明るさがまるで違う。もの自体が光を発している。空気がきらきら輝いて いる。湖畔の展望台に車を止めて湖を見る。湖の色は透き通るように青い。空気がおい しい。回りの観光客もリラックスした服装でくつろいでいる。

     まだ日も高い。途中でいい宿が見つかったらそこに泊まることにして、とにかく、湖 に沿った道路をそのまま北上してみる。ウィンダミア湖はイングランドでは最大の湖で 、東西は広いところでも二キロメートルしかないが、南北は十七キロメートルはある大きな湖である 。うっそうと繁る木立の間から見え隠れする湖面を左手に、快適なドライブを楽しむ。

     次いでこじんまりしたグラスミア湖、その湖畔にドーブ・コッテージの標識が見える。 これは、詩人ワーズワースの住んだ家で名所になっている。明日でも来ることにしよう 。次いでサール湖。途中にもホテルやB/Bが次々と出てくる。小さな家並みのところ に駐車して、もう、ここいらで宿を取ろうかと何度も思ったりしたが、なかなか踏ん切 りがつかない。

    ケズウィック

     とうとう、ケズウイックまで来てしまった。湖水地方の北の入口で、出発前に検討し たときの、宿泊候補地としては北限にあたる。

     車で走るとものの数分で通り過ぎてしまいそうな小さな町だが、ハイシーズンとあっ て人並みは結構多い。町のほぼ真ん中あたりに時計塔のある建物があった。それがこの 町のツーリスト・インフォメーションで、そこに立ち寄る。妻が、「地球の歩き方」の お勧め品であるバタミア湖畔一周ウォーキングをやりたいので、バタミア湖の側に泊ま ってはどうかという。係の男性に確かめると、ここからさらに二十キロメートルほど奥に入ら なければならない、泊まれるところは二軒しかない。それでもいいかという。

    「それでいい」

    と答えると、早速電話してくれたが、あいにく、一方は電話がうまく繋がらないし、一 方は満員という。近くの地図を貰って、取り合えず、自力で近くで宿探しをすることに して外へ出る。Derwent Water湖の近くがいいだろうということで、ツー リスト・インフォメーション・オフィスからすこし先を左に折れたところにある駐車場 に車を止め、さらにその先にある湖の方へ歩く。

     結構、小さなホテルやB/Bがある。明るい外装の三階建てのB/Bの建物がある。 縦割りに十軒ほどのB/Bが一つの建物に入っている。空き室ありのサインが出ている ところに行き、ベルを押す。中年の感じのいい婦人が現れた。

     バストイレ付きの部屋はあるかと聞くとシャワー付きの部屋しかないという。やはり 、風呂は自室でゆっくり入りたい。

     この近くで、いいB/Bのあるところはないかと訊ねると、町に入って直ぐのところ に沢山あるとのこと、言われるまま、その近辺を当たってみるが、どうも場所を間違え たらしく、集落は見つからない。ケズウイックは大きな通りが一本、町の中心を鍵状に 貫きその両側に町並みが出来ている。今まで左側を探していたので、右側を探して見る と、町に入った所のすぐ右側に折れたところに、B/Bが軒を連ねた通りがある。だが 、どうも見栄えがしない。妻ももうちょっと、見栄えのするものがいいという。

     しょう がないので、町の中心を貫く道を走って見る。ツーリスト・インフォメーション・オフ ィスを左に見て、更に進むと、たちまち、家並みが疎らになってきた。町の外れに近い ところを、右に折れて入っていくと、その左側に、B/Bの集落がある。しかし、これ も先程のとかわりばえがしない。更に進むと、レストランとガソリン・スタンドがあっ て、その先は、家並みは途切れている。

     しょうがない。もう、あまり贅沢も言っておれ ない。引き返して、先程の集落の中から、出来るだけいいのを選ぶことにしようという ことにして、車をUターンするため、道路の左の空き地へぐっとハンドルを切って乗り 入れた。とその空き地からは、繁った木々の間にさらに奥に繋がる道がある。

     この際毒皿だとばかり、そのやや上がりになっている細い道に車を乗り入れる。 と早速、妻が文句を言う。

    「もう、私くたくたよ。さっきのところでいいじゃない。早く宿を決めましょうよ」

     細い道に入った以上、バックで出るのも業腹である。非難の声にはまともに答えず、 そのまま進むと、左手に、瀟洒なホテルがあるではないか。しかも、窓に、空き室あり の札が出ている。そのまま大きく左にハンドルを切り、二十度はあると思える坂をググ ーツと登り切って、ホテルの駐車場に乗り入れた。

    「どう、このホテル」

    「悪くないわね」

    さて、こちらにおあつらえ向きの部屋が空いているだろうか。車から降りて、中を伺う と、大きな磨かれたガラスの向こうからこっちを伺っている長身の男がいて、すぐ外へ 出てきた。

     二人連れに相応しい風呂付きの部屋はあるかとたずねると、あるという。見せて欲し いというとさあどうぞと先に立つ。駐車場からぐるりと建物の正面を回ったところに、 入口があった。男は、大きな鍵でドアを開け、階段を登って、ちょうど入口の上のテラ スに繋がった部屋にわれわれを招き入れた。真っ白のシーツのかかったベッドが二つ。 丘の斜面に建っているので、窓からは、緑したたる山野が見渡せる。町のはずれと見え て静かである。先程のテラスにも出る事が出来る。トイレも風呂も清潔そのもの。朝食 付きで、一人二二ポンドという。男はどうしても泊まって欲しい風情で、われわれの方 を伺っている。

     妻もすぐ気に入った。泊まることにしたというと、男は大喜びで、

    「サンキュー・ベリー・マッチ・インディード」

    という。男がこのホテルのオーナーだった。

     時刻はすでに七時になろうとしていて、夕食のオーダーは、もう終わったという。軽 くシャワーを浴び、主人に勧められた近くのイタリアン・レストランに出掛ける。出掛 けるとき、先程の窓を見ると、空き室ありの看板が、満室に変わっている。われわれが 最後の客だったのだ。主人にとっても、十一室ある部屋を満室に出来るかどうかは気掛 かりで、夜の七時に最後の客が転がり込んで来たのは大いに幸運だったろうが、我々と しても、滑り込みセーフの形で、なかなか洒落たホテルにありつけたのは、誠に幸運だ った。

     主人から、レストランの名を聞いたとき、車を運転しながら、そのレストランの看板 を見た記憶が残っていて、すぐにでも、見つけることが出来るつもりで飛びだしたのだ が、なかなか見つからない。先程のツーリスト・インフォメーション・オフィスの近く まで行ってみたが、見つからない。どうも、場所をすこし思い違いしたようだ。

     妻が、ホテルの主人は、もう少し近そうなことを言っていたじゃないというので、引 き返すと、なんのことはない。ホテルから、大通りに出て、左に曲がったすぐ右手にあ るのだ。

     La Primabera Ristrant 建物の正面に、赤いネオンサインが輝いている。これを見たのだ。

     レストランの中は、インテリアもいい。客がいっぱいで、暫く待合室で待って下さい という。待合室といっても、バーがあり、結構広い。ゆったりと座れるソファーが置い てある。ソファーに座っていたら隣の老夫婦と話が始まった。二人とも髪が真っ白であ る。相当な歳のようだ。空気のいいところで歳をとった人特有の穏やかな風貌をしてい る。すぐ近くに住んでいて、時々お茶を飲んだり、軽食を取りに来るのだそうだ。受付 の女性は、小柄だが、明るく活発で、受付だけでなく、皿の片付けもやる。その間を縫 って、待合室の客に注文も取りにくる。とにかく一時もじっとしないで、忙しく動き回 っている。おばあさんの話では、幼児を保育所にあずけて働いているらしい。

    「あんたは一体一日に何キロ歩くんだね」

    隣のお婆さんがからかう。すたすた歩きながら、にっこり振り返る。

     三〇分待って、席が空いた。

     料理は、一七・五ポンドのフル・コースをすでに注文済み。だから席に着くと、順調 に料理が運ばれてくる。客席はかなり多く、結構賑やかである。各テーブルにガラスの ランプが灯されている。われわれのテーブルの傍らには、大きな観葉植物の鉢が置かれ ている。前菜もメイン・ディッシュもそれぞれ四つも選択がきく。オードブルにアスパ ラガス、スープはマッシュルームスープ。メインディッシュはサーロインステーキ、そ れに別皿で温野菜がたっぷり付いてきた。パパイヤ、スライスしたジャガイモとフライ したジャガイモ、ブロッコリーにホウレンソウが皿から溢れそうである。デザートはケ ーキと紅茶。飲み物はビールとイタリアの赤ワイン。  

    料理はなかなかおいしい。イギリスで食べた中でも一二を争う部類に入る。妻に感想 を聴くと、料理をおいしそうに頬張りながら、

    「最高。最後は結局すべてうまくいったわね」

    もちろん、ホテルの選定を含めてのことだ。

                                             
    バタミア湖

     翌朝は、上天気だった。ホテルの一階にある明るい食堂でイングリッシュ・ブレック ファーストを取る。そこから駐車場のわれわれの車がよく見える。ホテルのオーナーで あるトーマスが、一人で給仕をする。コーヒーにするか紅茶がいいか、スクランブル・ エッグがいいか、ポーチド・エッグがいいかと客の注文をとり、両手一杯に料理皿を挟 み込んで運んでくる。食べおわるとさっと皿を運び去る。まことに手際がいい。料理を テーブルに並べるたび、皿を一枚持ち去るたび、

    「サンキュウ・ベリー・マッチ・インディード」

    という。口癖のようだ。インディードが付くと、すこぶる丁寧になるとのインプレッシ ョンを持っていたのだが、これほど連発されると、値打ちも下がる。

     九時半にホテルを出る。出るとき車の走行距離を確かめると昨日は二三五マイル、キ ロ数で言うと四〇〇キロ以上走ったことになる。

     バタミア湖はケズウィックから約二〇キロメートル。行き道は二通りあるが、往きと 帰りを別々にすることにして、往きは、Derwent Water湖の東岸を行き、 Borrowdale Valley、Honister Pass経由の道を選ぶ。

     湖畔を離れるとかなりの登り道になる。左右に岩肌のごつごつ剥き出しの山があり、 道がその間をくねくねと続いている。すそ野には、背の低い灌木やシダや苔の類が地表 にこびりつくように生えている。緑と薄黄緑と萌葱色がジグゾーパズルのような模様を 描き出している。道の左手に大きな音をたてて渓流が流れている。その渓谷に沿ってか なり高い木が生えている。

     至る所に大きな岩がごろごろしている。放し飼いの山羊があちこちでのんびりと草を 食んでいる。道路脇の白っぽい砂利の空き地に車を留めて、三六〇度見渡せる広大な景 観を楽しんでいると、ひとなつこい羊が寄ってくる。頭部は黒く、焦げ茶色のバナナの ように折れ曲がった角がはえている。首から下の部分は白で、背中からお腹にかけて認 識のためか、赤いスプレーで太い線が引いてある。われわれの検分を済ますとすぐ近く で音をたてて放尿する。

     空には山の一つ分もありそうな雄大な雲が重なりあって浮かんでいるが、回りは明る い。剥き出しの大自然の迫力に、ひっきりなしに、すごい、すごいという言葉が出てく る。来て良かったねと、お互いにうなずき合う。忘れられない景色だった。

     ホニスター峠を越すと今度は吸い込まれてしまいそうな下り坂になる。こちらの景色 も凄い。緑が濃い感じだ。

     坂を降りきるとバタミア湖だ。湖岸に沿って道路がうねっている。二三頭の山羊がの んびりと道路を横切る。車を停車して、通り過ぎるのを待つ。ちょっと小高い丘のとこ ろにある駐車場は、満車だった。しばらく降りて行くと、湖尻に近い所にも駐車場があ った。そこに車を留める。湖尻から、細い川が流れだしている。これが、隣のクルモッ ク・ウオーター湖へ繋がっているのだ。

     バタミア湖は、長さ二キロ、幅六四〇メートル、一周六・五キロの山間の小さな湖で ある。歩いても二時間半程度と案内書に書いてある。ゆっくりと、歩き始める。空気は ひんやりとして心地よい。ちょうどウォーキングに手頃の温度だ。私は例の植物園で買 ったセーターの上にジャンバーを着ている。妻は、カシミアのセーター姿。川の水も湖 水の水も澄んでいる。湖尻近くの開けた牧草地には山羊が沢山いて、草を食んだり、寝 そべったりしている。右手に小高い山があって、湖尻近くで滝が流れ落ちている。湖を 取り囲む山の五合目あたりまで、うっすらと紫色になっている。ヒースの花が一面に咲 いているのである。

     川を越して暫く進んだ林の入口で、カウボーイ・ハットにジーンズ のラフな出で立ちの女の人が、近くにRVを留め、ナショナル・トラストのパンフレッ トの類を売っている。どうも、ボランティアの様子である。この湖水地方は、ナショナ ル・トラスト活動の発祥の地でもある。放し飼いの山羊も全てナショナル・トラストの 所有なのだ。一万頭以上もいるらしい。

     道は湖岸に沿っており、ほとんど平坦である。湖面を左に見ながら進む。右手はかな り急激な斜面になっている。シダ類が生い茂っているところもあれば、雑草の繁ってい るところもある。ところどころに、背の高い針葉樹林がある。頭に冠を載せたような水 鳥が二羽、湖面を漂っている。反対側の岸は、落葉樹が結構多そうだ。絶好のウォーキ ング日和のことゆえ、結構人も多く、すれ違ったり、抜いたり抜かれたりする。簡単な 挨拶を交わす。抜いたり抜かれたりしているうちに、親しみも増してにっこり笑みを交 わしたり、口をききはじめたりする。

     そんな人の一人で、途中から一緒に歩くことにな ったのが、Tさんである。半年前に大阪からロンドンに英語の勉強に来たという若い女 性で、休暇を取り、列車やバスを利用して、エディンバラ、インバァネス、スカイ島と 私たちがこれから行こうとしているところを、回って来ているのだった。久しぶりに、 妻以外の日本人と日本語話す。

     Tさんは、やさしい顔つきをしており、話振りも穏やかである。亜麻色の長い髪、小 豆色のハーフコート、ジーンズに、茶のウォーキングシューズ。背中には紺の小さなリ ュックを背負っている。いい連れができた。細い滝が、岩だらけの川原を落ちる所では 、写真を取り合ったり、一緒に湖岸に腰を降ろし、旅行の印象等を話し合ったりした。

     Tさんの話によると、スカイ島は、すごく寒いらしい。とにかく、横殴りの雨風が強 く、何を着て出ても知らぬうちに隙間から雨がしみ込んできて、びっしょり濡れてしま う。そのせいで島にいるあいだ一歩も外に出られず、ホテルの部屋で終日泣いていた。 このあたりの山をいま美しく彩っているヒースもスカイ島では、寒さでまだ咲いてもい ないという。

     半周して、岸の反対側に差しかかると、そこにはカースル・クームのフット・パスで 経験した、スタイルが方々に設けられている。階段を登り降りしたり、前後の二枚の扉 を一人ずつ開けたり閉めたりしなければならない。自転車で入り込むのを防ぐことにも なる。犬連れにも不便だろう。向こう岸にはマウンテン・バイクに乗った人の一団に追 い越されたが、こちら側には確かに自転車の人は一人もいない。犬連れも見当たらない 。スタイルの脇に、個人の敷地を好意によって利用させて貰っているとの表示もある。

     植生もがらりと変わって枝の折れ曲がった落葉樹が多い。湖畔に大きな松の木が横倒し になったのがある。根もほとんど剥き出しになっているが、幹から垂直に沢山の枝が出 ており、その一本一本が別々の松のように四方に更に枝を張っている。

     しばらく行くと、岩を穿ったトンネルがあった。中に入るとそれこそ真の闇である。 一歩一歩手探りしながら前に進む。ようやく出口の明かりが差し込んで来て、ほっとす る。

     若い夫婦が白い帽子に白い服を着た可愛い顔をした幼児を連れて向こうからやって きた。父親は半袖半ズボンに赤いリュックを背負い黒眼鏡をかけている。母親は、セミ スリーブに半ズボン、腰に緑のセーターを巻きつけ、お揃いの赤いリュックを背負い、 これまたお揃いの黒眼鏡をかけている。父親は背も高く体重もある巨漢で、母親も、特 にお腹のあたりかなりボリュームがある。それに比べると幼児は見るからに小さい。色 も白く、歩くのがやっとの歳である。こんな小さな子が、成長するとこんな大きな大人 になるのだ。すれ違いざまに

    「バイバイ」

    と手を振ったら、その子が大きな声で

    「バイバイ」

    と手を挙げて応じた。われわれが暫く進むともう一度

    「バイバイ」

       と声をかけてきた。振り返ると、バイバイが気に入ったと見えて、何度も

    「バイバイバイバイ」

    と手を振るのである。両親も立ち止まり、しょがないやという顔でにっこりした。

     一周も終わりに近づくと、途中ですれ違った人と何度かもう一度すれ違う。

    「やぁ」

    今度は一層の親しみを込めて挨拶を交わす。

     湖尻に戻ってきた。農場があって、古い石造りの家屋が建っている。広い牧草地に、 羊やレグホンや猫がいる。レグホンの色つやがよく、元気に走り回っている。卵はきっ とうまいに違いない。のんびり歩いたので、一周に三時間ぐらいかかったろうか。快適 なトレツキングだった。バタミア湖を四方から見たわけだが、光の方向が変わると、水 の色も微妙に変化し、湖畔の木々や背景の山々の色と呼応して、一層心にしみてくる。 Tさんにケズウィック方面への同乗を勧めるが、Tさんは隣のクルモック・ウォーター 湖も見ていくというので、お互いの旅の無事を祈ってそこで別れる。

    バタミア湖

    ダブ・コテージ

     妻は念願のバタミア湖一周を果して満足の体だが、湖水地方には、旅行案内書推薦の 一度は見ておきたいところ=マスト(MUST)が、無数にあって、まだ、ほとんど未 消化である。

     さて、今度はどこへ行こうか。昨日その前を通り過ぎたワーズワースが住 んでいたというダブ・コテージとピーター・ラビットとナショナル・トラストで有名な ビアトリクス・ポター女史の住処だったヒルトップは見ておきたいということで、出発 する。

     房総半島と同じぐらいの湖水地方には、大きな湖が十、小さなものが約五百もあると いう。だから道路は何処を走っても、湖岸を走る感じである。しかも湖岸ぎりぎりまで 樹木がいっぱい生えているので、よほど岸近くを走らないかぎり、樹木の間から湖面を 見ることになる。氷河時代に作られただけにどの湖も細長く、対岸は見えるけれど、な かなか湖尻には行き着かない。昨日通った同じ道を通るのも気が利かないので、サール 湖の右側の道に乗り入れて見たのだが、幹線道路でないだけ車は少ないが道幅が狭く、 樹木の枝が車に触りそうだ。地図の上では小さな湖だけど、車で走っても結構ある。や っと元の幹線道路に戻り、しばらく進むと昨日ダブ・コテージの看板の出ていた所に着 いた。

     駐車場に車を留め、目的の建物を探すけれどそれらしきものが見当たらない。近くに は、石垣に囲まれた白い色の古い石造りの家がたっている。うろうろしていたら本通り からすこし引っ込んだところに回りの家とさして変わり映えのしない家があり、その前 に人だかりがしている。行って見るとそこがダブ・コテージだった。そこも私の脇下程 の低い石垣に囲まれていて、様々な草花が石垣の後ろから顔を出している。二階建ての こじんまりした白い家である。壁には薔薇や蔦がびっしりまとわりつき、赤い大きな薔 薇の大輪が幾つも咲いている。門のところにさして大きくない長方形の青い立て看板が あって白でダブ・コッテージと書いてある。建物の入口で、隣の博物館と共通のチケッ トを買う。観光客が七八人のグループになると、案内役が付いて説明をしてくれる。わ れわれの案内役は小柄でがっしりした体格の若い男性だった。ボランティアだそうだ。 四角い顔で頬が赤い。しっかりした口調で澱みなく説明する。室内は薄暗くひんやりし ている。古い家具や暖炉があり、壁には絵や写真が掛かっている。食糧の保存に使われ た部屋もある。案内役の説明に回りの客は一々頷く。前のグループが次の部屋に行くの を待って次の部屋に移る。客はかなり多い。

     ここにはワーズワースは妹のドロシーとともに一七九九年から一八〇八まで住んで、 詩人としての最高の仕事をなし遂げたという。彼の書斎からグラスミア湖がほんの少し だが、見える。案内役の説明では、詩人が生きていたころは、湖とこの家との間には家 らしい家とてなく、湖が建物の前面によく見えたらしい。

     裏口から出て石の階段を登ると裏庭に出る。裏庭はすこし小高くなっていてそこも樹 木や草花がびっしり生えている。その種類の多さには圧倒される。詩人が生きていたこ ろからこんなに沢山の草木が生い茂っていたのだろうか。さすがに自然詩人と言われる だけのことはあって、あたりにはいまでもたっぷり自然がある。一番高いところまで登 って行くと家が樹木の陰にすっぽり隠れてしまう。その樹木の向こうに湖が見える。右 回りに家を一巡りして玄関の所まで行って見たが鉄網があってそこからは外に出られな い。もう一度、室内に戻り、入った所から外へ出た。隣の博物館にも寄って、詩人ゆか りの様々な展示物を見る。詩人の生涯や業績が図示され、自筆の原稿、肖像画、所有物 、覚書、湖水地方の初期の水彩画などが展示されている。丁寧な展示振りに、この詩人 がいかに愛されているかがうかがえる。

    ダブ・コテージ
     
     

    ヒルトップ

     突然文学づいたわけではないが、今日の午後は文学路線で参ろうという既定方針にし たがって、次は、ポター女史のヒルトップを目指して車を発進する。

     これまた裏街道を行くことにして、イングランドで最大の湖と言われるウィンダミア 湖の後ろ側に回り込む。細くうねった道を何度もこれでいいかと頭をかしげながら進む 。かなり下り坂になってしばらく行くと小さな集落があって道路にいっぱい人が歩いて いる。そこがヒルトップだった。入口で切符を買い、ピーター・ラビットの本やポスタ ーやぬいぐるみやみやげ物と買い物客であふれている売店を抜けて、ポター女史が住ん でいた屋敷へ向かう。細い道の両側には、様々な花が所狭しと咲いている。花の間をか き分けるようにして屋敷に着く。二階建ての建物だ。十七世紀に建てられたものという 。壁は黒ずんでおり、所々に蔦状の植物が絡みついている。

     中には彼女が愛した家具調度品から様々なコレクション、彼女の書いた大きな油絵等 がある。油絵をみると彼女が絵描きとしてもなかなかの人だったことが伺える。

    それが 絵本に反映しているのだ。部屋の片隅、階段の手すり、廊下の明かりとり、小さな家の 模型、そうしたちょっとした空間を、彼女が絵本の中に巧みに描き込んでいるのが興味 深い。絵本と照らし合わせて見えるようにしてあるが、本当に寸分も変わらない。窓か ら見える風景にしても同様だ。彼女が生きていた時代と変わらない空間が残っている。

    それというのも、ポターが遺言で、(この地で誕生し、)彼女の同志でもあったCan on RawnsleyやTom Storeyらの設立した自然環境保護団体である ナショナル・トラストに四千エーカーの土地と十五の牧場、多数のコテージを、自然を そのまま残すことを条件に寄付したから可能だったのだろう。家の前に広がる牧場も百 年前と少しも変わっていないに違いない。そう思って見ると何となく貴重に見える。彼 女はこうした豊かな自然に取り巻かれて、せっせとあの愛くるしい兎や小動物の絵を書 き続けたのだ。確かに大都会の真ん中で出来る業ではない。彼女の造りだしたさまざま の主人公をモデルにしたぬいぐるみや置物なども集められているがどれも、本当に愛く るしい。彼女の心を映している。
     

     ヒルトップを出てすぐ近くの、表通りから少し入ったところにお茶を飲める小店があ った。花の咲いた庭に白いテーブルが幾つか置かれていて客がゆったりとお茶を飲んだ り、軽食を取ったりしている。子だくさんの家族連れもいる。ケーキと紅茶を頼む。雀 や駒鳥とおぼしき鳥がテーブルやすぐ足元までやって来て、パン屑やケーキの切れ端を つつく。いっこうに人を恐れない。近くの花壇でも砂浴びしている。回りの樹木や電線 にも小鳥がいっぱいとまって、さえずっている。座り込んでお茶を楽しむ。こういうと き、何杯もお代わりのきくイギリス式は助かる。澄んだ空気を吸い、自然に取り巻かれ 、ゆったりとお茶を飲めば、元気もすぐ回復してくる。

    トーマス

     夕飯は、今日はホテルで取ることになっている。出掛けにホテルの主人が、われわれ を玄関先でつかまえ、今夜のディナーはどうするつもりか、自分のところでは今日はお いしい料理を用意しているがと勧誘したのである。表情から是非とも自分のところでと いう気持ちが伝わって来た。その熱意にほだされて、夕食のリザーブをしたのである。 ホテルに戻り、シャワーを浴び、食堂に下りていく。例によってホテルのオーナーが飛 んできてテーブルに案内してくれる。朝と同じテーブルだ。

     野菜スープにメインの料理は魚のハロッズ、どれも手作りの素朴な味がする。それに 赤ワイン。窓の外には暮れなずむ景色がまだ見えているのだが、次第次第に薄れていき 、室内のランプが窓に映るようになってくる。北国の宵闇は緩やかに緩やかに下りる。 われわれもまわりのテンポに合わせてホテル自慢の夕食をゆっくり賞味する。  食後のティーはサロンで取る。大きなソファーが幾つかおいてある。初老の夫婦がい るので話しかけると、真っ直ぐ東へ二百キロほどいったところにある町に住んでいると いう。湖水地方も好きだし、このホテルは、オーナーのトーマスが働き者で親切なのが 気に入ってほとんど毎夏ここに泊まりに来るのだそうだ。

     オーナーは本当に働き者ですねと相槌を打つと、二人とも大きく頷いた。

     明日は出発しなければならないので、散歩に出掛けることにした。ケズウィックで最 初に駐車した駐車場まで行って車を留め、ダーウェント湖を目指して歩く。時刻は遅い が、西空の一部にはまだ輝くような明るさが残っていて、散歩している人も多い。湖面 が白く輝いて見えるところまで行くと、広い草原があり羊が沢山いて、まだ草を食んで いる。メェーと泣きながら体をこすりつけてくるのもいる。暗闇のなかを若いカップル が思いっきり自転車を飛ばしている。大きな樹木が黒々とそびえている湖畔に出ると、 明るい照明灯が船着場を浮かび上がらせている。こんな時刻に、遊覧船が入ってくる。 やがてその灯も消えて、あたりは急に暗さを増す。空の明るさも消え、その中に湖がう す青く浮かび上がる。

     ケズウイックの商店街へ戻って、ウインドウショッピングを楽しんでいるとある店の ショーウイン ドウにピーターラビット生誕百年のポスターを見つけた。東京の丸善で見 たのと同じものだ。イギリスに来て初めて見かけたものだ。地元でもお祝いしていると 知ってなんとなくほっとする。町にはまだ人通りも多い。トレッキングが盛んな地域と 見えて専門店が幾つかある。欲しいものが並んでいるが、店はとっくに閉まっている。 明朝寄る暇はなさそうだ。商店街は大して大きくないのですぐ一巡してしまう。駐車場 への抜け道もすっかり馴染みになってしまった。

     翌日もいい天気だった。窓を開けると清々しい空気が入ってくる。見納めに窓から目 の前に広がる景色を楽しむ。小高い山の半分から上のところが帯状に紫に染まっている 。ヒースの花が咲いているのだ。その下のところが薄緑色の帯で、麓の一体には濃い緑 の林が連なり手前に近づくに連れて緑の牧草地が顔を出す。空気が澄んでいるので木の 一本一本がはっきり見える。直ぐ眼下に二軒の家がある。家の回りには様々の樹木や花 を植え込んでいる。このホテルにしても昨日ドライブから帰ったとき確かめたのだが、 裏手にプールや卓球場もあるけれど、少しの空き地にもいろんな樹木や花々を植えてい る。窓の前にも昨夜星を仰いだテラスにも鉢植えがあり、色とりどりの花が咲いている のだ。

     トーマスの「サンキュー・ベリーマッチ・インディード」の朝食を終えて、二階に出 発の身支度に戻るわれわれをトーマスは階段の登り口でつかまえ、今夜一部屋空くこと になったが、もし良かったら、もう一晩泊まっていかないかと勧める。そうしたいのは やまやまだけど、これからの旅程を考えるとあんまりのんびりもしておけない。残念だ けどと断る。

     荷物の運搬をトーマスが手伝って貰い、いよいよ湖水地方ともお別れである。トーマ スと別れの握手を交わす。

    「サンキュー・ベリーマッチ・インディード」

     そのトーマスの口癖が今でも耳たぶに残っている。


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    イギリスを走ろう

    イギリス・ドライブ紀行(10)

       930924/940712/950629

       1 0  ス カ イ 島

         グラスゴーロッホ・ローモンドホテル・インバーロチィ・キャッスルブロ ードフォードのホテル島内ドライブ

    グラスゴー

    地図を広げてみるとスカイ島までは結構ある。車の出発時点での走行距離数は七六七 マイルになっているが、恐らくこれが一〇〇〇マイルを越すはずである。キロに直すと 五〇〇キロほど走ることになる。あまり、助手席の人には言わないほうが良さそうだ。 今日中に無事着けるかどうか多少不安がないわけではない。しかし別にホテルの予約を 入れているわけでもない。行けるところまで行くまでのことだ。

     ホテルからA66号線 まで、ほんの一走り、この道を二〇キロほど東に走り、M6号線に乗り入れる。これか らはひたすら北上することになる。この辺りは車も少ない。快適なドライブが楽しめる 。M六号線を五〇キロほど走ると、CARLISLIEのあたりで途切れて、A74号 線になった。更に六キロほど走ったところでスコットランドに入った。別に景色が大き く様変わりするわけではないが、なんとなく周囲の起伏のスケールが大きくなっていく 感じがする。道路沿いにこれまで見かけなかった赤と白の格子を基調にした綺麗なドラ イブインがある。スコットランドのチェーン店なのかもしれない。喉も乾いて来た。ち ょっと寄ってみる。

     オレンジのシュワップを飲もうとすると、自動販売機で売っている。適当なコインが ないので、店の女店員に替えてもらう。可愛いエプロンをしていて感じがいい。ちょっ とスナック類も買い込む。この店は、リトル・キッチンのチェーン店で、その後しばし ば見かけるようになった。

     A74号線を五十キロほど走るとまたM(モーターウエイ)74号線になった。これ を三十数キロ走るとグラスゴーである。グラスゴーはスコットランド随一の大都会であ る。回りの車の数もめっきり増えてきた。道路標識も複雑になってきた。隣のナビゲー ター殿に買い込んだ大型地図をめくってもらい、指図を仰ぐが、たちまち分岐点に来て しまう。

    「あっ」 

    「あっ」

    と言っているうちに、車はいつのまにやら高速道路を降りて、グラスゴーらしい大都会 の一角を走っていた。道路脇に車を留めて地図を良く見ると、グラスゴーの南の端にい るらしい。いずれにしても高速道路はそこで途切れていて、スカイ島に向かうなら、グ ラスゴーの中を抜けて、A八二号線を探し出す必要があるらしい。

     グラスゴーにせっかく降りたのだから少し見ていくことにしよう。都心に狙いを定め て走りだしたのだが、大通りを右折しようとすると、同じ考えの人が多いと見え車が数 珠つなぎになっていて一向に前に進まない。しょうがない。Uターンして、べつの裏道 を探す。今度は首尾よく大通りの交差点に大きな時計塔の立っている辺りに出た。その すぐ近くに車を駐車して歩いてみる。古い堂々たるビルがぎっしり立ち並び、人通りも 多い。二階建ての赤い色をしたバスが走っている。大きな店もある。バッグ類の店に寄 ってみるとセール中で、いいものがかなり安い。だが、まだスコットランドに入ったば かり、踏ん切りをつけるのは少し早すぎる気もする。そのうちもっと安いいい店が見つ かるかも知れない。

     ゆっくりしたいのは山々だが、今日は先を急ぐ身、ほんの半時間ほどぶらついて車に 戻ることにする。しかし、どっちに行けばスカイ島にいけるのかよく分からない。そこ で初老の親切そうな夫婦連れをつかまえて、地図を示し、これから車でスカイ島へ行き たいのだが、どっちに行けばいいかと尋ねた。

     二人は、えっと言うような顔でわれわれの顔を見、あのスコットランドの西にあるス カイ島かと確認する。そう、そのスカイ島です。なんとなく困ったように顔を曇らせ、 それならその道を真っ直ぐ行って云々と親切に教えてくれた。お礼を言うと、夫人が

    「今日中にお着きになれるますように、幸運をお祈りしたい気持ちですわ。スカイ島と きたら年中霧で暗くなってからじゃ危ないですよ」

    と言いだした。夫も我が意を得たりといわんばかりに、

    「私にも言わせて貰えば、これからスカイ島までは結構ありますよ。無理をしないで、 フォート・ウイリアムあたりでお泊まりになったらいかがですか。あそこはいい所です よ。欲を言えばその前の、オーバンがいい。古い町でくつろげるところですよ。わたし はそっちをお勧めしますよ」

     見も知らぬわれわれの身を案じてくれるのである。

    「ご忠告かたじけありません」

    厚くお礼を言って別れる。グラスゴーの郊外の大学街の辺りからA八二号線に入る。街 路樹が道を覆うように立ち並び、道の脇には花が一杯である。ガソリンが切れてきたの で、小さなスタンドに寄る。

     セルフ・サービスではあるが、もう慣れたもの、四〇リットル・ジャスト自分で入れ てカウンターに行く。スーパーと一緒になっていて、レジは人でごった返している。中 年の女店員に、ペストルの代金を払いたいというと、目の前のメーターを覗き込み、怪 訝な顔をしている。どうしたと聞くと、こっちのメーターに出ていない・・と言葉を濁 す。あっちのメーターで丁度四〇リットル入れたというと隣の女店員と顔を見合せぼそ ぼそ話し、それじゃと言って、四〇リットル分の代金を受け取り、領収書をくれた。

     さて、油も入れたことだし、これからは走るだけである。スカイ島まで着かなくても 、それこそ、勧められたフォート・ウイリアムでもオーバンでもいい。それなりに楽し めそうじゃないか。フォート・ウイリアムには、日本で旅行日程をつくる段階で泊まる ことも考えたのである。

     スピードを上げて走りはじめた。しばらく走って、見るとはなしに、オイル・メータ ーを見るとほとんどからに近いところを針は指している。さっき入れたばかりなのに。 一瞬けむにつまれた感じがした。

     「そうだ!」

     思わず、口に出してしまった。

    「いったい、どうしたのよ」

    先程のスタンドで女店員が不審そうな顔つきをしていたのは、メーターが空回りしてい たのに違いない。入れたつもりが一滴も入っていなかったのだ。仕方がないので、次の ラウンド・アバウトで車をUターンする。今日はよくUターンする日だ。ところがいく ら走っても件のスタンドが見つからない。随分走ったものらしい。時間の無駄だし、諦 めたらと妻は言う。いい加減なところで、再度方向を転換する。それでも油がからでは スカイ島はおろかオーバンにも着けない。次に見つけたスタンドで注油する。たっぷり 四〇リットル入る。思った通り私の車のメーターが壊れていたわけではないのだ。スタ ンドのオーナーに事情を話して、先のスタンドで貰った領収書に書いてある店に電話を 入れて抗議してくれと頼む。ところが電話番号は書いてないし、電話案内で尋ねてもわ からないと言う返事だ。結局四〇リットル分約二〇ポンドを諦めざるを得なくなった。 無性に腹が立ってしょうがない。悪意はないのだろうが、セルフで売るのなら機械の整 備ぐらいきちんとやっておくべきだろう。店員にしても、これまでもこんなことがあっ たに違いないのだから、もっと確かめて金を取るべきではないのか。

                                              
    ロッホ・ローモンド

     グラスゴーから三十マイルも走ると右手に湖が見えてきた。これが、ロッホ・ローモ ンドである。ロッホが、氷河で出来た湖なり水路の意味だからロッホ・ローモンド湖と いうと意味がダブル。有名なネス湖もロッホ・ネスであり、スコットランドを走ると至 るところにロッホがある。氷河でえぐられた海岸にもロッホと名付けられている。この ロッホ・ローモンドはスコットランド一大きく、全長四十キロ、幅は広いところで八キ ロ、最も狭いところで一・二キロで、グラスゴー側が大きく北に行くに従って細くなる のだ。

     懐かしき河の岸辺

     光まぶしロッホローモンド

     友と手を組みさまよいたる

     この岸辺ロッホローモンド

    と、スコットランド民謡にも歌われ、NHKテレビの名曲案内でも紹介しているので、 どんな湖かと、来る前から興味を持っていた。

     A八二号線は、湖の端から端まで湖畔に沿って作られているので、それこそ延々四〇 キロ、これでもかこれでもかと言うほどたっぷり湖を楽しむことができる。道は細かく うねり、生い茂る樹木の間を縫い、湖岸にぐいと近づいたり、少々離れたりしながら進 む。空には大きな雲が出ており、日を閉ざしているので、湖水の色は深い蒼色をしてい る。湖上には大小様々の小島が点々としている。対岸の緑に覆われた山が北上するにつ れて高くなっていく。もっとも高いところがベン・ローモンドの頂である。それでも一 〇〇〇=に少し満たない。湖上には、ヨットやクルーザーが浮かんでいる。遊覧船もあ る。

     道路や船を除けばほとんど人工のものは目につかない。木々の緑と、水の蒼と、白い 大きな雲の塊。湖は大きいけれどどことなく山間にひっそりと静まりかえっている趣が ある。

     道路はAクラスの幹線道路にふさわしい広さのところもあれば、湖岸まで山が迫って 十分道幅が取れなかったせいか、幾分狭く感じられるところもある。なかなか美しい景 色なので、助手席の方に八ミリビデオを回して貰う。

    「もういいでしょ」

    とすぐ言い出すので、

    「いいと言うまで回し続けて」

    と頼む。道がカーブし、思いがけない景色が眼前に広がるのでなかなかもういいと言い にくい。

    「ああ腕がくたびれちゃった」

    Hotel Inverlochy Castle  

    ロッホ・ローモンドを過ぎると、景色は凄味を帯びてくる。荒れ果てた地の果ての感 じが増してきて荒涼という言葉が思い浮かぶ。なんとか少しでも前にという思いに追い かけられながら、千=を越す山に囲まれたうねる道をひたすら前進する。オーバンとフ ォート・ウイリアムズの分かれ道はもうとっくに過ぎて、今はすでにオーバンを諦めて 、フォート・ウイリアムズへ急いでいるのである。オーバンに行くならTyndoru mでA八五号線に左折しなければならなかったのだが、思ったより早めに着いたので、 ひょっとすると今日中のスカイ島もありうると考えて三角形の二辺より一辺に相当する 方を選んだのだ。湖水地方のホニスター峠で見かけたような景色が続く。ごつごつした 岩が剥き出しになっており、日本の山に比べると高さの割にはもっと峻厳な感じがする 。岩には苔がこびりつくように生えている。

     いかにも不毛の土地という感じで、いたるところに湖や池がある。そんな中に人工的 な感じの不思議な湖があったりする。

     山地を下りると左手に細長い海が見えてくる。この海もロッホ・リニと名付けられて いる。これも氷河で出来た湖で、北東に向けて次にロッホ・ロチィと繋がり、その一番 端にネス湖がある。この一直線に並んだ三つの湖が、運河で陸地を切り離したような印 象を与える。暫く直進するとあっさりフォート・ウイリアムズに着いた。道路沿いにホ テルやインが立ち並んでいる。細長い町である。何処に宿を取ろうかと話し合いながら ゆっくり車を走らせる。町の背後に、スコットランドでいやイギリスを含めて一番高い 山であるベン・ネビィスが聳えている。高いといっても一三四四メートル、こんもりし た山だ。

     時計を見ると午後四時である。まだ十分明るい。あわてて宿を取る時間ではない。

    「走ろうか」

    「走ろう」

    ということになって、また走りだす。

     ちょっと山地に入って曲がりくねった道を走っていたら、右手にHotel Inv erlochy Castleの看板があった。走行メーターは1000マイルを指し ている。ちょうど喉も渇いてきて、どこか適当な所はないかと物色しながら走っていた ところだったし、お城にも興味がある。少し寄って行くことにする。

     門を入ると鬱蒼た る樹木が生い茂っていて、しばらく走っても建物の影も見えない。こんな所に入ってみ たものの、お茶を一杯で済むだろうかと少し不安になりかけた頃、大きな石造りの城館 が現れた。玄関前の花壇の傍の駐車場に車を留め、恐る恐る大きな門前のゲートから中 に入る。正装したボーイがやって来たので、ここでお茶を飲めるか確かめるとどうぞと いう。

     天井が高いゆったりしたロビーである。天井には天使の絵が描かれており、豪華 なシャンデリアがぶら下がっている。壁には大きな絵が何枚もかかっている。大きなテ ーブルには青みを帯びた暑いガラスがおいてある。ソファーも時代がかった大きなもの だ。一つのソファーに優に十人は座れそうだ。意匠を凝らした暖炉では石炭がごうごう と炎を上げて燃えている。葉肉の厚い植物を植えた鉢がある。さりげなく置いてある石 作りのチェスセットにしてもなかなかの値打ち品に違いない。調度品の一つ一つがずし りと重みがある。磨かれた窓からは花の咲き乱れている花壇が見える。それをのんびり と見ている人がいる。由緒ある館に迷い込んだ感じだ。

     いつからやっているのかと、ボーイに確かめると二百年前からだという。スカーレッ ト家が建設した施設らしい。今のお城は一八七〇年に建設されたものらしい。一八七三 にビクトリア女王がここに一週間泊まり、そのとき日記にこれ以上愛すべきロマンチッ クなところは他にないと書き記しているという。エリザベス女王夫妻も一九九一年に訪 問したらしく、古いピアノの上に夫妻の写真がおいてある。女王が椅子に座り、エディ ンバラ公が後ろに立っている。面積は三九〇〇〇エーカーもある。

     ロビーを抜けてこれ また広いラウンジの向こうに広がる風景を見ると、はるか向こうにお城らしい建物が見 え、その右手には湖が見える。全部敷地なのに違いない。起伏に富んだ美しい眺めであ る。テラスにはテーブルがおいてあるが、椅子は全て立てかけてある。もう使っていな いのであろう。

     ソファーにゆったりと腰を据えてボーイが運んできたお茶のセットを賞味する。紅茶 にビスケットが四枚付いてきた。手焼きとみえてこれがうまい。後で九・六ポンドとら れたが、普通の店なら一ポンドしかしないものでも、雰囲気に気品があり、施設が立派 で、従業員の感じがいいので、けっして高すぎる感じはしない。人影はほとんど見当た らないが、確かめると満室という。玄関を入ったすぐの所に、一九八九年の最優秀ホテ ル経営者のエンブレムが掛かっていたのも合点が行く。ペストル四〇リットル分を損し てむしゃくしゃしていた気持ちもこれで晴れた。

     せっかくこんな立派なところに来たのだから、中を全部見せてもらおうと探検に乗り 出す。ロビー右手の赤い絨毯の敷かれた大理石の階段を登っていく。側壁には写真が隙 間ばないほどびっしりかけてある。二階まで吹き抜けになっているが、三階にはオーナ ーの部屋らしい明るいサン・ルームがある。二階には大きなビリヤード室があって、周 りの壁に大きな鹿の頭部の剥製が一〇以上も掛かっている。角が複雑に伸びている。そ れぞれに何処で捕ったものであるかプレートが付いているが、アメリカで捕ったとの表 示のあるものもある。当ホテルのオーナーのスカーレット一族の手になるものであろう 。

     紛れ込んだ同然のホテルであったが、驚くほど、立派で質が高い。ここいらもイギリ スの奥の深さであろう。感心して、ボーイに感謝の挨拶をして出発する。

                    

    ボロードフォードのホテル

     道は、これまでどこでも見かけない色彩を帯びてくる。

     左手に深く切れ込んだ湾が繋がり、右手には、高い針葉樹の並木やごつごつした山が 連なる。山の上から大きな白い雲がたなびき、水面が白く輝いている。

     次第に天気も崩れてきた。いや、目まぐるしく変わるのだ。晴れたり曇ったり、霧に なったり。西に向かって走っているので山は逆光で陰になり、水面が白くひかる。車の 数は多くない。

     スカイ島へ二十マイルの掲示が出てきた地点で、前の車が止まったので、停車。見る と、前に二十台ほど車が連なっている。その先は道が曲がっているので見えない。どう も事故のようだ。パラパラ小雨が降りだした。みんなうんざりした顔で、前方を見つめ ている。たちまち私の後方にも二十台ばかり車が溜まった。時刻は六時十五分。すでに 今日はここまで四八〇キロ走っている。

     通りかかった黄色い雨合羽を着た警官に聞くと、事故はあと三〇分もすれば片づくと 言う。予約無しにスカイ島に行くのだが、宿は今からでも大丈夫かと尋ねると、今年は NOT SO BUSYで、部屋は沢山空いているので心配ないという。安心する。

     道路の右手が傾斜地になっていて、大きな針葉樹が一杯生えている。皆代わり番こに 生理的欲求を処理に行く。わたしもその仲間に加わる。

     二〇分たってやっと反対側の車が動き出した。雨はやんだ。旅に出ればいろんなこと に出くわすものだ。

     三〇分以上も待たされてこちら側もやっと動きだした。車は数珠つなぎだし、道幅は 一車線しかないから、スピードは出せない。一個連隊をなして進む。しかしたちまち隊 伍は乱れて、別々に進みだした。しばらく行くと道路の正面に大きな古城が見えてきた 。道路が右折するとそれが右手の海の中に迫り出して作られているのが分かる。かなり 大きい。その前に、車も何台か止まっている。名所らしいがゆっくり見ていく余裕は、 今はさすがにない。

     雲の間から太陽が最後の光を地上に降り注いでいるが、そのあたりが白く輝いている 以外は、大きな雲も、山も海も道路も青く見える。

     いよいよスカイ島とを結ぶフェリーの船着場が見えてきた。カイル・オブ・ロハルシ ュの港である。その向こうに黒々と見えるのがスカイ島に違いない。スカイ島のスカイ は、空の意味ではなく、「翼」を意味するらしい。島の形が翼に似ていることに由来す るらしい。

     フェリーボートに順序よく載って、航行の間は甲板に出た。スカイ島も間近に見え、 海は湾のように見える。日は落ちており、海は鉛色だ。波はない。わずか5分程度でス カイ島に着いた。はるばるもやって来たものかな。感慨が湧く。北緯五八度の島である 。しかし、感慨に耽っているわけにはいかない。これから今日の宿を捜さなければなら ないのである。

     また、走りだす。明日からの行動を考えれば、島の中央にあるPortreeまで行 っておけば楽である。道路の両脇の植物もそれほど大きな樹木はない。気候が厳しいか らであろう。最初の集落に着いた。Broadfordである。道の右手にホテルがあ った。しかし、そこを通り過ぎた。

    「どこまで行くの」

    妻が聞く。

    「Portreeまで」

    「あとどの位あるの」

    「三〇キロ位かな」

    「えっ三〇キロ。わたしもう疲れたわ、今のところでいいじゃない」

     Uターンして、先程のホテルの前に駐車して、部屋が空いているか確かめる。受付に いたのは小柄な若い女性である。でも発音が聞き取りにくい。子音が強いのだ。でも、 幸い部屋は空いていた。ダブルの部屋が一室、一泊分だけ空いているという。それに決 めた。ツインの部屋で二泊出来れば越したことはないが、まあ贅沢はいっておれない。 時刻は八時を十分過ぎているのだ。

     部屋は、海に面していて、真四角に近い窓からまるで額に入れた絵のような美しい風 景が見える。かなり深い湾の一番奥まったところにこのホテルは建っているとみえて、 左右に張り出した海岸がみえる。夕日の残光が左手の雲の後ろからさしていて、左手の 海岸は陰になって黒々している。中央正面に平たい小島が見え、そのずっと向こうにも うっすらと島影が見える。海はかなり干潮で、ホテルのすぐ前には磯が顔を出している 。

    (平成7年2月2日10時12分(注:久しぶりに執筆再開である)

     海の色は青みを帯びた深い色で、両端とも、夕日の残光を受けて薄く橙色に染まって いる。空には海に沿うように長く平たい雲が浮かんでいる。

     ようやくたどり着いたという思いと、無事に今夜の宿にありついたという安堵感から しみじみと風景をながめる。窓には緑の地に赤や黄の花柄のカーテンが掛かっている。 ベッドカバーも例によってコーディネイトしている。ベッドには赤外線のアンカが入っ ている。部屋はそれほど大きくないが、四角に近く何となくがっしりと堅牢に作られた 感じがする。これは窓にも言えることで、日頃の天候の厳しさを反映しているに違いな い。

     とりあえず、夕食を取りにホテルのレストランへ向かう。ホテルのなかの通路はかな り入り組んでいて、右に曲がり左に折れ、階段を上がり、階段を降り、ドアを開け、ド アを閉めなければならない。同伴者の方向感覚はかなり弱いので、一度はぐれたら、永 久に部屋に戻って来ないに違いない。

     スコットランド風の夕食(コース)を賞味して、ホテルのロビーに行くと、大勢の人 が集まって、一緒に歌を歌っている。中年より上の人がほとんどで、我々が入っていく と、ここに来て座れと席を空けてくれた。どうもツアーの一行らしい。広いロビーの中 央に、電子オルガンやギターやら太鼓など、身の回りに様々な楽器を並べたワイシャツ にネクタイの中年の男が陣取り、巧みに幾つもの楽器を操りながら、自ら歌を歌い、全 員の歌唱の指揮をとっているのだ。なかなか張りのあるいい声だ。歌の間にジョークを 連発する。皆声をあげてよく笑う。

     座ると周りの人がB4大の紙を一枚手渡してくれた。そこにはタイプでびっしり歌詞 が書いてある。どうも民謡の類らしい。ざっと目を通すとロッホ・ローモンドやアニー ローリーなども入っている。スカイ島やスコットランドの地名が付いた歌が多い。それ を皆声を合わせて次々に歌っているのだ。誰もが歌が好きと見えて、素朴で心地よい歌 い方だ。旅に出て解放された雰囲気が漂っている。私達に席を譲ってくれた夫婦は、ど ちらもビア樽のように太っていて、半袖である。

     夫のほうが特に愛想が良くて、今この歌を歌っているんだと教えてくれる。歌の合間 に聞いたところによると、バス・ツアーで来ているらしい。日産自動車の工場に勤めて いると言う。だから日本人にはとくだんの関心を持っているらしい。

    「ニッサン、ニッサン」

    と盛んに繰り返す。かたわらで人の良さそうな素朴な顔をした奥さんがにこにこしてい る。白髪頭のおばあさんなど、かなりな高齢者も混じった一団だが、我々を見る目は優 しく純朴である。すっかり打ち溶けて、民謡調の歌を一緒に次々と歌った。昔は歌声喫 茶あたりで、皆して歌ったものだが、日本ではカラオケが取って代わった。中年の男女 が、こうしてホテルのロビーで声を合わせて歌うなど、日本ではない。皆飽きもせず、 ビールのジョッキを傾け、粗末なおつまみなどをつまみながら、実に楽しそうに歌う。

     われわれは、今日一日五百キロも走ったことだし、少々早めに引き上げることにした。 歌詞を書いた紙は、五ペンス、テーブルに置いていけば、持っていっていいというので 、五ペンス置き、回りの人達にもお休みの挨拶をして、部屋に戻った。  窓から外を見ると、満天の星である。

     霧の島スカイ島で星を仰げるとは。窓は丁度真北に面していて、真ん前に北極星があ る。しかも、随分と高い位置にある。北緯五八度から見る空は、北緯三四度の東京の空 とまるっきり違う。東京で見るあるかなきかの北極星とは違って随分明るい。北極星の やや左斜め下に北斗七星、右手にカシオペア、右斜め下に蠍座。どれも驚くほど大きく 鮮やかである。蠍座よりさらに斜め右下に星雲らしいぼやっとした明かりがある。いつ まで見ていても飽きない。

     大都会では、こんな美しい夜空は仰げないが、古代の人達は、毎日こんな美しい空を 見上げて暮らしていたのだ。それが様々な星にまつわる神話や星座、星占いを生み出し たのだ。妻と一緒に窓辺に寄り掛かり、二人してなんどもため息をもらしながら、いつ までもいつまでも見上げていた。

    スカイ島

     翌朝は、起きるとすぐに窓を空けて天候を確かめた。観光にはまず申し分のない天候 である。湖水地方で会った高橋嬢から、スカイ島では横殴りの酷い雨風で、ホテルの部 屋から一歩も出られず、泣き明かしていたなど聞いていたものだから心配だったのだが 、昨夜の星空といい、今朝の天候といい、ついている。

     フロントに行き、今夜の部屋は空いているか確かめると、フロント嬢は、空いている ことは空いているが、今日は残念ながらツインの部屋しか空いておりません、と申し訳 なさそうに言う。むしろこちらの願うところなので、早速一泊分延長する。これで荷物 の出し入れ、ホテル探しから免れて、ほっとする。移った部屋が、昨日の部屋同様海に 面していて、やや東よりになったものの、四角い窓からは、額に入った絵のような景色 が楽しめる上に、少々広い。東に寄った分だけ、波止場の東側が全部見える。赤いボー トが一隻係留されている。砂浜には、引き上げられたやや大型のクルーザーが見える。 そらにはカモメが舞っている。

     朝食は、スコットランド風朝食。これはウエルズ風朝食と大同小異でイギリス風朝食 と基本的にはなんら変わらない。昨夜ラウンジで一緒に歌を歌った人達が、近くに座っ ている。日産に勤めている人もすぐ近くだ。挨拶を交わす。昨夜のことだが、勝子にラ ウンジから自分の部屋を捜させたら行方不明になってしまった。二人の太った中年の女 性に、試しに妻を一人で部屋に向かわせて見たら行方不明になってしまった、という話 をした。その二人連れが、テーブルに寄ってきて、奥さんは部屋を見つけることが出来 たかと声をかけて行く。一緒に歌った人を含めみんな

    「Good trip」

    とか

    「Good journy」

    と声をかけて出ていく。実に感じがいい。

     ホテルを出るとき出口にツアー旅行のパンフレットが置いてあるので確かめると、こ のDUNOLLIE HOTEL は、湖水地方のBOWNESS−ON−WINDM ERより以北に180ものホテルを持つチェーン店のひとつで、オバーンにも三軒、こ のスカイ島にも二軒ある。これらのホテルを巡る七日のパック旅行が各種ある。日曜日 スタートのものが多く、料金は二四〇ポンド以下である。今朝も食堂で挨拶を交わした 昨夜の一行はそのうちのどれかのパックを利用しているのだろう。

     今日は、南北およそ八〇キロ、東西の幅は広いところで四〇キロ狭いところで四キロという この島の北の端まで行って見るつもりである。十時少し前にホテルを発つ。その時の出 で立ちは、セーターの上にヤッケを着込んでいる。それで丁度いい。まだ八月の下旬と 言うのにである。ひとまず、島の中心地であるPortreeを目指して北進する。暫 くは海沿いの道路が続く。痩せた土地と見えて、黄色味を帯びた草原が多い。草の背丈 はそれほど高くない。海岸線は複雑で、入江が深く内陸部に食い込んでいる。起伏に富 んだ地形で、低木や草に覆われた丘や山や、垂直にそそり立つ岩山もある。天気は目ま ぐるしく変わる。晴れているかと思うと雨になり、霧になる。こまかな霧でいつのまに かフロントガラスが濡れ、ワイパーが必要になる。

     Portreeは島の中心地だが、人口千七百人程度の小さな町である。港に近い小 山の上から町も湾も一望できる。湾にはかなりの数の船が浮かんでいる。小山のすぐ下 に町の中心の小さな広場がある。そこに歩いて見ようと駐車場を探すとロング・ステイ 用の駐車場の矢印が見つかった。広場を後にして坂を降りたところにある。随分離れた ような印象だが、心配ない。車から降りると上りの階段があってそこを登るとすぐ広場 に出るのだ。なかなか巧みに地形を利用している。広場を取り囲むような形で、古い教 会やレストラン、みやげ物店が並んでいる。土地柄、トレッキング用の品を置いたスポ ーツ店もある。ここでもイギリスの最悪の天候にも耐えられるというBOURMORE  の服を物色したが、東京で買うのに比べると格段に安い。丸善で四三〇〇〇円したも のが一三五ポンド程度。約半値である。BOURMOREは、イギリス人にとってもひ とつのブランドらしい。中年の女性が夫と連れ立ってどこにあるかしらと捜しているの で、ここにありますよというと

    「BOURUMORE」

    と言う。

    「THE WORST  ENGLISH WEATHER」

    と私がいうと、二人して笑う。日本に帰った先で 始めるかもしれないトレッキング用に投資しようかと思い、試着もしてみたが、体にぴ ったりするものがなく、諦めた。アウトドアようのジャケットも二一ポンドぐらいから 、結構いいのが並んでいる。勝子も買いたがったがどれも大きすぎて止めた。

     すぐ近くの本屋も覗いてみたら、美しい絵入りの本があった。EDITH HOLD EN 著「THE COUNTRY DIARY OF AN EDWARDIAN  LADY」と言う本である。イギリスのカントリーサイドの自然が温かみを感じさせる 筆遣いで描かれている。月毎に章を分かって、草花、鳥や昆虫やネズミ、蛇の類まで美 しい水彩絵の具で活き活きととらえられている。手書きの文字で、その月に相応しい著 者のお気に入りの詩やモットー、簡単な日誌、それに動植物についての解説などが書き 込まれている。著者の一九〇六年の一年間の日記をそのまま再現したもののようだ。発 見されたのが、一九七六年らしい。彼女は一八七一年、イギリスのミッドランド地方に 生まれ、小さな村で生活し、この日誌を書き上げたものらしい。後年ロンドンに出て、 スミス氏と結婚したが一九二〇年に没しているから、死後五六年目に日の目を見たもの らしい。描かれた一つ一つの動植物に名前が付けてあるので、イギリスのカントリーサ イドをこうして旅行しているものにとっては得難い動植物の手引きにもなりそうだ。な によりも自然を愛して止まない一女性の手作りになるその素朴な味わいに魅せられて、 買うことにした。帰国してから、日本でも出版されていることを知ったが、ときおり、 ひっぱり出しては、楽しんでいる。

     さて、同書の一四一頁、八月のところに三種類の可憐なヒースが描かれているが、こ のヒースがこの島の道端から、荒野にかけて咲いている。山の上も紫になっているとこ ろはヒースに違いない。T嬢はヒースも咲いていたなかったといっていたが、ようやく 八月も末になって、この北緯五十八度の島にヒースが咲いているのである。岩がごつご つした草原には、小さな小さな黄色や白い色の花や、少し大きなアザミの花などが咲い ている。強い風と寒さと痩せた土地のせいだろう、草花の背丈は低い。小さな水流が至 る所でせせらぎをたてている。大きなごつごつした山にはほとんど木が生えておらず、 シダとかヒースの類がこびりつくように生えている。どこでも、羊がせっせと草を食ん でいる。

     広場を取り囲む角の所に瀟洒な喫茶店があった。そこに入って紅茶を飲む。イギリス ではどこでも紅茶・コーヒーが五〇ペンスである。ビールの安いのは一缶三九ペンスと いうのをKeswickの酒屋で見かけたことがある。ジュース類もほぼ五〇ペンス前 後、コーラは六本で一・五ポンドで売っているところもある。この喫茶店ではスペッシ ャル・ティーというのがあって七〇ペンスだった。アール・グレイやローズヒップのハ ーブティー等である。勝子が前者、わたしが後者を注文した。手作りのケーキが七五ペ ンスから一・一ポンドで、二人分の合計が三・二五ポンドですむのだから安い。しかも お茶はポットで持って来て五〇ペンスなのだ。(カップだと四五ペンス。)大体三四杯 分ある。喉は乾くし、おいしいからポット一杯分残さず飲んでしまう。この喫茶店で、 父へ二枚目の葉書を認め、これまた広場に面している郵便局から投函した。                   

     昼食は二番目の休憩地であるUigという小さな港町でとった。そこからWest ern Islesと言う島々へ向けフェリーが出ている。船着場のすぐ近くにあるレ ストランで私はサーディンサラダ(一・五ポンド)と鹿肉のステーキ(五・五ポンド) を食べた。人参やグリーンピース、ポテトチップが食べきれないほど付いてきた。妻は ホームメイドのステーキパイを注文した。これは、カースル・クームの白鹿亭で食べた ものと同じものだ。  レストランの窓からすぐ下に磯辺が見えるが、水鳥がいっぱいいて、磯の小魚を狙っ ている。

     島の北端に行くとWestern Islesが薄く見える。道端にささやかな展望 台があって、看板に島の名前がひとつひとつ書いてある。随分ある。風が強く、帽子が 飛ばされそうになる。

     その近辺に島の文化を伝えるMEUSEUMがあった。石を積み上げ、屋根を草で葺 いた背の低いコッテージが五六棟建っていて、島の生活を物語る道具や家具農具、写真 などが展示されている。周りには羊がいっぱいいる。黒と白のブチの犬がいる。一棟の 家のなかで中年の女性が羊の毛を紡ぐ実演をしている。素朴な足踏みの紡ぎ機に、羊の 毛を次から次に手で挿入してやると、みるみる毛糸状になっていく。羊の毛がオイリー なので互いに捩れて紡げるのだそうだ。

     一棟の家は建築中で骨組みが出来上がった上に草で屋根を葺いている。骨組みがなか なか興味深い。

     半島を時計回りに一周して、出発点であるBRODFORDに戻る。途中に石切り場 の跡なのか垂直に剥きだした岩山がある。山羊や羊がそんなところにもいる。行きと帰 りにCUILLION山を見たが、山頂は丸く、岩が露出し、生命を持つものが寄りつ きがたい色合いをしている。なんとも異様な姿と霧とで忘れがたい。

     これから二六キロ離れたElgolエルゴールへ行こうというと、妻は疲れたので休み たいという。ホテルに妻を残して、一人で行く。B八〇八三という四桁の数字の道路で ある。ここも大変雄大な景色が連なっている。ひっそりと静まり返った美しい沼地があ る。きの生えない山がある。朽ち果てた教会、それを取り囲んで立つ墓。色は、紫、緑 、茶が絡み合っていて、地形同様複雑である。車から降りてみると、風が強い。スコッ トランドの国花である紫色のアザミが至るところに咲いている。白や黄色の可憐な花、 シダ類も目につく。静かである。

     道路は一車線でところどころ鼠を飲み込んだ蛇の胴体のように膨らんでいる。そこで 車がすれ違うのである。一足遅れたほうがそこで待機し、対向車をやり過ごしてから走 りだすシステムで、道路の状況に応じて、見通しのきく的確なところに膨らみが設けて あるので実にスムーズにすれ違える。地図には、With passing plac es(すれ違い場所付き)と表示してあり、梯子状の線が入っているので、一体どんな 道だろうと疑問に思っていたのだが、合点がいった。日本でも大いに取り入れるべきシ ステムである。途中に採石場があり、石を切りだす跡があり、そこへ通ずる道には白い 砂利が敷いてある。海岸線は複雑でかなり奥深く入り組んでいる。

     エルゴール湾に向かって降りていくところから見るCuillion山の連なりは素 晴らしい。先程とは反対側から見ているのである。天気もよく千=にすこし足りない位 の山々が踵を接し、その一つ一つが独特の姿形をしている様がよく見える。ただ向こう 岸は雲で陰っている。湾には漁船らしき船が二三浮いている。降りきった海岸近くにエ ルゴールElgolの小さな小学校がある。崖は白く、丘の上には羊や牛が放牧されて いる。彼岸の陰と此岸の陽とが美しいコントラストをなしている。  やや日の陰ってきた同じ道を引き返して、ホテルに着いたのは、七時二〇分過ぎ。よ く走った。走行距離はほぼ二千キロに達した。

     夕食は、ホテルで八時半から。メニューは昨夜と同じものだ。選択を変えて対処する 。スコッチッシュ・ブロース(肉、魚、野菜などを煮だしたスコットランド風スープ) 、サバの燻製、チョコレート・アイスクリーム、それに紅茶。ハーフ・ボトルのワイン を頼んだら、フル・ボトルを持ってきた。ウエイトレスに取り替えるように言うと、一 応引っ込んだが、しばらくしてやって来てハーフ・ボトルはありませんという。結局一 本空けて持って来たのをそのままいただくことにする。ボジョレの一九九一年物。すっ ぱい味で軽い。

     妻が、この泊まっているホテル、DUNVILLIE HOTELをどう発音するの かとウエイトレスに聞く。何回真似ても相手は首を傾げる。ウエイトレスが立ち去った 後まで二人で繰り返していると、後ろのテーブルが笑い声がする。振り返ると声の主は 若い太った青年である。話しかけると、ドイツのキール地方からオートバイで来たとい う。イギリス本島の南端、イギリス海峡に面したヘイステイングに上陸して、東側の海 岸線に沿って北上してきたという。

     エディンバラには二時間いた。二時間で十分という。中心部の大通りを、オートバイ で行って取って返して、それで、すべて頭に入った。一度見ると決して忘れない。ネス 湖は、着く前から人が多くて警官が交通整理をしていた。そこを避けてNorth H ighlandへ行ったが、人が少なくて、景色もいい。是非勧めたい。その先のOr kney Isles もいい。二六島もあるが、人口はわずか四〇四人しかいない。 フェリーで行ったが丸一日あれば十分楽しめる。もうしかし、イギリスは十分なので、 そろそろ帰る。Skye島の人の発音は喉にかかるので聞き取りにくい。Lochのc hはドイツ語にもあるので、イギリス人より、われわれのほうがうまく発音できる。

     このドイツ青年は、四角い大きな顔で、赤い頬と赤い鼻、茶の髪はやや薄め、ブロン ドの口髭を蓄え、眼鏡の奥の目は茶色である。半袖のポロシャツ一枚で、お腹のところ がはち切れそうに出ている。話好きと見えてよく話す。われわれがポーランドに三年間 いた話をしたらこんな話をしてくれた。

     ポーランドはいま大変である。二〇年前のアメリカと同じで、ピストルをぶっ放して オートバイを止め、身ぐるみはいでみんな持っていく。こんなジョークがある。法王だ けが盗みをしない唯一のポーランド人だ。自分もポーランドに行こうとしたのだが、あ そこは強盗が横行しているから止せ止せと言われて止した。チェコもご同様らしい。  最後に一緒に記念撮影して別れた。

     イギリスに着いてから悩んでいた口内炎は、Keswickを発つ日の朝からほぼ直 った感じで、それまで飲めなかった熱いお茶も平気で飲めるようになった。食事もじっ くりとほとんど余さずに食べられる。お蔭でお腹がドイツ青年並に張り出してきた。

     わたしがエルゴールを見に行っているあいだ、妻は海岸に出て貝殻を拾っていたと言 う。そこで日本からイギリスに研究に来ている若いカップルと会った。二人は、スカイ 島でレンタカーを借りるつもりで来たのだが、お目当てのオートマチック車がなく、全 部マニュアル車と分かって、これまで運転した経験がないのでどうしようか迷っていて 、スカイ島の景色はどうだと聞くので、妻が今日島の北端までドライブしたが、どこも とても素敵だったと答えたところ、ますます、借りるべきか借らざるべきか悩む風だっ たという。せっかくここまで来ながら、海岸で貝殻を拾っただけで帰るのは残念だろう から、おっかなびっくり、マニュアル車にチャレンジすることだろうが、事故を起こさ ないように願いたいものだ。


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    イギリスを走ろう

    イギリス・ドライブ紀行(11)   930924/940712/950629    

    1 1  ア バ デ ィ ー ン     

    ネス湖インバネスドライブ・インパトカーアバディーン

    ネス湖

    旅もいよいよ最終コースに近づいてきた。最終目的地のエディンバラまで、途中で適 当な所で一泊して行くだけである。 朝食はお決まりのスコテッシュ・ブレックファースト。走行距離を考えて、早めにホ テルを出る。島に渡ったフェリーで本土に戻り、暫く走ると、二日前は黙って通り過ぎ た古城が見えてきた。ドウィック湖の湖岸にたつエイリン・ドナン城である。あの時は 夕闇の中に黒々と聳えていたが、今日は明るい光のなかに、どっしりと構えている。湖 の岸辺に近い島の上に建てられた城で、長い石の橋で両岸が結ばれている。橋の端から 長い石垣が城の入口まで続いている。回りには建物らしいものは、何もない。遠くの湖 岸に小さな集落がある。近くの道路に車を駐車して盛んに写真などを撮っている人がい る。われわれも駐車して、城を背景に記念の写真を撮る。 しばらく一昨日走ったA八七号線を辿る。両側に千=を越える山々が連なり、夕闇の 中で見たのとはまた違う印象を受ける。大きな白い雲が空を覆っている。奥深く入り込 んだ海岸線や湖、黒々と聳える針葉樹林、岩を剥きだした険しい山々。これらのものが 織りなす複雑な地形で、興味を駆り立てられる。見えるか見えないほどの霧が出ていて 、時折車のワイパーを使わなければならない。

     と、別れ道に出た。差し当たりの目的地はインバネスであるが、右へ行き、A八七号 線でフォート・ウイリアム方面へ同じ道を引き返す道と、左へ行き、A八八七を辿る道 がある。出来るだけ新しい道を通るのが主義だし、三角形の一辺で済みそうな感じなの で、左の道を選ぶ。氷河で浸食されて出来た豪快な景色が相変わらず続く。山の裾野に 小さな湖が沢山あり、色合いも氷河で脱色されたようななかなか他では見られない寒色 系の色だ。

     前方にネス湖が見えてきた。ローモンド湖に似た細長い湖である。いや、もっと細長 くて河のようだ。右手に湖を見ながら湖岸に沿って曲がりくねった道をまた延々と走る ことになった。この湖も長さが四五キロもある。最も深いところは三百メートルもあるら しい。その深さのせいか真冬でも凍らないという。この巨大な湖からeng-0-5.htmlると容易ではない。しかし、またこれくらい巨大でないと、ネッシー伝説が長続 きすまい。小さな湖ではたちまち探り尽くされてしまうだろう。湖のほぼ真ん中あたり に有名なウルクハート城があった。ネス湖観光者にとってはこの城が必須のコースらし いのだが、駐車しようにも駐車場は既に満車なのだ。道路に止めようにも警官が立って いてうるさい。駐車場に曲がる角で停車しようとすると盛んに早く行けと手を回す。行 き過ぎたらそれっきり。もう引き返せないのだ。なんのことはない、ここまで来てみす みす通り過ぎなければならないとは。警官は、あっけらかんとしていて、同情の気持ち はさらさら感じられない。道路の端からほんのすこし見たので見納めというのでは、情 けない。

     城からすこし走ったところにエキシビジョン・センターがあった。その駐車場のすぐ 横手の小さな池のなかに、ネッシーの模型がある。ときおりゆらっと動く。メインの建 物は、怪獣博物館である。館内に入ると、ネッシーの捜索史みたいなものが光、音声、 映像や探索に使った潜水船の実物模型を総動員して、語られる。色々と工夫が凝らされ ていて悪くなかった。ネッシーの存在を証明できる可能性はほとんどなさそうなので、 勢いこうした施設で補わざるを得ないから、必死なのだろう。ネス湖は水深三〇〇=も あるが、ピート炭層の影響で水が濁っていて水中の視界限度はわずか三=だそうだ。こ れもネッシー伝説が長続きすること支えているらしい。伝説が崩れたら、こんな立派な 施設も、館内に溢れている観光客もたちまち姿を消してしまうに違いない。館内の土産 物売り場には、クリスタルガラスをバーナーで加工する実演もある。深山にひっそり佇 む湖といったネス湖の趣が、このセンターまでくると一変する。回りには花が咲き乱れ 、人々が右往左往ししているので、明るく賑やかである。

     インバネスに向かう途中にネス湖を見渡せる展望台あった。車を留めてたっぷり眺め る。水の量が多いということが実感できる。水の色は蒼く、波はない。ヨットが一隻浮 かんでいる。右手から張り出している岬のはずれに城址らしいものが、光った水面をバ ックに小さく黒く浮かび上がっている。あれがウルクハート城に違いない。

     ネス湖の湖尻に近く対岸も指呼のあいだに迫った道路際に、「ガーデン」と書かれた 小さな表示が出ていた。こんな小さな表示に気をつけなければならないと思うようにな ったのは、イギリスを二〇〇〇キロもドライブした学習効果である。早速、左に折れてし ばらく坂道を登って行くと、木立のなかに小さな木戸があった。その前に数台、車が駐 車している。木戸には、わたしどもの庭をお楽しみになりたいかたはどうぞお入り下さ い。お志があれば、箱の中にいかほどでもどうぞ入れてください、と書かれている。寸 志を箱に入れて中に入ると、広大は庭園である。生け垣で巧みに区切られていて、こち らは薔薇園、こちらはパンジー園というように様々な草花が、見事なレイアウトのなか に咲き誇っている。一番中心の庭は、緑の芝生の中に赤、青、黄色の花や、樹木が配置 され、その向こうにネス湖の湖面が美しく輝き、向こう岸の林が黒々と陰をなしている 。いわゆる借景という手法で、庭と湖の間にある自動車道が全く目に入らず、一続きの ように見える。見上げるような大木も何本も生い茂っている。広い芝生の上でぴょんぴ ょん跳ね回っているリスがいる。こんな庭を個人で構えているのである。あの気付きに くい小さな看板の後ろにこんな秘密の花園が隠されているのだ。
     庭を出ようとしていたら、中型の筋肉質の黒い猟犬と小型のこれまた黒くて足の短い 犬を二匹連れた女性が歩いているのを見つけた。

    「素晴らしい庭ですね」

    と声をかけると、われわれに鼻を擦りつける犬を制しながら、満足げににっこりと笑っ た。 ウルクハート城はシルエットで我慢せざるを得なかったが、この庭で十分取り返 した。

    インバネス

     インバネスは、ハイランドの中心地と言うことだが、インバはゲーリック語で河口を 意味するらしい。だからイナバネスは、ネス湖から流れ出るネス川河口の意味である。 長居は出来ないが、都心の駐車場に車を留め、目抜き通りを歩く。歩行者天国で、車は 走っていない。四角い石が敷きつめられ、両側に三階から四階建て程度の建物が立ち並 び、かなり人通りもあって清潔な感じのする通りである。遠くに時計のある高い塔が見 える。鞄の専門店に寄って買い物をした。もうそろそろ、土産物の買い物をしてもいい 頃合いである。値段もグラスゴーより安いようだ。応対してくれたのが、大柄の中年の 女性で、明るくてきぱきとしていて、勧め上手。わたしがAntlerブランドの黒の 布製のバッグ。妻が、娘用と称して黒い革製のバッグを買った。娘が気に入らなければ 、自分で使えばいいと言っているので、どういう帰属に帰するかは帰ってのお楽しみで ある。店員が免税手続きなど手際よくやってくれる。

     同じ目抜き通りの喫茶店でちょっと一服。喫茶店といっても奥が深い立派な店である 。店の前にはレンガで囲った植え込みもある。大きなガラス越しに街を歩く人を見てい ると飽きない。実に様々な服装をしているが、ほとんどの人が長袖でさすがに半袖の人 はいない。時間さえ許せば、ぼんやりといつまでも窓の外を眺めていたいが、そうもい っておれない事情がある。駐車場の制限時間をオーバーしない時刻を見計らって席をた った。

    ドライブイン

    インバネスからは、とりあえず、A九号線に乗った。

     エディンバラまで、一気に走るのは無理だから、途中どこかで一泊しなければならな いのだが、それをどこにするか、この時点でも決めかねている。しかし、早急に結論を 出さなければならない。内陸部を走るA九号線をひたすら辿って、大昔にスコットラン ドの首都だったというパースPerthあたりまで行っておけば明日の行動が楽なこと は、十分分かっている。その道筋にもなかなか魅力的な場所があるのも知っている。し かし、時間さえ許せば、海岸線に沿うような形でしばらく進み、途中でやや内陸部を走 るにせよ、アバディーン経由で行ってみたい。ルートから言えば三角形の二辺を選ぶよ うなものだから相当回り道ではある。しかし、このルートにも見所が多いと本で読んだ し、アバディーンは北海に面しており、北海油田の基地港にもなっている町なので、石 油関係の仕事をしていることもこれあり、かなり引かれる。それに、もう一つ密かな狙 いがあるのだが、この町に行っておけば、それこそ明日はエディンバラへ向かう通り道 にゴルフの発祥地セント・アンドリューズが現れるのである。それなら

    「おや、ゴルフ のメッカ、セント・アンドリューズだ。ちょっと寄ってみようよ」

    と言いだしやすい。 パースまで行ってしまえば、わざわざ回り道して寄らなければならず、同伴者への事前 説明、事前承諾を必要としよう。場合によっては、ゴルフに関心の薄いその方の猛反対 を受け、せっかく至近距離までアプローチしながらホール・アウト出来ずに、セント・ アンドリューズをあとにするようなことになりかねない。

     といって、海岸線に沿ったアバディーン経由が余りに遠回りで、今日の到着が遅れた 上に、明日のエディンバラ到着までもが遅れ、国際フェステイバルでホテル事情が厳し いなかで、空き室にありつけなくなる危険性が増えかねないのである。かなり離れた市 外にホテルを取らざるを得なくなり、悪くすると、三日後にエヂンバラ空港を飛び立つ うえでいろいろと支障が生じかねないおそれもある。自分のわがままでそこまで、リス クをかけていいものか、内心じくじたるものを感じながら、一方では、道路標識でアバ ディーンまでの残りのキロ数を忙しく計算して、そろそろ近づいてくる分岐点までに、結 論を出そうと、窓外に広がるおおらかな田園風景とは裏腹に焦っているのである。

     私の焦りを知ってか知らずか、隣のナビゲーター殿はのんびりしている。

    「アバディ−ンも、いいところらしいから、アバディーン経由で行ってみようか。この 分ならまあまあの時刻には着けそうだし」

    「そうね」

    問題意識のない同乗者はあっさり頷いた。ままよとばかり、わたしは分岐点でA九号線 からA九六号線に大きく左にハンドルを切った。

     海岸線に沿うとは言いながら、海は遠方に時折姿を現すだけ。インバネスまでの景色 に比べれば、地形は穏やかになり、土地は肥えていると見えて畑作地や緑の牧場がつづ く。運転もしやすい。空気が澄んでいるのか、様々な色合いの緑の草原や、森の固まり が、遠方まで良く見える。いくつもの小さな町を通り過ぎる。そろそろ昼食を取ろうと 、適当なドライブインを物色していたら、左手にBaxters Visitor C enterという看板が目についた。

     コーチで旅行している一行も降りている。感じのいい白木造りの建物が幾棟か連なっ ていて、それぞれレストランになったり、土産物店になったり、喫茶店になったりして いる。Victoria Kitchinと名付けられた土産物店を覗くとなかなか興 味深いものが並んでいる。各種の料理道具や、籠、飾り皿、食品、人形の中に、ポプリを 入れたもの、部屋のプレートなど、地方色ゆたかなものが所狭しと並べられている。と りあえずは土産物にふさわしいものに当たりをつけ、昼食を先にすることにした。

     土産物店のすぐ隣に大きなキャフェテリアがあった。サンドイッチとティーを注文し た。頭にフリルのついた大きな白い帽子を被り、胸元に黒っぽい大きなリボンを着け、 白いエプロンをかけた可愛いウエイトレスが話しかけてきた。

    「エンジョイしてますか」

    「ええ、とっても。このあたりはいい所ですね」

    気取りのない気さくな感じの子で、いかにも元気な感じがして、なかなか面白い。8m mビデオカメラを向けて、何か話すように促すと最初は流石に恥ずかしがっていたが、

    「スコットランドへようこそ」

    などと笑顔で話してくれた。少々なまりがあるのか、よく聞き取れなかった。

     食後、先程の土産物店に寄った。妻は友達への土産物にえんじの人形のポプリ入れを数点買 う。人形のなかに、乾燥した香りのいい花をいれるようになっている。私は、刺繍で作 ったMaster Bedroomのプレートを買った。以前やはりイギリスで陶器製 のBath and Toilet というプレートを買って帰り、自宅のトイレのド アに掛けている。今日のは、楕円形の木製の枠の中の白い布地にピンクと緑色の糸で花 の輪を作り、その中に同じピンク色の糸で文字が刺繍されていて、フックで吊るすよう になっている。店員は、中年のセーターを着た女性で、眼鏡を掛けている。眼鏡には、 太い紐が付いていて、首に吊るせるようになっている。きっと老眼が混じっているので 、遠方を見るときには眼鏡をはずすのだろう。感じのいい応対をしてくれた。

     このビジターセンターを経営しているのは、BAXTERS BROTHERSとい う会社で、この会社は、食料品の加工販売の大手らしく、土産物を入れてくれたビニー ルの袋や店で売っているジャムの瓶に、スコットランド一のジャム・メーカー、一八六 八年以来女王陛下ご用達、Spey渓谷の魔術と書いてある。ちょうど、この近辺をそ のスペイ川が流れている。地図で見るとこの川は北西に向けて、内陸奥深く遡上し、水 源はネス湖の近くである。この渓谷は、ウイスキーの名産地でもあるらしい。

    パトカー

    しばらく行くと、A九六号線とA九八号線との分岐点にさしかかった。A九八の方は 、ほぼ海岸に沿った道で、文字通り三角形の二辺を行く道である。このままA九六を真 っ直ぐ進むとアバディーンに着く。これは内陸部を真っ直ぐ突っ切っていて、三角形の 一辺である。流石のわたしも、いつもいつも三角形の二辺ばかりを選んでいるわけには いかない。こんどは迷うことなくA九六を進む。           

     順調な車の流れが、急に渋滞しはじめた。何事かと思っていると、道路工 事をしているのである。とうとう二車線が一車線になりのろのろと進まなければならな い。われわれのまえの車はパトカーであった。車の天井に回転式の青いランプが着いて いる。イギリスの制限時速は七〇マイルで、これまで相当あちこちで制限速度をオーバ ーして走ったのだが、幸い警察のお世話にならずにすんだ。ここでは、なにしろ時速二 〇キロ程度だし、パトカーの後ろからついていくかぎり、警察につかまる心配はない。

     やっと、工事区間も終わって、二車線が復活した。全車、一斉にアクセルを踏む。私 はパトカーの後ろにピッタリついたま追越し車線側を走った。パトカーの前の車が一台 一台と本車線に戻っていき、私の前にはパトカーだけになった。制限時速を一〇マイル オーバーの八〇マイルで走っている。と、パトカーは、左のランプを点滅させて、すぅ ーと左車線に入っていった。私の前には一台の車もなくなってしまった。さてどうした ものか。パトカーの前には三台の車が走っている。あと一〇マイルも出せば追い抜いて 一番前につけないこともない。

    「せっかくどいてくれたんだから、追い越したら」                

     助手席から声がかかる。しかし、彼女はすでに制限速度を一〇マイルもオーバーして いるこをご存知ないのである。

     ままよとばかりスピードを上げ、一気に前の車を抜きにかかった。後一〇マイル程度 なら見逃してくれるに違いない。三台の車の前に出て、すっと中に入った。と、バック ミラーにパトカーが追越し車線に出て、私の車のすぐ後ろにピッタリと付き、いきなり 、目もくらむようなピカピカをやりだしたのが写ったのである。止めれというサインだ 。心臓が縮み上がった。

     あわてて、車を道路の左側に寄せ、急停車する。 「いったいどうしたの」 助手席からのんびりした声が上がる。 パトカーは私の車のすぐ後ろに止まり、なかから若い長身の警官が二人降りてきて、私 の車のガラス窓にノックした。

    「今日は」

    「今日は」

    車の中に東洋系の中年の夫婦連れを見いだして、ちょっと意外という表情が浮かんだ。

    「ところで制限時速は知っているか」
    「知っている。七〇マイルである」
    「相当オーバーして走っていたが」

    「いや、ずっとパトカーの後を着いてきて、車の間に割り込むよりはと前に出て本車線 に戻った。全く他意はない。」

    「ちょっと、免許証とパスポートを見せて下さい」

    わたしはおとなしく、免許証とパスポートを手渡した。

    「われわれは、ヒースロー空港に二週間前、降り立って、そのまま西に出て、ウエルズ のカナーボンにも行ったし、スコットランドのスカイ島にも行ってきた。イギリスは素 晴らしいところだ。景色もいいし、人も親切だ。大変エンジョイしている。」

    聞かれもしない前から、わたしの口から次々と言葉がほとばしり出た。初めは、怪訝そ うな顔で聞いていた二人の警官は、しょうがないやという顔つきに変わり、

    「よく分かった。制限速度をオーバーしないように、気をつけて旅行を続けてください 」

    そういうと、あっさり免許証を返してくれ、にっこり笑うと、軽く敬礼して後ろのパ トカーに戻っていった。  警官の紳士的な態度に、救われる思いで、今度こそ、パトカー追い抜くような馬鹿な ことをすまいと、パトカーが出て後、しばらくたってからスタートした。

     後で思い出すと、パトカーに捕まったのは、まだ明るい時間だったのにもかかわらず 、とっぷり日が暮れた後だったような気がする。どうも、パトカーに捕まったと思った 途端、心のなかが真っ暗になってしまった上に、パトカーの天井に着いている回転ラン プの目もくらむような青い色の印象があまりに強かったせいらしい。

                                             
    アバディーン

     市内に入り、ツーリスト・インフォメーション・オフィスはないかと、車をゆっくり 走らせていたら、美しい建物があった。アバディーン大学である。凝った美しい建物で 、屋上部分から、空に向けて、突き刺すように尖った頂華(フィニアル)が沢山並んで いる。垂直の線も美しい。大学のすぐ近くに目指すオフィスが見つかった。今日は手っ とり早く、ここでホテルの予約をしようというのである。クラークは、若い女性二人で ある。どちらも長いブロンドの髪をしている。向かって右手の女性には、黒いジーパン をはいた男性の先客がいる。自ずと左の女性に要件を言う。条件を答えるとパソコン検 索であっというまに見つかった。しかもオフィスからすぐの所である。

     アバディーン大学はとっても綺麗ですねと、その女性にいうと、この町は、近くで採 れる花崗岩で多くの建物が建てられており、色が揃っているので、シルバー・タウンと も言われ、美しいので有名なんですよと教えてくれた。

     ホテルはプリンス・リージェント・ホテル。ツーリストのオフィスから連絡が行って いたので、すぐ部屋に通してもらえた。今日は夕食は簡単に済ませるつもりで、着替え もしないで夕暮れの町に出た。今度は歩きながらアバディーン大学をゆっくりみた。ユ ニオン大通りに面していて、歩いて見ると大きいことが良く分かる。大詩人バイロンが 学んだ大学なのだ。バイロンといえば、小学四年のとき、学校の図書館で借りた鶴見祐 輔著の「バイロン」でその波瀾に富んだ一生を読んだことを覚えている。大人向けの本 だったけれど、戦後間もないころで子供向けの本が少なく、何でも読んだのだ。同じ著 者の「新英雄待望論」「ディズレリー」「ビスマルク」なども同じ時期に読んで、その 名文調にいたく感じ入ったものだ。バイロンの「ある朝目覚めてみると有名になってい た」という有名な語句を、わたしは初めて書いた推理小説の冒頭に「ある朝目覚めてみ ると有名になっていた。バイロンはいい意味で。私は悪い意味で。しかも、わたしは、 生きるか死ぬかの状況からやっと脱して、三日後に目覚めたのである」という風につか った。

     町は、確かに色が統一されていてすっきりとした感じがする。歴史のある町らしく、 篩建物も沢山ある。二階建てのバスが走っている。海に近いせいか、鴎の鳴き声が鳴り 響く。鳴き声に混ざって午後8時の鐘が聞こえてきた。通りの傍らにエドワード七世の 銅像があった。そういえば、バースの骨董屋で買ったジャム用のスプーンは、エドワー ド治世下のものと、店の老婦人が説明してくれた。そのエドワード七世である。このア バディーンと深い関係があるのだろうか。小さな公園がある。鴎が飛び回っている。雲 のかかった白い空を背景に、教会の尖塔や、装飾をほどこした建物がくっきりと浮かび 上がる。教会は聖ニコラスを祀ったもので、宗教改革の時に東西に別れたという。

     しばらく歩くと、城があった。いや、城ではなく。聖アンドリューズ大聖堂だった。 一見、城を思わせる洒落た作りである。その大聖堂が面した広場の一角にイタリア料理 店があった。そこで夕食を取ることにした。

     イタリア・リストラントはどこでも気さくな雰囲気がある。ここも例外でなかった。 木製のテーブル、木製の椅子。近くにバーのカウンターがある。テーブル同士もよそよ り接近していてなんとなくごちゃごちゃした感じがする。イタリア人とおぼしき黒い髪 に黒いベストのウェイターが、狭いテーブルの間を腰を巧みに振りながら給仕して回る 。客は、若い人のグループが多い。みんな大声で話している。若い女性も煙草の煙をも うもうとたてる。ボリュームのあるデザートまで、よく食べる。われわれ中年組も、負 けてはおれない。ワインをハーフ・ボトルとり、銘々好きな料理をとって、最後の中継 地の夕食を楽しんだ。私はシーフード・サラダとミックスド・グリル、ラムや、子牛肉 、レバ−などいろんな肉が入っているというので頼んだのだ。これには温野菜が別皿で 付いてきて、ボリュウーム満点。妻は例によって独自路線。自分の好みに合った料理を いつも手っとり早く捜し出す特技を持っていて、今夜は、子牛肉を詰めたチーズなどと いうものをおいしそうに食べている。

     外に出るとすっかり暗くなって街灯の明かりがまぶしいほどだ。人通りはそれほど多 くない。ちょっと港の方へ足を延ばしてみる。埠頭には大きな船がついている。ここか ら北海へも船出するのである。フェリーもオークニー諸島や、シェットランド諸島へも でている。アステア・マクリーンの「女王陛下のユリシーズ号」を読むとその海域のこ れでもかこれでもかと襲ってくるすさまじい時化の描写に圧倒されるのだが、地の果て 、海の果てと思っていたその海域まで、ここからフェリーで行ける距離なのである。

     幾つかの建物がライト・アップされている。なかでもドーム状の大きな屋根が夜空に 輝いている。きっと由緒ある建物に違いない。十二世紀から栄え、ニシンやタラの大漁 港地、夏のリゾート、大学のある町といった様々な顔を持つこの町。時間さえ許せば、 見たいものがいっぱいあるのだが、せいぜい、こうした美しいショットを頭に刻むこと で代用せざるをえない。


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    イギリス・ドライブ紀行(12)   930924/940712/950629

    1 2  セ ン ト ・ ア ン ド リ ュ ー ズ 

       

    セント・アンドリュース

     翌朝、プリンス・リージェント・ホテルの一室で目覚めて、窓の外に目をやると、爽やかな風に吹かれて 、木々の葉が白く返っている。都心にもかかわらず結構緑が多い。曇っているが天気は悪 くない。日本で言えばすっかり秋のたたずまいである。今日の行程はアバディーンからエ ディンバラまで、二百キロ足らず。これを無事走り通せば、もう長距離ドライブから解放さ れる。

     朝食は、お決まりのスコテッシュ・ブレックファーストである。だが、ホット・ミール の選択肢に珍しくキッパーがあるので、ものは試しと頼んでみた。キッパーは燻製のニシ ンでもう随分昔、出張でイギリスに来た際に食べたことがある。同宿したイギリス大使館勤務の参事官殿がいか にも通ぶって、朝食はキッパーに限りますよと頼むのを真似、翌朝は自分も食べてみたの である。観光案内書にも、一度は試してみるように勧めてあったのだが、味のほうは、ま あどうってことはなかった。あれからかなり経ったし、毎日卵料理ばかりでは飽きもする 。このホテルのはもっと、うまいかも知れない。そう思い、注文することにし、妻にも勧 めてみたのだが、朝からじゃと断られた。

     出てきたのは、長さが二五aもある尾頭付きの代物だった。しかもかなりあぶらっぽい 。朝から、メイン・ディッシュを食べている感じである。もっと、軽いものにすればよかったと 思ったものの、妻にもどうかと勧めた手前もある。残すわけにもいかない。やっとの思い で平らげた。味は、まあどうってことはなかった。

     道路は順調だった。左手に時折海を見ながら走る。海岸線に沿ったA九二号線から少々 内陸部を走るA九四号線に入り、ひたすら南下する。土地はどこも平坦で、あまり大きな カーブはない。羊がのんびり草を食んでいる牧場や畑、小高い丘、森などが続く。視野は 三六〇度開けていて、大きな白い雲が前方にどっしりと腰を据えている。 ダンディーから、テイ湾を渡る橋は、橋脚も橋柵も低いが、長さは長い。

     このテイ湾だが、英語ではFi rth of Tayとなっている。Firthは、スカンディナビア語のフィヨルドか ら発した言葉で、陸地に細長く入り込んだ入江、峡湾、河口を意味する。この湾は、パー スあたりまで陸地に五〇`近くも入り込んでいるのだ。 橋の手前から道路はA九二号線に戻っている。A九二号線はずっと海岸線に沿って走っ て来たのである。セント・アンドリュースはもう二〇`もないところに迫ってきたのだが 、このあたりは道路番号が錯綜していて、同じ番号の道を辿るうちに、すんなりとセント・アンドリュースご到着と言うわけに はいかない。ナビゲーター役に、こっちの意図を説明して了解してもらわないことには、 折角ここまで来ながら素通りしてしまいかねない。

    「今日は早めに出たから時間もあるし 、この分なら十分早い打ちにエディンバラに着けそうだし、ここまで来たんだから、ゴル フの発祥地のセント・アンドリュースにちょっと寄ってみようか」

    「そのつもりでここまで来たんでしょ。わかってたわよ」

    敵も然るものである。 A九一九号線からA九一号線を辿って、しばらく行くと前方に町が見えてきた。セント ・アンドリュースである。両側一車線のゆっくりとカーブした道を行くと左手に三階建てのフラ ットが続き、道の両側に街路樹が植えられている。三叉路に出たので、目指すゴルフ場は 、海岸に近いほうだから左にあると思ったものの、すこしこの町の他の場所も見ても悪く ないという思いもあって、右に折れてみた。

     静かな住宅の立ち並ぶ一角にでた。とミュー ジアムという看板が出ている。覗いてみると市の博物館だった。周りに花壇やスポーツ用 のグランドがある。ローン・テニスコートもある。花壇の一隅に胸像がある。どういう因 縁があるのか、ポーランドの将軍のものである。レディース・ゴルフ・ユニオン100周年記念という文字が 花で作られている。芝生の上をリスが走り回る。緑の絨毯のようなゲートボール用の広い グランドもある。 博物館に入ろうとすると、ドアが開かない。掲示板を確かめると四月から九月までの開 館時間は十一時から午後六時までとなっている。博物館の建物の塔に時計があるが、短針 が十一少し前のところを指している。 短針が十一時に重なると、ドアが開いた。

     なかにはこの町の歴史が実物大の人形などを 使って展示してあった。ゴルフの発祥の地としてしか知らなかったが、さまざまの歴史を 秘めた町のようだ。かつてはスコットランド随一の巨大な大聖堂があり、各地から巡礼者 が訪れていたらしいが、宗教改革の際に破壊され、今ではその跡が残っているだけである 。多くの石造りの建物がこの破壊された大聖堂の残骸を使って建設されたらしい。セント ・アンドリュース大学は十五世紀(一四一一年)に設立され、スコットランドでは一番古 い。かつては文化の首都で、スコットランド風タウンの伝統をもっともよく留めた町らし い。

     博物館を出ると、ゲートボールのグランドでは試合が始まっていた。 さきほどの三叉路に戻って、左に折れると、ゴルフの発祥の地として名高いロイヤル・アンド・エンシェン ト・クラブはすぐだった。あまりにあっけなく、テレビなどでお馴染みの、オールド・コ ースの前に出てしまったので、物足りない思いがするほどだった。道路の左手にコース、 右手にゴルフ博物館がある。駐車場は、博物館の少し先である。その先は、もうすぐ浜辺 で白い波が打ち寄せている。駐車場では先に六十ペンス払うことになっている。

      歩く順に片づけることにして、まず博物館に入る。立派な建物である。ビデオや実物、 人形、ポスターなど様々なメディアを使って、ゴルフの歴史が語られる。大昔、羊飼いが使っていた木のクラブや布製 のボールから、現代のスティールやカーボン・シャフト、メタル・ウッド、ゴム性のツー ピース・ボールまで実物の展示がある。またクラブを作る鍛冶屋の模型、宮廷貴族がヘア ・ピースをつけたままプレイしている人形の模型などもある。ブリティッシュ・オープン の百二十年間に及ぶ歴史、優勝カップの変遷、優勝者の映像。五面もあるテレビ画面には 、サム・スニードがインタビューににこやかに答えている映像が流れている。たっぷり一 日掛けても見尽くせそうにない。

     道路を一本渡れば、堂々たるクラブハウスがある。すぐその前に広々した美しいフェアウエイが広がって いる。ほとんど平坦で、遠くまで見渡せる。クラブハウスノの右手から、次々にプレイヤ ーがスタートしている。バッグを担いだキャディーが付いている。世界のゴルファーにと っての聖地であり、ゴルファーは誰しも一度はここでプレイしたいと願うものだが、ハン ディーなど厳格な資格要件があって、随分待たされるとも聞く。いや、案外簡単にプレイ させて貰ったよという友人もいる。いま、プレイしているのは、待った人達なのだろうか 。クラブの正会員とおぼしき人で、車で気軽にやってきて、気軽にスタートしていくのも目につく。 クラブハウスの左手に、土産物店がある。およそゴルフ用品と言えるものはなんでもあ る。しかも、その一つ一つに聖地の名前が付けてある。店員は気さくなおばさんといった 感じである。わたしは、記念にボール一ダースとヒッコリー製のパターを買った。このパ ターは、ロンドンでも同じものが買えたが、やはり、セントアンドリュースで買えば値打 ちが違う。製造番号まで打った証明書が付いている。

     土産物店の前がフィニッシングホールである。コースとの境には背の低い白い木の柵が あるだけ。あたりには観光客が溢れていて、柵越しにプレイの様子を眺めている。その真ん前でプ レイするのだから度胸がいる。男女の二人組がフェアウエイの中頃から百三十ヤード程度 のセカンド・ショットでピンを狙っている。一人はピンから十ヤードほど手前にオン、一 人はピン奥でグリーンからほんのすこしこぼれた。キャディが二人ついて回っており、一 方がピンを抜く。二人ともファースト・パットをかなり外し、次のパットも惜しくも外し た。フォームがいいから、なかなかのプレイヤーなのだろうが、観客の目を気にしてか、 このホールではすこしスコアを崩したようだ。

     コースのすぐ右側は、ずうっと、白い砂浜が続いている。そこを散歩している人もいる 。海岸線はコースの後ろ側の方も、はるか遠くまで見渡せる。コースの左手には、レンガ 造りの建物が立ち並んでいる。 1 クラブハウスの中では、人々が寛いで歓談している。窓際には、緑の箱が置かれてい て、その中に花が植えてある。全てが、ごくありふれていて仰々しいところがない。世界 一古いゴルフ・コースでございと言った勿体ぶったところがない。普通の人がごく普通に やって来て、ごく普通に振る舞える雰囲気がある。これこそ歴史に育まれた良き伝統と言うものであろう。  連れは、少々憎まれ口も叩いたが、来てしまえば、もうこっちのものである。これで、 目的は達した。後は最後の目的地へ向かうだけだ。


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    イギリス・ドライブ紀行(13) 930924/940712/950302 /950629

    1 3  エ デ ィ ン バ ラ     

    ホテル捜し市内観光エディンバラ城ミリタリー・タトゥー買い物ホリドール宮殿アフタヌーン・ティー「オベルト」−国際フェスティバル

     

    ホテル捜し

     フォース湾(これもファースである)にかかった全長一八二二の吊り橋フォース・ブ リッジ経由で行く。高い橋柱が橋にさしかかるかなり前から見える。この橋が出来たの は一九六四年だが、これと平行して左側を走っている鉄橋は一八九〇年に出来たもので 、もう一世紀以上になる。この二つの橋が延々と平行してフォース湾を渡るのである。 この湾がまた巨大な湾で百キロも陸地に入り込んでいて、エディンバラの北部も、この湾 に面しているのである。

     エディンバラの市街に入る前に、丁度順路にエディンバラ飛行場があるので、寄って 行くことにした。明後日、ここからヒースロー空港に飛び立つのだが、その前にレンタ カーを返さなければならないが、朝が早く、係員が出勤する前に返すことにしているの で、その時まごつかなくて済むように、土地勘を養っておこうというのである。  ハーツの駐車場はすぐわかった。カート置場からカートを借りてきて、荷物を載せチ ェックインの受付まで運べる距離にある。これなら心配ない。車の鍵を返すオフィスの 場所も確認した。これで万事オーケーと思った途端、今夜のホテルも空港で捜せばいい ことに気がついた。

     まず、トーマス・クックのホテル予約のオフィスに行った。若い女性がパソコンを叩 いて、いろいろやってくれるのだが、都心のホテルはどこも満員で見つからない。やっ ぱり、国際フェスティバルをやっている都市のホテル事情を甘く見たかという気になっ てくる。もう少し早く着けばなんとかなったかも知れない。しょうがないので、そこは 諦め、次は、ツーリスト・インフォメーション・オフィスに当たってみる。がっしりし た体格の中年の女性だったが、なかなか親切で、こっちがあっけにとられるぐらい素早 く、ホテルを捜し出してくれた。リッツ・ホテル・エディンバラ。都心の大通りから、 ほんのすこし入ったところにあるという。ほら、ご覧なさい。セント・アンドリュース に寄らなければ、こんなことにはならなかったのにと言いだされない状況から、免れて ほっと胸をなで下ろした。大丈夫だよと大見栄を切ってはいたものの、トーマス・クッ ク・オフィスで駄目だった時は、しょうしょう慌て、エディンバラ郊外でもやむなしと 思いかけていたのである。

     勇気凛々、車を走らせる。スコットランドの首都エディンバラに向け、グラスゴー大 通りをひたすら東に進む。この道は進むにつれて名前はいろいろ変わるが、この道の近 くにホテルもあり、更に真っ直ぐ進めば、エディンバラでもっとも賑やかなプリンセス 通りにも繋がっているのである。

     貰った案内書に従って、大通りを左折し、だだっぴろい通りの行き当たりの、鬱蒼と 植物の生い茂った大きなサークルの周囲を、車でゆっくり走りながら、目指すホテルを 捜してみた。住所や通りの名前は間違いない。もうそこに現れに違いないとコーナーを 回るのだが、一向に見つからない。念には念を入れてそのサークルを二周してみたが、 結果は同じことだ。ホテルはあるのだが、名前が違っている。そのとき、頭のなかに、 ちらっと、RITZとかHOTELとか書かれた看板を見た覚えがあるという思いが浮 かんで来た。どこだったろう。そうだ、大通りを曲がってすぐのあのだだっぴろい通り の左側にあったのではなかったか。そのときは、捜すホテルはなんとなくまだ先の方に あるはずだと思い込んでいたので、深く考えないうちに通り過ぎてしまったのだが、ひ ょっとするとあのホテルがそうかもしれない。引き返すと、まさしくそれが目指すホテ ルだった。大通りを左折してほんの四十=ほどのところにあった。

     道路と入口の間は半地下になっていて、そこに架かったブリッジの上に大きな犬がい る。ヨークシャーだろう。何となく、家族扱いを受けているなと思わせる雰囲気を持っ た犬である。玄関を入ると左手にタータンのスカートをはいた大きなぬいぐるみの熊が 置いてあった。受付はその反対側にあった。部屋は三階、エレベーターがないので引っ 張り上げなければならない。カーテンの柄とベッド・カバーの柄がコーディネートして いるのは、ここでも同じである。壁には絵が掛かっている。部屋は大きくて十分スペー スがある。天井も高い。最後のパッキングをしなければならないが、これなら十分であ る。

    市内観光

     プリンセス大通りを通って、シティ・センターへ向かう。右手に黒々と巨大なモニュ メント現れる。その後何度もこの周辺をうろつくことになるスコット・モニュメントで ある。その周りは公園になっている。そのすこし先を右折すると、市の中心の鉄道駅ウ ェーバリー駅がある。その近くの路上に駐車する。駐車時間は二時間までで、料金は一 時間一ポンド。メーターがあって、そこにコインを入れるようになっている。その先は 坂になっていて、エディンバラ城のある小高い丘に繋がっている。ぽかぽか陽気のうえ に、国際フェスティバルをやっていることも手伝ってだろう、人出が多い。妻が、ここ ではどうしてもミリタリー・タトゥーを見たいというので、坂の登り口にある、国際フ ェスティバル・チケット・センターに立ち寄った。幸い当日券があった。

     係の人が、一番いい席は売り切れているけれど、端のほうの席はあるという。妻は、 言下にそれを下さいという。私は、値段は大して変わらないことだし、場所によっては 、翌日のもっといい席にしたほうがいいと思い、場所を確かめようとしていたのだが、 言いだす暇もない。係員は、もう切符を二枚差し出しているし、窓口で言い争うのもみ っともないので、そのまま買った。

     チケット・センターには軽食をとれるコーナーがあったのでそこで昼食を食べた。サ ンドイッチに紅茶。食事を終えてセンターを出るとき、センターの二人の中年の女性に 、妻が、EDINBURGHはどう発音するのかと尋ねた。二人は顔を見合せなんとな く恥ずかしげに、発音してくれた。

    「エディンバラ」                                 

    「あら、私たちの発音とあまり変わらないわね」

     確かに、日本語読みの発音をあまり卑下する必要はなさそうだ。バラ(BURGH) はスコットランド語で、城壁に囲まれた町や村を示していて、英語のTOWNに相当す るらしい。

     センターの出口で国際フェスティバルのプログラム手に入れたが、その厚さには驚い た。八月十五日から九月四日の二十日間に実に多彩な催し物が用意されているのだ。四 七という回を重ねた歴史の重みがプログラムに反映している。キー・プログラムとザ・フリ ンジ・プログラムの二分冊になっていて、むしろ、ザ・フリンジのほうが厚い。音楽を特集 したタブロイド判の小冊子もある。オペラ、クラシック音楽、朗読、写真展、演劇、コ メディ、キャバレー、ミュージカル、ダンスとマイム、ロックとフォーク、子供向けシ ョー、成人向けのお喋りショーそれに大道ショーと多種多様、世界の至る所から五七一 もの団体が押しかけ、早朝から深夜まで、町中の一六〇を越す場所でパフォーマンスを 繰り広げているのだ。今夜観るものは決まったが、明日の晩何を観るかは、後でじっく りプログラムと相談して決めることにしよう。

    注)フリ ンジは、「へり、外縁」という普通名詞だが、「ザ・フリンジ」はエディンバラ・フェスティバルの公式プログラム以外の演じものをさす語として英語世界に定着した。ここでは、誰でも、どんな芸でも公演することができる。サブカルチャーの世界最大の祭典。第50回に当たる1997年の夏には、600余の個人・グループが1300近いパフォーマンスをみせたという。(月刊『選択』1997/10 25ページ。「甦るスコットランド」より)
     
     

    エディンバラ城

     坂を登っていくと、オールド・タウンと言われる一角だけに、古い建物が密集してい る。聖ジャイルズ大聖堂がある。時計の針が一時二〇分を指している。道路は石畳で、 所々に脇道がある。そこは、階段になっており、建物の間の狭い隙間を縫うように作ら れている。建物の下をかいくぐるトンネルになっている部分もある。とにかく上に上が って行けばエディンバラ城にたどり着くに違いない。そう思ってその狭い階段を登って いくと案の定、お城に繋がる大きな道へ出た。城は、石造りのどっしりとした城である 。とにかく入ってみよう。門を潜ってもしばらく石畳の道を歩かなければ内陣にたどり 着けない。

     城館の内部は、さすがスコットランド王の居城だっただけに立派である。スコットラ ンドの歴史が、様々な展示品や実物大の人形の模型で語られる。セントアンドリューズ の博物館で見たものに比べると数等上である。展示の仕方やスピーカーの解説から最後 の女王、悲劇の女王メリーを敬慕するスコットランド人の気持ちが伝わってくる。彼女 が住んだ部屋も保存されている。一五六〇年の彼女の治下のエディンバラの絵が、丁度 それを描いた窓の前に置かれていて、比べられるようになっている。スコットランドの 王冠、王笏、剣が置かれた部屋もある。どれもさすがに立派である。メリー女王のダイ ヤモンドは驚くほど大きく、燦然と輝いていた。付属の 礼拝場も大きく内装も立派で ある。

     庭に出るとそこからエディンバラ市が見下ろせる。遠くにフォース湾が市を包むよう に広がっている。町並みも整然としてうつくしい。緑も結構多い。その町に向けて大砲 がずらりと並んでいる。今も王室の行事のとき礼砲をうつのに使われるらしい。城館の 外壁は大小様々の、色も色々な石で出来ている。あちこち黒ずんでいる。尖塔の屋根に 国旗が翻っている。

     出口で、衛兵と記念の写真を一人ずつ撮った。赤い上着に、赤のラインの入った黒の ズボン、白いベルトを締め、頭には葱坊主のような形の大きな黒い帽子をかぶっている 。顎紐が口のすぐ上にあり、帽子を深くかぶっているから顔がよく見えないほどだ。
     
    城を出て、なだらかな下り坂をプリンセス通りまで歩く。途中は陸橋になっている。 町中だが、結構緑が多い。先程のスコット・モニュメントをゆっくりと見る。黒い塔の 下に白い人物像がある。これが文豪サー・スコットである。子供の頃、スコットの冒険 小説を読んだことがあるが、エディンバラの真ん中にこれほど巨大で異様なモニュメン トを建造して貰えるほど、スコットランド人に慕われているとは知らなかった。近くの 公園では、大道芸人がいろんな芸を披露しており、人垣がそれを取り囲んでいる。通り のあちこちにも、バグパイプを弾く人や、バイオリンを弾く二人連れがいたりする。本 当にお祭り気分が町中に溢れている。人々の顔つきが明るい。

     プリンセス通りの美しさに目を楽しませながら、あちこちぶらついているうちに、日 も暮れてきた。ミリタリー・タトゥーを見るために、またエディンバラ城に引き返す。 もう勝手知ったる道である。先程の駐車場は、五時を過ぎると無料なのだが、もう満車 だ。すこし離れたところの道路上に留めて、曲がりくねった階段を登って行く。石畳の 通りに出て、ゆっくりと城の方角へ歩く。古い建物が立ち並び、石畳も時代がかってい る。あたりは、たそがれて薄暗い。中世の町を歩いているような感じである。

     適当なところで夕食をと思って物色していたら、それこそ鰻の寝床のような細い階段 をすこし降りたところに、フランス・レストランがあった。店の中も鰻の寝床同然だ。 早いリズムの音楽がかなり大きな音で流されている。壁には絵やポスターの類が所狭し と貼ってある。フェスティバルの出し物のもある。大学が近いせいか学生らしい若者が 一杯である。音楽に負けないように大声で話している。海産物が自慢の店のようだ。私 は、ムール貝のワイン煮を注文した。ウエイトレスに、メニューを指さし、他のテーブ ルに供されている現物を確かめた上で頼んだので、間違いなく、それこそ端からこぼれ 落ちそうなほど山盛りの皿がきた。いける。妻はシーフードのスパゲティを頼んでご満 悦である。ワインは赤のハウス・ワインをハーフボトル。飲み過ぎて、ミリタリー・タ トゥーの見物がおろそかになってはいけない。

    ミリタリー・タトゥー

     開場時間のすこし前に、城の前に行くと、門の前は人が一杯である。道から溢れて、 入口の少し手前の階段のところで待った。銘々勝手気ままな服装をしている。赤いマン トを左肩からたらした警官が見張っている。バイオリンを弾く二人連れが、慌ただしく 弓を動かして小銭を稼いでいる。開場の合図とともに人の波がどっと入口に向かう。

     会場に入ると、中央の大広場を、鉄骨で組み立てた大きなスタンドが三面から取り囲 んでいる。八千人も収容できるという。スタンドの一番高いところに旗が何本も並んで 立っている。スタンドのない正面、東側に城門がある。われわれの席は、正面から見て 右側の北側の席で、ほとんど西側の席とのコーナーに近い。一番下の席から階段を二〇 段ほども上がった所にある。北緯五六度の空はまだ暮れきっておらず、薄青く輝いてい る。その空をバックに城の輪郭が黒々と浮かびあがる。屋根のあたりにちろちろと松明 の明かりが見える。

     開演時刻の九時近くになり、われわれの席から右斜め上の鉄骨で編んだ通路に、大勢 の人が出てきた。暮れ残る光を背景にシルエットが黒々と浮かび上がっている。そのシ ルエットの形から類推するに甲冑類を身に着けているらしい。開幕を告げる場内放送が あった。灯された照明のなかに先程の甲冑の一団が浮かび上がる。銘々楯を持っており 、そこに様々な紋章が書かれているが、おそらく、スコットランド各地のシンボルに違 いない。一斉にトランペットを吹き鳴らす。

     観客席からああーっという歓声があがる。 振り向くとスポットライトの中に、城門から次々と吐きだされてくる人の波が浮かび上 がっている。先頭の一団は、トランペット隊と同様に甲冑に、楯を持っている。足を左 、右と斜め前方に大きく踏みだし、体を左右に大きく振りながらゆっくりと進んでくる 。大きな幟をたて、松明をもった一団が続く。その後にスコットランドの民族衣装に身 を纏った人達の一団が控えている。自ら演奏するバグパイプの勇壮なリズムに歩調を合 わせ、広い広場を埋め尽くすばかりの人の群れが次々に現れる。それぞれに衣装を凝ら し、色彩も鮮やかである。黒々とした城をバックに暮れなずむ夏空の下繰り広げられる 一大絵巻。今日の催しの成功を既に保証するように、われわれの心をたちまち取り込ん でしまう。

     いつの間にか広場の中央にしつらえられた小さなマウントの上で、スコットランドの 歴史を題材にした寸劇や童話を取り入れたファンタジーな踊りが始まる。スケート隊が ハイスピードで駆け抜ける。バグパイプの大集団の演奏。騎馬隊や馬車も登場する。馬 は太い足に長い毛の生えたファンタジー劇に似合いの大きな馬である。 次々と手際よく繰り広げられるパフォーマンスに、観客の興奮は高まる一方である。 照明の技術もレベルが高く、空をバックに黒々と聳えているお城の一部に光を当てるか と思うと、次の場面では、城の一番高い塔の先まで浮かび上がらせる。花火が上がる。 城壁にメリー女王や王冠が写しだされる。一瞬の闇の後に、目も鮮やかな民族衣装の鼓 笛隊の一団が登場する。城門の右斜め上にスポットライトが当たるとそこに舞台が設け られていて、コーラス隊がいる。バイオリン奏者もいる。 勇壮な行進曲に合わせて、行進ならお手のものの軍隊が、靴の音を揃えて響かせなが ら、複雑な織物を織る縦糸と横糸のように、それこそ広場狭しと動き回る。肩に担いだ 銃を号令に合わせて上げ下ろしし、相互に投げ合う。それが一糸の乱れもなく、ぴたり ぴたりと決まるので、場内の感嘆を誘う。

     よく鳴り響くバグパイプや太鼓。城内から大 砲の空砲が鳴らされる。民族衣装を纏ってのダンス。男性はスカート、女性はフレアス カート。全身白い衣装の太鼓隊。各国からダンスチームやバンドも参加しているらしい 。 場内の明かりが一斉に消え、闇に包まれる。静寂の中にバグパイプの音が響く。スポ ットライトが、城の一番高い一角をとらえる。その光の中に一人の奏者が浮かび上がる 。高名なバグパイプ奏者らしい。哀愁を帯びた音色がじょうじょうと流れてくる。うっ とりと聞きほれる。
     

     ファイナルは、「蛍の光」の大合唱。最後の最後に「スコットランド、ザ グレート 」が高らかに歌われる。この歌にも、昼間見た城内の展示にもイングランドに対抗意識 を持つスコットランド人の魂が感じられる。 世界中から見物人が押しかけるというのも合点がいく。良く訓練の行き届いた上質の パフォーマンスがそれこそびっしりと詰まっている。屋外の爽やかな大気、古い城、環 境もシナリオもいい。観客にもいつ知らず一体感が出来上がり、曲に合わせて歌を歌い 、肩を組む。すっかり我を忘れて没頭していて、時間のたつのをすっかり忘れていた。

    買い物

     翌朝も、日和は観光向きである。ホテルの部屋の窓からは、古いビルの後ろ側が見え るだけだ。一階に降りて、食堂を捜すと、ホテルの中は結構広くて、大きなソファの置 かれた談話室もある。食堂はその奥にあって、ここもかなり広い。例によって、スコッ トランド風の朝食をとる。ベーコンにソーセージ、ポークド・エッグにオートミル。紅 茶。これが、ホテルで取る最後の朝食になるはずである。

     今日も先ず、プリンセス通りに繰り出す。相変わらず人出は多い。みやげ物を買うに は今日しかない。早いところ済ませてしまおうと早速とりかかった。通りの両側には、 デパートや有名ブティック、それにホテルが立ち並んでいる。バーバリーの店でカシミ アのセーターを妻と一着ずつ買う。東京の馬鹿高い値段に比べると、嘘のように安い。 薄いブラウンに色を合わせた。私のは無地、妻のは大きめの格子の焦げ茶の柄が胸のと ころに入っている。上品な中年の女性が対応してくれ、おまけにといって、純毛の手袋 を一つずつくれた。

     町を歩いていると、本屋が結構目につくが、どの本屋にも、THE CHAMBER  DICTIONARY新版発売という大きなポスターが貼ってあるのが目につく。赤 い表紙の厚い辞書が入口近くに平積みされている。このエディンバラに本社のある出版 社で編纂された辞典のせいもあるのだろう。手頃な英々辞典が欲しいと思っていたので 、大冊(二〇六二頁)で少々重たいが、思い切って買った(二二・五〇ポンド)。スク ラブルという語彙の多さを競うゲームがあるが、そのオフィシャルの参考辞典という宣 伝文句が書かれている。語彙が多いのかもしれない。語意は分かりやすい。念のために karaoke(カラオケ)を引いてみるとちゃんと載っている。それほどポピュラー になっているのだ。ただし、カローシはまだ載っていない。

     駅の近くに大きなショッピング・センターがあった。駅名と同じウェーバリーSCで ある。スコットに同名の小説があるが、それと関係があるのだろう。三階まで吹き抜け になっており、天井はガラス張りになっていて、明るい。なんでもある。ここでもセー ターなどみやげ物をあれこれ買い込んだ。値段も日本に比べるとやすい。レコード店で 、かねて欲しいと思っていたキース・ジャレット・トリオの「バイ・バイ・ブラックバ ード」を買った。これも日本で買うのより安い。リスト・アップしていたみやげ物も一 通り買うことが出来、一安心。

     昼は、このSCの軽食レストランで食べた。一階の噴水 の回りにファースト・フード風の店が取り囲んでいるのだ。サンドイッチとスコーン、 それに紅茶。出る際に、お手洗いに行くと女性用の前は長い行列になっている。洋の東 西を問わず、同じ現象がおきるものと見える。  実は、このSCに入ろうとして、駐車場の入口かと思って曲がったらその坂道はウェ ーヴァリー駅に繋がっていて、驚いたことに、プラットフォームのすぐ側まで車で乗り 付けられる構造になっている。荷物が多い時など、これなら大いに助かるだろう。

     SCの真向かいが、例のスコット・モニュメントのある公園になっているので、ゆっ くりと散歩し、巨大なモニュメントの中に鎮座しているスコットをじっくり観察した。 周りを鳩が飛び回っている。そのあたりから、お城の方にかけて窪地になっていて、石 の柵から下を見下ろすと、驚いたことにこんな町中にゴルフのグリーンが作ってあって 、黒っぽい制服のような服を着た男四人連れがプレイをしているのである。何でもこの 窪地はかつてはロッホ(湖)であって、対岸のエディンバラ城を守っていたのだという 。今は対岸とは三本の橋で結ばれ、川底がグリーンになったりウェーバリー駅やレール の敷地になっているのである。

     昨日ミリタリー・タトゥーのチケットを買ったチケット・センターに寄って、今晩の チケットを買った。メインの音楽のプログラムだけでもかなりあるうえ、フリンジ(付 加的な催し物)を付け加えると膨大な数のプログラムがあり、どれがベストなど見極め ようもないが、メインのプログラムの最初の最初に書いてあるのは、私の好きな音楽家 であるベルディの曲なので、遠慮っぽく空席があるか尋ねてみると、ポンポンとパソコ ンのキーをたたいた係の人がすぐさま有りますという。これで本命の切符が運良く手に 入った。出し物は「オベルト」となっている。これまで一度も聴いたこともないし、こ の曲名を聞くのも初めてだが、ベルディなら間違いあるまい。何度指揮棒を振ってもモ ーツアルトとベルディの音楽は常に新鮮で、必ず新しいものを発見することが出来ると 、高名な指揮者が書いたのを読んだことがある。開演は八時。さあ、それまでに、市内 見物を済ましておこう。

    ホリドール宮殿

     エディンバラの市街を車で走ってみたがなかなか美しい。建物が実にいい形をしてい る。いたるところ大きな街路樹が緑をしたたらせている。見とれて走っていたわけでは ないが、ちょっと道に迷ってしまった。道路脇に暫く車を留め、じっくりと地図を見る 。イギリスには珍しく都市計画が施されているので、道は整然としており、紆余曲折と 言えるほど道が曲がりくねっており、難渋したわけではないが、それでもしょうしょう 回り道して、目指すホリドール宮殿についた。これは、メリー女王の宮殿である。現在 でもエリザベス女王が滞在される現役の宮殿でもある。円塔がある四角の切石建築の外 見も美しい建物である。

     中も美しい。廊下や階段にさえ、数えきれないほどの絵画やタペストリーが飾ってあ る。案内の女性の後を付いて、グループの一団として館内を巡った。立派な調度品があ り、沢山の広々した部屋がある。ここでもやはり、スコットランド人のメリー女王に寄 せる敬慕の心を感じさせられた。どこも明るく清潔である。悲劇の女王と言われるメリ ーが住んでいた当時の陰惨な雰囲気はどこをとってもない。

     「これほど沢山の著作を、劇、小説、伝記、議論をみのらせた女性は、世界史で、ほ かにはほとんど一人もいない。三世紀以上にわたって彼女はくりかえし、詩人たちをお びきよせ、学者たちの心を奪ってきたうえ、いまなお衰えない力をふるって、あいかわ らず、彼女の形姿は、新たな造形を強奪しつつある」。伝記作家ツバイクは「メリー・ スチュアート」( みすず書房、古見日嘉訳) の冒頭にこう言っているが、「精神的天分 にも恵まれた上に、人なみはずれて優美な肉体をもさずかって」(p.38) おり、「光 り輝く美しさではなく、むしろ、きりりとした美しさ」40頁) を持つメリーの肖像画を 見上げながら、わたし自身も、不思議な力に引き寄せられるものを感じたのである。

     宮殿のすぐうしろはポリドール公園である。標高823 フィートの小高い丘がある。火 山性の山で、歩いても45分程度で登れるらしい。車道は緩やかに山を巡っている。ハイ ランドの荒々しさをちょっぴり味わうことが出来ると紹介されているように、なかなか 勇壮な山である。道路の端に車を留めては、様々な方角からエディンバラの市街を見下 ろすと、改めてその美しさに魅了されてしまう。建物の立ち並ぶ様も優美なら、広々と した緑地帯、ゴルフ場、島影の多い湖、きらめく海原を一望できる景色も美しい。近く の湖では白い水鳥が泳いでいる。教会の尖塔、丘の上にこんもりと盛り上がったエディ ンバラ城が見える。

    アフタヌーン・ティー

     さて、次はどこに行こうか、と妻に相談すると、一つだけやりたいことがあるという 。ちょうど時間もいいし、アフタヌーン・ティーなるものをイギリスにいる間に一度だ け味わっておきたい。ここのカレドニアン・ホテルのは素晴らしいと、旅行案内書に書 いてあるという。ミリタリー・タトゥーを見られたのも旅行案内書から情報を仕入れた 妻のお蔭である。地図を見て件のホテルを捜すと、比較的エディンバラ城に近く、今夜 行くことになっている「オベルト」の公演するアッシャー・ホールにも近い。早速、車 を飛ばした。

     ホテルは、伝統と格式を感じさせる落ちついた雰囲気のホテルだった。 広々としたロビーでゆったりと寛ぎながら、アフタヌーン・ティーを楽しんでいる先客 がいる。大きな傘の付いたランプが、テーブルの横に置かれているが、その胴の部分は 、青磁のチャイナである。観葉植物の鉢がある。床に引かれた絨毯の柄もいい。ものの 本には、トラディッショナル・アフタヌーン・ティーを頼むように書いてあるので、そ れに従って注文した。

     出てきたのは、三段重ねの皿である。そこに一杯、サンドイッチ、レタス、各種のコ ーン、エクレア、ストロベリー・ケーキ、ベリーやストロベリーのジャム、ホワイトク リーム、バターが詰まっている。紅茶も大きなポットにたっぷり。パリでも二段重ねで 、生牡蠣やアサリ、巻き貝などのシーフードのオードブルを供されたことがあるが、段 重ねにする発想は英仏とも同じなのかもしれない。パリのときもそうだったが、食べて も食べてもなかなか減らない。時刻は五時三十分になっているが、これでは「オベルト 」開演前に、夕食を入れる余地はなさそうである。念願がかなって、妻も満足そうだ。

    「オベルト」

     一旦、ホテルに引き返し、昼間のラフな旅行着から、今回の旅行に持ち合わせた精一 杯の正装に着替える。妻も、大きなイヤリングを着け、マナー・ハウス・カースル・ク ーム以来のドレスを着る。道順はもう手慣れたものだが、駐車場を捜すのに少々手間取 った。しかし、会場からさして離れないところにちゃんと立派な駐車場が準備されてい るのだ。そこは、例の窪地なので、アッシャー・ホールまでは長い階段を登らなければ ならない。

     このホールがまた立派な花崗岩の建築物だった。フェスティバルのキー・プログラム の冒頭に、エディンバラは、建築物もショーの一部であるとし、市内のウォーキング・ ツアーが紹介されているが、そのまた冒頭に、音楽愛好家なら誰しも自ずからまずここ に足が向くに違いないと紹介されている。一九一〇年の入賞デザインによる、ビール製 造業者アンドリュー・アッシャー氏から市に送られたバロック風の花崗岩のビール・ジ ョッキ。比較的に落ちついたエドワード風の内装、驚くほど大きく(二五〇〇席)、装 飾はシンプルとなっている。そう言われて見ると、外形はビール・ジョッキに似ていな くもない。入口には、人垣が出来ていて、その中には、今日の演奏者とおぼしき、燕尾 服を着た人達も混ざっている。その直ぐ近くで、男二女二のグループが、合唱をしてお り、プロから小銭を稼ごうとしている。

     中に入ると、廊下も円柱もぴかぴかに磨かれた花崗岩で出来ている。皆ドレス・アッ プして来ている。コートなどを預ける大きなクロークがあり、二人の女の子がいるが、 さすがに冬場とは違って、暇そうである。寄贈者とおぼしき人の頭部の彫刻がある。会 場への入口のドアにはブロック何番と書かれている。客席は三階まである。舞台は広く 、奥行きもあり、奥にはパイプオルガンがある。

     われわれの席は、二階正面の最前列。とても見やすい席である。それで当日券で二人 合わせて九千円ちょっと。日本に比べて安い、安いと繰り返すのも芸がないが、やっぱ り安い。開演までの時間を利用して、買ったパンフレットを必死に読み、曲の概略を頭 に入れなければならない。妻にも説明してやらなければならない。  さて、いよいよ開演である。二〇〇人の合唱団と百人をこすオーケストラの楽員が舞 台を埋め尽くす。独唱者が五人、中央に並んで立つ。若い指揮者が舞台に登場すると盛 大な拍手が沸き起こった。演奏会形式のオペラである。

     音響がいいのか、音が実に充実して聞こえる。独唱者も、コーラスもいい。二〇〇人 のコーラスの厚みがなんとも言えない。それにも増して、指揮者の指揮振りが冴える。 ベルディ二六歳のときの最初のオペラである。若々しい情熱が漲っている。ベルディら しく、メロディーが実に美しい。作曲者の初めてのオペラであるにもかかわらず、将来 の大成を確実に予告する内容の豊かなオペラである。旅行の最後の夜を飾るに相応しい パフォーマンスだった。

     演奏が終わっても、拍手が鳴りやまない。指揮者がステージに現れる度に、前にも増 して盛大な拍手がわき上がる。指揮者はその栄誉を、楽員に譲ろうとして、大きなジェ スチャーで、全員に立ち上がるように促すのだが、楽員は立とうともせず、弦楽器の奏 者は、弓で弦を叩いて讃える。合唱団の面々は拍手を送る。四度目にやっと全員立ち上 がった。

     演奏は、王立スコットランド交響楽団、指揮はエドワード・ダウネス(Si r Edward Downes)卿、独唱者は、レオノーラがKren Huffs todt,CunizaがJane Henschel、ImeldaがFlona  Kimm、RiccardoがDenis O’Neill、ObertoがAlas tair Miles。合唱は、エディンバラ・フェスティバル合唱団、同指揮がAt hur Oldhamである。

     このフェスティバルの出し物を見ると、ベルディの最後のオペラであるフォルスタッ フが九月に入ってからウェールズ国立オペラ座により、レクイエムは、この同じホール で今日と同じ交響楽団と合唱団とで明後日上演されることになっている。もう少し長い 逗留ができれば、ベルディの音楽的探究を可能とする心憎いプログラムが組まれている のである。エディンバラはオートバイで二時間もあれば十分だと、かのドイツ青年はい ったけれど、二時間どころの話ではなく、二日泊まって来ましたと言っても、ドイツ青 年並みに密かな苦笑を誘う程度のことに過ぎないようだ。

     コーラスが大好きな妻も、たまたま聴くことになった「オベルト」にアフタヌーン・ ティー以上に満足し、ホテルに帰る車の中で、

    「よかったねねー」

    「うん、よかったね」
    お互いにため息をもらし合った。

     ホテルに帰って、宿泊費を清算し、明朝朝早く発つというと、女主人が玄関のドアの 開け方を教えてくれ、これまで、ほとんど笑いもしなかったのに、ニッコリ笑って、気 をつけて帰国してくださいという。その笑顔に救われた思いがした。

     最後はパッキングである。今日の午前中、重たく大部な英語辞典まで買い込んだ。も う、車のトランクに放り込んでおくわけにもいかない。一体全部入るだろうか。色々と 工夫算段して、詰め込まなければならない。それでも、手回しよく、インバネスでスポ ーツバッグを買い込んでいたので、着替えの下着などその中に放り込めばいい。なんと か、午前零時すれすれに最後のパッキングも終わった。

     最後の気掛かりは、明日の朝、目覚ましの音を聞き逃して、飛行機に間に合わないこ とだけである。しょうしょう寝付きは悪かったけれど、さすがに二週間にわたる旅の疲 れが出ていつの間にか眠ってしまった。


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    イギリス・ドライブ紀行(14)   930924/940712/950629

    結 び  帰 国

     翌朝、まだ明けやらぬ中、五時四〇分ホテルを発つ。玄関のドアは教えられたように 開けたらなんなく開いた。まだ暗い。レンタカーの走行距離は一五九四マイルとなって いる。通りには全くといってよいほど人通りがない。途中にあったガソリンスタンドで 、満タンにし、満タンにしたという日付入りの書類を貰う。ハーツに出す書類に添付し なければならないのだ。

     エディンバラ飛行場のハーツの駐車場に車を留め、走行距離を確かめると一六〇〇・ 五マイルである。キロに直して、二五〇〇キロ。我ながらよく走った。故障一つなく走っ てくれたプジョーにも礼を言わなければならない。ハーツに提出する書類の中に、走行 総距離を書き入れ、レンタカーの鍵を返しに事務所に行くと、もう既に人が来ていた。 最初は、ボックスの中に鍵と書類と満タンの証拠を入れるように言われていたのだが、 これなら、係の人に直接手渡すことも出来る。書類の記入に不備があれば直すこともで きる。係の人に差し出すと、簡単にオーケーになった。料金はクレジット代金で支払う ことになっている。後日請求された金額は、十二万円弱。最初の見積額とほとんど変わ らない額だった。

     レンタカーも無事返せたし、一安心して、空港の喫茶店でコーヒー を飲んだ。大きなビスケットが一枚ついてきた。朝飯を食べていないのでおいしかった 。

     乗ったミッドランド航空は国内線なので、待合室も狭く、中に入ったらすぐ飛行機と いった感じであった。機内で、イングリッシュ・ブレックファーストが出た。万が一遅 れることを危惧して、一つ前の便にしておいたのだが、順調に飛び立ち、定刻より少し 早めにヒースロー空港に降り立った。国内線から国際線への乗換には九十分かかると脅 かされていたのだが、日本向けの飛行機の指定されたチェックインタイムまで二時間半 、出発時刻まで、四時間半もある。これなら、悠々、間に合う。

     最後の買い物があった。紅茶やチョコレートの類である。かさばるし、重たいから最 後に取っておいたのだ。エディンバラ空港に比べればヒースローは子供と大人以上のひ らきがある。売店も大きい。走り回って買い込み、スーツケースの中に押し込んだ。

    さ て、チェック・インという段になって、スーツケースの中にタックス・フリーの手続き をしたいものがあると申し出ると、しばらく待つようにいわれる。かなり待たされて、 担当の男の人が現れた。その人が付いてくるように言うので、カートを押して人が一杯 の通路を右に左に付いていった。先ず出入国手続きを済ませ、税関に行き、タックス・ フリーの書類を示すと、係官が、妻が買ったブレスレットを示すように言う。それだけ だった。ポンポンポンと書類に判子を押してくれた。男の人はとって返し、われわれは そこにそのまま残された。

     早速、タックス・フリーの酒の売店に行き、ワインとリキュールを買い込んだ。少々 重いけれど、成田空港から宅配便にすれば、それほど、重い思いをすることもない。だ から、海外旅行に出たら必ず買うことにしているのである。ワインもリキュールも夥し い種類があり、それほど通でもなく、予め、これを買おうという狙いの品があるわけで はないので、あれこれ迷う。ワインの場合は、うろ覚えの知識と、値段が手頃で、何と なくおいしそうな物で辛口というだけの基準で、フランス産とドイツ産を赤白取り混ぜ て一ダースほど買った。リキュールは二本ほど、これまで買ったことのないものという 基準で選んだ。海外旅行の度にこんな基準で選んで買っているので、棚に並んでいるも のの大半とはお馴染みだが、それでもヨーロッパはリキュールの宝庫、決まって物珍し いものが手に入る。瓶の形も酒の色もわれわれの創造力を凌駕するものがいくらでもあ る。

     さて、やるべきことはすべて済ませた。ちょうどいい頃合いだと思って、出発の掲示 板を確かめると、出発時刻が四時間遅れるという表示が出ている。あわてて買い物をし 、チェックインし、これまたあわててワインを買ったのに、とんだ拍子抜けである。航 空会社のデスクで、遅れる原因を確かめると、日本が台風に襲われ、東京は方々で水が 溢れ、JR線が冠水していて、飛行機が飛び立てないのだという。

     昼食代として、一人十ポンドの金券が配られたので、カフェテリアで、シチュー、ハ ムサンド、サラダ、ケーキ、紅茶、コーヒーで、お腹を満たす。  待合室のベンチに座って、何時発つとも知れない飛行機をぼんやり待つ。実に様々な 人種が行き来する。これまで一度も見たことのないような奇妙な服装の一団も通る。色 も、顔の造作も、体格も、変化に富んでいて見飽きない。子供は、人種の別なく、可愛 い。

     座っているすぐ前は、ずらりとショッピング、アーケードが並んでいる。ワインは買 ったけれど、少し遣い残したポンドもある。まず、これを使い切ろうということから、 買い物が始まった。なるほど、こうやって待たされる人のためにこそ、これだけの大き な、ショッピング街が出来ているのである。  これまで、じっくり、品ぞろえを確かめたことはなかったが、こうして座りなおして 、品物を物色すると、実に心憎いほど、欲しいものが揃えられてあることに気付かされ る。実は、ファイロファックスの小型手帳を、手に入れようと、バースの文房具店でも 捜したのだが、見つからず、そのまま忘れていたのが、目の前に並べられているではな いか。これぞ、飛行機が遅れてくれたお蔭である。

     それでも、4時間遅延の段階では、遅延のご利益も小幅に止まっていたが、4時間が 一挙に八時間に延長された。八時間。文字通り、一日の労働時間と同じ時間、同じ所で ぼんやりと飛行機を待たなければならないことになったのだ。そこで、日本人らしい、 勤勉性に火がついた。

     それからは、面白いほど、飛行機が遅れたご利益にあずかることになり、ダンヒルの 旅行バッグを買い、ベイリーの靴を買った。妻も負けていない。それこそ得意の「最後 のお願い」を振りかざし、日本に帰ったらこんないいデザインのものは手に入らないし 、値段は優にこの倍はするといい、今度の旅行で二個目のバッグを買い込んだ。

     八時間の労働時間の間に十万円を浪費し、両者次ぎなる獲物はないかと、浮き足たっ ているうちに、表示盤は音もなく出発手続き開始に変わっていたのであった。はっと表 示盤の変化に気付いた両者、慌てて出発ロビーに飛んでいくと、乗客はちらりほらり、 もうほとんどが、乗り込んだ後。やっと間に合って胸をなで下ろす。八時間も待たされ た挙げ句買い物に夢中になって乗り遅れるようなことになったらとんだお笑い種である 。

     機内の人となって、窓の外をみると、もう夕暮れである。時刻は八時三十分、早朝か ら今まで実に十五時間もかけて、やっと帰国のスタートラインに着いたのである。ヤレ ヤレ。しかし、日本向けのこの便に乗ってしまえばもうこっちのものである。これが、 エディンバラ発ヒースロー行きが遅れたりして、この便に乗り遅れでもしようものなら 、泣きだった。パック旅行だから、乗換がきかないのである。

     往路に比べ、機内はかなり混んでいて、横になるスペースを取るのは難しい。この狭 い席に押し込められる十数時間がなければ、ヨーロッパ旅行は数倍楽しくなるのだが。 久しぶりに、日本語の新聞を見る。細川新政権に対して三八年振りに野党に転落した自 民党の河野総裁が代表質問をしている。アメリカの女子ゴルフツアーで小林浩美が優勝 、次週のメジャー最終戦に、二週連続優勝とメジャー初制覇をかけるらしい。

     食事も久しぶりに、日本食である。松花堂弁当。流石に懐かしい味がする。寝ては覚 め、覚めては食べての繰り返しで、何度食べたか、何度眠ったかも次第に分からなくな る。ただ何度時計を見ても、東京はまだ遥に遠く、針は一向に進まない。

     昼間にシベリアの上空を飛ぶのは初めてなので、興味深く見下ろしたが、とにかく何 もない荒野が続く。極東地区に入ると、山々の連なりが見えるが、人跡を見いだすのが むずかしい。やがて、日本海に出て、ほとんど波もない海面が続いている。

     日本列島の上空にさしかかると、山々が、どこも濃い緑に覆われているのが印象的で ある。平地もとにかく緑の色が濃い。イギリスの緑の色と違う。畑はちまちまと小さく 区分けされているが、良く肥えていると言うことがわかる。町は雑然としている。色も 少ない。朝の八時五五分に到着のはずが、成田空港に着いたのは、午後の五時である。 それでも、無事に着いたとあって、妻と顔を見合わせてにっこり。

     重たいタックス・フリーの商品をかかえて入国審査を受ける。審査官は三〇台の女性 。にこりともしない。脂の浮いたような疲れ切った表情。ぶっきらぼうな応対。ヒース ローの係官とつい比較して、なんとなく、気持ちが萎える。これが日本の水準なんだな という感慨にとらわれる。

     G.K.チェスタトンは旅の目的は、「異国の土地に足を踏み入れることにあるので はなく、最後に自分の国に異国の土地として足を踏み入れることにある」というが、初 っぱなからわれわれは、自分の国ながら、異国の土地に足を踏み入れる思いにさせられ た。

     台風一過の天候なのだろうが、機内で半袖に着替えて降りはしたが、まだ暑い。湿度 も高い。イギリスではセーターを着、所によっては、ヤッケもどきまで着込んで歩いた というのに。それに圧倒されるような人の数だ。空港の構造がどうみてもうまく出来て いない。

     エディンバラ空港で預けたトランク類も幸い間違いなく出てき、必死で運んだワイン の通関も済ませ、重たい荷物は全て宅配便に委ねた。さて、身軽になった身を、ちょっ と奮発した新宿行き急行のグリーン車の座席に深々と静め、前席のわが連れ合いに感想 を求めると、長旅の疲れも見せず、眼を輝やかせ、口許には自ずとこぼれるような微笑 みを浮かべ、一言、

    「最高」

    旅の途中、妻から、

    「旅に出ると、どうしてあなたはそんなに元気なの。顔つきまでまるで別人みたい」

    と言われ、

    「旅に出るってことは、自然に帰るってことなんだよ。毎日毎日会社勤めするというこ とは、動物園の檻の中の動物と同じ生活をやっているようなものだからね。全く時間に 拘束されず、こうして毎日自分の行きたいところへ行け、おいしいものを食べ、新鮮な 空気を吸い、興味深々なものを見て回り、何でも好きな事ができるれば、つまり、自然 に帰して貰えれば、動物だって、人間だって元気になるものさ」

    と答えたことがあったが、妻だとて日頃の家事から開放されて自然に帰ったのである。 かく言う私の顔もいま、妻と同じように明るく輝いているに違いない。窓のガラスには 、台風で折れ曲がった木々や、冠水した田畑などが写っており、もう明後日には、動物 園の檻の中に戻らなければならないが、われわれの気持ちはいまのところ 「最高」 この一言に集約できるのであった。
                  

                

    ご愛読有難うございました。著者


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