イギリスを走ろう

イギリス・ドライブ紀行(1)   930924/940712/950629             

  1 先立つものは・・  

いつの間にか、心の中では、決断していたのだ。

「よし、今年こそ二週間続けて夏休みを取るぞ」と。取って、一八年前にポーランド滞 在から帰国以来、一度も海外旅行を経験させたことのない妻を伴い、久しぶりに一緒に 海外旅行を楽しもうというのである。旅行には、先立つものがいろいろ要るけれど、二 人いる子供を、そろって今年社会人に巣立たせた夫婦にとって、たとえ一介のサラリー マン夫婦とはいえ、年に一回程度の海外旅行用の金の工面ぐらいできぬわけはない。だ から、先立つものは、いまや、時間の方である。五十代になってみれば、一週間そこら で、往き帰り二度の時差調整を要する海外まで出掛けるのは容易でない。せめて、十日 は欲しい。二週間あれば越したことはない。ようし・・

 ところが、六月末になっても、職場の夏休み計画の申告表が回ってこない。欧米では 、一年も前から夏休みが決められるとも聞く。だから、「来年もまた来ますよ」と、一 年先のリゾート・ペンションの予約も出来るのである。確かに、予約を必要とする旅行 に出ようとすると余り遅くなって決まっても困る。やっと、七月に入って回ってきた。 しかし、そのときも、実はまだ迷っていたのである。二週間連続ではなく、常識的な十 日程度にすべきではないかと。しかし、「え−ぃ、ままよ」とばかり、週五日を連続二 週、前後の土日を加えて、連続十五日分の休暇を八月の後半に取ると書き込んだのだ。 ちょっと、職場の常識からかけ離れているかも知れないが、久しぶりに海外へ、しかも あの大大陸アフリカへ行くからには、その位の日数は、最低限必要ではないか。たとえ 、後から時期や期間について職場の上司・同僚からクレームが付くにせよ、飛行機の切 符は、早速手続きを開始しなければ、取れなくなる恐れがある。オウン・リスクで実行 に移るよりあるまい。

 旅行代理店から、アフリカ向けのパンフレットをごっそり仕入れてきて、ケニアへの サファリ旅行に照準を定め、いろいろ構想を練った挙げ句、同じ職場の経験者にアドバ イスを求めると、「今からではアフリカ行きは無理じゃないですか」とあっさりいわれ てしまった。旅行代理店に電話するとその通りだった。パック旅行の空きが有る無しの 問題以前に、アフリカに行くからには、この時点で、黄熱病の予防注射を済ませておく 必要があるというのだ。たちまち、アフリカ大サファリ行き計画は頓挫、アイザック・ ディネーセンの「アフリカの日々」やバン・デル・ポストの一連のアフリカもの、ダイ アン・フォッシーの「霧の中のゴリラ」などを読んで以来の憧れのアフリカは、機関車 から切り離された客車のように急に遠のいて行ってしまった。さて、どうしたものか。
 そのとき、ぱっとひらめいたのだ。 「そうだ、二週間もあれば、ヨーロッパへも行けるし、ドライブ旅行もできる。ポーラ ンド時代以来、久しぶりにヨーロッパを走ろう。だが、十八年振りだ。左側通行の日本 からいきなり右側通行のヨーロッパ大陸を走るのは無理だろうから、行くとするなら、 今年は同じ左側通行のイギリスだ。イギリスをドライブ旅行しよう。イギリスに慣れた ら、この次はヨーロッパだ」と。
 なんのことはない。もう心の中では、きまっていたも同然だったのだ。ヨーロッパに 休暇で行けるとするなら、ドライブ旅行以上に楽しい旅は考えられない。ポーランドに 一九七五年から七八年まで三年間滞在したが、毎夏、家族揃ってヨーロッパ各地をドラ イブ旅行し、妻も、その楽しさを充分すぎるほど知っている。飛行機で都市から都市へ と飛び回るのが、応接間でお客様扱いを受けているようなものとするなら、車で走るの は、ホーム・ステイさせて貰っているようなものなのだ。お客様扱いを受けているうち は、それほど親しみが湧くものではない。大地を直接踏みしめた感触も残り、土地勘も 付く。ところが、イギリスには、これまで何度も行ったことはあるけれど、自ら運転し て、実際に走りまわった経験がない。そのせいで、ヨーロッパ諸国に比べるとまったく 土地勘が働かない感じなのだ。やはり、一度はイギリスの大地の感触も味わなければな らない。
 なんとなく、消去法的な選択であったにせよ、イギリスと決まってしまえば、それな りの必然性があったことに気付いた。昨年来、「イギリスはおいしい」に始まる林望の イギリスものはほとんど読破したし、林望を含めたイギリス好きの人々の手になる「イ ギリスびいき」、マークス寿子の「大人の国イギリスと子供の国日本」や「ゆとりの国 イギリスと成り金の国日本」、キャスリーン・マクロンの「イギリス人の日本人観」や 「日本人のボス」も読み、以前からも、ピーター・ミルワードの「イギリス−くにとひ と」加藤秀俊の「イギリスの小さな町から」ダーレンドルフの「イギリスはなぜ失敗し たか」森嶋道夫の「イギリスと日本」クセジュ文庫の「英国史」等々、挙げていけばき りがないほどいろいろと読み漁り、つねならぬ関心を持っている国ではあったのだ。 ドライブ旅行となると、往きと帰りの飛行機さえ押さえればいいのだから、パック旅 行に参加するのに比べて出発日やルート選択の自由度が高い。経済的余裕はあるとはい いながら、それほどゆとりがある家計でもないから、それなりに安い航空券を探さなけ ればならない。しかし、サラリーマンの夏休みが集中する八月後半の日本発となると、 結構値が張る。いまさら、夏休みの時期の変更はできない。結局、一番安い航空会社の 一番高いハイ・シーズン料金で行くことになった。出発帰着の日時が決まると、次は、 ドライブのルート作りが待っている。
 早速、霞が関=の近くにあるBTA(英国政府観光庁)に行って、「DRIVING  IN BRITAIN」をはじめ、英国ドライブマップや各地の案内などを含めて、 ごっそり資料を貰ってきた。これまで読んだ本を繙き、さらに「地球の歩き方 イギリ ス」等々を買ってきて、読みまくる。毎月昼食会をやっている仲間にも相談した。海外 旅行の経験の豊富な人ばかりであるし、うち二人がロンドン滞在の経験がある。そのア ドバイスによると、カースル・クームの「マナー・ハウス・ホテル」に泊まることと、 スコットランドの西側北緯五八度にある「霧の島」スカイ島へ行くことが、必須要件ら しい。
 そこでまず、ルートを決めるより何より、マナー・ハウス・ホテルを抑えることにし た。到着した夜と翌日の二泊分の予定をいれると幸い空いていた。値段は先方の言い値 で、二人で一泊一九五ポンドだという。 カースル・クームから走り始めることを前提に、本を読んで仕入れた情報を参考にし つつ、妻がどうしても行きたいという、シェイクスピアの生まれ故郷ストラッドフォー ド・アポン・エイボンやイギリス随一の観光リゾートと言われる湖水地方、それに私が 行って見たいプリンス・オブ・ウェールズ(イギリス皇太子)の即位する城があるカナ ーボン、必須コースのスカイ島、この時期に国際フェスティバルをやっているエディン バラ、知人のいるケンブリッジを巡るドライブ・ルートを作り上げた。これでとにかく 、ごく一部ずつだけど、ユナイティッド・キングドムを構成する四王国のうち、イング ランド、ウエールズ、スコットランドの三王国を回れる(もう一つは北アイルランド王 国)。 なかなかいい案だと思って妻に相談すると、妻は、十八年前のヨーロッパ・ドライブ 旅行の時は、一回で六千キロ近くも走り、いつも走り回っているようでさすがに疲れた 。あの時は若かったが、もう五十にもなったことだし、今回はもっとのんびりした旅を 楽しみたい。せめて、一か所二泊したいというのである。この条件を付け加えると、ど う工夫しても、当初案は成り立たない。そこで、エディバラ以降のヨーク、ケンブリッ ジを経てヒースローへ向かうルートは端折り、レンタカーは、エディンバラ空港で乗り 捨て、そこからは飛行機で直接ヒースロー空港へ向かい、帰りの便に乗り継ぐことに改 めた。それでも、かなり、走らなければならないのだが。
 やっとルートが決まったと思ったら、妻が、ヒースロー空港から、いきなり、マナー ・ハウス・ホテルへ行くのはもったいないと言いだす。午後三時半の空港着で、入国手 続きやレンタカーを借りる手続きをして、それから、長旅と時差に疲れた体に鞭打ち、 二五〇キロもの道のりを飛ばしていっても、その夜はただ眠るだけで、せっかくいいホ テルに泊まっても意味がない。着いた夜は、空港から余り遠くないところで一泊して、 翌日から二泊してはどうかというのだ。それもそうだが、ホテルの予約が変更できるだ ろうか。あわてて予定を変更したい旨の連絡を入れたところ、OKの返事だった。 そこで、カースル・クームへ行く前に空港近くで一泊し、カナーボンに二泊の予定を 一泊に改めて調整することにした。レンタカーはハーツ社に頼んだ。これも妻の要望で 疲れにくい二千CCクラスにし、これはしつっこいぐらい念を押すようにと、ものの本 に書いてあったので、マニュアル車でなくオートマチック車を間違いなくと、何度も念 を押した。 出発間際まで、新たに買い込んだ「ロンドン抜きの英国案内」、新潮社判 の「イギリス」、林望の「イギリス観察辞典」などを読んで、行くべき所や食べるべき 料理などのデータを仕込んだ。湖水地方に行くとなるとワーズワースの詩や、ポター女 史の「ピーター・ラビット」にも目を通しておく必要がある。幸い、私の書棚には、ワ ーズワース詩集も並んでいていささか埃を被っていたのを取り出し、目を通した。丸善 に行くと、なんと「ピーター・ラビット」生誕百年記念セールをやっているではないか 。みると、ピーターが百年前に生まれたいきさつ、ポター女史の生涯、ナショナル・ト ラストへの貢献等について大きなパネルを使って展示している。ぬいぐるみや、カード 類も売っている。確かに、うさぎの中では世界一有名なうさぎであるらしい。これも読 まねばなるまい。
 ところが、その忙しい読書計画のなかに、当初、アフリカを狙った余韻が残っていて 、椎名誠の「あやしい探検隊アフリカ乱入」が乱入してくる。そのうえに、ホテル原則 予約なしのドライブ旅行程度で、ややアドベンチァー色のある旅と思い込みたがる本人 の思惑を全く顔色ないものにする、トリスタン・ジョーンズの「信じられない航海」ま でが入り込んで来た。こちらは三八フィートの二本マストのヨール型帆船バーバラ号で 、地球上で一番低いところにある水面「死海」から、一番高いところにある水面「チチ カカ湖」まで数千キロの行程を帆走した記録である。結局、この本を読書用としては唯 一携行して行ったのである。  本を読み、情報を仕入れることもさることながら、忘れてならない先立つものが他に もあるのだった。パスポートと国際免許証である。五年有効のパスポートは、ちょうど 切れており、更新しなければならないのだ。オフィス近くのカメラ屋で、証明用の写真 を撮り、有楽町の交通会館に申請に行くと、夏休みの時期とあって、人が溢れている。 しかも、昼休み時間と重なったため、係員が交代で昼食をとりに出掛けるとかで、係官 の椅子には、空席もある。だから、列は、遅々として進まない。 見るとはなしに、先程撮った証明用の写真をみると、あごのところに、幾重にも、し わが寄っている。普段妻に写真をとるときあなたはいつもあごが上がっていると注意さ れるものだから、つい引きすぎたのである。しかも、インスタントの白黒写真とあって 、全体に、黒ずんでいる。口は、いささかひん曲がり気味であるし、相当人相が悪い。 これでは、本人と確認できぬ恐れもある。写真は、4×3cm、顔の長さが何cm、背景が 無地と、厳しい規定があるようである。だがそこは、写真屋に頼んで撮って貰ったのだ から、信用するよりあるまい。
 写真の批評や、提出書類の厳密な点検を数回終えたころ、やっと、椅子のところまで 進んだ。五行六列ほどの椅子席が設けられていて、そこに座って待つのである。一番前 列の左端の人から順番に一人ずつ、空いた係官の所へ行くことになっていて、一人立つ と、その度に、一人ずつ、椅子を座り直して、一席ずつ、進むのである。都合、三十回 ほど、立っては座り座っては立ち、気ぜわしい。厳しそうな顔つきの女の係官がいるの で、あそこに当たらなければいいな、と思っていたら、当たってしまった。
 早速、私の写真の貼り方がすこし歪んでいると、剥がして貼りなおされた。しかも、 肝心の書類の記入欄に一行丸々の空白を発見されてしまった。あれほど点検したつもり なのに、我ながらどうも、当てにならないものである。ひたすら、恭順の姿勢で、書き 込む。しかし、写真のほうは、本人と確認できないとのクレームも付かず、無事、申告 が受理され、一週間後にとりに来るようにいわれ、受取証に、貼る一万円なりの、印紙 を買い、その場で貼って帰った。
 一週間後、無事、パスポートは手に入った。前のに比べるとぐっと小さくなった。携 帯には便利である。口の曲がった、人相の悪い写真が、そのまま印刷され、その上から ラミネートがかかっている。従来の貼りつける方式だと、偽造しやすいが、これだとな かなか難しそうである。しかし、偽造のプロはその難関を乗り越える方式を既に考えて いるに違いない。 パスポートが終われば、今度は、国際免許証の番である。これも写真が要る。こんど は、規格が5×4cmである。どうして統一できないのだろう。パスポートをとって帰る 途中に、証明用写真自動撮影ボックスがあった。値段は、写真屋で撮るのに比べると三 分の一である。一回もやったことがないので、試してみようと入ってみる。窮屈なほど 狭い場所だ。証明書用の写真のサイズに応じてボタンを押して選べるようになっている 。白黒かカラーかも選べる。顔の位置がずれたりしたら不合格になりかねないので、椅 子の高さを調節し、撮影のボタンを押し身構える。なかなかフラッシュが灯らない。待 つことしばし、やっとパッとフラッシュが点く。ボックスから出て、しばらく待つと、 小さなプラスティックスのボックスの中にことりと出てくる。最初はまだ濡れているの で触ってはならない。乾いたころを見計らって取り出すと、これまた、あごにしわがよ り、口が曲がっていて、人相が悪い。写真写りがどうも、悪いようだ。ひょっとすると 、これが実像なのだろうか。
 写真をきちんと5×4cmに切断して、江東運転免許場に、出掛ける。目茶苦茶に暑い 日で、地下鉄を降りて、目指す場所に着かないうちから、汗が吹き出してくる。途中に 、運転免許証の書換え申請用書類の代書や証明用写真の店が数多く並んでいて、客の呼 び込みをしている。店員が入口に立って声をかけるところもあれば、録音テープを回し ている店もある。
 運転免許場は暑いせいかすいていた。国際運転免許の取得は、運転免許証に比べたら 全く簡単だった。パスポートと運転免許証、それに自動撮影ボックスで撮った、本人に ほんのすこし似た写真と、金二六〇〇円也さえあれば、その日のうちに発行して貰える のだ。それほど、待たされることもない。帰り道の暑さのほうが、よほどこたえた。し かも、免許期間が僅か一年になっている。来年も海外に行くとなるとまたこの暑い時期 に来なければならないのである。  旅行の準備というものは、かくのごとく、いつものことながらなかなか大変なのだ。 しかし、この準備が旅に劣らず、また、楽しいのも事実である。
 妻の方も妻の方で、行き先がアフリカからイギリスへ急転したりするなかで、多少半 信半疑だった海外旅行が、旅行代理店とイギリス行きの航空券の予約をした段階になっ て、やっと間違いなく現実のものになると合点したと見え、私が取りそろえた資料を読 むことから始めて、自分自身の旅装の準備は当然として、日頃から服装には全く無頓着 の私の分の旅装の心配にまで取組みだした。 それに、久しぶりの海外行きということも手伝ってか、私以上の興奮振りで、盛んに いろんな夢を見るようになった。最初は、当時、碁に熱中していたこともあって、なん と文豪シェイクスピアと碁を打つといった夢らしい夢を見ていたが、出発間際には、空 港で大きな三つのスーツケースを見張っていると、そのうちの一つを持っていかれ、必 死になって追いかけ、取り戻してくると、次のが無くなっていて、また、必死になって 追いかけて取り戻してくると、また次のが・・・という現実味を帯びた悪夢らしい悪夢 で、一晩うなされるようになった。
 これほど、準備に心を砕いたのに、二週連続の夏休みの申請にクレームが付いたので は大変だったが、幸い、どこからもクレームは付かず、予定の時間に成田空港を飛び立 ち、ほぼ予定通りのルートを走破し、二千五百キロに及ぶドライブ旅行から、心から溢 れだしそうな楽しい旅の思い出と、折からの円高ポンド安を利したお買い得品の数々と 、撮影時間が五時間を上回る8ミリビデオテープと、二五〇枚以上のスナップ写真と、 二週間分の洗濯物と、それに、すっかりリフレッシュした心身とを携えて、無事帰って 来てみると、夏休みを二週間申請した決断は、本当に正しかったと思えてきた。二週間 振りに職場に顔を出すときには、いささか気後れしたけれど。  実に楽しい旅だった。正直に言えば、二週間では、短い感じだった。どうしても、一 日で五百キロも走らなければならないところがあって、その日はさすがにくたびれた。 欲を言えば二十日は欲しかった。二十年前、滞在したポーランドでは、二十日間の夏休 みが取れたのだ。それというのも、日本に比べれば、経済的には、問題にならないくら い貧しいポーランド人が、普通の人でも一ヵ月、長い人は二ヵ月以上も休みを取るので 、その反射的な恩恵に預かって、日本人でも二十日間の休暇が取れたのである。
 あれから、二十年たった日本で、今もって二週間の休みを取るのに、いろいろと気兼 ねしなければならないのである。しかも、出発する日には、わが家に、アメリカに住む 妻の一番下の妹がアメリカ人の夫や二人の子供ともども、二年前同様、二月半の長い夏 休みで長期滞在しており、見送ってくれたのである。二週間程度で気を揉むのは、彼ら には、滑稽に見えたことだろう。  旅に出るとして、金なら、計画的にすこしずつ溜めて置くことも出来る。計画なら暇 な時、練っておくこともできる。しかし、時間だけは、回りの意識が変わらない限りど うしようもない。先立つものは、今や金ではなく、時間である。


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    イギリスドライブ紀行(2)  930924 /940428/950526                    

    2 いよいよ出発

       成田エクスプレス成田空港離陸

     

    成田エクスプレス

     出発前夜、家族と、アメリカから来ている妻の妹一家から壮行会をやって貰った後、 最後のパッキングに取り組んだ。夏とはいえ、北緯五二度から五八度にわたる地域をド ライブするとなると、持っていくべき衣類にも、いろいろ想像力を働かせなければなら ない。随分前から準備していたはずが、やはり、最後の最後にならなければ決まらない 持ち物も出てくる。携行する八ミリビデオのカメラ用のバッグにしても、たまたまその 日の昼間、デパートに行き、二週間前のゴルフ大会でニア・ピン賞の賞品に貰った風呂 で使う時計が壊れていたので修理に出したところ、隣の売り場で、中古カメラのセール をやっており、興味半分覗いたら、ヘビーデューティーのカメラ携帯用のリュックサッ クがほぼ半値で売られており、これさいわいと買い込んできた代物である。八ミリカメ ラを動かすとなると、両手が空いているに越したことはない。ヘビーデューティだから 、多少乱暴に扱ってもへこたれまい。上下二段に分かれており、これまで持っていくつ もりだった専用の肩掛け型のキャリーバッグより収容能力がまさるから、別の小型バッ グに入れていく予定だった貴重品とか、機内用の細々した携帯品も十分収容できる。滑 り込みセーフの形でなんとおあつらえ向きのものが手に入ったことか。 忘れ物はないか、最後のチェックをして、結局寝床に入ったのは、午前零時半。翌朝 は、五時の目覚ましを掛けた。しかし、聞き逃したらなどと思うとなかなか寝つけない 。寝たか寝ないか判然としないまま、五時の目覚ましがけたたましく鳴り、この日だけ は、諦めよくさっと寝床を離れた。  飛行機は、エコノミー・クラスのことゆえ、出発の二時間前に集合とのお達しである 。十時五十分発なのに八時半までに空港カウンターに着いていなければならない。六時 半少し前には、自宅を出る。玄関口に並んで、妻の両親が見送ってくれる。我々の旅行 中にアメリカに帰ることになっている妹夫婦も、その娘の小学四年のマリコも、盛んに 手を振る。全員寝ぼけ眼で、女性陣は、まだネグリジェのままだ。その間をかき分けて 、主人公役の妻が慌ただしく登場し、座り込んで靴を履く。八ミリビデオのカメラマン は、早速肩に担いだ新品のカメラリュックからカメラを取り出し、その様子をビデオに 収める。
    「まぁー撮ってたの、いやぁーねー」
    妻が慌ててスカートの裾を押さえる。
     小雨が降っている。 お揃いの大きなスーツケースが二つあるので、息子がJR新宿駅まで車で送ってくれ る。このライトブルーのスーツケースは二十年前、ポーランドへ赴任するとき買ったも ので、わが家の誰かが海外に行くとなると、決まって随行を務めた歴戦の雄であるが、 さすがにいささかくたびれが目立って来ており、中の止め具類も、千切れたり、緩んだ りしている。そればかりか、肝心の滑車の滑りが悪く、年老いたロバのように絶えずあ らぬ方向へ行こうとするので、手綱を操るには、いささかの腕力とコツを要する。この 際、買い換えようかとの話しも出たが、予算の関係もこれあり、最後のご奉公を努めて 貰うことになった。妻は、行く前から、この大きなスーツケースが、レンタカーのトラ ンクに二つ入るか心配しているのであるが、私は大丈夫だよと大見栄を切った。現地で 解明すべき、私の威信のかかった最初の懸案事項がこれなのである。
     新宿駅までは、車でわずか十分足らず。そこから成田エキスプレスで成田空港へ向か うのだ。新宿駅とはいうものの、いつもの新宿駅ではなく、南口の橋を越えたところに 新しく出来た新南口駅の方なのである。埼京線も乗り入れている。同じ新宿区の至近距 離に住んでいながらいつの間にかこんなところに、こんな大きな駅が出来たのかも知ら なかった。迂闊なものだ。入口の大きなエスカレーターの前で、主演女優とカメラマン が攻守所を替え、女優殿の手を煩わせ、カメラマンの映像を八ミリビデオに収めてもら う。ポーランド時代にも、旅行には、何時も八ミリカメラを携行し、ちゃんと記録を残 したものだが、カメラマン役の私がほとんど登場しないものだから、しばらく後で見る ときなど、当時小学生の娘や息子から、悲しいことに
    「パパは、旅行に一緒に行かなかったの」
    と何度も聞かれた。今回は、そんな弊を繰り返さないように、まず、忘れないうちに、 初っぱなでの登場を策した次第である。ポーランド時代の八ミリカメラは、当時の最新 式で音声も入るものであったが、まだビデオはなくフィルム時代で、わずか三分で現像 代を入れると二千円のコストがかかり、撮ったあとで継ぎ合わせるという面倒な作業が 必要だった。カメラも重かった。しかも、ワルシャワでは現像が出来ず、一月半に一回 回ってくる出張の際にウイーンまで持っていって現像しなければならなかった。それに 引換え、この八ミリビデオカメラは軽く、携行した百五十分のテープ二本で昔の3分分 のコストにしかならない。撮ったらその場で見られる。全く昔日の感がある。
     駅の入口で、映像に収まった際のカメラマンの服装と言えば、帽子を被り、背にリュ ックを背負い、ジャンバー姿、その下は、長袖のカジュアル・シャツである。飛行機の 中の冷房がきつい場合を想定して、初めから厚めに着込んでいる。暑ければ袖をまくり 上げればよいが、寒すぎる時には、軽装ではお手上げになる。足には、一時間に四キロ 歩けるを宣伝文句にしている、ウオーキング向きに開発された大きめの茶色の靴を履い ている。女優のほうは、上は白と紺の縞のTシャツ、下は黒のスカート。今朝、気づい たのだが、おニューの濃紺のガーメントバッグを携行されており、飛行機の中で羽織る セーター等は、その中に収めておられるらしい。この旅行を当て込んでちゃっかり買い 込んだものと見える。靴はスニーカー。
     女優は、ガーメントバックとハンドバックを携行しておいでだから、両手は塞がって いる。スーツケース二個はカメラマンが運ぶよりない。確かにリュックを背負えば両手 は空くので、打って付けだ。昨日の買い物の正当性は、直ちに証明された。二頭の仲の 悪い老ロバを宥めながら、長い階段を上がり下りしてプラットフォームにたどり着く。
     何も彼も新しい成田エキスプレス号に乗ると、四人掛けの指定席だった。われわれの 前は、女性の二人連れ、発車すると早速朝食のおにぎりを食べ初め、食べ終わると二人 とも寝てしまった。小さめの人は窓ガラスに首を傾げ、大きめの人は、通路側に首を傾 げている。どことなく顔つきが似ているので姉妹かもしれない。しかし、鼻筋は、小さ めの人が大きく、大きめの人が細いので違うかも知れない。  列車が、どんな順路で成田まで行くのか全く知らない。妻が千駄ヶ谷の駅を通り過ぎ たというので総武線でもなぞっているのかと思っていると、どうも様子が違う。違う筈 で妻が千駄ヶ谷にある東京都体育館と思ったのは、代々木体育館だった。山手線に沿っ て、品川回りで東京駅に入り、一路成田に向かうのである。新宿駅で朝食用に買ったお 握りに、きんぴらゴボウとニンジンとヒジキの煮しめという極めて日本的な食べ物を食 べ、温かい「午後の紅茶」を朝早くから飲む。妻のほうは、五時起きした直後にオープ ンサンドを作ってかきこんで来ている。起きしなにエネルギーを補給しないと動けない のだそうである。
     食べおわって、リュックから「信じられない航海」を引っ張りだす。旅行には、いつ も本を持っていく。適量ということがない。決まって多すぎるのだ。一行も読まずに帰 ってくることがある。今回は、妻というお目付役もいることだし、一冊に限定した。こ れは四五頁まで読んである。少なくとも今回だけは、前車の轍を踏みたくない。つまり 、一行も読まずに帰るという不名誉を重ねたくないので(しかも、妻と一緒の旅行で) 、さっそく読みはじめた。といきなり、四六頁に極めて啓示的な叙述があった。紅海の 荒波と強風と暗礁だらけの海、回りには海賊やテロリストの徘徊する海を、一四昼夜か け、わずか、三八フィートのバーバラ号で乗り切ったときの話である。乗り組んでいる のは筆者と助手のコンラッドとの二人だけ。ろくろく眠らず、この長丁場を耐え抜くの である。われわれの旅もちょうど一四昼夜であるけれど、彼らの旅を思えば、前途にい かなる困難が待ち伏せしていようと、なにごとにも耐えられるだろう。本を読みながら 、心は早くもイギリスに飛ぶのであるが、まず、突破しなければならない難関がふたつ ある。成田空港と十四時間の長旅である。この二つがなければ、旅はどれほど快適なも のになることだろう。  しばらくすると前の席の二人連れは、目を覚ました。どちらからともなく、話しはじ める。やはり、姉妹で、初めて東南アジアへ海外旅行に行くのだという。兄弟が多く、 皆を誘ったがなかなか折り合いがつかず、二人だけで行くことになった。だからちょっ ぴり心配らしい。言外に滲み出ている。

     成田空港

    成田空港は、例によってごった返している。国際空港としては、いかにも手狭である 。妻は、この空港には、出迎えや見送りに来たことはあっても、一度も乗り降りしたこ とがない。思い出すと、わが家が、三年間のポーランドでの海外勤務を終え、十八年前 に帰国する年にこの空港はオープンしたのである。現地で最初帰りの切符を買った時に は、成田に着く筈だった。ところがある日ポーランドのテレビニュースを見ていると覆 面をした男どもが、航空管制塔らしきものをめっちゃくちゃに叩き壊している様子が写 し出されている。どうも、日本のことらしいと思って見ていると、それが赤軍派による 成田空港に対するテロ行為だった。そのため、成田空港の開場が延期され、我々は結局 羽田空港に着くことになった。当時まだ小学生だった子供二人を連れて慣れない成田か ら新宿のわが家へ帰るのに比べれば、勝手の分かった羽田から帰る苦労は、半分にも当 たるまい。

    「あのときは、赤軍派のお蔭で大変楽な目をさせてもらったわね」

    妻が、懐かしそうに言う。
     チェック・インの手続きをしようとすると二時間以上も前だというのに人が溢れてい る。二時間前集合のお達しを良心的に守る善良な人々の群れである。ナンバー七の窓口 はグループ用と掲示がしてあり、二三人しか並んでいないのに、ナンバー五、六にはわ んさか人がいる。ナンバー七のところに行くと、ここは団体の代表者用の窓口である。 荷物がなければ受け付けてもいい。荷物はないわけではないのですが・・・と口籠もる と、じゃー受け付けましょうとたちまち前言を翻す。少々納得のいかない話だが、遠慮 する必要もない。ナンバー七で受け付けて貰うと、わたしの真似をして直ぐ後ろに、た ちまち人の行列が出来た。  例によって無愛想な出国管理官の審査を経て出国、ナンバー三六ゲートのところに着 いたのが、出発一時間半前で、ちょうどわれわれが乗るVA(ヴァージン・アトランテ ィック)機が着いたところと見えて客がぞろぞろ下りてくる。二週間後にこの便で、わ れわれも日本に帰って来るのである。
     所在無いから、ロビーの様子や、乗っていくヴァージン号の機体に書かれた赤い服を 着た若い女性の絵やらロゴやらを八ミリに撮ったり、コーヒーを飲んだり、『信じられ ない航海』の先を読んだりして過ごす。回りはいつのまにやら、ヴァージンのクルーで びっしりになった。なにせ、一番早いご到着だったものだから、いつもは座ったことも ない、ゲートに一番近いところに座っているせいである。航空機に書かれたのと同じ真 っ赤なスーツのスチュワーデスが日本人組とその他組に別れてグループを作っている。 直ぐ後ろの背中合わせになっている椅子の反対側に、客らしい二人の若い女性が腰掛け て、大きな声で話しだした。
    「ここ禁煙かしら」
    「ええ、禁煙ですよ」
    妻が、答えた。 煙草を吸いたがったほうの女性が、
    「わたしねぇ、いま、二人のボーイフレンドと付き合っているの」
    「へぇー、二人もいても平気なんですか」
    少々まじめそうな感じの女性が聞き返す。
    「どうって、ことはないわよ。わたしね、男の人は、ちょっと崩れた感じでも、根が真 面目な人が好きなの・・・」
    少々露骨なことも平気で喋りだした。
     やっと改札時間になって、ゲートに並ぶと搭乗券といっしょにパスポートも見せるよ うにと言っている。これまで何回も海外旅行しながら、胴巻きスタイルのマネーベルト など使ったことがないのに、今回は、買い入れたのである。背広でなくて、ジャンバー スタイルの服装だから、貴重品を入れるポケットがないことに加えて、久しぶりの妻と の旅行でもあるし、絶対安全を期さなければならないという気も手伝ってのことだ。先 程トイレに行った際に、パスポートもそこに入れてしまったのである。まさか他人の前 でそこから引っ張りだすわけにもいかない。せっかく一番先頭近くに並びながら、戦列 を離脱せざるを得なくなった。妻はあきれて、
    「旅なれているんじゃなかったの」

    離陸

    ジャンボ機は、予定通り飛び上がった。 離陸して、シートベルト・サインが消えるのを待ちかねるようにして、一列前がちょ うど運良く、通路を挟んで両側が、三つ続きで空いていたので、妻ともども、そこへ席 を移した。これは役所に勤めていたころ、安いパック料金でよく海外出張を命じられ、 たまに空いた席があるときなど、そこに早めに陣取って、横になって行ったことが何度 かあったので、そのときのノウハウを応用したわけである。妻とは、通路を挟んだ形で 座ったので、話すのに不自由することはない。

     飛び立ってすぐに、ライトビールとおつまみが出、二時間後に昼食になった。洋食も 選べたが、わたしは日本食を選んだ。飲み物は赤ワイン。スペイン産の一九九〇年もの 。
     飛び立って七時間たったころから、気流が悪くなった。機体が激しく揺れ出したが、 トリスタン・ジョーンズの一四昼夜を思えば何ということはない。まるでセーリング日 和の海を行くようなものだ。「信じられない航海」ほどに、旅の伴侶にふさわしい本が あるだろうか。

     機内の冷房は効きすぎで、わたしなど長袖のシャツにジャンバーを着ているにもかか わらず、毛布を四枚も体に巻きつけている。
     日本の各紙のトップニュースは、読売も朝日も、コスモ証券が大和銀行の子会社にな るというもの。政治改革は小選挙区並立制をめぐって与党内にも意見の対立があり、調 整には手間取りそうと伝えている。夏の甲子園の高校野球は、一回戦がほぼ終わり二回 戦の組み合わせが決まったところ。円はまさしく一ドル百円の時代だ。百一円台に突入 している。銀行や都内のホテルの両替レートは一ドル九九円台と報じている。まさしく 海外旅行のチャンスだ。一ポンドは一五四円三七銭。昨年の三月現在で二三〇円してい たのである。さて、しばらくは日本の新聞とはお別れの日が続くことになる。 バーバラ号のキャビンよりも狭いエコノミークラスの座席に押し込まれたまま、ブロ イラーよろしく、食べさせられては寝むり、起こされては食べさせられて、その間に、 本や新聞を読み、座席に着いている小型ビデオを見つつ、苦役の一四時間をなんとか乗 り切って、予定の時間ぴったりにヒースロー空港に安着した。機内の放送によると、ヒ ースローの気温は二五度C。四枚もの毛布にくるまっていた私も一安心した。


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    イギリスドライブ紀行(3)  930924 /940428/950526

     3 マーロウでの第一夜

          ヒースロー空港レンタカーマーロウ

     

       ヒースロー空港

    スチュワーデスにお別れを言って、機を下り、ヒースローの長い曲がりくねった通路 を標識に導かれて進むと、入国管理の大きな部屋に出た。行列の最後に並ぶと、先頭の 人のところに太った女性が腰を下ろしていて、一人一人に二〇番の所へ行け、二四番の 所へ行けと指示を出している。われわれの番になって二六番の所へ行けと言われたので 、妻を先に行かせたら家族は一緒に行けと言う。二六番は中年の小柄な男性の入国審査 官である。
    「今日は」
    パスポートと入国カードを差し出すと、英語は話すかと聞く。
    「ほんのチョッピリだけ」
    「どのくらい滞在の予定か」
    「二週間」
    「ホリデイか」
    「そうです。ドライブでスコットランドまで行くつもりである」
    「それはいいな。これまでもイギリスに来たことはあるのか」
    「セベラル・タイムズ」
    「そうか。それじゃ、素敵なホリディを過ごして下さい」
    と、ニッコリ。
    「ありがとう。バイバイ」
     ニコヤカに入国して、預けた手荷物が出てくるのを待つ。回りのボードにEC諸国の 免税の範囲が書かれている。酒○○CC.まで香水○○オンスまで無税などと書いてあ る。その直ぐ下に、TOILET WATER ○○ミリグラムまでとの表示がある。 これは、オーデコロンなどの化粧水をさすのであろう。トイレットの水と言うのかと、 妻とともに感心する。やっと、お揃いのライトブルーのスーツケースが出てきたので、 カートに積んで、NOTHING TO DECLARE( 申告品無し) の方へ行くと 、係員もまばらで、一人だけスーツケースを開けさせられて調べられている人がいる。
     外へ出ると、出迎えの人がいっぱい。顔つきも人種も実に様々だ。にこっとするとにこ っと笑い返す。手に、出迎えの人の名を書いたカードを持った人も何人かいる。そこか ら、首を長くして見渡すと黄色がよく目立つハーツのデスクは左手の直ぐ近いところに ある。そこに行くと誰もいない。デスクの上に、係員がいないときには電話するように とのメッセージが置かれている。電話すると、
    「予約はしてあるのか」
    「してある」
    「名前は」
    人定質問されて、その場で待つように言われる。ほんのしばらく待つと小太りの男が現 れて、一緒に付いてくるようにと言い、カートを押してくれる。この男は連絡バスの運 転手で、空港の建物を出たところにレンタカー各社の小型バスが待機している。その中 に黄色でハーツと大書したバスもある。乗り込むと、先客がいる。よく日に焼けた男二 人女三人のグループである。今日はと挨拶すると、今日はと威勢のいい挨拶が帰ってき た。
     ハーツの事務所に行く道すがら、話が弾む。一行は、マン島での一週間の休暇を楽し んできた帰りとのこと。三〇代とおぼしき夫婦と、六〇代とおぼしき夫側の両親と妻側 の母親の組み合わせらしい。もっぱら話すのは、若い息子だ。これからどこへ行くのか と聞かれたので、スコットランドのスカイ島まで行くつもりだと答えると、自分も行 ったことがある、素晴らしいところだという。私にイギリスでロンドン以外で他にも行 ったことがあるかと尋ねるので、南海岸のイーストバーンやドーバーにも行ったことが あるというと、自分たちの一家はその丁度まんなかあたりの海岸沿いの町に住んでいる という。ヘイステイングなら行ったことがあるがその近くかと聞くとその通りだという 。皆、潮風に焼かれたような純朴な顔つきをしているのはそのせいらしい。男組は二人 とも腕に刺青を入れている。
    「いやー、一週間、すっかり親父とおふくろの面倒をみちゃってさ」
    「ご両親はそうは思っていないかもしれませんよ」
    「そうさな、わしらが、お相手してやったのさ」
    親父さんがまぜっかえす。みんなで、賑やかに笑う。なかなか、仲のいい家族である。

    レンタカー

     ハーツの事務所は、二階建てで、直線的な作りの建物だ。壁に大きく黄色の「HER TZ」と看板が掛かっている。わたしの相手をしてくれたのは、細面で顔中シミのある 三十代の女性である。トンボの目玉よりも大きな眼鏡をかけていて、物静かな喋り方を する。ちゃんと、予約がはいっていて、エディンバラ空港で乗り捨てることを含めて手 続きは手際よく進む。保険はどうするのかというので、フルでお願いすると、出来上が った一枚の書面のCDW(自動車両損害支払い保険)PAI(搭乗者障害保険)TP( 盗難保険)と書いたそれぞれの脇と、レンタル契約のために一番したのところと四箇所 も署名をさせられる。署名が終わると、契約書と地図と、車のナンバーのメモとをくれ 、建物を出て真っ直ぐ進んだ右手に車がある、キーも付いているのでそれに乗っていっ てくれという。それだけである。案内もしない。この一枚の地図で間に合うのかときい ても間に合う筈だとの答え。メモしていったAA(AUTOMOBIL ASSOCI ATION)のBIG ROADATLAS BRITAINは別に必要でもないらし い。
     いわれたところに、真っ白のアウディ80がちゃんと駐車している。確かに、キーも 付いている。早速、スーツケースを後ろのトランクに入れようとすると、開かない。近 くにいたバスの運転手に頼むが、それでも開かない。もう一人の男の人がやるとやっと 開いた。左に捩じってぽっと押すのがこつのようだ。日本車のように、車の中でバーを 引くと開く仕掛けにはなっていない。ところで、懸案のスーツケースは、二つすんなり とトランクに収まり、大見栄を切って手前、とりあえず、胸をなで下ろす。  さて、エンジンは一発でかかったものの、オートのチェンジレバーが動かない。日本 車と違って、ギアのレバーを動かす溝が真っ直ぐでない。幾つもの半円を組み合わせた ような形で曲線を描いている。さきほど助けてくれた男の人に再度助けを求める。その 人もがじゃがじゃやってみて、バックに入れるときレバーの上の握りの部分を下に引か なければならない事を発見した。日本車と一番違っているのは、方向指示器とワイパー を動かすレバーの位置が左右反対に付いていることである。そのせいで、これから何度 左右に曲がろうとするたびに、いきなりワイパーがフロントガラスの上を狂ったように 動き出し、ぎょっとさせられたことか。  アクセルを踏み込むと車は順調に滑りだす。総走行距離は七三〇〇マイルとなってい る。まだ比較的新しい車である。ハーツの駐車場を出るところで書類を見せるようにな っている。そこでM4(MOTOR WAY NO.4)号線までの順路を聞くと親切 に地図を書いてくれた。出てすぐのところに、早速ラウンド・アバウト日本流に言えば 、ロータリー方式の交差点が出てきた。原則は右からの車優先というそれだけ。あまり 混んでいない。実地訓練にはもってこいだった。道路標識は的確なので、順調にM4に 乗る。
    「ブラボー」
    もう、イギリスを走っているのだ。空は青く、時刻は五時近いが、サマータイム制をと っていることでもあり、太陽はまだ高い。土地が平たいので大きな空が広がっている。 実に気持ちがいい。最初はモーターウエイの制限速度七〇マイルを守って、道路の様子 、他の運転手のマナーをじっくり見守る。時差ぼけの頭で速度を出しすぎればろくなこ とはない。
     ところで、今夜は、どこで泊まることにするか。 私には腹案がふたつあった。一つはマーロウ(MARLOW)。これはテムズ河沿い の美しい町で、いつぞや河に面したコンプリート・アングレー・ホテルという綺麗なホ テルのレストランで昼食を食べた思い出がある。そこならヒースローからさして遠くな いし、カースル・クームへの順路でもある。そこで適当な宿が見つからなかったら、そ れよりすこし先のヘンリー・アポン・テムズまで行って見るつもりである。その当たり がテムズ河は、一番広くなっておりなかなか眺めがいいらしい。M4を降りて、A30 8号線からA404号線を進む。
     イギリスの道には整然と道路番号が付いていて、極めてわかりやすい。Mが自動車用 高速道路で、制限速度が七十マイル、サインはブルーの標識である。Aは国道一級線で 三桁までの数字がある。二桁までのA道路の制限速度は、Mと同じ七十マイル、その他 が六十マイルで、サインはグリーンの標識。Bは二級道路で三桁と四桁の道路番号がつ く。制限速度は三十マイルで、サインは白地に黒字である。
     マーロウへ降りる直前にテムズ河を越す。越して左側に降りたので、勘を頼りに、市 のセンターへの表示を左へ左へと辿っていくと、目抜き通りを通り過ぎたあたりに白い 大きな古い橋が見えてきた。それがテムズ河を渡る橋に違いない。と思って橋に差しか かると忘れもしないコンプリート・アングラー・ホテルが左手の対岸に見えてくるでは ないか。勘がドンピシャリ的中したので、なによりもほっとする。妻も景色の素晴らし さに、声を飲んでいる。是非この近くに泊まりたいというので、橋を通り過ぎ、その道 沿いの宿泊施設をあたってみることにする。時刻は五時半をさしている。

    マーロウ

     マーロウ大橋を通り越しほんのすこし行ったところに、なんとかハウスとか、アコモ デーションと書かれた看板のある家がある。これも宿泊施設らしいなと思いながらもう すこしいくと、暫く畑が続いた後に、BULL INN HOUSEと家の壁に大きく 書いた建物が見えてきた。レストランと書いてある。INNとも看板に書いてあるから には、宿屋も兼ねているに違いない。通り過ぎて、左手に新たに宿泊施設らしいものの 一群が見えてきたので、左折して小さな小道に車を乗り入れる。しかし、どうも違う様 子なので、先程のINNに行ってみようともとの表道に戻る。と、ちょっと道路の向か い側にも細い道路があるので、そこへ車を乗り入れる。妻は呆れて、どこへ行くのよ。 もう、時間も遅いのよ、早く泊まるところをさがしましょうよ、と顔を引きつらせる。 まさしく横道に入ってみたものの、林や畑が続くばかりで人家はなかなか出てこない。 妻の顔がますます険悪になるのを片目に、Uターンする気にもなれず、行き着くところ まで行ってみようと、車を走らせると、鬱蒼たる樹木と花々に取り囲まれた大きな建物 が幾つも出てきた。なになにコッテージと書かれており、どうも、長期滞在用の私的な 施設のようだ。ひっそりと他人の進入を拒むようなたたずまいなので、なんとなく、入 って行って、部屋がありますかと尋ねるのがためらわれる。そこからUターンし、先程 のINNに引き返す。建物の左手の大きな駐車場に乗り入れ、降りていくと丁度建物の 裏口から若い男が出てきた。
     泊まる部屋はあるかと尋ねると、ここはレストランだけで、宿泊はやっていないとい う。ツーリスト・インフォメーションのある所を聞くと、マーロウ大橋の手前を右に曲 がったところにあるという。この近くにB&Bみたいな宿泊施設はないかと聞くと、自 分は知らないがといいながらも、丁度そこにやってきた二人の若い男に声を掛けてくれ た。二人のうちの一人が、知っているという。マーロウ大橋からこちらに向けて二三百 =来たところに数軒ある、自分が、カードを持っているので取ってきてあげるという。
     名刺よりすこし大きめのカードを貰って、さきほどの看板を出していた建物に違いな いと見当を付けて引き返すと、その辺りに、「THE COUNTRY HOUSE   ACCOMODATION」と上品な真四角に近い看板を出した赤屋根で真っ白い漆 喰の二階屋がある。煙突が四本も出ている。その前に車を止めて入っていく。前庭は、 かなり広く色彩鮮やかな花壇と植え込みがある。建物の後ろには、更に大きな庭がある のが、鋳鉄製の木戸を通して見える。そこに、芥子色のワンピースを着た堂々たる体躯 の女性が、すっと立って花の手入れをしている。私が入っていくと、口許に微笑が浮ん た。これは脈があるとぴんときた。
     今晩一夜、夫婦で泊まりたいがツインの部屋はあるかと尋ねると、案の定、えぇーあ りますよとの答え、二人で朝食付きで七八ポンドの部屋という。それじゃ、部屋を見せ て貰えますかと聞くと、どうぞと言う。妻を呼んできて、二階にあるその部屋を見ると 、清潔で、スペースも十分ある。窓のカーテンとベッドカバーと、スタンドの笠とシャ ンデリアの笠との模様がコーディネイトしている。枕元の壁には、花を持つ少女の絵が 掛かっている。本棚には、バイブルはもちろんのこと、ジョン・ル・カレの推理小説な ども並んでいる。バスタブは付いていないが、シャワーやトイレは付いている。塵ひと つなく、どこも清潔である。もちろん妻も気に入った。
     車を前庭の駐車場に留め、例のお揃いのスーツケースを運び込む。女主人が手伝って くれる。娘さんは三年間東京に行っていたことがあるのだそうだ。なかなか知的な、感 じのいい女性である。ゲストの記録簿には、漢字で書いてくれという。廊下の壁にも、 大小様々の絵がかけてある。部屋は四号室。階段を上がって右手の突き当たりにあり、 表通り側に面している。窓からは、手入れの行き届いた前庭とわれわれが行き来した道 路とその向こうの家並みと大きな樹々がみえる。
     イギリス第一夜にふさわしい部屋も見つかり、やっと一安心。スーツケースを開き、 衣類を衣装たんすに移す。八ミリビデオのカメラのバッテリーを充電するために持って きたソケットの三つ足のアダブターがうまくいくか試すと、問題ない。充電中を示す橙 色のランプがゆっくり点滅し始める。
     軽く夕食を取ろうというので、服も着替えず、外に出た。まだ明るい。
     後ろの庭に行って見ると、本当に大きい。芝地がたっぷりあって、回りに大きな木が うわっている。種類も多い。家屋の回りには、花壇があり、色とりどりの花が咲いてい る。レイアウトが、実にうまい。周囲の緑と赤と白の建物のコントラストが美しい。裏 庭の向こうは、生け垣一つで、広大な牧場にそのまま繋がっており、遠くに牛が寝そべ っている。さらにその向こうに高速道路があるらしい。車が盛んに行き来するのが、小 さく見える。
     表門にも、大きな花鉢が、取りつけられており、ふた抱えはある白と黄色を基調とし た花々の束が、溢れ出るようにたれさっがている。「THE COUNTRY HOU SE」と彫りこんだ大理石のプレートが赤い煉瓦の塀に埋め込まれている。表通りに面 した近所の家々もどっしりと大きく、屋根の形もそれぞれに異なっていて風格がある。 藁葺きの屋根もある。生け垣を花々で彩り、花壇を個性的な色のとりあわせで飾ってい る。見上げるような大木が、歩道に笠を作っている。見ながら歩くと全く飽きない。
     泊まることにしたザ カントリー ハウスからマーロウ大橋の袂にある「THE C OMPLETE ANGLER HOTEL」は、思ったより近い。このホテルは、サ ー・アイザック・ウォルトルの同名の著書にあやかって名付けられているのだそうだ。 十七世紀に書かれたもので、訳名は、「釣魚大全」。釣人の古典らしく、同書のゆかり の地とあって、マーロウは釣りファンには見逃せない名所らしい。
     マーロウ大橋から眺めるこのホテルやテムズ河の眺めは飽きることがない。右手にホ テルを見、白い大型のボートが三隻ほどもやっているが、その先にある堰の白い波の立 てる音が辺りに響いている。ホテルの庭先で、緑の芝生と花々に囲まれ、目の前のテム ズ河を眺めながら、ゆっくりと夕食をとっている人達がいる。河の左岸には古い教会が ある。庭は墓地で、様々な形をした墓石の前には、花が飾ってある。反対側に首を回せ ば、ゆったりと流れる河面に、白鳥や鴨が戯れ、釣り竿を垂らしている人もいる。白い 橋も、釣り下げられた幾つもの大きな花の生鉢で飾られている。
     橋を過ぎてすぐのところに、第一次世界大戦の無名戦死の慰霊塔がある。そこから、 古い目抜き通りが始まっている。妻には、久し振りの海外ということで、ウインドウの 飾りつけ一つも新鮮に映るらしい。もう、店は閉まっているが、
    「まあ素敵」
    感嘆の声を上げている。たしかに、飾り付けひとつも伝統の見事さが感じられる。品物 の値段は安い。不動産屋も多く、ショーウインドウに売家の写真を沢山並べている。そ の値段も驚くほど安い。目抜き通りをひとあたりウインドショッピングして、商店街が 切れかかったところろから引き返す。歩きながらビデオを撮っていたら、後ろから来た 三人娘が、私達を撮ってくれという。撮ってやりながら、歳は幾つかと尋ねると
    「フォーティーン」
    声を揃えて叫び、ちょっぴり恥ずかしそうな顔をして元気良く通り過ぎていった。体が 大きく、顔つきもませていたから、もう少し年上に見えた。

     橋の近くに、大きな公園があった。緑の芝地が広がり、大きな樹木がいくつも聳えて いる。七時半になっているが、公園の一角に設けられた遊戯施設では子供が遊び、ベン チでは人々が寛いでいる。河岸に出て、橋に向かって河沿いに歩く。水鳥に餌をやって いる人、釣りをしている人、のんびり河面を眺めている人、人様々。考えてみると、今 は、夏の土曜日の夕刻なのだ。河の両側に大きな建物が立っているが、こちら側の橋に 近い建物は、マンションだろうか。対岸のはどうもコッテージのようだ。

     アングラー・ホテルで夕食を取ろうと入っていくと、入口の案内係の男性にご宿泊の 方ですかと聞かれる。そうではないと答えると、あいにく満席でしてという。確かに中 はかなり人が多い。土曜のこの時間である。無理もない。近くにいい店はないか尋ねる と、親切にイタリアや、インドや中華料理店を紹介してくれる。もっともイギリス料理 らしい料理を食べさせる、お勧めの店はないか尋ねると、「BULL INN HOU SE RESTAURANT」が評判がいいという。歩いても、半マイル程度だと付け 加える。

     さきほど、道を尋ねたレストランである。それではと、ホテルを出て左へ歩き始め、 ザ カントリー ハウスを通り越して、歩き続けるが、半マイルの筈がなかなか遠い。 両側が畑の所に出て、人家が見えるのは、遥か先である。牧草地特有の鼻を刺激する匂 いがする。車で走った時の感覚では相当ある感じだった。帰りは真っ暗になるだろうし 、要らざる危険に身を晒すこともない。半マイルのことだし、そのまま歩こうという妻 を説得して引き返し、車で行く。車で行けばアルコールはあまり飲めない事にはなるが 。引き返したのは正解だった。歩けば優に三十分はかかったろう。

     先程、空に近かった駐車場が、かなり埋まっている。人気の高いレストランに違いな い。入って行くと、先ずバーで一杯やりますかという。バーの女性も美人で、ニッコリ 笑い掛けるので、それも悪くはないと思うが、車でしかも妻と来ているのだ。私が答え るよりもなによりも先に妻はレストランにずんずん入っていってしまった。  先ほど道を聞いたウェイターがいて、ニッコリする。

    「また、やって来ました。さっき教えてもらった所に宿をとりました」

    「それは、よかった」

     一番奥の、二人掛け用のテーブルに通される。隣の席には、老婦人が二人、ゆっくり と食事をとっている。入って行くと、にっこりうなずいてくれる。まだ、空席がかなり ある。  アルコールはほどほどにと言うことで、ワインは明日回しにして、私はビターを半パ イント、妻はマイルドなビールを注文する。オードブルは私は野菜スープ、妻はシーフ ードサラダ。メインは妻がどうしても食べたかったというドーバーソールをそれぞれの 好みの料理法で選ぶ。わたしは、アルファン五世風とかでトマトソース味。妻のはマッ シュルームと海老のソース。皿が、横三五=縦が二〇=もあり、魚自体が大きいだけで なく、突き合わせも、ポテトだけでも、マッシュしたもの、スライスしたものに丸のま まのものが二つ、それにブロッコリーにカリフラワーがたっぷりついている。

     食事の途中に、ウエィターがどうか、美味しいか、なにかもっとやって欲しいことは ないかと、聞きに来る。美味しい、満足していると答えると、いいお食事をと言って、 引き下がる。いつの間にか、ほとんどの席が埋まり、笑い声や会話の声が、低く高く辺 りを取り囲み、くつろいだ雰囲気である。

     料理は、なかなかいけるのだけど、ボリュームが凄い。時刻が現地時間で午後九時を 回っている。日本時間で同じ日の午前五時起きしたのだから、それから二四時間たって いる。疲れも出てきた。二人で、ちょうど一人分ほど残してしまった。もう、これ以上 入れる余地はない。ウェイターに会計を頼むと、

    「えつ」

    と大袈裟に驚き、

    「デザートは食べないのか。イギリスには特製のアップルパイがあるのに」

    「なにせ、つい、五時間前にヒースロー空港に着き、レンタカーでやって来たところだ 。今朝日本を発ったばかりなので、一昼夜ろくろく眠っていない。機内では四度も食事 が出て、胃袋が参っている。次には絶対食べるから」 「なるほど、そうか、良く分かった」

     外は、もうすっかり暗くなっている。ビール一杯分のアルコールに敬意を表し、安全 運転に徹して、ザ カントリー ハウスに帰ると、庭に明かりがパッと点く。自動点灯 の仕掛けになっている。シャワーを浴び、イギリス第一夜の最後の締めくくりの行事も 済ませて、深い眠りの穴の中に吸い込まれるように落ち込む。午後十時三十分。

     翌朝は、早めに目を覚ましたので、朝食の前に散歩する。後ろの庭を歩くと、木に鳥 が来ている。枝の陰になってどんな鳥だかよく見えない。  ひいらぎの葉は大きく、艶やかに輝いている。

    「こんな鮮やかなひいらぎの葉を見たことないわ。空気が綺麗だとこんな色しているの ね」

    妻が感心する。両隣の家も、同じ位大きな庭があり、左手の方の庭には、色鮮やかな、 テーブルと椅子のセットが置いてある。どちらも、宿泊客をとっているらしい。  表道路に出るとその丁度向かいのあたりに、小道があるので、ほんのちょっと覗いて みようと入り込むと、実に奥が深いのだ。妻が、

    「北海道大学のポプラ並木も真っ青ね」

    というほど、天を衝くような大きな栃の木の並木である。泊まったハウスに劣らず、そ れぞれ個性的な花で飾った大きな家が次々と出てくる。一番奥は、テムズ河の河畔に立 っていた大きなコッテージに繋がっている。まさしく、イギリスの奥の深さを思い知ら された最初の場面だった。

     ある家では、主人とおぼしき男性が玄関の回りの花壇の花に大きなジョロで水をやっ ている。玄関のテラスには真っ黒の猫がいる。八ミリカメラを回しながら、わたしが

    「ニャオー」

    と呼び掛けると、

    「ミャオー」

    と間髪をいれず応え、すっと立ち上がり、十五ヤードの距離をおっとりした足取りで、 やってきた。妻が喉を撫ぜてやると、長い尻尾をくねらせて、じゃれる。可愛いもので ある。日本で習い覚えたわたしの猫語が通じたのだ。猫語は万国共通と見える。  マーロウ大橋のところまで行くと、カイヤックの手入れをしている。だれも実に薄着 だ。わたしが長袖のウールのシャツの上にジャンバーを着ているのに、ランニングシャ ツ一枚と半ズボンだけの人さえいる。朝刊を買って帰る二人連れの男性も、半袖のシャ ツだけである。アングラー・ホテルの中に入って行くと、白い大きな犬を連れた婦人が 通り掛かる。いきなり犬が走り出し、芝地の植え込みの傍らで腰を高く持ち上げた恰好 でしゃがみこむ。

    「The Nature is calling.」

    わたしが言うと

    「Yah」

    婦人も、頬を緩める。 

      婦人は、ホテルの裏に回って、堰のあるところまで歩いて行く。われわれは右手の 駐車場の後ろの花畑に咲いている花を見に行く。ホテルの切り花にでも使うのだろうか 、同じ種類の白っぽいピンクの花が、二列、ずうっと向こうまで咲いている。われわれ も堰を見ようとホテルの裏手に向かうと、さっきの婦人とすれ違った。すれ違い様、彼 女は、

    「Have a good look.」

    と微笑む。有り難うと微笑みを返す。それだけで、心が和む。  堰は轟々と音を立てている。白い泡を立てて水が、かなりの速度で流れていく。テム ズ河のゆったりした流れと対照的だ。                 

     散歩してハウスに戻ると、食堂では、朝食が始まっている。二組のグループが食 事をしている。籐の椅子に白いクロスのかかったテーブル。女主人は、今日は、上は白 のブラウス、下は黒のズボンで、朝らしい軽快な服装だ。

     食事は、まず大きなテーブルの上に置かれた、ジュース類、ミルク、ヨーグルト、シ リアル類をそれぞれ、自分のテーブルに持って来て飲んだり食べたりすることから始ま る。食べていると、まだ、十代の半ばぐらいの小柄の女の子が注文を取りに来た。コン ティネンタル・ブレックファーストかイングリッシュ・ブレックファーストか聞く。後 者と答えると、紅茶にするか、コーヒーにするか尋ねる。妻がコーヒーで私が紅茶を頼 む。しばらく待つと、大きな皿いっぱいに、焼いたベーコン、ソーセージ、フライエッ グ、焼きトマト、マッシュルームが来る。トーストは薄く三角形に切られ、トースト立 てに立てられている。こんがり焼き目がついていて食べきれないほど枚数が多い。その 後大きなポットで紅茶が運ばれてくる。紅茶には、これまたおおきなミルク入れに満々 とした冷たいミルクとポットにお湯がついてくる。コーヒーは、浸出式といわれるコー ヒー沸かし器にたっぷり持って来られる。容器には六杯分のサイズと書いてある。温め たミルクもポットいっぱいついて来る。この紅茶に冷たいミルクとお湯、コーヒーに温 めたミルクの組み合わせは、イギリス中どこに行っても変わらなかった。

     今朝の起きしなに、妻がしみじみ言ったものだ。

    「昨夜の食事で、私達が初めてポーランドに行った時のことを思い出したわ。最初はあ の凄い分量に全く歯が立たなかったのに、帰国する頃にはなんとか食べれるようになっ たのよね」

     朝から、昨夜並、ポーランド並の食事である。慌てず、ゆっくり食べる。紅茶は本場 だけあって、確かにうまい。この味には、イギリスに来るたび感心する。空気が乾燥し ているせいか、ぐいぐいと何杯も飲める。紅茶は冷たいミルクと確かに良く合う。

     給仕役の女の子がやって来て、美味しいか、ほかになにかご注文はないかと尋ねる。 昨夜のレストランのウエイターもそうだったが、これもイギリス、どこでも同じだった 。

     食堂は、回りがガラス張りでサンルームのようになっており、裏庭の方へ突き出てい て、眺めがいい。室内も花の鉢などで飾られている。天井には裏側から、白のキャンバ ス地が紐で張られ、太陽光線が直接射し込まないようにしてある。明るくて、感じがい い。

     十一時過ぎ、The Country House を発つ。女主人に挨拶して、妻 が部屋の鍵を返すつもりで、自動車のキーを差し出す。私がワケを解きあかす。 「彼女は、あまり幸せ過ぎて、何も考えられなくなったのです」 女主人も大笑い。ハッピーな別れだった。本当に最初の宿泊地として最高だった。


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    イギリスドライブ紀行(4)  930924 /940428/950526

      4 カースル・クームへ

         リーディングマナー・ハウス・ホテルフット・パスディナー朝食

     

      リーディング

     今日は、急ぐ旅ではない。宿はとってある。あまり遅くならない時刻に、カースル・ クームに着きさえすればいい。そう思うと、第一夜の宿泊候補地としてマーロウの次ぎ に考えていたヘンリー・アポン・テムズにもちょっと、寄っていこうという気になった 。宿の前を走っているB4515道路をそのまま左へひたすら進めばいい。ヘンリーは 、テムズ河で一番河幅が広い辺りで、7月には、ロイヤル・レガッタが開催されるらし い。

     B4515に沿って進むとほどなく、ヘンリーに入った。道はやがてテムズ河の左 岸に沿って走る形になり、左手に大きな石の橋が見えてきた。橋の手前のところが、や や昇り坂になり、車でかなり混んでいる。とりあえず、その橋を渡って見たが、適当な 駐車場が見当たらない。橋を渡って近目の細い道に左折してしばらく行くと、やや向こ うに、河の眺めが利くところまで出た。そこに留まって、行き来する船や、河向こうの 古い町並みを眺め、もう一度、橋を渡り直した。渡ったすぐのところに、駐車場や、名 所の標識が出ているが、いちいち寄っていたらきりがないということで、そのままもと のB4515に戻った。

     M4に出るつもりでしばらく行くと、READINGという町に入った。ここも、テ ムズ河畔に発達した町と見えて、大きな石の橋がテムズ河を渡している。橋を渡って直 ぐ左手に、丁度駐車に手頃な道がある。入っていくとそこには、ホンダのヨーロッパ社 のビルがあった。お昼の時間になっていたので、駐車して、川縁をしばらく散歩するこ とにした。

     橋の袂に立っている建物は、クルージングの発着場である。乗ろうかと思って入って 行くと、午後の一時でないと出発しないらしい。それまで、まだ一時間少しある。その 建物の前に茶色の大きな船が係留されているが、それが、クルージング用の船なのであ ろう。河には大小さまざまの船が絶えず行き来している。デザインがそれぞれに凝って いて面白い。恐らく個人の船なのだろう。乗っているのは、夫婦らしい男女、父と娘、 若者のグループ、様々である。運転する中年男の側に、大きな犬が背筋をピンと延ばし て座っていたりする。河には、白鳥や鴨、鵞鳥もいて、直ぐそばまで寄ってくる。下流 には大きな中州も見える。マーロウ、ヘンリー、リーディング、どこにいっても、テム ズ河の水の量はたっぷりで、ゆったりと流れている。

     橋の反対側に行って見ると、緑の芝生と、大きな樹木の木立のある遊歩場になってい て、のんびりと人々がいこっている。今日は日曜日なのだ。移設式の遊園地がある。白 鳥や鴨の数は、それこそ数えきれないぐらいで、餌をもらったり、首を水の下に突っ込 んで藻を食べたりしている。

     幼い男の子が、白鳥に餌を投げ与えているので、私がビデオカメラを向ける。 「さあ、坊や、餌を投げてご覧」

    連れの母親や小母さんが大勢で取り囲んでいて、

    「さ、投げるのよ、さ、投げて」

    「あなたはラッキーだよ。こんなに小さいうちから映画スターだ」

    取り巻きのほうが、大騒ぎする。

     人々に混じって、ゆっくりと、歩いてみる。どこまで行っても緑の芝生が続く。そぞ ろ歩く人、釣りをしている人、のんびりとねっころがっている人、家族連れでお弁当を 開いている人、子供の手を両側から引いている若い夫婦、思い切り走り回っている子供 たち。岡に上がった白鳥の群れが、一心不乱に、草の葉っぱを食べている。食べた後は 芝刈機が通った後みたいになる。家族連れでボートを漕いでいる。ボートのフォアやエ イトのクルーが、矢のようなスピードで、水鳥の間を縫うようにして進む。ぶつかりそ うになっても鳥のほうは知らん顔なので、ボートのほうが慌てて減速する。大きな声で ピッチを指示しているのは、決まって若い女性である。貸しボート屋もある。半時間、 一時間、半日、一日の料金表がある。それほど、高くない。

     河の向こう岸には、大きな美しい建物が立ち、岸に面した庭をそれぞれ工夫を凝らし た花や樹で飾りたてている。箱庭のようだ。大きな宿泊施設らしい建物もあって、その 広い緑の庭で、憩っているグループの衣装が鮮やかである。

     白鳥の大群が長い行列をつくって川岸に沿って泳いでくる。バレー「白鳥の湖」を思 い出す。

     昼食を取ろうと、先程の大きな橋の中程から支橋でつながった小さな島にある「PI PERS ISLAND RESTAURANT」へ行く。PIPERは笛を吹く人の 意である。ほとんどレストランの建物だけで島は満杯であるが、小さな庭もあり、そこ にもテーブルが並び、若い人が食事をしている。そこがテラス。建物の一階がバー、二 階がレストランで、食事のメニュー、値段がそれぞれ違う。バーの入口の看板に、火曜 日は、カラオケ大会開催のポスターが貼ってある。  二階からの眺めはいい。船の二階の窓から眺めているのと変わらない。直ぐ下を河が 流れている。先程のクルージングの発着場とは逆の方向から眺めることになる。もう、 クルージングは始まっていて、今しも、船が、岸を離れようとしている。

     メインコースの値段が六・七五ポンド、ビーフとラムとポークのローストに、ヨーク シャープディング、ポテト、ニンジン、ブロッコリー、グリーンピースにハムと芥子、 ホースラディッシュなどの調味料。これを、どんな組み合わせでどれほど食べても値段 は同じなのだ。コックから熱々のビーフとラムを出来るだけ薄く切ってもらい、さらに それを妻と半分ずつにしてもらう。食べ過ぎを警戒しなければならない心境に早くもな っているのだ。デザートは別料金だが、アップルパイ(パイがすこし、日本のものと異 なる)とストロベリーにクリームをかけたものに、コーヒー。心地よい川風に当たりな がら、時間をかけてゆっくり食べる。下のテラスの若者たちの食事振りもよく見えるの だが、驚くほどの量を、軽くこなしている。今日は、とにかく、ゆっくりで行こう。

     レストランを出る前に手洗いに寄る。男性用は、ステンレス製の長い流し形式になっ ている。イギリスの公衆便所には、結構この形式が多かった。手を洗うと、温風器で手 を乾かす。どこに行っても、この機械が設置してある。稀に、回転式のタオルやペーパ ーが置いてある。お湯は必ずといっていいほど出る。どこも清潔である。ただ、トイレ の話のついでに付言しておくと、ホテルも含めて、水洗トイレのフラッシュが弱い。弱 々しく頼り無げに流れる。やり方のこつがあるのか知らないが、うまくやらないと、肝 心のものが流れないことがある。単純に、メカニズムが悪いのか、そこは何でも徹底的 に考えるイギリス人のことだから、あまり大きな音が立たないように配慮してのことか も知れない。狭いホテルで、夜半、起きだしたときなど、フラッシュの音が高すぎては 確かに困りはするが。

     リーディングは、橋を越えた方に市の中心があって、かなり大きな町である。古い教 会や歴史を感じさせる建物もあるし、ビジネス街らしい、近代的な建物の建った地域も ある。M4を目指して、道路標識を頼りに、市街地を走ったのだが、三叉路で右へ曲が るべきところを、車線を変えるのがすこし遅すぎて左に曲がらざるをえなくなってしま った。そのまま走っていたら、ちょっと前に見かけた建物が出てきた。そのまま進むと 先程の三叉路に戻ってきた。今度は余裕をもって車線を変え、右に曲がると、間違いな くM4へ通ずる道であった。

    マナー・ハウス・ホテル

     二度目のM4である。昨日は初乗りだったので、処女の如く、今日は二度目なので脱 兎の如く。アウディ80の実力を確かめる意味で、アクセルを踏み込むとあっと言う間 に百マイル出てしまう。調子に乗って更に踏み込むと百十マイルを越えてしまう。モー ター・ウエイの制限速度は七十マイルだが、規則を守るのは難しい。みんな、実にマナ ーがいい。ちょっとでも、後ろから抜きそうな勢いで近づくと、さっと左車線に入って くれる。ゆるやかな丘陵地帯をほぼ真っ直ぐに走っている、三百六十度視界の開けた高 速道路のほぼ九割方を、追越し車線で思い切り飛ばして、一路カースル・クームへ向か う。M4を降りるのは十七出口が目印だ。妻にも見逃さないように頼んでおく。出口番 号は、ブルーの道路標識の左下に黒字で書かれており、かなり前から表示が出てくるの で、見逃す心配はまずない。

     降りたらA429のはずが、A435に入り込み、一寸軌道修正に手間取ったが、目 指すB4039にたどり着き、二車線ののんびりした田舎道を走る。オールド・カース ル・クームと地名表示のあるあたりから、イギリスにしてはかなり急な下りの坂で道も 右左に曲がりくねっている。カジュアルな服装で坂を登って来る人たちとすれ違う。降 りきった辺りに、それまでの赤みを帯びた煉瓦の家と違って、薄い芥子色の石造りの家 並みが見える。その少し手前に、MANOR HOUSE HOTELは、次のインタ ーセクションを右折せよ、と表示がある。右側に細い道のある三叉路に差しかかったの で、そこを曲がろうとすると、妻が

    「こんなところかしら。四つ角でもないし」

    突然言いだす。後ろから車が来ていることだし、細い道からも左に曲がろうとしている 車もあることだし、人の数も結構多い。とりあえず、そこで曲がるのを見送って、先へ 進む。しかし、それらしき大きな四つ角はない。インターセクションは、交差点で別に 四つ角でなくてもいいんじゃないの。さっきのところでまちがいないよ。といいながら も、まだ、日は高い。近くの様子を知っておくのも無駄ではあるまいと、先に進む。た ちまち、家並みは途切れ、ほとんど一台の車しか進めない、昇り基調の山道に入る。左 に谷を見て、下りの坂に入り、くねくねした道を暫く行くと、かなり大きな道へ出た。 右へ行けばバースと表示が出ている。A420道路である。

     そこから、元の道を引き返す。先程の三叉路を左に折れて、少し進むと、石の塔に、 目指すホテルの表札が掛かっている。両脇に、古い石造りの二階屋の立ち並ぶ細い道を 進んでいくと、ゲートがあり、そこに男の人がたっている。ホテルの係の人のようだ。

    「予約はありますか、お名前は」

    名前を告げて、更に百メートルほど進むと、家並みが切れ、大きな樹の間に広々とした 芝地が見えてくる。道沿いに右に回ると、古い、蔦に覆われた黒ずんだ館が見える。せ いぜい三階建て程度の高さ、屋根は、三角屋根の鐘塔や煙突やらがくっついて複雑なス カイラインを形作っている。あまり大きくない。建物の後ろにはこんもり大きな樹が繁 っている。それがホテルの本館だった。マナーは荘園のことだから、マナー・ハウスは 、この地方の荘園主の館の意味である。そこがホテルに転用されているのだ。この本館 は十四世紀に建てられたものらしい。

     玄関先に車を止めると、ウエイターが待ち構えていて、荷物を運び、車のキーを預か って、駐車場へ入れておきますという。レセプションへ行くと、小さな平机の前に若い 女性が一人腰掛けている。にっこりと微笑み、

    「いらっしゃい」

    すでに私の名前の入った書類がデスクの上に用意されていて、これが部屋の鍵ですと渡 してくれる。渡しながら、今夜のディナーの予約はどうしますかと尋ねる。お願いする というと、時間を聞かれる。七時半を予約する。                    

      案内されたのは、階段を上がって直ぐ右手の部屋だった。建物の正面から見れ ば左側の角に当たるところ、蔦ですっぽり包まれて見えたあたり、この館の一番いい場 所を占めている。実に広い。大きなベッドが二つ、間にかなりのスペースをおいておい てあるのだが、部屋が大きいので、小さく感じるほどだ。大きな暖炉もある。調度品の 一つ一つが、時代色を帯びている。電話にしても、受話器と送話器が別々の古い形だ。 カーテンや、ベッド・カバーなどの装飾がいい。暖色系統の色でまとめてあるので、気 持ちが温かくなる。入って右手に二面の窓、正面が張り出し窓になっており、そこから 、広い芝生の庭が見渡せる。すぐ下のところを見下ろすと、喫茶用の木造りのテーブル ・セットがしつらえられていて、そこで、お客が、お茶を飲んでいる。髪をあげまきに 結った、白いエプロンのウエイトレスが、給仕している。それを初老の父親と若い娘ら しい二人連れが、カメラに収めている。ウエイトレスも可愛いが、娘は遠目にもなかな か美人である。

     洗面所は、入口のドアのすぐ右手にあり、部屋より二三段降りたところにあるが、こ こだけでも、一つの部屋ぐらいある。大きなバスタブ。妻が、横になって思い切り足を 延ばしても、端から端まで届かないだろう。シャワー室は別になっていて、透き通った ガラス戸がついている。洗面台のタブもふたつあり、その前の鏡も大きい。ビデもある 。ここにも、大きな暖炉がある。その前に大きなラジエーターがあり、特大のバスタオ ルが二つ掛けてある。お負けにテレビも付いている。

    「リモコン付きでございます」

    ボーイが説明を終えて、引き下がる。

     スーツケースの中身を、大きな衣装箪笥に移し替える。衣装箪笥には、純白の麻のバ スローブが掛かっている。大きな化粧台、執筆用のテーブル、お茶を飲むテーブルと座 ると首まで隠れてしまう背の高い椅子。大きな絵の前の小テーブルの上には、ジェネラ ル・マネージャーからの、差し入れというオレンジ・ブランデーの大きな瓶が置かれて いる。ここでゆっくり二泊するのだと思うと、しらずしらずに口許が緩んでくる。

    フット・パス

     ホテルの回りを歩いてみようということで、外へ出る。出しなに、夕食の予約を三十 分繰り下げて八時にする。建物に沿って右回りで裏手に行くと、温水プールがある。誰 も泳いでいない。その先に全天候式のテニスコートが一面ある。誰もプレーしていない 。近くには、ナナカマドが、真っ赤な実をつけている。その先は、雑草が繁っていて、 アザミの濃い紫の花が沢山咲いている。枯れた花が、真っ白の綿毛になっている。その ずっと向こうには、ゴルフコースらしきものが見える。その辺りは、日を浴びて輝いて いる。そこから、引き返して、部屋の窓から見えた芝生を歩く。広い。二六エーカーあ るというのだ。大きな樹が、そこ彼処に立っているが、近くに行かなければ大きく感じ ないほどだ。芝生の端から見るとホテルの建物が小さく見える。建物の一部は蔦ですっ かり覆われており、緑の館である。

     先行する妻を、ビデオカメラで撮影しながら追いかける。大木の下で見上げる姿を、 遠景からとらえ、ズームアップして、樹の大きさを際立たせる。

    「話しかけようとしても、側にいないんだから。誰が連れなのよ。ビデオカメラ?」

    妻がふくれている。

     いい映像を撮ろうとすればそれなりの苦労がつきものなのだ。この程度の非難は甘ん じて受けなければならない。帰国して、見る段になると、結構喜んで見るに違いない。

     ホテルの入口の通路の両脇には、石造りのコッテージが立ち並んでいる。昔は、荘園 の厩だったものを、いまホテルとして、使っているらしい。二階建てで、色とりどりの 花々で飾られている。先程の係の男の人は、一番門口に近い建物に陣取っている。

     ホテルを出て、例の三叉路に出る。小さな広場になっていて、真ん中に、四角形の屋 根付きの井戸らしいものがある。アイスクリームの行商が店を出している。広場の回り には、小さなインや、パブがある。カースル・クームの中心地に違いない。そこを左に 折れると、オールド・カースル・クームから降りてきた道である。かなりの上り坂にな っている。ゆっくり登っていくと家並みが途切れ、道は両側にそびえ立つ大木の緑で覆 われ、薄暗い。そぞろ散歩する人影と、とぎれとぎれにすれ違う。軽い会釈を交わす。 空気も乾燥しており、ひんやりと肌に快い。

    「ここが、人気があるのは、イギリスらしくない急な山坂があるせいかしら」

    妻がいう。そうかもしれない。

     行く手に、家並みが見えてきた。先程オールド・カースル・クームの表示があった所 らしい。家は蔦や花で彩られ、庭にも、様々な花々が生い茂っている。左に折れる道が あって、学校を示す交通標識が出ている。その道を登って行くと、カースル・クームの 小学校だった。生徒の数も少ないのだろう。切り妻の屋根が三つある小さな二階だての 建物だ。夏休みのせいか、物音ひとつしない。その先は、ちょうど岡を昇りつめたよう になっていて、サッカー場のような平の芝地がある。その右手にはサイクリング用の道 があり、遠くに野兎が飛び跳ねている。サッカー場とサイクリング道路の間に、板の柵 があって、そこに看板が出ている。

     フットパスの掲示板だった。林望のイギリスものの中に、フットパスを歩く楽しみが 出てくる。妻も、一度は歩いて見たいと思っていたらしい。フットパスは、要するに、 歩行者専用の道という意味だが、看板には、このフットパスはゴルフ場に沿って設けて あるので、ゴルフの球に当たらないようくれぐれも注意して歩くようにと注意書が認め てある。面白いことにフットパスに入るときは、踏み台が設けられていて、この板の柵 を跨いで入らなければならないのである。この踏み台をスタイル(stile)という 。自転車などが入り込まないための工夫なのであろう。  スタイルを越して来た妻に八ミリビデオカメラを向けて、インタビュー。

    「感想は?」

    「サイコウ」

     先程のサッカー場を左手に、ゴルフ場を右手にフットパスは続いている。ゴルフをや っている様子はない。安心して歩ける。草地で、ふかふかして気持ちがいい。他に歩い ているひとはいない。次第に下り坂に差しかかる。とはるか右前方に、ゴルフをしてい る人影が見えた。どうも男女のペアらしい。グリーンの側のバンカーから、男性がうま くボールをグリーンに乗せた。そのご祝儀だろうか、抱き合ってキスをしている。われ われが近づいて来たのに気づき、意識したのだろうか。青いポロシャツの長身の男性が 、残り二ヤード程度のパットを外してしまった。女性にOKを出されて、むきになって もう一度パットすると、二フィートたらずのパットも外してしまい、ホールの端で止ま ってしまった。連れの赤のポロシャツの女性が、落ちないかと、斜に見たり吹く真似を したりしている。男性が入れようとするとやにわに女性が入れてしまった。男性は、照 れくさそうにわれわれのほうを見て、

    「ハーイ」

    と手を挙げた。

    「ハーイ」

    われわれも手を挙げた。

     道は、小さな林に入った。私が、ひたすら、前に進むのに、恐れをなしたのか、妻が 、ここいらで、引き返そうと言いだした。

    「どんな道も、他の道につながっている。そのうち、いいところに出るよ」

    「もう、こんな時間よ。迷ったら、怖いわ。引き返したほうが利口よ」

    「怖いって。別に心配することなんかないよ」

    ぐんぐん、降りていくと、道の左手に、別のスタイルがあった。

    「ここから、出て見ようよ。きっといいところに出るから」

    踏み台を越して、小道を辿って降りて行くと、ちゃんといいところへ出た。ちょうどホ テルの看板が立っているところである。

    「ほぅらね」

    「不思議ねぇ」  

    地形から、見ても、坂を降りて、左手に出れば、ホテルの近くに出ることぐらいわか りそうなものなのだが、妻には不思議に思えるらしい。最初登って行った道の、裏伝い に、フットパスは設けられていたのだ。まさか、どんぴしゃり、ホテルの真ん前に出る とまでは、予測していなかったが。

     ホテルの入口に向かって、直ぐ左手に、古い教会があった。覗いて見ると、中世のフ ェイスレス・クロックなるものが展示してあった。千五百年頃のもので、機械仕掛けの クロックとしては、相当古いものらしく、今や、表示盤はなくなったけれど、まだ、動 いているのである。教会の内部は薄暗くて、ガラスのケースの中にしまわれているので 、よく見えない。と思っていたら、ぱっと明かりがついた。十ペンス入れると暫く明か りがつく仕掛けになっている。見物に来ていた他の人が気づいて入れたのだ。その表示 自体が薄暗くて、よく見えない。

     ホテルに帰り、芝生の庭を歩いていたら、時を告げる音が聞こえてきた。七時だった 。あの中世の時計の音に違いない。なかなか、いい音である。幾世紀にもわたって、あ の優しい音が、この辺りで、時を告げて来たのだろうか。歴代の荘園主もあの音に親し んだに違いない。

     芝生の、一番奥まで歩いて行くと、堰があり、そこから、数筋の小さな滝が流れ落ち 、せせらぎに似た音楽を奏でている。その上流は、小さな川で、水の色は黒く、ほとん ど流れているか流れていないのかわからないほどだ。小川の中には、一杯いろんな植物 が生えている。小川の向こう側は、なだらかな岡になり、大きな樹が繁っている。この 小川が、BYBROOK川で、何の変哲もない小さな川だが、この川が作った渓谷に、 カースル・クームは、発達したものらしい。川の向こう側に川沿いに小さな道がある。 釣り人専用と表示があるが、わたしの勘では、この道と先程のフットパスとは上流でつ ながっているように思える。振り返ると、ホテルの灯火が、暮れなずむ景色の中に、や や明るさを増してきた。八時を夕食の時間にしたのは正解だった。

    ディナー

     マナー・ハウス・ホテルを予約した時、折り返し、ディナーには、背広とネクタイが 必要との条件が送られてきた。そのディナーが、いよいよ始まるのだ。この時のために 、わざわざ背広を用意して来たのである。妻もドレスを新調してきたのだ。二人してめ かしこんで、レストランに降りて行った。さすがに迎えるほうも、黒の燕尾服、白の蝶 ネクタイである。壁は、黒ずんだ石材がむきだしである。置かれた調度品や壁の絵や飾 り、木の窓枠なども、時代がかって、風格がある。二十ほど席があり、テーブル毎に蝋 燭の火が灯っている。照明は薄暗い。テーブル・クロスは、淡いピンク色。大きな木造 りのオールドファッションの椅子もピンクのクロスで張ってある。客はそれほど多くな い。後でウエイターに確かめたのだが、このホテルの本館の部屋数は、たったの十二室 。エキストラ・ベッドを入れてもせいぜい二十人から二五人しか泊まれないという。こ れには、驚いてしまった。しかも、夕食の時間の予約は、九時半がピークという。八時 でも、遅いという感覚のわれわれとは、大いに違う。

     燕尾服のウエイターにかしずかれて、満ち足りた気持ちで夕食を始める。まず、ワイ ン。ボルドーの赤で一九八九年ものにした。コクがあってうまい。前菜に、シャーベッ トとオリーブを真ん中にして、回りにカナッペを並べた皿が出てきたが、どれも、軽く て美味い。  わたしのメイン・ディッシュは、レッド・ミュレットの炭火焼き。ミュレットはボラ の一種。マッシュド・ポテトをこんがり茶色に焼いたものの上に二枚重ねで出てきた。 三〇=の大皿に、たっぷりで、食べきれぬほど。やや塩味が効きすぎた感がないではな い。ミックス・サラダも野菜が新鮮で味があるうえ、ウイキョウ、松の実、ビネガーを うまくブレンドしたソースとがよくあって、いける。デザートに私は、出来るだけ軽い ものをと、ライム・レモンのプレーン・シャーベット。妻はアイスド・ソラミス&カラ メルのコーヒーソース付き。  二人の幼児を連れたイタリア人らしい夫婦が、部屋の中央に陣取って、食事をしてい る。まだ、二才程度の下の幼児が、時折大きな声をたてる。やや庶民的な雰囲気になり 、部屋の空気が和む。

     たっぷり時間を掛けて食べた。話すことも、多い。食事を終えたのは、十時。それこ そ、動くのも苦しいくらいお腹一杯。正面玄関から外へ出て、黄色のカクテル光線に浮 かび上がったホテルの建物を見てみる。すっかり冷え込んでいて、長く外に出ておれな い。

     わたしたちの部屋の真下が大きなバーになっていて、酒を飲んでいる人がチラホラ窓 越しに見える。  部屋に戻ると、出窓には、クリムソン色のカーテンが引かれ、二つの窓には、木の鎧 戸が下ろされている。ベッドの用意がされ、あるべきものはあるべきところに戻されて いる。ちなみに、部屋の名前はAlbinesses。ホテルのレセプションで、特別 のいわれや意味があるかたずねたら、たんなる名前に過ぎないという返事だった。

    朝食

    明くる日も美しく晴れ上がった。窓を開けると、空気がひんやりと肌に心地よい。

    「ポーランドの、夏の朝にそっくりね」

    なにしろ、比較するものといえば、十八年前のポーランドしかない妻にとっては、すべ てがポーランドになってしまう。人一人いない庭に、クイナに似た黒い鳥が三四羽来て 、盛んに芝生をつついている。きっとおいしい餌があるのだろう。昨日の夕方も、人影 が絶えたあと、来ていた鳥である。夜討ち朝駆け、勤勉な鳥のようだ。非常に用心深い 。窓を少し開ける物音にも、さっと遠くへ行ってしまう。比較的近目にも、同じく烏に 似た黒い鳥が来ている。しかし、烏より、腰を据えた感じで足を交互に出して、体を揺 するような感じで歩く。どことはなしに愛嬌がある。

     洗面所に行ったら、妻は、朝風呂を楽しんでいた。お湯をバスタブに注ぎながら、バ ス・フォームを入れたとみえて、泡の中から顔だけのぞいている。

    「映画みたい。こんなのわたし初めて」

    「気持ちいい?写真撮ってやろうか」

    「ええ」                                   

     密かに、カメラマンがテープを回す。

    「ナニ?八ミリ!? カメラじゃないの。止めてよね」

    「もう撮ってるよ」

    「止めてよ−、起き上がれないでしょ」

    足の付かないバスタブの中で、両手だけで支えているので、右に左に体が不安定に揺れ る。危うく溺れそうになる。

    「早く、止めてよ、キャー」

    悲鳴を挙げて、起き上がろうとする。泡の中からバストがチラリと出たところを収めて カメラマンは退場する。

     お揃いのカシミアのセーター・スタイルで、降りていく。このセーターは、二年前ハ ンブルグで買ったもので、スコットランドのプリングル社製、非常にソフトで着心地が いい。朝食も、昨日と同じレストランだ。窓からは、きらめくような光が差し込んでい る。黒いジャケットを着た中年の女性と、もう一人の女性とで、取り仕切っている。挨 拶といい注文とりといい、テキパキと小気味いい。中央の丸テーブルいっぱいに、基本 的には、昨日のカントリー・ハウスと同じものが並べられているが、種類が圧倒的に多 い。コーンフレークやオートミールなど、実に様々な種類があるものだと感心する。ヨ ーグルトにドライフルーツ、プラム、それにメロンを細かく切ったものを入れて食べる 。ジュース類もオレンジ、グレープフルーツ、リンゴ、トマトの四種類。クロワッサン や菓子パンもおいしそうだ。これだけでもお腹がいっぱいになりそうであるが、そこは 、控えて、運ばれてきた焼き立ての温かいベーコン、ソーセージ、トマト、フライド・ エッグ、マッシュルームに力を注ぐ。そのうえ、トーストをいっぱい持ってくるのだ。 ほとんど食べ切れない。ティーは、いろんな種類を注文出来る。私がダージリング、妻 がアール・グレイを頼む。持ってきたティーとミルクのポットも特大である。最後に食 べた果物は、見かけはほうずきそっくり、聞くとベリーの一種と言う。すぐりに近い少 し生臭い味がした。

     昨夜と同じ、幼児二人連れのイタリア人夫婦が来ている。その直ぐ側のテーブルにも 、イタリア人の中年の夫婦がいて、同じ仲間と見えて、奥さんのほうがテーブル越しに かなり大きな声で喋っている。例の幼児も、元気な声を出している。イタリア人がいる と賑やかになる。


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    イギリスドライブ紀行(5)  930924 /940428/950526

    5 バース

     バースへ/ローマ風呂博物館/衣装博物館/アンチーク・センター

     バースへ

     今日は、バースへ行く予定である。レセプションから、車のキーを取り戻して、十時 半出発。青い空の上空はるか、薄く掃いたように白い雲が浮かんでいる。日本でなら、 秋の雲である。ドライブ・ルートは、スケジュール表に書き込んで来たので、従えばよ い。二車線の田舎道を進む。こんもり繁った大木があるかと思うと牧草地になり、小さ な灌木の繁があったりする。ぽつんぽつんと家屋も建っている。絶えずゆるやかなカー ブがある。車の量も適当にある。藁を七八=も積んだトラックの後ろにつくと、藁が飛 んでくる。のどかな風景が続く。A420から、A46へ左へカーブ。道路沿いに、B /Bの標識が出ている。結構数も多い。これなら、宿捜しに苦労することもあるまい。

     道が下りになってきて、前方にバースが見えてきた。かなり起伏に富んだ地勢の上に 、古い建物がびっしり建っており、重なって見える。何だかイタリアの古い町のようだ 。町の中にもアップダウンがかなりある。一度坂を降りきり、また上がって暫くいくと 、バース大学があった。構内を走ってみる。ゆったりした美しいキャンパス。欧米の大 学は、どこへ行っても、日本のちまちましたキャンパスとは比べものにならないくらい 、広大な敷地を持っている。こういうところで勉強できるのは、幸せだ。構内をゆっく りと走りながら、先年、ワシントン大学のキャンパスを見たときのことを思い出してい た。

     妻は、大学には、ほとんど無関心で、早く都心に出たがっているので、十七世紀から 十九世紀のアメリカの住居を再現しているという近くのアメリカン・ミュージアムなど の標識は無視して、もう一度急な坂を降りていく。シティー・センターの標識を辿ると 、かなり賑やかな通りに出た。この辺りを歩いてみようと、ちょうど目の前に現れた駐 車場に入る。ところが入ってみると、地下を入れて三階あるスペースはことごとく満車 。しょうがないのであたりを探すと、バース駅の近所にもう一つの駐車=があった。市 営のものだ。入口に「PAY AND DISPLAY」と書いてあるだけで、カード をくれる人もいない。とにかく、中に入って、二階に空いた場所があったので駐車する 。その場所を記憶に止め、出口の係員の控室に行き、どうすればいいのか、確かめる。

    「メーターと書かれた機械に料金を入れると、カードが出てくるので、フロントガラス に貼っておいてください」

    係の人が教えてくれたところに、メーターがある。その注意書を読んでいたら、中年の 男性がやってきて、丁寧に教えてくれた。自分が駐車したい時間の分だけ、コインを入 れると、カードが出てくる。その一番うえの部分をベロリ剥がすと糊が付いているので 、その部分をフロントガラスに、

    「この車のようにはりつけておけばいいのですよ」

    メーターのすぐ側にあった車のフロントガラスを指し示す。なるほどちゃんと見やすい ようにはりつけてある。  二時間分の一ポンド入れ、出てきたカードをフロントガラスに張りつけた。そのカー ドに入金した時間と、二時間後の時間が打ち込まれている。PAY AND DISP LAYとは、金をPAY(支払い)し、カードを分かるように貼っておけ(DISPL AYせよ)との意味らしい。一時間が五十ペンス、二時間が一ポンド、三時間が、一ポ ンド八十ペンス。二時間を越すと累進的な料金になっているところが憎い。

     とりあえず、ツーリスト・インフォメーションを探そうと歩き出す。綺麗に飾った小 売店が立ち並び、人通りは、かなり多い。このバースは、イギリスでただ一つ市全体が ユネスコの歴史的遺跡の指定を受けている町で、世界から観光客が押しかけて来ている のだろう。人込みの中で、空き缶を蹴っ飛ばした男の子が、お母さんに怒られている。 その隙を付いてその妹らしい女の子が空き缶を蹴っ飛ばす。どこへ行っても、お母さん は大変である。

     街角で、乳母車を押している大柄の、胸の大きな女性に、場所を聞き、ツーリスト・ インフォメーションに行く。新しいビルの一角にあった。ここもツーリストが押しかけ ている。付近の地図を二五ペンスで買う。他のパンフレットは只でも、一番必要な地図 の料金を取るところがイギリスらしい。これもドネーションと同様の意識が感じられる 。狙いの、ローマ浴場の博物館は歩いて直ぐであった。

    ローマ風呂博物館

     一番の目抜き通りに面している。入口は、古びた二階建て程度の建物で、正面に四本 の石の柱がある。入って、すぐ左手に、大きな素敵なレストランがあった。天井が高く 、幾つもの丸テーブルがおかれ、人々が寛いで、お茶を飲んだり、食事を取ったりして いる。その脇を通って行くと、博物館の受付がある。そこで入場料を一人四ポンド取ら れ、一体どんなものを見せて貰えるのやら、という気持ちで入ったのであっが、四ポン ドでは安すぎた。このあともいろんな博物館や公共の施設に入ったが、料金が安いと感 じることはあっても、高すぎるということはなかった。ここも大変な規模の博物館で、 ローマ時代の風呂の遺跡がそっくり、このローマ様式の建物のなかにあるのだ。ディス プレイや説明文に工夫を凝らしているので、見応えがある。中心にあるのは、青天井の プールのような大きな風呂で青緑色の水が入っている。その回りが回廊になっていて、 長い石柱に支えられた二階には、人物の石像がぐるりと立ち並んでいる。隣の古い寺院 の尖塔が青い空をバックに輝いている。これがローマ寺院で、博物館のほうが、その境 内にあるのである。 説明の女性を取り囲んで、大きなグループがいわれの説明を聞いている。sacre d bathなど、今もって熱い温泉がとうとうと湧いており、その近くに行くと、湯 気で熱い。そのお湯が中央のプールへ流れ込む細い水路に、鳩が降りてきて、飲んでい る。薬効があるのを知っているのだろうか。

     そもそも普通名詞のbathが、この都市を発祥地としているのである。数世紀にわ たって利用されたので、洪水の影響もあって、風呂の床が次第に高くなり、東風呂など 、床が三層になって掘り出されている。それがよくわかるように、発掘の深さを変えて うまく見せている。風呂のタイルは、その紋様といい色合いといいローマのカラカス遺 跡を、思い出させる。ミルネバの女神が、手厚く祭られていて、様々の彫刻が掘り出さ れている。発見されて二百年、つい十年前に発掘された遺跡さえある。説明書きによる と、金箔をほどこしたミネルバの頭が掘り出されたのが最初らしい。それが、十八世紀 。本格的に浴場全体が発見されたのは一八七八年以降のことで、現在も発掘は続いてい るという。大小さままな風呂があり、サウナ風呂やトルコ風浴場などもあったようだ。 ローマ人が風呂好きであったことを物語っている。掘り出された破片や建物の基礎、屋 根の壁のレリーフ、柱などから復元された模型を見ると、壮大な建物になるようだ。現 在の「健康ランド」の比ではない。一大社交・遊興場だったに違いない。そのせいか宝 石や貴金属、コインも随分発掘されている。一番の財宝は、ガラスのケースの中に収め られているミネルバのブロンズ頭像のようだ。  順路の表示に従って、プールの回りを巡ったり、二階から地下の遺跡まで見て回ると 結構時間がかかる。足もくたびれてきた。

    衣装博物館

     外へ出ると、もう、駐車場へ早く戻らなければならない時間になっている。食事をゆ っくりする暇がないので、スーパーマーケットを見つけて、ツナ・サラダのサンドイッ チにチャイニーズ・チキンのオープンサンドやレモンを絞ったジュース類を買い込む。 二人分で三・〇四ポンド。朝食に沢山食べたので、お腹はそれほどすいていない。

     次の目標は、衣装博物館である。妻が、「地球の歩き方」で狙いを定めていたのだ。 駐車場から車を出し、バースの中心地を左回りに走って、博物館のすぐそばの路上の駐 車場に車を止め、とりあえず、簡単な昼食をすませる。そこには、カード式駐車の標識 があり、路面に白い枠が書いてある。標識の注意書を読むと、この駐車場は、付近の住 人とカードを持っている人のみ使用可となっている。カードのイニシアルのCとパーキ ングのPとを組み合わせた看板の出た店でカードを買うようにとのインストラクション がある。辺りを見渡すと、三十=ほど離れた小さな店にそのマークの看板が掛かってい る。ドラッグ・ストアのようだ。

     その店には、中年の大柄の女性がいて、親切に教えてくれた。一時間あたり一枚のカ ードを五十ペンスで買うのだ。カードと言っても、横十=縦二五=ほどの短冊状のもの で、そこには、一月から十二月までの月と、月曜から土曜日までの曜日(日曜日は無料 なのである)と、一日から三一日までの日と、午前八時から午後五時までの時刻と〇分 から五分おきに五五分迄の分も付いた時計盤が緑色と黒のインクで印刷されていて、鉛 筆の先で、到着した日時である、Aug.月曜日、一六日、時間は一四時、分は〇分を 突き刺し、それを車のフロントガラスに貼っておくのである。二枚有るので、これで一 六時〇分まで駐車OKなのだ。ちょうど、列車の車掌が、パンチで切符を切るのと同じ 要領である。いろんな駐車の仕組みがあって、面白いものだ。時間を超過すると三〇ポ ンド徴収すると、裏面に書いてある。

     衣装博物館は、大きな石造りの建物で、一七七一年に、バースの建築様式を形成した 有名な建築家ジョン・ウッドが設計したアッセンブリー・ルームの中にある。入ると、 入口のホールを、ダンスをする大きな部屋、スイート・ルーム、八角形の部屋、会議室 、カード室などが取り囲む形になっている。どの部屋も天井が高く、壁には、絵が飾ら れており、立派である。衣装は、地下に展示されているらしい。入口に繋がるホールに いた若いすらっとした女性の館員に尋ねると、ここに来れば、二時半からガイド付きの 見学が始まるという。五分ほど時間があったので、カード室の、バーのカウンターの施 設を見て戻ると、集まったのは我々二人だけ。先程の館員がガイドだった。

    「それじゃ、スローリーにクリアリーに喋って下さい」

    と注文を付けて、地下の展示場に向かう。

     注文に応えてくれたとみえて、分かりやすい英語だった。大きなガラスケースの中に 、等身大の人形が、それぞれ衣装を付けて展示されている。一つとして、コピーはなく 、全部実物であるという。十八世紀から(ひとつだけ、千五百年のもあったが)、十年 刻みで、ファッションの変遷を追ったもので、その数といい、新品にさえ見える管理状 況といい、脱帽せざるを得ない。やや薄暗いが、これも衣装の保護のためだという。い つの間にか、われわれの他にも、説明に耳を傾ける人が増えてきて、十人程度のグルー プで、ガイドの後を付いていくことになった。衣装を巡って、人類がいかなる工夫をし てきたか、あたらしい時代の息吹が、ちょっとした、デザイン、カラーにも、微妙に影 を落とす様が、読み取れて興味が湧く。スカートを落下傘のように広げる鯨の骨で作っ たサポーターなどを見ると、美しく見せようとする女性の、涙ぐましい努力の跡もよく 分かる。      

     衣装そのものが、人知の開明度と、密接に結びついていて、女 性の、ウエストのラインが、ほんの一インチ下がるだけにも、長い年月が掛かっている 。思わざれば、成しえぬ、人類の性がここにも、伺える。

     グループのオリジナル・メンバーだった利点で、一番説明を聞きやすく、展示を見や すい位置から、最後の第二次大戦後のクリスチャン・ディオールまで、やや駆け足だっ たとはいえ、ファッションの変遷を楽しませて貰った。これほどのコレクションを見せ つけられると、もう手もなく納得してしまうよりない。ガイドには、お礼をいって別れ 、その後、世界の五大ファッション都市の展示を見た。パリ、ローマ、ニューヨーク、 ロンドンにわが東京が入っており、三宅一生、ケンゾーなどの作品が展示されている。

    アンチーク・センター

     外へ出て、別の道を通って、駐車場に戻ろうとすると、アンチーク・センターがあっ た。入口のすこし前の、建物の壁が引っ込んだところに、浮浪者らしい人物がねっころ がっていて、脚だけを道路に出している。その様子を、慌てて八ミリに収めたせいで、 スイッチを切り忘れ、センターにいるあいだ、市松模様の床や私の靴を撮り続けること になった。

     センターには、いろんなアンチークを扱う店が、集まっていて、見て歩くだけで楽し い。ある店では、純銀のスプーンを売っている。ジャム用とか、ティー用とか書いてあ る。私はジャムが大好きで、毎朝ほとんど欠かさず食べるのだが、ジャム専用のスプー ンがあるとは知らなかった。見ると普通のスプーンより、窪みが深く、先のほうがすこ し広い。なかに、柄のところが、太めの針金状で、先をくるりとねじりあわせたように なっているのがあった。素朴な手作りの味があっていい。小さなタグに一九〇五年製と 書いてあり、値段も安い。よし、これを買おうと思ったが、店員がいない。向かいの店 の中年の女性に聞くと、今日はそこの店員は休んでいるので、自分が代わって店番をし ているといい、早速鍵を持ってきて、ガラスの陳列ケースから取り出してくれた。本店 員がいないので、あいにく、クレジット・カードは使えない。値段が安いので、妻が純 銀か心配するが、間違いないといって、スプーンを引っ繰り返して、刻印を見せてくれ た。

    「これは、なかなかいいものですよ。一九〇五年に作られたもので、ビクトリア女王の 息子のエドワードがキングだった時代のものです」

     威勢のいいオバサンで、品物を、包みながら、大きな声で説明してくれる。タグもち ゃんと入れておきますからという。このスプーン、いまでは、わが家の朝食のテーブル に欠かせないものとなり、私が特に愛用している。

     三時四十分に車に戻り、そこから比較的近くにあるロイヤル・クレッセンドハウスを 見ようと、スタートを切った。案内書には、アセンブリー・ルームを作ったジョン・ウ ッドの息子が一八世紀の末に作ったジョージ朝風邸宅で、バースの誇りであり、世界で も最も美しい街の光景に数えられているとなっている。ところが、地図によるとゴルフ 場や、ロイヤル・ヴィクトリア・パークの近辺にあるらしいのだが、なかなか到達しな い。何度か、急な坂道を登ったり降りたり、ゴルフ場や公園の前を行ったり来たりして 、やっとのこと、到達した。思ったより、もっと近くの低めのところにあった。数百= はある半円形の大きな建物である。三階建ての古いアパートらしく、全体に黄色ぽいが 、すこし黒ずんでいる。三〇戸が連なっていて、その規模には圧倒される。その前は広 い緑の芝生であり、更に前方の緑の岡に繋がっている。日がさんさんと降り注ぎ眩しい 。

     妻は、もうカースル・クームに戻って、昨日のようにフット・パスを歩きたいという 。ホテルで貰った資料のなかに、様々なフット・パスの経路を書いたものがあったので ある。バースの町中も、ロイヤル・クレッセンドの建物のように、高さや、色彩や、煙 突の位置や形まで見事に合わせた数百=のビルの続く街路があちこちにある。それでい て、緑も結構多い。さすがに、歴史的遺跡として街ぐるみの指定を受けた町である。町 並みだけでも一見の価値がある。なごり惜しいが、A4号線へ出て、一路、カースル・ クームへ向かう。村へのアプローチの道路は、朝とは別の道を選ぶ。細い道で緑の回廊 を行く趣がある。


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    イギリスドライブ紀行(6)  930924 /940428/950526

         6 再びカースル・クーム

         再びフット・パス白鹿亭再びマナー・ハウス・ホテル

    再びフット・パス

     ホテルに着いたのは、五時。入口にいたボーイに

    「いい天気だね」

    というと、この天気は後二日は続きますよ、天気予報では、全く上空に雲がないと言う ことでしたからという。まことについている。部屋に戻って、まず、顔や手を洗い、ル ーム・サービスを頼んで、紅茶セットを運んで貰う。頭まですっぽり隠れてしまう背の 高い椅子に座って、真っ白の大きなポットから、これも真っ白のカップに、銀製の茶漉 をあてがい、なみなみとお茶をつぎ、のんびりと飲む。テーブルには白いカーネーショ ンを基調にした白系統の花がいけてある。近くの棚には、橙いろのバイブル、赤や茶の 名作全集が四冊、その後ろの壁には、かなり大きなオックスフォード伯爵婦人の絵が掛 かっている。部屋には、午後遅い暖色系の光が満ちている。実に静かである。

     ホテルで入手したフット・パス地図によると、昨日歩いた道は載っていないが、オー ルド・カースル・クームへ向かう道の右側にも、道があることになっている。所要時間 もちょうど半時間ということで手頃である。二時間から、半日がかりのものなど、数種 載っているが、時刻はすでに六時半、ちょっと今からでは無理だろう。

     大きなポットを空にして、ホテルを出た。例の三叉路を左に折れた車道のすぐ右のと ころ、人家が途絶え、草木が繁っているあたりに、うっすらと、人が踏みしめた道らし い形跡がある。これがフット・パスの入口か、何の表示もないが、間違えたら引き返せ ばよい。すぐ上り坂になるが、生い茂った草の中に、確かに道が続いている。半ズボン の妻は足を草の刺や葉の刃で傷つけられて、失敗したと言っている。しかし、いまさら 引き返し、ズボンを取り替えるほどの酷さではないようだ。斜面を右から左へよぎるよ うに草地を登っていくと、真っ直ぐ上に登る道にぶつかった。きちんとした道である。 牧場に沿っている。その道をしばらく登ると、大きな林に差しかかり、道は右手に直角 に曲がっている。日が差し込まないほど、大きな樹が沢山繁っている。

     「気分はどう?」

    先行したカメラマンが、インタビュー。

    「すごくいい気分」

    少々、息を切らしながら、女優が、答える。

     それこそ、すれ違う人ひとりいない。しばらく、左手に牧場を見て森の端を走ってい た道が、森の中に戻る。鳥の鳴き声が絶えない。鹿に注意の表示が出てくる。針金の柵 があるのは鹿の保護のためであろう。犬を連れた人は、絶対、この道から柵のなかに犬 を入れないようにと、書かれている。木の葉の間から、遠く下方に、ホテルの入口にあ った教会の塔が覗いている。眩しくて、確かではない。

     しばらく行くと、例の木の柵とスタイルが出てきた。そこを跨いでいくと、林が切れ て、草地に出た。空はどこまでも蒼い。背後に立ち並ぶ大樹は、三十=は優にあるだろ う。日差しは強く、草木の緑が輝く。キンポウゲやアザミをはじめとして、黄色、青、 白、紫、大きな花も、目を近づけなければ見えないほどの小さな花も、それこそ静かに 、夏のひとときを、味わっているようだ。

     道は、下りに入り、丁度谷底に当たるところに、川が流れている。あれが、ブルック 川に違いない。川の向こうにも木立があり、なだらかな丘へと、登っていく。  最後のスタイルを越すと、川岸に出た。結構水量はある。石の橋を渡ると、そこは、 車道で、川沿いに道が出来ている。右に折れて進むとホテルへつながる道である。時刻 は七時半、ここまで、ちょうど一時間かかったことになる。

     川には向こう側の岸から、木の枝が、水面を覆うように伸びている。よく、目を凝ら して見ると、鴨が三羽、遊んでいる。木漏れ日と保護色になっている。白い鳩が、川岸 に降りて水を飲んでいる。この辺りは結構流れも早そうである。大きな魚が数匹、流れ に逆らい、同じところで体を左右に振っている。鱒だろうか。

     しばらく行くと、川は大きく左に切れ、道の下を潜って、林の中に消える。そのあた りにも鴨が二羽、静かにたたずんでいる。この上流が、昨日見たマナー・ハウス・ホテ ルの堰に繋がっているのである。橋の傍らには、どうぞ一服して下さいとベンチがおか れている。その背もたれに書かれたところから察するに、プリンス・オブ・ウエールズ とダイアナ妃の結婚を祝して寄贈されたもののようだ。橋を越えたところから、人家が 始まる。中世を思わせる、石造りの古い家並みである。それぞれの家が、大きな花桶を つるしたり、蔦や薔薇を壁に這わせて飾っている。全体の色合いが調和してなんとも言 えない美しさだ。

    「美し過ぎる」

    妻が突然、鼻息荒く言いだした。

    「イギリスに学ぶものがないなんて、一体誰が言ったのよ」

    全体が調和の取れた、この家並みひとつからでさえ、多くの学ぶものがあるというので ある。わずか、三日しかいないのに、もう、イギリスの底知れぬ豊かさに、目を開かれ たのであろう。我慢出来なくなったらしいのだ。昨日、イギリスに学ぶものがないとい う人が、日本には、結構多いんだよ、という話をしたばかりなのである。確かに、この ちいさな村の家並みやさりげないフット・パスからも、多くのことを学ぶことができる 気がする。いや、学ばなければならない。しかし、結論を急ぐことはない。あと十日の 旅がある。終わってから振り返ってみても、遅くあるまい。

     一軒、一軒の家は、それぞれ、郵便局であったり、雑貨屋であったり、寝具屋であっ たりで、店は閉まっているが、ショウ・ウインドウの中は、美しく飾られていて、見飽 きない。ゆっくり、あっちの窓、こっちの窓、覗き込みながら、進むうちに、例の三叉 路に戻ってきた。そろそろ夕食の時間である。

    白鹿亭

     今夜は、ホテルのレストランは予約をしなかった。短いイギリスの旅である。出来る だけ幅の広く、味わってみたい。その三叉路には、昨日から目を付けていた〔白鹿亭〕 (White Hart)というパブがある。HARTは、五歳以上の雄の赤鹿の意ら しい。鹿の絵を書いた看板がかかっている。入ると、右手にバーがあり、数人の人が飲 んでいる。左手が、ファミリー・ルームの表示があり、テーブルが数台おかれている。 真っ直ぐ進むと、裏庭に出る。そこにもテーブルが置かれていて、女性が二人話し込ん でいる。外で食べるような陽気ではない。結局、ファミリー・ルームの一番左、道路に 面した窓の近くのテーブルに座る。パブ中、気さくな空気が流れている。

     まず、ビールを飲もうということで、バーへ行く。カウンターの向こう側に、若い可 愛い女子店員がいる。その前に、ジョッキで、ビールを飲んでいるオジサンがいる。そ れはおいしいか尋ねると、是非飲めと勧める。ブラスという銘柄である。一パイント注 文すると、樽から女子店員がついでくれる。その場でキャッシュで払う。一・七ポンド 。わたしが一口飲んでうまいというと、オジサンは右手の親指をぐいとたて、にっこり 笑う。妻はライト・エールを注文するとこれは、瓶詰しかない。小瓶で一ポンド。  今日一日の実りに乾杯をする。交互に写真を撮っていると、隣の隣の初老の夫婦が、 一緒に撮ってやろうかと声をかけてきた。ハンプシャーから来たのだそうだ。こんなと ころが、実に気がつくのである。先に出ていくときにもちゃんと挨拶して出ていった。 すぐ隣の席には、若いカップルが、くっつき合ってビールを飲んでいる。後ろに道路に 面した窓があって、まだ完全には暮れきっていない空を背景に、ちょうど教会の塔が黒 々と見える。

     食事は、トマトスープと牛肉とレバーとマッシュルームとヨークシャー・パイ。スー プにはパンがついており、牛肉のほうには、フレンチ・ポテトがいっぱいついてきた。 肉は、少々塩辛く煮込んであるが、パイの薄味と混ぜて食べるとちょうどいい味になる 。  バーの様子を見に言った妻が、東洋人のグループがカウンターのすぐ横のテーブルに 陣取っているが、にこりともしない。日本人かしらという。  料理を食べ終えて、カウンターにコーヒーとお茶を注文にいく。と、お茶はありませ んという。

    「えっ、お茶がない!? ここは、お茶の国イギリスではないのか。信じられない」

    私が、大袈裟に驚いて見せると、女子店員は、

    「すいません、置いてないんです」

    カウンターには、いつのまにやら、三〇代の夫婦連れが座っていて

    「それは、確かにおかしい。せめてティーパックでも置いておけばいいじゃないか。お 湯はあるんだから」

    「そうよ、お茶がないなんて。ワタシも信じられないわ」

    援護射撃をしてくれる。しかし、ないものはないのだ。コーヒーを一つだけ注文する。 わたしは、コーヒーを飲むと眠れなくなるのだ。

    「ところで、どこから来たのだ」

    「東京だ。日本から」

    「イギリスの旅はどうだ」

    「 三日前に着いたばかりだけど、毎日好天に恵まれ、楽しい旅を続けている。空気が 乾いていて、お茶がとてもおいしいので、ファンになった。食事ごと三四杯も飲んでい る。今日は残念ながら明日の朝まで我慢しなければならないようだ」 「そいつは、実に残念だね」

     お茶の代わりにビールをもう一杯飲もうと、今度は隣の樽を注文する。ワドワース6 という銘柄である。ところが、女子店員が間違えて、先程と同じものをついでしまった 。悪いけど、こっちなんだけど、いろんなものを飲んで見たくてというと、すみません 間違ってしまってとニコニコと嫌な顔ひとつしないで、注ぎ直してくれた。カウンター のすぐ左の小部屋に、なるほど、五人ほどの東洋人のグループがいるが、素知らぬ顔を 決め込んで、自分たちだけで、一生懸命話し合っている。

     今度のビールは、さっきのやつより少し琥珀色が強かったが、ソフトでいける。ビー ルを飲んでいると、先程の夫婦連れがやって来て、もう帰るので、お別れを言いに来た 。いい旅を続けて下さいと、挨拶して出ていった。なかなか感じのいい夫婦だ。窓際に いた若いカップルも挨拶して出ていった。

    再びマナー・ハウス・ホテル

     時刻は、九時。やっと窓の外も暗くなってきた。ゆっくりとホテルに帰る。芝生で、 三人の子供が遊んでいる。建物の方から、芝生を照らしている。昨夜は、芝生の方から 照らしていた。  ホテルの一階を見て回る。大きなラウンジや、ゲーム室、会議室、バーなどどれも、 たっぷりのスペースと、立派で、時代がかった調度品がある。椅子の座り心地もなかな かいい。ゲーム室のチェスのビッショップとポーンの首が欠けている。廊下にはハンテ ィングの絵が沢山かけられている。二階に登る階段の木の手すりには一=おきに、ライ オンだろうか、犬がチンチンしたような形の彫刻がある。どこにも絨毯が敷かれている 。歩き回っても人の気配がない。

     部屋に戻って、ケンブリッジに住むシビレさんに電話をかけた。彼女は、東京でテニ ス仲間だった。私の自宅のすぐ近くに、コート一面のミニ・クラブがあり、そのオーナ ーの一隅に下宿していて、ときどき一緒にテニスをしたのである。長身で明るいドイツ 娘で、日本語も上手だった。長身から繰り出すサービスや、フォアのストロークがよく て、いつも楽しいテニスだった。あるとき、イギリス人のもの静かな青年を連れてきた 。それが、婚約者で、ケンブリッジ大学の数学の教授だった。昨年の六月イギリスに行 き、結婚して、ケンブリッジに住んでいるのである。私の当初の旅行計画が、ケンブリ ッジに寄る予定だったのも、是非訪ねて欲しいというシビレさんに会いにいくのが目的 だった。

     電話口に出た彼女は元気そうだった。少々舌足らずの日本語ながら、一年たったにも かかわらず、滑らかに、言葉が出てきた。われわれが、今回寄れないことを話すと本当 に残念そうだった。

     女の子が生まれて二ヵ月になるとのことだった。名前はコンスタンツェ。五キロも太っ ちゃった。テニスは九月から再開する。来年九月には日本へ行くのでそのとき、また会 いましょう。いえ、来年夏にまた来てください。大きな家に移った。庭もある。池もあ るけれど子供が生まれたので、埋めて芝生にする。子供の世話で大変らしい。庭にある 小さな池も、子供が落ちたりしないように、埋めてしまうのだという。


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    イギリスドライブ紀行(7)  930924 /940428/950526

    7  ス ト ラ ッ ト フ ォ ー ド ・ ア ポ ン ・ エ ー ボ ン     

    ウエストンバート植物園ストラットフォード「テンペスト」ウィロマシ ェイクスピアゆかりの名所ストーン・マナー・ホテル


    930930 931008

    ウエストンバート植物園

    いよいよ、カースル・クームとも、お別れである。

    国内の人気投票で、イングランドで 一番綺麗な村に選ばれたことがあるというが、それだけのことは確かにあった。 さて、これからは、全くのフリーである。それというのは、十日後、八月二七日の午前 六時、エディンバラ空港にレンタカーを返しに現れさえすればよく、その間どこへ行こう が、何をしようが一切制約がないということである。とりあえず、今夜は、ストラトフォ ード・アポン・エーボンに泊まろうという程度の大まかなドライブ・ルートの計画があるだけ、宿泊の予約もない 。途中で気に入ったところがあれば、そこで泊まってもいいのである。無理して、当初の ドライブ・ルート計画をなぞる必要もない。いよいよ、無計画の計画の旅が始まるのだ。

    雲も晴れて、青い空が見えてきた。大きな道を走るより、田舎道のほうがいい。車が一 台やっと通れるような、両側から、葦やススキの葉が絡みついてきそうな、畑や牧場の中 の道を走る。どこを走っても、羊や牛の姿の見えないところはない。牧草の匂いだろうか 、すえたような、鼻を刺激する匂いがする。 このあたり一帯は、コッツウォルズ地域と呼ばれ、英国の貴族が、その美しさに魅せられ、競っ て屋敷を構えた、いわゆるカントリーサイドにあたり、穏やかな緑の丘陵が、限りなく広 がっている。丘の間に、カースル・クームに負けず劣らずの美しい村が、ひっそり散在し ている。いちいち車を止めて、歩いてみたくなる。

    田舎道から、Bクラスの道へ、BクラスからAクラスの道へ、いつの間にか、昇格して しまう。遠くまで行こうとすると、どうしてもそうなってしまう。太陽がさんさんと輝き 、周りの景色が眩しいほどだ。道路脇には、一般の交通標識に混ざって、観光名所の標識も立っている。茶色の地に、白く文 字で書いてある。古い城館や、遺跡などを示す標識が次々と出てくるが、ひとつひとつ、 寄っていたのでは、ストラッドフォードに着く前に、十日たってしまいそうだ。

    とは、言 いながら、ひたすら走るだけでは、能がない。どこか、適当な名所はないだろうか。 そろそろ、お昼に近くなってきた。名所でお昼が取れればもっけの幸いだ。と、道路左 手に茶色の標識があった。WESTONBIRT ARBORETUMと記されている。 一体これは何だろうか。とっさに左にハンドルを切り、幹線道路を離れしばらく前進すると、入口のゲートがあり、オジサン が入場料金をとっている。一人5 ポンドという。何があるのか分からないが、前方に広大 な森があり、車がかなり入っていく。森林公園かも知れない。とにかく入ってみようと料 金を払う。

    駐車場に車を止め、リュックサックから英和辞典を取り出してARBORET UMを引いて見ると植林園、植物園となっている。われながら、情けないほど、英語の語 彙が乏しい。さしずめ「ウエストンバート植物園」といったところであろう。 駐車場には、結構車が留まっている。その近くに大きな立派な建物がある。植物園の管理センターで、案内所から、各種の展 示場、それに売店も兼ねている。

    係の若い女性に、一日で回れるかと聞くと、六千エーカ ーもあり、とても無理だという。あまり時間がないというと案内図を示して、このコース を歩けば、大体一時間程度で回れると教えてくれた。その図には一時間から半日程度のコ ースが示してある。教えてもらった、案内図の一番左側のルートを回ろうということで、 出発する。

    これこそ予期せぬめぐり合わせではないか。無計画の旅行の醍醐味ではないか。天を衝 く大木が鬱蒼と繁っている。花々が咲き乱れている。さわやかな風、美しい鳥の声。世界中から集められた、様々な色、 形状、大小の植物が、溢れるような日差しの中で、静かに息づいている。その中をのんび りと歩く。

    「ティテントットだったけ、森林浴の物質」

    「違うわよ、えーと」

    「トッテンティットでもないし」

    「そんなものどうでもいいでしょ」

    確かに、そんなものは、どうでもよかった。これ以上ない最上のものを全身に浴びて森林 浴をしているのだ。ときどき、老夫婦、子供連れの家族、若いカップル、若者のグループ とすれ違う。みんな、急がず慌てず、ゆっくりと歩いている。すれ違うときには、

    「今日 は」

    と挨拶を交わす。

    それぞれの植物には、黒い小さなプレートがついており、白い字で、名前と学名とが書 いてある。ノルウェーの楓もあれば、ヒマラヤの杉もある。オークやイチイもある。竹の 林もある。紫陽花が見頃だった。至るところに見上げるような大木が育っているからには 、随分古く開設されたものに違いない。道にも、名前が付けてあるので、迷うことはない 。しかし、引き返す辺りで見渡しても、森はどこまでも続き、奥の知れない感じがある。

    二時間ちょっと歩き、いい汗をかいた。管理センターに戻って、昼食を取る。屋外に木 製のテーブル・セットが設けられている。食堂のカウンターで注文し、出来た料理をめいめ いトレイで運んできて、食べるのである。サンドウイッチとお茶を頼んだ。テーブルの上 には、鉢が置いてある。青い色の花が咲いている。小さな蜂が、蜜を吸っている。降り注 ぐ日をいっぱい浴びながら、のんびりと食事をとる。周りの人も決して急がない。

    管理センターの一角に様々な展示がされている。この植物園はFORESTRY CO MMISSIONが管轄している。「本植物園へようこそ」「あなたは何を見、何をした いですか」「最・最新情報」「これからの様々なイベント」「WESTONBIRTの夏」・・いろんなタ イトルがあり、写真や文字のパネルで分かりやすく展示している。パンフレットによると 、FORESTRY COMMISSIONの管轄する全国の森林公園、森林休暇キャン プ場などを、毎年五千万人以上の人が訪れるようだ。

    売店でセーターを買うことにした。カシミアのセーターでリュックサックを担いでいた ら、背中の部分の毛がそばだってきたのである。もうすこし、ラフに着れるものが欲しか ったのだ。植物園の特注のセーターで、巧みに植物のモチーフを生かした素敵なデザイン のものばかりだ。茶系統のものと、青系統のものと、どちらも捨てがたい味があって迷った が、結局は青系統のものにした。胸のあたりは、コバルトブルーで、松の木をモディファ イした模様があり、そこから、肩の部分にかけて、色合いが濃くなっていき、肩の部分は 、濃紺になっている。丸首で六十ポンド。これから、旅行中にも役にたつに違いないし、 いい土産にもなるだろう。

    ストラトフォード

    思いもかけない楽しみを味わい、車のハンドルも軽い。道も空いているのでスピードも 出せる。のどかな農作地帯をひたはしると、ストラトフォードの表示が出てきた。 ストラトフォードには、以前一度、ロンドンの知人を訪ねたとき、車で連れてきてもらった ことがある。エ−ボン川にボートが浮かび、シェイクスピアの立像を中心に、劇中の主人 公の銅像が四方に配してある公園などを覚えている。

    さて、町のどの辺りに出るのかと進 んでいくと、両側に、B/Bやゲスト・ハウスの連なる通りにでた。通りの名は、シップ ストン通りとなっている。その通りが尽きるところに大きな橋があった。エーボン川にか かる橋に違いない。橋の上から、左手をみると見覚えのあるロイヤル・シェイクスピア劇 場が見えるし、例のシェイクスピアの立像も左前方に見える。前回来たときとは、全く逆の方角から、町に 入ったのだ。

    橋の辺りは、まるでお祭りの最中のように、明るい。色が溢れている。人が多い。エー ボン川には、白鳥や、ハイイロガンや鴨の類が泳いでいる。橋のすぐ近くに、小さな島が あるが、その島から溢れるほどいる。劇場と公園の間に船の係留場があり、細長い船が沢 山もやっているが、これも赤や青の派手な色で塗ってある。公園といわず道路といわず、 船のうえといわず、建物といわず、花、花、花。花が溢れている。

    橋を通り越したところ にツーリスト・インフォメーションがある。近くの駐車場は満車だし、路上に一時駐車で、そこに立ち寄っ たが、人が溢れている。ホテルをリザーブする気もないので、地図を一枚買い、そこらの パンフレット類をかき集めて、急いで車に戻る。

    まず、泊まるところを捜そうと、ツーリスト・インフォメーションで手に入れた地図を 頼りに、B/B街といわれる通りに行ってみる。「地球の歩き方」にも、親切で清潔で感 激したといった種類のツーリストの便りが寄せられている通りである。こじんまりした感 じの三階建ての建物がびっしり並んで建っている。通りは細い。たまたま止まってところ の前のB/Bが、「地球の歩き方」に紹介されたB/Bである。だが、残念ながら、NO VACANCY(空き室なし)の札が窓にぶら下がっている。隣を覗くと、VACANC Y(空き室あり)となっている。通りは細い道で、道路の脇に駐車禁止を示す黄色の二重 線が引いてあるので、妻が見に行く。 しばらくして、妻が帰ってきた。

    「だめ」

    三階の屋根裏のような部屋で、しかも、トイレとシャワーが共用だった。共用は嫌だとい う。そんな条件を付けて、B/Bを捜そうとすれば、この辺りはかなり厳しいかもしれな い。そこで、橋を越える前にB/Bの沢山ある通りがあったので、そこへ行ってみることにした。シップス トン・ロードである。

    なんとかハウスというのがあって、建物は大きく立派だし、しかも看板の下に空き室あ りの札がぶら下がっている。これは、良さそうだと車を止めて、よく見ると、玄関脇の窓 には、空き室なしの札が出ている。そのちょうど反対側にB/Bがあり、空き室ありと出 ている。全室シャワー、トイレ付き、カラー・テレビ完備、ティー/コーヒー・サービス ・セット付きとなっている。

    今度も妻が降りて、聞きに行く。 しばらく待つと、入口から出てきて、私を招く。前庭の駐車場に駐車して、降りていく。部屋は、玄関のすぐ右 、ダブルベッドとシングルベッドがある。カーテンもベッドカバーも白を基調としている 。確かにシャワーとトイレがついている。。テレビもある。お茶とコーヒーのセットもあ る。ちょっと狭いけれど、まあまあ、清潔そうでもある。 料金は、一人一泊一八ポンドという。

    「OK。泊まります」

    と言うと、前払して下さいという。カードでなくて、キャッシュか、TCで。

    「それじゃ、今日と明日の二日分」

    といって、七二ポンド差し出すと、

    「ちょっと待って下さい」

    一見したところ、魔法使いのオバアサンにそっくりな女主人が遮った。黒い服を着ており、髪が 黒く、ほつれているので、その印象を強めている。

    「あなたたちの気持ちは、明日になったら変わるかも知れない。別の所に泊まりたくなる かもしれない。私とて同様。明日になったら、休みをとりたくなるかもしれない。この歳 だし、週のうちに二三日は休みたい。だから、一切の予約も受け付けていないの。明日に なって、また泊まりたくなったら、朝食の時、お金は支払ってくださればいい。このやり 方のほうが、つまらないことで、やきもきすることを、最小限度に抑えることが出来るでしょ」

    なるほど。われわれは、感心した。そのとおりである。女主人の名はウィルマ。自分で 作った押し花や、手書きの花、或いは寸言をあしらったカードをレジスターの側で売って いる。息子のブライアンと二人でやっているらしい。ブライアンは大柄で、気のよさそう な顔をしており、動作が少々もっさりしている。

    このB/Bの名前は、JESTER(冗談好きな人、あるいは道化師の意味)と言うの だそうだ。笑った顔と怒った顔の黒い仮面を二つ組み合わせたシンボル・マークが、書類 やインフォメーション・ボードに描かれている。それに、廊下と言わず、部屋のなかといわず、小さなカードに 、いろんなんことが書いてピンで止めてある。私の部屋のドアには、こんなに、あちこち 貼り紙して、悪いけれど、この宿に泊まる人は、ほとんど外国人で、英語を話すことより 、読むほうが、たやすい人が多いのです。そのため、こうして、カードに書いてはりつけ ているのです、悪しからずと書いたカードがはりつけてある。

    レジスターの隣の部屋には、手書きの世界地図が壁一面にかけてあって、名刺や、新聞 の切り抜きなどが所狭しとピンで止めてある。ここに泊まった人が、残していったものな のだそうだ。この人とこの人は、ここに泊まったのが縁で、帰国後、知り合いになったと いう手紙をくれた。この新聞の切り抜きは、アフリカの珍しい言語で書かれている。ウィ ルマが自慢げに説明してくれた。

    「それじゃ、僕は、日本語の碁のウイークリィを持っているので、明日差し上げましょう 。日本の地図の上にピンで止めて下さい」

    料金を払うと、早速鍵を二個渡してくれた。一つが部屋の、一つが玄関のドアの鍵だっ た。

    「このほうが、あなたに安全と自由と、それにプライバシーと独立性を許すでしょ」

    ロイヤル・シェイクスピア劇場の今夜か明晩のチケットは、ここでは、予約できないかと尋ねると、ここ ではできない、劇場に直接行ったほうがいいという。街に出掛けるなら、少し戻ったとこ ろから、通りを渡って、反対側の建物の間を抜けて行けば、川沿いの歩道に出る。歩いて も五分しかかからない。そう説明すると、さっさと引っ込んでしまった。

    われわれが、部屋に荷物を運び込み、すこしリフレッシュし、さて、出掛けようとして 、レジスターのところから奥のほうを見ると、裏庭の芝生の上に長椅子を出して、ウイロ マは悠々と本を読んでいるのだった。

    教えてもらった道のとおり行くと、本当に橋まで近かった。歩行者専用の道路だからのんびり歩け る。さきほど車で越した橋と平行して歩行者専用の橋もかかっている。白鳥や雁が、もっ と近くに見える。公園に行って、シェイクスピアの像やハムレット、フォルスタットの像 を間近に見る。花で作った大きな飾り。花壇。芝生の上で芸を披露している芸人がいて、 大きな人垣ができている

    。公園の脇の道路を通って劇場へ行く。 今夜の出し物は「テンペスト」になっている。あの人盛りである。今夜のチケットがあ りますかと、聞くのもためらわれる。ものの本には、絶対予約が必要と書いてある。しかし、聞くは一時の恥。あります かと思い切って言うと。有りますという。

    「えっ」

    こっちが驚いてしまう。

    「何枚ですか」

    「二枚」

    二階のサークル席がちゃんと二つ続きで買えた。やってみるものである。先程の道路を引 き返すと、途中に本屋がある。ディスカウントで売っている。シェイクスピアの全作品を 一冊に収めた分厚い本が、僅か三・九九ポンドである。よほど買おうかと思ったが、少々 重すぎる。断念した。

    テンペストを観る前に、軽く腹ごしらえをしておこうと、公園の側の角地にある、「ビ ーフイーター」というパブに入る。これと同名のジンがあったように思う。直訳すると、牛肉を食 べる人になるが、「英国王の護衛兵」が正解で、そう言えば、ジンには、赤い征服を来た 護衛兵が描かれていた。米国の俗語では、英国人の意味もあるらしい。

    一階はバー、二階 より上がレストランである。相当古い建物らしく、柱や手すりが飴色に変色している。天 井から、ぶら下がった扇風機が回っている。室内は、薄暗いので、窓から差し込む光が眩 しい。 注文を取りに来たのは、細長い顔で、目の大きい女の子である。笑うと白い歯がこぼれ 、感じがいい。一緒に記念撮影する。劇の最中に眠りこけないように、ハイネケン・ビールを少し、それに ベジタブル・スープ。メインは習い覚えたばかりの、ステーキ&キドニー・パイ。カップ 状の容器の中に肉類があり、その上に容器と同じ位の高さのパイが乗っかって出てきても 、もう驚かない。食べ方も、昨日より堂に入っている。色々と面白い組み合わせを、考え つくものである。

    外へ出るとまだ日は高い。エーボン川に行くと、こちら側の岸から、遊覧船が発着し、 向こう岸に近いところでは、ボートのフォアが練習している。その向こうにトリニティ教 会の尖塔が見える。シェイクスピアが、夫人とともに葬られているところである。白鳥が川岸に寄ってき て餌をねだっている。

    公園脇の船の係留場から、ちょうど閘門に二隻の船がやって来た。 エーボン川の水面より水面が高いのでそこで調節して出ていくのである。閘門は全長十メートルほど、幅は、五メートル程度。そこに二隻の船が、ぴったりくっつくように並んで入り、まず、 後ろの水門を閉ざす。次いで、前の水門を少し開け、ゆっくり水を出す。水門は、二枚の 厚い板が組み合わされており、水圧がかかればかかるだけ、相互に押し合って開かなくな るように出来ている。川の水位と同じになったところで、船主が、手持ちのトランクを差し込んで、前門の扉を左 右に大きく開き、一隻ずつ、滑るように出ていく。トランクは仕舞い込んでめいめい持っ ていく。船が出終わったところで、係の男の人が水門を閉ざす。

    見ていると、非常に簡単 に見える。イギリスの小説などを読んでいると、ランチやクルーザーで川や運河を走る情 景が出てくる。閘門に乗り入れて、別の水系に入るなどと、簡単に書かれているが、なる ほど、これならば、それほど大袈裟に書く必要もない。 さて、せっかく手に入れた「テンペスト」の当日券である。七時半の開演に遅れたりし たら、もったいない。劇場へ、急ぐとしよう。

    テンペスト

    劇場の前の、芝生の広場に、ちょうど正面玄関を背後にして、大きな四角形の花壇があ った。見やすいようにか、こちら側にやや傾けて作ってあるので、見に行くと、花文字が 書いてあるのだ。周りを青い花で埋めつくし、真ん中に丸く緑の地を作り、その中に、浮 き出るように鮮やかに黄色い花でSTRATFORDと書き、その下に、地域の紋章らし いものを、赤や黄緑の花で描いている。

    ロイヤル・シェイクスピア劇場の二階のロビーには、実に様々な人で溢れていた。おそ らく、世界中から、観に来ているのであろう。人種も背丈も服装も実に様々である。開演前のひととき、 椅子に座ったり、立ったり、ワインやお茶を飲んだり、仲間同士で話したりしている。み んな、寛いでいる。

    窓からは、右手にエーボン川、真正面に、先程の公園や花壇、船の係 留場が見える。すぐ真下に、駐車場がある。国旗も掲揚されている。 ブザーが鳴って、席につく。二階席は、舞台を、丸く取り囲む形に設けられている。我 々の席は、舞台をやや左上から、見下ろす位置にあった。

    「テンペスト」は、NHKで放映したBBCのシェイクスピア劇場で、見たような気が する。うろ覚えだが、粗筋は、船が、激しい嵐で難破し、生き残ったものは、不思議な魔法の島 に漂着する。かつてのミラノの大公プロスペロが、魔法を使って、自分の地位を奪った仇 敵を全員、おびき寄せたのだ。彼の復讐は、成功するが・・・ その先は、五里霧中である。しかも、俳優の英語を逐一追えるほどの英語力もない。

    日 本の劇場でイギリスから来た劇団によるシェイクスピアのベニスの商人を見たときには、 字幕に日本語訳が出たので、分かりやすかったが、ここではそんなサービスはしない。た だ、俳優のパフォーマンスを楽しむだけである。 そう思って見ると、俳優一人一人の凄さがよく分かる。次第に、演技に引き込まれていくのを 感じる。

    プロスペロを演じたアレック・マクコウエンは、イギリスの古典劇の代表的俳優 らしいのだが、この劇場に登場するのは、実に三十年振りのことらしい。落ちついた堂々 たる演技で、やはり主役の貫祿が滲み出ている。人間以上の能力を備えた妖精エーリエル 役のシモン・ラッセル・ビールは、上半身裸、頭を剃り上げ、顔は真っ白に塗り、あくの 強い演技で、観客の目を釘付けにせずにはおかない。

    後で、このシーズンの出し物を確か めてみると、彼は、「リチャード三世」であの悪役のリチャード三世役、「リア王」でエドガー役、「ゴー スト」でオズワルド役を演ずる大立者であることがわかった。

    道化役のトリンキュロを演 ずるディビッド・ブラッドリィーにしても、そのひょうきんな演技に、ただ者ではないと 思わせるものを漂わせている。確かに、彼も、シモン同様、RSC(ROYAL SHA KESPEARE COMPANY)が、当地に持っている三つの劇場では、ほとんど出 ずっぱりの大活躍をしているようだ。

    五月六日から、九月二五日までの今シーズンにかかる出し物は、この劇場に限って言え ば、「ハムレット」と「リア王」とこの「テンペスト」の三つだけなのである。しかも、「テン ペスト」の初日は八月十一日なのだ。わずか一週間前に始まったに過ぎない(もっとも、 プレビューは八月五日に始まっているが)。この劇場に背中合わせであるスワン劇場とち ょっと離れたところにあるトップ劇場とを合わせても出し物は十しかない。

    さすがに、シェイクスピア劇だけあって、言葉、言葉、言葉、言葉が溢れ出る。作者の 奔放な想像力の赴くまま、現実世界と夢幻世界とを自由自在に行き来し、造形した様々な 登場人物を巧みに操り、一場のファンタジーを紡ぎ出している。役者の台詞まわしが巧みで、舞台にリズムがある 。舞台装置は、極めてシンプルで、観客の想像力を要求している。台詞に、観客が反応し て、くすくす笑いが起きたり、爆笑がおきたりする。分かったらどんなに楽しいだろう。 台詞は分からなくても、この雰囲気だけにでも酔えないことはないが。

    公演が終わって、三々五々会場を出ていくざわめきが好きだ。興奮さめやらぬ、上気し た顔、顔。感激を、じっと噛みしめている顔。感激を、一刻も早く、連れと、わかちあい たくて、思わず、早口で喋り出す人。誰しも、今まで没入していた別世界から、頭脳を切り換えるには、しばらくかかる。

    外 に出ると、快い涼しさだ。すぐ右に出て、エーボン川に沿って、帰る。水鳥は、まだ、泳 ぎ回っている。JESTERまでは歩いて十分。途中のペトロル・スタンドに立ち寄って 、清涼飲料水の缶を買って帰る。この辺りは、何べんも往復して、もう、勝手知ったる、 わが街の感じである。

    JESTERは寝静まっている。例の二個の鍵で、部屋に忍び込む。シャワーを浴びよ うとしたが、ウィロマの得意の貼り紙を見て止めてしまった。

    「この部屋は、湯沸かしの ボイラーから、一番遠い位置にあります。しばらく、お湯が出ないことがありますが、ひたすら待って下さい。そ のうち出るようになりますから」

    結構、夜になって冷え込んでいる。いつ出るとも知れな いお湯を、裸で待つ気になれそうにない。


    ウィロマ

     翌朝、妻と連れ立って食堂に行くと、昨日同様の黒一色の服を着たウィロマが入口で 待ち構えていて、妻だけを通し、私を遮る。

    「夫族は、特に日本の夫族は、妻に優しく呼びかけることをしないようね。さあ、ここ から、奥さんに、マイ・ダーリンと言って上げなさい」

    食堂では、数組の家族連れが食事を取っていて、面白そうに振り返る。

     なるほど、シェイクスピアのお膝元だけのことはある。パフォーマンスが必要らしい 。ならば、昨夜、天下のロイヤル・シェイクスピア劇場で、名演技を見たばかりではな いか。シモン・ビールばりとは行かないにせよ、名演技を披露しよう。演技への動機付 けは大いに上がっているのだ。と、すぐ張り切ってしまう。要するに、乗りやすいタイ プなのだ。

    「マイ・ダーリン勝子」

    「それじゃ、何か、やって欲しいものはありませんか、と言って」

    「何か、やって欲しいことはありませんか」

    「じゃー、オレンジ・ジュースをもって来て。我が愛する夫よ」

    妻も調子に乗っている。彼女とて、シェイクスピアを観たばかりだし、乗りやすいタイ プという点では、わたし以上である。

    「はいはい、マイ・ダーリン」

    「よく、できました」

     ウィロマのディプロマを頂戴する。みんなやらされたのか知らないが、食堂には、和 やかな仲間意識が漂っている。アイルランドやニュージーランドなど方々からの客だ。  今日も、ばっちりイングリッシュ・ブレックファーストを食べる。昨日の夕食は、観 劇前だったし、お腹は十分空いているのである。息子のブライアンが料理やコーヒーセ ットをゆっくり運んで来て、にっこりする。

     出発の前に、約束の「碁ウイークリー」をウィロマに手渡すと、日にちと名前を書い てくれという。漢字とローマ字で書く。八ミリビデオカメラを回しながら、世界地図の 前でカード類の説明をしてくれるように頼む。ウィロマは少し照れる。

    「今日は、八月十八日、一九一九年の、いや、えーと、一九九三年の」

    間違えてしまって、顔を両手で隠し、隣にいた妻と背中をたたきあって笑う。

    「えーと、ここのカードは全世界からのものです。これは、日本の折り紙です。アメリ カもオーストラリアもカナダもニュージーランドも、とにかく世界の至るところから来 た人のカードです」

     われわれが、感謝の言葉と別れの言葉を述べると、自称ジョーカーのウィロマも、何 度もサンキューといい、玄関口で両手を盛んに振って我々を見送ってくれる。別れに、 JESTER’S WAY と書いたワープロで打った四枚の手紙を手渡してくれた。

     旅行中は、目を通さなかったが、いまその手紙を読んでみると、なかなか興味深いこ とが書いてある。

     一枚目は、最初に会ったときに、ウィロマの口から聞いたようなことが中心だが、電 話による予約を受け付けていない理由が書かれている。それは、最後の瞬間の決断を好 む人達のためである。その代わり自分たちのほうにも、生活の中に「スペース」をもつ ことができる。皆さんを歓迎する。私たちは、あなたがたに、友好的なイギリス家庭を お見せすることを通じて、このカントリーの大使に特命されたように感じる。訪問をエ ンジョイしてください。われわれがベストを尽くすと確信して下さい、あなた方は大歓 迎するゲストなのですから。われわれの名前から推察できるように、われわれは、思い やりのあるユーモアを提供します。最後にウィロマとブライアンの署名がある。

     予約を取らない理由が二枚目には縷々書かれている。予約を取らなくても、街に至近 距離という最良の立地条件の所にある。いつかかってくるかも分からない予約の電話を 待つのでは、ビジネスに自分の生活と自由とを支配させることになる。郵送代とか領収 書とか、余計の経費がかかるし、時間もかかる。予約した人が、いつ着くかも知れない のを待つのもいらいらする。待っていても空振りになることさえある。一緒に仲良くや っていける性格の人が好きだから、実際に会って、確かめた上で泊まって貰いたい。そ れに私たちは、最後の瞬間の決断をするタイプの人物とがウマが合うようにに思う。わ たしは、肩肘張らない外交型の気質だし、われわれにホテルを期待してほしくない。い わんや、奴隷的な召使など!われわれが、人好きがする人間であり、人を愛し、ユーモ アのセンスがあり、あなたに完全なプライバシーと独立を与えることがお分かりでしょ う。私たちがお約束できるのは、思いやりのあるユーモアです。ベストは尽くしますが 、我々も所詮人間に過ぎません。

     ここまで説明をしたうえでなんですが、私たちは、広告を出しました。と言うのも、 不景気で脅かされているからです。そして、新しいやり方を、試みようかと考えていま す。

     ドアのベルを押していただいて感謝します。あなたが、私たちを好きになるよう に望みます。

     三枚目には、もう少しシリアスなことが書かれている。私は、予約でやってくる人が 怖いのです。それにはわけがあります。息子は、共同経営者でもあるが、三四歳のとき 、心臓麻痺を患ったのです。そのため今も簡単にストレスを受けやすい。それで、われ われに余計の心配をさせる人を泊めると、彼をおじけさせることになると気づいたので す。わたしは、自分のやり方で(これはわたしの独立心の強い性格に少しは起因してい るのですが)自分のやりたいことをやることに決めたのです。私は人が好きですし、こ れまで、玄関のドアのところで、私自身の気に入ったやり口で、泊まってもらっても安 全な種類の人、なにか分かちあえる共通のものを持った人を、選ぶことに成功してきま した(たまには、失敗もしますが、それほど度々ではありません)。そこで、わたしの (年輪を重ねた)知恵を働かせて、私は決心したのです。われわれのうちの例え一方に でも、ストレスになるような人は一人として、ドアの内に入れないことにしようと。

     それが電話予約を恐れたわけです。どうやって、予約した人が我々を好いてくれると 分かるでしょう。私が、夜ベッドに入るとき、どうして安全と分かるでしょう、もし、 その人が、突然ベッドから飛び起きて、私たちが取り返しようもないカタストロフを引 き起こしかねないとしたら。

     これが、なぜ私がこういうふうに考えたか、なぜ私が私自身の個人的なルールを作る ようになったかに対する答えです。私の家には、素敵な小さなノートでいっぱいになっ た壁があります。それは、ここに泊まった人達が、ここに泊まったことを如何に楽しん だかを世界中に物語っているのです。これが、私たちが、お互いを好き合い、認め合っ ていることの証であり、これこそ、この仕事がもたらす満足そのものにほかなりません 。

     最後の頁は、ゲスト・ハウスについて、これまで彼女が書いたことからの抜粋である 。

    −−私は百万歳も年取ったように感じる。それはこの世が私のプレイグランドだから だ。こういうと、私が随分と旅行したように思われよう。しかし、そうではない。  私は、ストラトフォード・アポン・エーボンの中心にゲスト・ハウスを持っている。 この利点を生かして、私は世界を、私の小さなホールを通して見ている。時々私は興奮 し、期待に胸を膨らませる。玄関先に一体次に,どんな人がやって来るか全く分かりも しないのに。  同時にそれは、寂しいことでもある。宿泊客と、私は一緒に過ごす。話し合う。ゴシ ップを交換する。だが大抵は、どこの国からやって来たかとか、どんな暮らしをしてい るかとか、どんなことをやってみたいとか、どんなに世界の平和を願っているかとか、 どんなに多くの共通な面を持っているか、といった類のことだ。

     他の人よりもっと友好的な人もいる。だけど、友好性の劣る人も、私は、私が編み出 した接近法には、逆らいがたいと確信している。それ故、私は彼らから彼らのベストを 引き出し、私に示せるようにする。

     そして彼らが、抱きしめ合い、手を振りながら出ていくとき、私には、よくわかって いるのだ。もう二度と会うことはないだろうと。それが、一瞬だけど、私に喪失感を味 わわせる。

     世界の果ての果てから彼らはやって来る。そしてそこへ戻って行く。私は彼らの記憶 の中のちっちゃな点として残るだけ。

     しかし、出会いを沢山重ねたことから、私はこの世界はとても小さいと感じる。とて も傷つき安く、とても壊れやすいと。私は、高年令者のグループに入っているし、数年 たらずしてこの世を去っていくことも分かっている。私が会ったひとりひとりの人は何 処かへ去り、それぞれ違ったことをやりながら彼ら自身の生活を送る。

     しかし、私は相変わらず、ここに止まっている・・・忘れないでね!

    シェイクスピアゆかりの名所

     今日も、絶好の行楽日和である。一日かけて、シェイクスピアゆかりの場所を見て回 ろうということで、橋の手前に駐車し、まず、彼の生家を目指して歩き始める。橋を渡 り、公園や劇場を左に見て、賑やかな大通りを行く。道路に沿って、いっぱい駐車して いる。真正面に、時計のある白い建物がある。バークレイ銀行の建物だった。イギリス で一番古い銀行である。こんなことを知っているのは、今年の四月から東京支社に長女 が勤めるようになったからである。

     さして大きな街ではない。地図を頼りに歩くと、石畳のヘンリー通りに面した、シェ イクスピアの生家までは、十分そこらだった。生家に入るにはその左のシェイクスピア ・センター・ビルの入口から入るようになっている。受付で切符を買うと、すぐその横 に、ファルスタッフの像がある。ロビーの奥には、シェイクスピア劇の名場面が十こま ほど、等身大の人形で再現されている。衣装なども、随分凝っている。BBCテレビが 作ったものらしい。そこを、右に折れたところに、出口があり、庭に出る。庭には花が 溢れるように咲いている。木も多い。その向こうに三階建ての素朴な建物がある。三階 は、屋根裏部屋であろう。建物の周りも花でいっぱいである。結構大きな建物だ。切り 妻作りの屋根は、赤みを帯びている。壁には、大きな木の枠があり、その間を黄色のし っくいで塗ってある。中に入ると、さすがに時代がたっているだけに、木の部分は真っ 黒になっている。床の傾いたところもある。生まれた部屋には、乳児用の木のゆりかご もある。大きな暖炉が、幾つもある。窓ガラスには斜めに格子が入っている。屋根裏は 、木の梁が剥き出しで狭い。内部は展示場になっていて、年譜や、肖像画や、直筆の原 稿や、世界中で翻訳された出版物等が展示されている。日本版もある。出口に近い台所 に、幼児の歩行練習用のポールが天井から床まで立っている。それに、半円形の鉄の輪 のついた横棒がついていて、回るようになっている。その輪の中に幼児を入れ、つかま らせて歩かせるのである。いまあるのは、文豪が使ったものではないらしいが、同じよ うなことを、シェイクスピアもやらされたのであろう。文豪といえど、乳も飲めば、ゆ りかごでおねんねもする。はいはいもすれば、柱の周りを、よちよち歩きもしたのであ る。ぐっと親近感が増してくる。

     生家の右隣は、売店になっていて、みやげ物、記念品、書籍などを、売っている。人 混みが激しいので敬遠し、庭や、表通りで、生家を背景に記念撮影をして、次の目的地 へ向かう。まず、近くにあるテディ・ベア博物館でも見ようと歩いていくと、途中に「 リセッション」というパブがあった。博物館は休館だったので、ヘンリー通りに引き返 すと、ロースト・チキンと魚を売っている店がある。牛肉や豚肉を扱う肉屋とは区別し ているらしい。ロースト・チキンは、こんがりと狐色に焼けて、ロースターの中を、ぐ るぐる回っている。魚の種類はかなり豊富である。貝類や、海老蟹の類もある。

     本屋があったので覗くと、大型のロードマップを二・九九ポンドで売っている。定価 が六・九九ポンドのものである。極めて詳細で、昨日通った農道まで乗っている。色々 工夫されていて、見やすく、ドライブ・ルートの計画がたてやすい。イギリスの全体図 もあれば、主要都市の詳細図も、ちゃんと載っている。早速、買い込む。これは、今度 の旅行中、本当に役にたった。

     この本屋は、信じようと信じまいと、ほとんど全商品半値以下と看板を出している。 こんな本屋が日本にもあれば、いいものを。イギリスの案内書でいいものはないかと、 旅行書のコーナーに行くと、「改訂版イギリス」「イギリスの海と浜辺」「イギリスの カントリーサイド」「田舎のイギリス」とか、「イギリスは一つの庭」といった本が並 んでいる。だが、適当なものが見つからなかった。  本屋に寄ったのは、息抜きでもあった。肉屋の定義を巡って、妻とつまらないいさか いをし、あまりにつっけんどんな言い方をするので、ちょっと冷却期間をおいたのであ る。二人連れで旅行をしていれば、いつもいつも、仲良くばかりしておれぬ。相手が、 礼儀を弁えぬときは、離れているに限る。時間同様、距離ももめごとを解決してくれる のである。

     文豪ゆかりの街のせいか、本屋が多い。すぐ側にも、もう一軒大きな本屋があった。 すでにやきもきしている妻を待たせて、中に入る。さすがに旅行案内書なども揃ってい る。ポーランド時代に愛用したミュシュランのグリーン表紙のものもある。しかし、こ こはイギリスである。イギリスの旅行案内にフランス版を使うこともあるまい。若い男 の店員に、お勧め品ははいかと尋ねると、しばし小首を傾げていたが、これがいいと一 冊の本を持ってきた。「Let’s Go :England and Irelan d 1993年版」というタイトルだ。表では妻がイライラして待っている。中も見な いで買うことにした。値段をきくと十四・九九ポンドという。先程半値の店で買ったせ いか、ひどく高く感じられる。六二〇頁もあるのだから、当然の価格なのかもしれない が。さて、買っても目を通す暇もない。背中のリュックサックに放り込んで、急いで、 妻のところへ飛んでいく。

     ハーバード大学を創設したジョン・ハーバードの生家は、これも三階建ての古い建物 で、商店街の真ん中に、他の建物と軒を接して建っていた。黒い大きな木の枠のある家 で、旗がたっている。中に入ると中年の受付の女性が、二人いる。どちらも親切で、私 がリュックサックを担いでいるのを見て、預かって上げようという。建物の正面の、木 の枠には浮き彫り施されているのを、知っているかと、わざわざ連れていってくれる。 家の前のほうが作られたのが古くて十六世紀のもの、後ろの部分は十七世紀に継ぎ足さ れたことなど、色々と説明してくれる。質問にも、親切に答えてくれる。

     建物は、がっしりした大きな材木で作られている。階段の板も厚い。梁も大きい。床 は磨かれて光っている。漆喰は真っ白だが、もとの壁がそのまま残されているところが ある。そこだけは、黒ずんでいる。ジョンの家系図、アメリカに移住してからの、活躍 ぶりなどを示すパネルが掛かっている。豊かな商家だったことを示すように、置かれて いる家具調度品もどっしりと大きい。精密な彫刻が施されている。今も使える。美しい 暖炉もある。一階の厚いドアには、なんと大きな鍵が五つもついている。守るべき財産 が相当あったに違いない。

     三階は屋根裏で、梁が出ていて歩くときには腰を屈めなければならない。通り側の窓 からは、眩しい光が差し込んでくる。賑やかな街の様子が見下ろせる。三階から、殆ど 垂直に降りるような、木の階段がある。  同じ通りをまっすぐいくと、左に古い教会と、これも古い小学校、突き当たりに近い ところにシェイクスピア・インスティチュートがある。そこからすこし手前にこの街で 一番古いパブという看板を出している花と息子亭があったので、引き返し、そこで昼食 を取ることにした。

     乾いた喉を、ライト・スワンというアルコール分の少ないビールで潤し、黒板に白と 赤のチョークで書かれた本日のメニューから野菜スープと馬蹄型のガモン(豚の腹下部 の肉)というのを、頼む。料理にはフレンチ・ポテトと野菜サラダがたっぷりついて、 今にもこぼれ落ちそうだ。飲み物のカウンターと料理のカウンターは別で、前方にある 飲み物のほうには、だぶだぶの上っ張りとジーンズの若い女性が、後方の料理のほうに は、若い男のコックがいる。飲み物のカウンターの前で立ってビールを飲んでいる人も いる。その側の壁に、ビールの王様のポスターが貼ってある。料理のほうのカウンター の前で女性の二人連れがコインを落とし、コックが床にはいつくばってカウンターの下 から捜し出してやっている。おっと、見つかったようだ。  ガモンは、厚みのあるベーコンといった感じでいける。食後にコーヒーを飲む。古い パブだけあって、奥行きがあって、気さくな雰囲気で親しめる。

     先程の古い教会に入ってみる。結構古いらしいが、中は清潔で、小さなパイプオルガ ンがある。その隣が、ニュープレイス。ロンドンで高名な劇作家になったあと、故郷に 戻ったシェイクスピアが晩年を過ごした場所であるが、そこに隣接して、文豪の孫娘が トーマス・ナッシュと結婚して住んだナッシュの家がある。白の漆喰と赤い煉瓦の組み 合わせが面白い。家の壁を覆い尽くす勢いで、蔦やかずらが纏いついている。屋根は、 生家と同じ色だ。受付で、妻がチケットを買っているのを、見るとはなしに見ていると 、そこに、シェイクスピアゆかりの場所、五箇所を巡る割引チケットも売っている。値 段を確かめると、七・五ポンドという。すでに生家は、見てきたのだけど、あと四箇所 全部見ると、まだ安くならないかと尋ねると、気のいい受付のオジサンが親切に計算し てくれた。いや、確かにちょうど一ポンド安くなる、という。これから、四箇所見て回 れるかときくと、大丈夫という。そこで、チケットを買い換える。  ナッシュ家は、裕福な家庭だったと見えて、家具調度品は、かなり立派である。大き な暖炉には、豚や羊を丸焼きにする、かなり大仕掛けで複雑な装置がついている。博物 館では、この街の歴史を図示している。

     庭が素晴らしい。大きなバラ色の薔薇の木を中心に、周りに、黄色、赤、紫、白、ピ ンク様々な色の花を、色毎に緑や薄青の低い垣で囲い込んでいる。その奥にも、さらに 広い庭があって、緑の芝生を、緑の生け垣で囲まれた花壇で取り囲んでいる。芝生に置 かれたベンチで、ゆっくり寛いでいる人、芝生に座っている人。ゆとりだな。

     次に、ホールズ・クロフトへ行こうという段になって、このまま、徒歩で回るか、車 を持ってきて回るか、妻と話し合った。各名所の近くには、駐車場が結構整っているよ うだし、今引き返したほうが我々の車を留めた駐車場にも近いのだ。結局、車を取りに 戻ることにした。劇場の裏側の細い道をエーボン川に沿って行くと船着場に出た。折よ く、遊覧船が出ようとしている。よし、乗っちゃえ。

     次の瞬間、すでに船の中の座席に座っていた。船着場には、大勢の人が、たむろして いる。視点が低くなったせいか、周りが違って見える。目の前の乳母車に乗った幼子も 、大きく見える。時計盤があって、次の発着時刻を示している。予定の一時五十分、三 十人ほどの定員がほぼ満員になって、船は川岸を離れる。ロイヤル・シェイクスピア劇 場を右手に見ながら、トリニティ教会の方へ向かう。大きな平底の船に、大勢の人が乗 っているが、大きなトランクを手で回して漕いでいるのだ。のんびりしたものである。 ボートを漕いでいる人もいる。すぐ岸は緑で一杯になる。教会の手前で、引き返えす。 白鳥やカナダガン、オオバン、雁で一杯の島も、目の前である。大きな柳の木が陰を作 っている。二つの橋の下をくぐる。最初のが赤い煉瓦の、二つ目が白い煉瓦のアーチに なっている。橋をくぐると、川の両岸は、もっと、緑が多くなる。右手には、大きなハ ンノキやブナがが、川岸まで迫っており、その間に、大きな屋敷が点在する。表札を、 川に向けて出している。川岸から、溝を切り込み、大きなランチを係留した船着場があ る。左手には、葦や低木が生い茂っている。遊覧船と行き違い、手を振り合う。ボート を川岸に漂わせて、のんびりと、ランチを食べている若いカップル。その周りを、白鳥 と鴨が取り囲み、餌をねだっている。家族連れ、若者のグループもボートに乗り、エー ボン川のゆったりした流れに、歩調を合わせて、たゆたっている。川風が、心地よい。

     ちょうど、三十分のクルージングを楽しみ、駐車場に、車を取りに戻った。ホールズ ・クロフトは、RSCの三つの劇場の立ち並ぶ道を、エーボン川に沿って進み、右に曲 がった所にある。これは、シェイクスピアの娘のスザンナが夫のジョン・ホール博士と 住んだ家で、三階の屋根裏部屋つきの大きな建物である。チューダー朝風の家具や医具 が展示されている。本屋もある。赤煉瓦の塀に囲まれた、大きな庭がある。真ん中に芝 地があり、塀に沿って、花壇がある。庭の方々に、面白いフォルムの彫刻が置かれてい る。子安貝に似た青緑色の物、ハープを思わせるようなもの、色合いとフォルムに引き つけるものがある。二人の中年の男女が、その一つをせっせと包装している。近づいて いって、尋ねると、思ったとおり、作者夫妻だった。今日までこの庭を借りて展示させ て貰っていたのだという。

     大変、興味深く見せていただいた。とてもユニークな彫刻だが、発想の原点は、何で すかと尋ねると、全てシェイクスピアですという答えだった。シェイクスピアを読むと 、様々なアイデアが浮かんで来る。この、と例のハープに似た作品を指さして、これも 、真夏の夜の夢からの刺激で作った作品という。一つの作品に二三カ月はかかる。名前 は、ロビン・ブラウン(Robin Brown)。顔の半分からしたは、ふさふさし た褐色の髭で包まれている。縁無しの眼鏡、青のTシャツ、萌葱色の半ズボン、サンダ ルのいでたち。奥さんは、白のワンピース、紅茶色の眼鏡。二人とも体格がいい。彫刻 を挟んで立ってもらい、記念撮影をさせていただいた。二階の本屋には、ロビンを紹介 するパンフレットがあった。

     草花が一杯のテラスでお茶を飲み、手作りのケーキも味わって、外へ出た。そこから 、トリニティ教会までは、歩いてすぐである。

     白い石材に蜂蜜色の石材を配した上品な感じの教会だ。晴れた空に高い尖塔が突き刺 さっている。木立と、緑の芝生があり、墓石が並んでいる。中に入ると、両側のステン ド・グラスが美しい。一番奥まった所に、右手に羽ペン、左手に紙を持った文豪の胸像 がある。死後七年経たないうちに、まだ未亡人や友人の存命中にたてられたものらしい 。前頭部はつるつるに禿げ、左右に髪が残っている。左右にピンを張った鼻髭、唇の下 に菱形の顎髭、目を丸く開き、眉毛は半円形、口を少し開きぎみにしている。白い襟と 、袖口の茶色の革の上着を着、その上に是も革の褐色のベストを着ている。その直ぐ下 にシェイクスピアは眠っている。埋葬されたのは一六一六年のことだ。妻のアンも家族 も一緒に埋葬されている。その直ぐそばに、彼の洗礼と埋葬を記録した小教区記録簿の コピーが置いてある。確かに、ウイリアムと書かれている。オリジナルはシェイクスピ ア生地財団が保管している。十六、十七世紀のこうした記録がちゃんと保存されている ところが、すごい。

     教会から、約一マイル離れた郊外にある、アン・ハースウェイのコッテージへ向かう 。彼女が文豪と結婚する前に住んでいた家である。美しい形をした草葺きの大きな家で 、周りに果樹園や、シェイクスピアの作品に登場する植物の庭もある。家を取り囲む庭 には、草花が咲き乱れている。中は、農家らしい家具調度品がいっぱいである。暖炉に は、豚を丸焼きにする機械仕掛けがある。二階は屋根裏部屋で、黒ずんだ梁や木材が、 剥き出しになっている。

     さて、シェイクスピアゆかりの場所も四っつ見たが、後一つ回らないと、共通チケッ トにした採算が合わない。見学の時間も少なくなってきた。買い込んだ地図を参照して 、メアリー・アーデンの家へ向かう。ここに、文豪の母メアリーが子供の時に住んでい たのだ。三マイルほど走ったろうか、それらしい建物がある。前に、大きなコーチが停 まっているので間違いない。入場制限時間すれすれに滑り込む。メアリーの家は、チュ ダー期の農家である。石垣に囲まれた、木造のがっしりした建物である。それに、軒を 接して、中庭をぐるりと取り囲む形で、建物が建っており、昔の農機具などの博物館に なっていて、「イギリスの生活誌」で見たような時代がかった農機具等が展示されてい る。リンゴ酒を作る大きな臼や、圧搾器、馬車、鋤鍬の類、脱穀機、、鍛冶屋、荷車の 轍を作る用具類などなど、興味深いものがいっぱいだ。丸い塔のような建物に入ると、 白い漆喰に四角の穴が無数に開いた壁がぐるりと取り囲んでいる。それは鳩舎だった。 一千個もの穴が有りそうである。一つの穴に、一羽ずつ入るのだろう。

     展示品を見ながら奥へ奥へと進んでいくと、広い広っぱに出た。その右手に、背の高 い青いTシャツの若い男性を、見物客が取り囲んでいる。見ると、左腕に隼をとまらせ ている。その後ろの低いトタンの長い庇の下に、五=ほどの間隔で、ずらりと猛禽類が とまっている。鷹、隼、ミミズクなど大きいのも小さいのもいる。どれも、嘴が曲がっ ており、目つきが鋭い。脚を小さな鎖で繋がれている。

     日本の鷹匠と同じである。広い芝生の上で実演が始まった。長い紐の先に、革のバン ドにヒヨコをくくりつけ、空中をぐるぐる回し、隼に追わせるのである。鳥類保護から 、野性の飛ぶ鳥を使うことは許されず、殺した雛を使うのだそうだ。くくりつける前に 、お尻から糞を絞り出す。隼は、ぐるぐる回る獲物を追うが、勢い余って、行き過ぎて しまい、遠回りする。自ら楽しむように、近くの建物の陰や、大きな木の陰に隠れ、し ばらくすると姿を現す。その度に、鷹匠が、雛をビューンと回す。見ている人の頭上を かすめて、隼が追う。羽音が聞こえるほど、近くをかすめる。これを、数回繰り返し、 最後にゆっくり、雛を投げ上げると、隼がそれを捕らえて、芝生に一緒に落ちる。鋭い 嘴で、引きちぎって食べる。

     広場の反対側にも、ロープに囲われた一角に、四五羽の猛禽類が鎖に繋がれている。 その枠の中を、アヒルや鶏が歩いている。猛禽類も慣れたもので、静かにとまっている 。

     その付近の建物の中には、昔の農家の室内風景が展示されている。機織り機がある。 ストーブと、アイロンやこてがセットになっている。様々な保存食用の瓶がずらり並ん でいる。窓からは、人間の頭ほどの大きさのねぎぼうずが見える。

     入口のところへ引き返すと、屋外で、様々な種類のハーブを売っている。屋内にも、 みやげ店がある。妻が、茶匙を買う。

     さて、これで一通りシェイクスピアの縁の施設を見終えたわけだが、中身の多様さに は驚かされた。まさか鷹匠まで、コースに入っているとは!シェイクスピアの多様さの 源泉も、このあたりにも潜んでいるのだろうか。彼の作品を彩る、多種多様な動植物に しても、こうした環境があってはじめて、可能だったに違いない。

    −−おれはある花土手を知っている。野生の麝香草の花が咲き、

      九輪草や首うなだれたスミレが茂り、

      かぐわしい忍冬(すいかずら)、香りも高いバラの花や

      野イバラが絡みあって、さながら天蓋のようにその上をおおっている。

     これは、「真夏の夜の夢」の一節だが、ギリシャの妖精世界は、シェイクスピアが、 子供の頃からなじんでいたに違いない草花で彩られている。アーデン家で売られていた ハーブについても、「ロミオとジュリエット」の二幕三場で、薬草を摘むローレンス神 父の口を借りて、その効能を次のように説く。この神父にシェイクスピアは自らをたく していないだろうか。

    −−わたしはこの柳の籠いっぱいに満たさねばならぬ、

      恐ろしい力を持つ毒草と貴い薬液をたたえる花々を。

      (中略)あまたの草はあまたの効能によってすぐれ、

      効能を備えぬものは一つとしてなく、それぞれに力を持つ。

      ああ、強大なる草木、金石、その

      まことの効能に宿る力強き薬効であり、

      およそこの地上に生きる物、価値なき物は一つとしてなく、

      かならずそれぞれに特異なる益を地上にもたらす。

      とはいえ、ひとたび正しく用いる道を誤れば、

      いかに善なる物もその本性に背いて濫用に陥る。

      誤って用いれば美徳もまた悪徳と化し、

      悪徳もまた用法の如何によっては時として善効を生む。

      恩寵と野卑な欲望という仇敵は草のみならず、

      人間のうちにもたえず対峙して陣を構え、

      悪しき軍勢が力を得れば、たちまちにして

      草は内より害虫に蝕まれ死に絶えるもの。

     アーデン家は、この地方で最も古く、貴族の血を引く名門である。付近のアーデンの 森や野原で幼い日のシェイクスピアは、母に手を引かれてハーブを摘んだのだろう。子 供の頃から、さんざん母親に聞かされていたに違いないハーブの効能に託して、ここで 、彼の自然観、人生観を述べているようにも思える。「お気に召すまま」の舞台も、ア ーデンの森であり、シェイクスピアは、「樹々に言葉を、流れる小川に書物を見いだし 、石に説教を聞き、あらゆるもののうちに善を発見する」オーランド大公の言葉に、こ の森を懐かしむ自らの思いを込めているようにも思える。

     ああ、あの楽の音がこの耳に流れる様は、さながらに

     甘い響きがスミレ咲く花土手を吐息のように吹き抜けて、

     花の香りを奪い、花に香りを与えてゆくかのごとくだった。(十二夜一幕一場)

     さながら野生の鷹のように、どんな鳥が目の前に現れようと、

     とっさに飛びかからねばならない。(十二夜三幕一場)(以上、安西徹雄訳)

     シェイクスピアの劇から、今日、見聞きしたことに関係するこうした詩句を、いくら でも、拾いだすことができるだろう。しかし、旅を急がなければならない。

    ストーン・マナー・ホテル

     時刻は五時二〇分、ストラトフォードに引き返して、宿を捜すことにするか。まだ日 は高い。明日は北ウエールズの海岸、カナーボンまでの強行軍の予定である。今日の内 に少しでも近づいたほうがよかろうと言うことで、西へ向かうことにした。

     田舎道を、 勘に任せて走っていると、Aクラスの道に出た。日が暮れるまで走るだけである。その 前にガソリンを入れておこう。イギリスに来て初めての給油である。道路沿いの給油所 に立ち寄る。イギリスではガソリンをペトロルという。スタンドはほとんどセルフ・サ ービスである。ポーランド時代にヨーロッパを走ったときにもセルフ・サービスだった ので、やったことはあるが、記憶はおぼろげである。

     車を留めて、さて、給油の蓋を開こうと、車の中にノブはないかと捜す。何処にもな い。降りていって、開こうとしてもうまく行かない。他の車の運転手も一緒になって、 ノブを捜したり、蓋を開けようとしてくれるのだが、うまく行かない。ガレージから修 理工を連れてきても、開かない。どうしたものか、と思っていたら、修理工が開きまし たという。引っ張って開けるのではなく、右端のところをほんの少し押すと簡単に開く のである。さて、タンクのキャップを開けて、ノズルを差し込むとこれが入らないのだ 。と、また、近くの車の運転手が、この車は、無鉛車だから、この緑のタンクから入れ なければならないと教えてくれた。それだと、なるほど、すーつと入る。

     計器の針を見ながら、入れる。三六リットル入れたところで、満タンになった。レジ に行くとちゃんとメーターがあって、そこで料金を払う。一リットルは、約五〇ペンス 、日本より随分安い。

     A488号線の道路脇に、様々な宿泊施設が現れては消える。B/Bを、二日連続と いう気はあまりしない。その意味では、ウィロマには感謝しなければならない。ホテル や、インの類がいいと、思いながら、それでも、決めかねているうちに、出発してすで に二時間近く走った。いよいよ、決心する時刻である。

     左手に、赤いホテルの看板が見えた。入口に、車を乗り入れると、四つ星のホテルで 、「STONE MANOR HOTEL」となっている。

     カースル・クームの「THE MANOR HOTEL」も、ここと同様に四つ星で 、マナー(荘園領主の館)を改造したホテルだった。料金もすこぶる高かった。ちょっ と、これは、と思いなおし、道路に戻る。とほんの少し行ったところに別の看板があっ て、 「一人一泊三七ポンドから宿泊出来ます」 と書いてある。直ちに引き返す。現金なものだ。この看板に救われる人も結構いるに違 いない。

     さすがマナーというだけあって、入口からホテルの建物まで木立のなかをかなり走ら なければならない。噴水の周りをぐるりと一回りして、入口に到着する。結構大きな建 物で、入口付近の壁は、蔦に覆われて見えないほどだ。受付で空室があるかと聞くと、 あるという。料金は一人四三ポンド。部屋を見せて貰うことにした。日本旅館にも増設 された部屋は、鰻の寝床みたいな通路をあちこち通らなければならないのであるが、こ のホテルも増設されていて、新館までかなり歩かなければならない。しかし、部屋はな かなか広く立派な作りで、洗面所も清潔で

    ゆったりしている。四三ポンドなら安い感じ である。もちろん泊まることにした。  レセプション・デスクに戻って、宿泊の手続きをしながら、そこに掲示されている料 金表を見ると、四三ポンドの部屋が、最も高いことになっている。われわれが泊まるこ とにしたエグゼクティブ・ルームの他にFOUR POSTER BEDROOMとい うのが、同じ料金で泊まれる。不思議なことにエグゼクティブ・ルームのほうは週末に なると少し安くなるのに対して、もう一方のほうは、ほとんど倍近くの料金になってい る。いったい、どんな部屋なのだろう。こっちに泊まってみるのも悪くないかも知れな い。どんな部屋だと聞くと、特別のベッドがあって、新婚の客が利用するので週末が高 いという。百聞は一見にしかず。見せて貰えるかというと、どうぞという。

     もう一度、ボーイに案内されて見に行く。最初の部屋とあまり離れないところにあっ た。部屋の大きさは、ほとんど同じだが、確かにベッドが違う。四本の柱の天蓋つきの ダブル・ベッドが部屋の中央にでんと据えられている。枕元には、大きなスタンドがあ って、宮殿の寝室のように華やかである。なるほど、これで合点がいった。新婚さんが 好むのも無理はない。

    「こちらになさいますか」

    「いえいえ、さきほどのツイン・ベッドの部屋で結構です」

    旧婚夫婦は、あわてて、口を揃える。慣れないせいか、ダブル・ベッドはどうも疲れる 。苦手なのだ。

     まだ、外は明るい。散歩に出る。ここにも、広大な芝生の庭がある。敷地面積は二五 エーカーというから、見渡すかぎり、このホテルの敷地なのだろう。庭の端の灌木の繁 ったあたりに、野兎が、ピョンピョン跳ね回っている。われわれが近づくと、大急ぎで 、藪の中に駆け込む。高く上げた丸い尻尾とお尻が見え隠れする。随分いる。さきほど 、ボーイが沢山いると言った通りである。バラの花壇、生け垣に囲まれた小庭、プール やテニスコート、ゴルフのパター・コースもある。大きな樹の枝をリスがひょいひょい と渡っている。ホテルの建物はせいぜい三階程度。木造で、白い壁に、材木の模様が美 しい。切り妻の屋根から、大きな煉瓦の煙突が六本ほど出ている。庭から見て左手に、 新館が増設されている。屋根や壁の色が少し新しい。テラスでお茶を飲んでいる人たち がいる。今時、庭に出ているのは、われわれ二人だけだ。ウェストバート植物園で買い 込んだセーターを来て、半袖キュロットにセーターを肩にかけた妻とゆっくり歩く。空 気がおいしい。

     日も次第に傾き、今真っ赤な夕日となって、建物の反対側にある木立の梢にかかって いる。なんとも運がいい。まさか、今日の夕日を、こうして、ゆったりとした気分で、 広々とした緑の芝生に佇みながら、眺められことになろうとは、予想もしなかった。S TONEという町があることさえ、ついさっきまで知りもしなかったのである。

     ディナーは、カースル・クームの経験に照らして、九時に予約しておいた。部屋に戻 り、シャワーを浴び、背広に着替えて十分過ぎに行った。妻はと、見れば、新調のワン ピースにケープを着ている。これも、この旅行のために誂えたものらしい。白地に橙色 の縦縞のもので大きな白い襟がついていて、よく似合っている。首には、一カラットの ダイヤの首飾りが輝いている。これは、二年前に銀婚式を記念して、プレゼントしたも のである。

     ロビーに行くと、すでに案内役が待ち構えていて、入口の左手奥にあるレストランへ 案内してくれる。食事の前にお酒を飲みますかというので、すぐ食事をしたいと答える と、バー・ラウンジを抜け、大きな半楕円形のコーナーに案内される。小豆色の、詰め れば七八人は座れそうな椅子だ。窓際に、こういうコーナーが幾つも並んでいる。テー ブルには、白いクロスがかかり、その上にバラやカーネーションが活けてある。大きな 電気スタンドには温かい光がぼんやり灯っている。大きな壺や象の陶磁器の置物が窓の 近くに沢山置かれている。窓は先程散歩した庭に面しているが、外はもうほとんど暮れ てしまっていて、よく見えない。正装のボーイが注文を取りにくる。

     ワインはボルドーのクラレット。これが、このホテルのハウス・ワインなのだ。なか なかいける。二人で交互に写真を撮っていると、隣のコーナーで食事していた、中年の 夫婦がいて、夫のほうが、撮って上げましょうと、すっとやって来て撮ってくれる。ワ インの大きなグラスを片手にレンズに収まる。  料理は、オニオンスープに始まった。たっぷりと量がある。舌先が火傷するほど熱い 。メインの料理には、野鴨のグリルを頼んだ。これが、口のなかで蕩けるようなおいし さでる。ラムチョップを選んだ妻と一部交換したが、これも、美味い。

     妻に言わせると、イギリスに来て以来、ここの料理が一番おいしいという。間違いな い。私も賛同する。カースル・クームのマナー・ハウス・ホテルの料理も、美味いとい う話を聞いていたので、大変期待していたのだが、実を言うとスープやメインの魚料理 にしても少し塩辛く、これはとやや頭を傾げたことを白状しなければならない。まあ、 しかし、慣れぬ外国を旅行するときは、少々鈍感な舌と、鈍感な神経を持っていたほう が、よほど楽しめるとしたものである。日本での日常生活のとき以上に敏感な舌と神経 で、厳しい評価ばかりしていたら、折角の旅行が、萎びたものになりかねない。

     デザートはウエイターが引いてきたワゴンから、いろいろ迷ったうえで、ブラックベ リーとクリームを選ぶ。種類が豊富で、何種類でも結構ですよ、と言われてもそんなに 食べられるものではない。このウエイターが、またいかにもプロで、動作もきびきびし ており、会話も投意即妙、細心の心配りをしてくれるので、ゆったりと寛いで、話に打 ち興じながら、料理を楽しめる。最後にたっぷりとお茶を飲んだ。  部屋に戻り、せっかく買ったのだからと、「Let’s Go」を引っ張りだした。 表紙に、限られた予算しかない人のための旅行案内とキャッチフレーズが刷り込んであ る。ロンドンで一泊28ポンド以下の宿泊施設を10軒以上リストアップなどと謳い文 句がある。あの若い店員は、リュックサックを背負った見栄えのしない白髪の中年男に ふさわしい本ということで良心的に選んでくれたのだろう。まさか、自分が重宝したの で選んだわけではあるまい。


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