(9)大人気なさと対外摩擦 (1987/4/20)
(12)「気」の渦巻く「ウズ社会」
(1987/7/20)
日本の夏の暑さは、世界でも指折りのものだ。温度だけでなく湿度も異常に高くなる。だがら真夏日、熱帯夜ともなると、文字どおり蒸され、うだされる。不快指数は鰻のぼりとなり、心頭をいくら減却しようと私のごとき凡人では涼しいといえる心境には達しえない。
日本の暑さに比べれば、欧米諸国の暑さなどまるで軽井沢並み、月とスッポンほどの差がある。ところが、夏休みの長さとなると、逆に酷暑の日本の方が欧米諸国にくらべスッポンの尻尾程度に短い。そのあげく貿易摩擦がらみで欧米諸国から、日本の働きすぎの象徴として非難される。
それにこりてか政府も、遅れればせながら、夏休みの増加やまとめ取りを奨励しているが、さほど効果は上がっていない。私など根がぐうたらに出来ているので夏休みは一日でも長いほうが歓迎なのだが、日本人の多くはそうは思わないらしい。
バカンスヘの情熱
私には、ヨーロッパに三年滞在した経験があるが、ヨーロッパ人のバカンスにかける情熱には圧倒されたものだ。一年も前から予定を立て、そのために日頃は質素な生活を送る。その日になると、なにはさておきいそいそとバカンスへ赴く。
欧米ではバカンスと仕事とが同等の価値を持っている。いや場合によるとパカンスの方が上かもしれない。欧米人はバカンスを単なる仕事をしない時間というだけでなく、人生にとって欠くべからざる時間、構成要素と考えている。それがなくなれば、人間としての生きることの意味がなくなるほどの重みを置いている。つまり、各人の精神生活と探くかかわるものとしてとらえており、バカンスをないがしろにすることは、人生をないがしろにし、人間らしさを失うことに繋がるとみている。
それに引きかえ日本人のバカンスヘの情熱は桁違いに低い。日本の場合、あくまで仕事優先で、バカンスの価値は、不当に軽んじられている。バカンスヘの情熱などまだ微熱程度のものでしかない。政府の休暇奨励も内需拡大策の一環として打ち出されたにすぎない。
「取らない」のか「取れない」のか
日本人は与えられた夏休みや有給休暇さえ、「取らない」働き者ということになっている。しかし、取ろうにも「取れない」面があることを忘れてはならない。
国家公務員の場合も、この時期がちょうど予算要求案編成時期に当たってける。近年財政難
ということで予算のシーリング枠設定で休日を返上して大臣折衝さえ行われる。大臣が休日返上で働いてているのに部下がのうのうと休むわけにはいかないのが日本の社会だ。日本の組織では、本当の意味での権限委譲の思想が定着しておらず、関係者が一同あいそろわなれば重要な決定はなにも出来ない。これが休みを取りにくくしてい。それに夏休みを奨励している当の政府においてすら、まだ休みを取り過ぎたりすると「出世」の妨げになりかねないムードが残っている。
しかし、本当に「取らない」人もいる。これまで仕事専一の生き方をしてきために、自由時間がありすぎると困ってしまう人達だ。パカンスを楽しく有意義にすごすにも、長年にわたる蓄積やノウハウが必要なのだ。日頃から家族との血の通ったコミュニケーションがなけれ長いバカンスを家族とともに楽しく過ごすことは出来ない。行楽地へ出かけても、単に景色を見て、美味いものを食い、酒を飲むだけでは数日しかもたない。趣味もにわか仕込みではすぐ飽きてしまう。本当に「趣味」と呼ぶに値するものにするにはそれこそ長年にわたる打ち込み、蓄積がなければならない。
現在の日本では、自由世界第二位の経済大国の美名の陰で貴重な人生の時間が余りに多く単なる金儲けのために空費されていないだろうか。
この夏、せめて昨年より一日でも長く夏休みを取り、自分のバカンスのありかたについて考えてみてはどうだろう。
(政府刊行物新聞 1986/8/20)
いよいよ、食欲の秋の到来だ。この夏の酪暑で食の細っていた人も、涼しくなるに従って食が肥える。そのついでに体も肥え、かくして「天高く馬のみならず人も肥える秋」とあいなる。
ところで、気候風土と食事の関係には驚くほどのものがある。日本のように夏になると三〇度を越える日が続きじっとしていても汗をかいてしまう国と、夏が涼しく滅多に汗をかかないかわり冬が厳しい国とではそこに住む人の食物に対する味覚は当然異なる。
よく外国旅行がえりの人で、「どこそこの国の料理はまずくて食えなかった、何々国人は味覚音痴じゃないのかね」とのたまう人がある。だが、二、三週間から長くて一月程度の海外旅行でそんなことがいえるのだろうか。
気候風土と味覚
私の三年間の外国滞在の経験からいえぱ、少なくともその国に三年間は滞在しないとその国の料理がうまいかまずいかを評価することは出来ないように思える。というのも三年目になってやっとその国の料理が口に合うようになってきた経験があるからだ。
私が滞在したのはそれこそ夏でも三〇度を越すのが滅多にない北国だったせいが、料理は薄味で日本料理に比ぺるとぽんやりした味の料理が多かったが、三年目ともなるとそんな料理もまんざらではなくなってきたし、最初はせいぜい二、三切れ食べる程度だったきゅうりのピクルスが、やけにおいしく感じられるようになり、丸ごと一本をたちまち食べつくす有様で、そんなに食べると体に悪いと同国人のお手伝いさんによくたしなめられたものだ。
私は外国滞在中に日本からの旅行者を大勢案内したが、
「この国の濁理はまずいねえ」
と口に出していう人が多くて寂しい思いをしたものだ。つい数日前まで日本で醤油と味噌の味に馴染んで来た人に、そういう調味料をまったく使わない料理の味がすぐ合うはずはないから、まずく感じられるのは当然としても、それを口に出していうのは、マナーにもとる非文化的な行為というものであろう。他家へ行って、出された料理がまずいということほどその家の人を侮辱する行為はないのと同様に、他国へいってその国の料理をけなすほどにその国の人やそこに滞在する人を傷つけるものはない。
日本の味
日本料理の味は、日本の風土のなかで長年にわたって育まれて来た。したがって、その中で育つ日本人には、そもそももっともうまく感じられるように出来ている。
高温多湿で夏にはじっとしていても汗をかき、塩分の補給が必要な天候や、米を主食として、おかずを副食とする食習慣が、味噌と醤油を基本とする塩味の強い料理を主流にしてきた。淡白な御飯と塩味の強いおかずとが口の中で混ざるときのなんともいえない微妙な味が日本人のうまさの基本だ。長らく外国旅行に出て脂っこい料理ばかり統いた後でついつい食べたくなるのが、おこうこと一緒にさらさらと流しこむお茶漬けであるという人が多いのはそのことを裏付けている。
欧米の料理は、明確に主食と副食と分かれていず、むしろスープ、肉料理、魚料理、デザートというふうに一品ずつが独立しており、それを単品で味わうのが基本になっている。そのためそれほどきつい味が付いていないことが多く、通りすがりの日本人旅行者にはどうしても物足りなく感じられ、それが[まずい」といわせる原因にもなっている。
英国の詩人であるオーデンが、自分は一日に二回じゃがいもを欲しがる階級に属しており、「ゆですぎたどんな古いじゃがいもでも、私はその中に歌をきくことができる。子供のときにそれを経験したことのない人々には、理解もできなければ矯正もできない、ある好みがある」(オーデンわが読書)というように、各国、各地には固有の味の文化があることを認め合い、「まずい」、「味覚音痴」とけなすまえに、むしろ幅広く世界の味を楽しむ余裕を持ちたいものである。
その場しのぎの政策
しのぎもこの様なものなら大いに歓迎だ。だが、日本人の属性ともいえる「その場しのぎ」となると誉められたものではない。プロ野球の一年一三○試合でも、調子のいい投手に続投につぐ続投を強いるような「その場しのぎ」の選手起用は通用しない。
ところが、日本の外交や経済政策をみると「その場しのぎ」と考えざるをえないものが実に多い。国の外交方針や経済政策こそ、何よりも長期的視点から策定されなければならない。でなけれぱ、一国の安全や繁栄の維持は不可能だ。
わが国の巨額な貿易黒字が明らかになって以来、貿易摩擦が激化したが、その緩和・解消のため、数次にわたる対外経済政策が発表された。
だが、その対策もその場しのぎの域を出ないため、目に見えた効果
がなく、摩擦は依然として続いているばかりか、むしろ激化している。そして、そうしたその場しのぎの政策や作文が、今日では諸外国の不信さえ買っている。米国が、日本が聖域としてきた米の輸入自由化さえ要求してきた背景には、この様な長年にわたる不信の系譜がある。
国会は、本当の国益を考えた長期的対外政策の立案は放棄し、地元の利益代表者の集合体に堕している。中央官庁では、年功序列制の下、局長・部長クラスでさえほぽ一年交替で人事異動を行う。これが自分の在任中だけ無難にすごせばいいといったその場しのぎの対策を助長している。
その場しのぎの作文
さて、こうした一連のその場しのぎの対策ではラチがあかぬということで、中曽根首相は経済構造調整研究会を設け、外需依存型から内需依存型への経済構造の転換を打出したが、これは筆者にはむしろ一〇年前に打出され、これまで一〇年かけて実施されて来たなら、誠に時宜をえたものだったろうと思える。
一〇年後になって、やっと効果が現れて来るような内容のものだからだ。ところが、この一〇年間、政府がやったことといえぱ、專らその場しのぎの対策ばかり、今日の事態を洞祭した対策はなんら講ぜず、一頃は大幅黒字はドル高のせいで、円高になれぱたちまち解消するかのごとき言い訳でお茶を濁していた。ところが、ドル安・円高になっても一向に黒字が解消しないので、今になって経済構造の転換の必要性に気付いたといわんばかりにやっとこの研究会報告書を取りまとめたのだ。しかも、具体策はこれから作るので暫く猶予をという始末。これでは、この報告書すらが一連のその場しのぎ対策の延長線上に立つ「その場しのぎの作文」ということになりかねない。
太平洋戦争時代も、日本軍は長期的戦略のない、兵力の逐次投入で幾多の勝てる戦闘さえ失い、結局は戦争そのものにも敗れ、国民に塗炭の苦しみをなめさせた。緒戦の大戦果に酔いしれ、戦局が傾き始めてもいわぱその場しのぎの戦術・用兵を繰返すばかり、そのうちに抜きさしならぬ泥沼に陥り、なすすぺもないままズルズルと敗局を迎えたのだ。
現在の経済的繁榮に酔いしれて、何時までも外需依存体質を改めず、その場しのぎの対策を繰り返していれば、それこそ諸外国から総スカンを食い、経済的繁栄も、友朋国も失い、世界の孤児として太平洋戦争時代の二の舞を演じることになろう。
今や国際化時代、日本人の「その場しのぎ」の属性を払拭し、国際社会の中で安全と繁栄を維持していくには、それこそその場しのきではない方策を真剣に考える必要がある。
(政府刊行物新聞1986/10/20)
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気まぐれニッポン探検(4)
秋の夜長のシーズン。じつくりと「知的」活動に精を出すのにもってこいの季節である。ところで、最近中曽根首相の「知的水準発言」が国際的な物議を呼んだ。
「しかも日本は、これだけ高学歴社会になって、相当インテリジェントなソサエティーになってきておる。アメリカなんかより、ほるかにそうだ。平均点からみたら、アメリカには黒人とか、プエルトリコとか、メキシカンとか、そういうのが相当おって、平均的にみたら非常にまだ低い」(九月二七日付朝日新聞)。
これが、問題発言の部分である、首相が「インテリジェントなソサエティー」と英語を使ったのは自らの知的水準を誇示したかったのかもしれないが、アメリカでは、誰もがこの程度の英語を使う知的水準は持っていよう。
ただ、「インテリジェント」といって、「インテレクチュアル」と言わなかったところは、さすがである。というのは、インテリジェントの意味は、理解が早く的確な判断を下す能力がある、つまり「頭が良い」であるのに対し、インテレクチュアルは、インテリジェントであると同時に知的なものに対する興味と資質を有する、つま文字通り「知的である」という意味であり、いくら誇り高い首相であっても、さすがに日本人がインテレクチュアルとは言いがたいだろうからである。
日本の知的状況
日本の場合、この「頭のよさ」を、知的なものに対する興味よりも、モノ(さらにはモノに代りうるものとしてのカネ)に対するあくなき追及のために使っている。このように、「知的」なものに対する興味が低いにもかかわらず、「知的」水準が高いと言うのは、言葉の誤用であって、「知能」水準とでも書く方が正確であろう。これとて、読み書きができる、計算が早い、断片的事実を良く暗記している、という意味での知能であって、しかも、平均点を比較しての話だ。知的なものへの興味・資質があるという尺度で計れば、日本人の「知的」水準の平均点は、他の国々に比較して高いとはお世辞にもいえまい。
日本は、夥しいモノを世界へ輸出している。これは、インテリジェントであればできる。しかし、世界秩序とか、国際経済システムは世界へ提供していないし、提供する気構えもほとんど持ちあわせていない。提供するためにはインテレクチュアルな人材が多数必要だが、そういう人がいないのだ。計算早く、カネ儲けのうまい人はいても、じっくりと原理・原則を考えられる人はいないし、育てようともしてこなかった。むしろ、そういう人を、カネ儲けの邪魔として長いこと組織の傍流に押しやって来た。だから、現在日本社会を見回しても、社会を動かしているのは、首相を含めてインテリジェントではあっても必ずしもインテレクチェアルではない人ばかりだ。
国際化時代への知的対応
世界第二の経済大国とは言うものの、「大国」の大の字は、GNPの大きさということしか意味しておらず、本来の「大国」が担うべき世界秩序を自ら構想し、それを工夫しながら動かしていくという役割は、今のところほとんど果たしていない。貿易摩擦に端的に現れているように、各国は日本に経済力に相応しいそういう役割を果すように求めている。我々のこれまでの暮し方に変更を迫って来ている。したがって、これまで通りの対症療法的な受身の対応ではなく、新しい原理・原則による暮らし方を自ら構想し表現していかなければならない。
ところが遺憾ながら、日本の現在の知的水準では、いかんともしがたいのだ。そういう意味での「知的」な準備が、これほど、自らの知的水準を気にする国にほとんどない。これこそ日本の「知的」欠陥であり、これまでそういうことに対する知的興味を持たなかったことこそ、「知的」なものに対する興味と資質とを欠いていることを如実に示すものだ。
日本が直面しているこの様な難問に思いを巡らし、解決策に取組むとしたら、たとえ秋の夜長とはいえ、決して長過ぎることはあるまい。
(政府刊行物新聞1996/11/20)
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日毎に寒さがつのり、温かい布団から超きだすのがますます億劫になるシーズンだ。我家では寝るときに暖房を落すので、朝の室内の気温はかなり低い。だから毎朝時間ぎりぎまで布団にしがみつくことになる。
ところで、筆者は五年前家を新築した時からべッドを使い始めた。それまでは、借家住まいで布団を畳に敷いていた。このペット生活と布団生活とを比べると、様々な相違点がある。何といっても、ペットは布団のよう
に朝になったからといって片付ける訳にはいかない。したがって、専用の寝室がないとベツド生活は無理だ。つまり単純な事実ながら、ベッド生活を楽しむためには、それなりの広いスペースがいる。布団の方は、少々無理すれぱ、かなり狭いところに何枚も敷ける。朝になって押入にしまえば、寝室たちまち食堂へ早変りする。だから、四畳半の部屋で親子六人が暮らすというようなことも可能になる。
日独の住宅政策
戦後の日本と西ドイツの住宅政策を比べると、この布団とベッドの差を如実に反映している。日本ではとにかく人の住める建物が必要ということで、まず狭いバラックを建て、豊かになるに従って二DKを作り、これを三DK、三LDKと一歩一歩大きくしてきた。だから今でも、かなり狭い住宅が残っていて、そこに住む人も相当な数にのぼる。もちろん、そうした家屋にははベッドは持ち込めない。布団の特性に依存して、今日でも住スペースは確保されているのだ。
これに対し、西ドイツは、もともとベッド生活の国だから、ベッドのおけないスペースを部屋とはみなさない。最初からべッドのおける住宅を建てる。ペッドのおける住宅が供給されるまで、人々は防空壕生活をしても待った。でも一度できあがると、これは長年にわたって住むことのできる住宅になっている。
布団を基本的な住宅建設の尺度とするか、ベットを基本本尺度とするかによって、これだけ住宅政策も変って来る。と同様に、生活様式や人々の考え方にも、この二つの尺度は様々縁々な影響を与えている。
住宅と都市空間の相似
布団にしてもちゃぶだいやこたつにしても、部屋を多目的に使う目的で開発されたものだ。つまり、狭い空間を前提として、それを効率的に使うために生み出された生活の知恵である。襖や障子を開けはなったり取払ったりすることによって、部屋の多面的利用を可能にする。
このように、日本住宅には一種融通無碍なところがある。軟体動物的な、とらえどころのなさがある。ところが、ベッドや石づくりの壁ではそうはいかない。むしろ、全く融通がきかない。だから、作るときには相当計画的に作らざるをえない。
布団や襖といった、伸縮自在なものを基本単位として空間を考えることから、日本の住宅も、その住宅を入れる都市も構想される。ベッドや石づくりの壁のごとく、かくとしてそこに存在し続けるものとしての都市は、日本人は感覚的に受入れることができない、それゆえ、日本人は都市計画が下手なのである。
都市の各種の施設にしても、木の家や布団や襖やちゃふだいと同様何時でも壊したり、取外したり押入にしまったりできるものとしてとらえる。それが逆に、安易に半永久的な構造物を作ってしまうことに繋がっている。その結果、狭いところにいぴつな形をしたビルをごちゃごちゃと詰込み、道路という道路を年中掘りくりかえし、街路樹も電線や道路標識に合せて切り刻むことになる。こうして、何時までたっても良好な都市空間は一向に形成されない。
欧米の都市といえば、ぺッドや石づくりの壁のように、歴史的に確固たるものとしてそこに定着させることを目的として作られているのであるが、欧米並みの住宅や都市計画を作るには、日本人が、ベッド生活するようにならなけれぱ無理なのであろうか。
気まぐれニッポン探検<6>(政府刊行物新聞:1987/1/20)
筆者がウィーンで背広の生地を買った時の話だが、生地が欲しいというと、夜用か昼かと聞かれて、最初は意味を解しかねた経験がある。確かめると、背広にも昼用と夜用とでは遵う生地を使うらしい。いわれるままに夜用のものも買ってみたが、色に深みがあり、渋い光沢がある。その生地で作った背広には、今日でも夜の公式パーティの際に大いにお世話になっている。
外務省で国際会議が開かれた時のこと。会議も終わって、六時から外務大臣の招宴があるというので、各国代表と飯倉にある迎賓館行きのバスに乗込んだ。と、隣の席に座った個人的にも親しいフィンランド代表が、このバスは、ホテルに寄らずにこのまま迎賓館へ行くのか、せっかく公式のパーティ用の服を持って来たのに、これでは着替える暇がない。外務大臣の招宴だというのに、こんなビジネス用の背広では失礼ではないのか、とぼやくのだ。日本の外交をつかさどる外務省ですら、夜用の服に着替えるという風習を無視した日程を組んでいるのだ。そうした風習を尊重しないのか、それとも気付いていないのか。
昼の延長の夜の生活
このようなことにも端的に現れているように、日本では、昼の生活がそのまま夜に流れこむ。その間に全く垣根がない。残業や職場の付合い・接待が何の抵抗なしに個人の時間、自由時間の中に割り込んでくる。職場の人間関係や人的構成が、全て夜の生活にもちこまれる。昼が主で夜は従、という関係がなりたっていて、夜は独立の価値を認められていない。この結果、昼の生活と夜の生活とが多層性を持たない、生活圏が全く同じなのだ。これが個人の生活を貧弱なものにし、家庭生活の貧困化を助長している。プライベートな生活のないことが、一着の背広で一日通すことに端的に現れている。
こうして、日本では音楽会や劇場には女性が溢れ、料亭や高級レストランには男性が溢れる。家庭の妻と職場の夫とが、社交的な場でドッキングする意味での夜の生活はない。
先日、友人夫妻と我々夫婦とで、都心の落ち着いたイタリア料理のレストランで食事した。我々を除けぱ、入れ代わりたちあらわれるのは、一見して職場の仲間同士か、接待用のパーティと知れる男だけの集団ばかり。欧米では、夜ともなると夫婦単位の行動が普通なのだが、日本では、今もってごく例外であることをつくづく感じさせられた。夫と妻の生活圏が、これほど別々の国も珍しいだろう。
これが、単身赴任を容易に受入れ、長期に渡る海外への出張にさえ男だけで出かける文化的土壌になっている。
夜の生活の充実を
欧米では昼は昼、夜は夜で独立した生活がある。それだけプライペートな生活、個人の自由時間が尊重されている。職場の人間関係が、そのまま夜に持ちこまれることもない。一度家に帰ってからシャワーを浴び、夜用の背広に着替えた後で、昼とは違う人々と独立した夜の生活を楽しむのだ。
日本で昼用の服と夜用の服という考え方が発達しないのも、昼と夜の生活の間に何等の質的な差がなく、夜の生活が別個の生活圏として独立した価値を認められていないからだ。労働時間の短縮が進まないのもそのせいだ。彼の生活圏が何時でも昼の、つまり職場の都合で侵蝕されてもいいことになっている。
今後は、個人の自由時間をもっと尊ぷ文化を形成しなければならない。残業からの収入が賃金の重要な部分をなす慣習も改めなければなるまい。これからの日本人は、昼の職場中心の人間関係とは別の、夜の人間関係を持つことに意を用いるとともに、夜には昼間とは違った背広を着る心構えが必要だろう。
一番寒い時季だ。集中暖房のある日本家屋は少ないので、部屋によっては外の気温とほとんど変わらない。筆者も、夜帰宅したらそんな部屋で着替えをしなけれはならないのだが、文字どおり背筋が寒い。でも我慢よりない。日本人の寒暖の差に対する耐久力は、世界でも指折りらしい。だが、寒さに限らず、日本人が我慢強い民族であることは間違いないようだ。
日本は経済大国にはなったが、他の先進工業諸国に比べ、生活の質はかなり低いといわれる。筆者には、どうもこれが日本人の我慢強さと関係しているように思える。戦後四〇年、経済の発展の為になにもかも我慢し、ひたすら努めた結果が、今日の経済的繁栄をもたらした。ただ、文明人として我慢してはならないことまで我慢してきたために、生活の質がいまひとつ他の文明国に及ぱないのではなかろうか。
戦時中、日本人は「欲しがりません勝つまでは」とじっと我慢した。しかし、戦後の生活にしても、その延長線上にあった。
労働者は休日休暇を返上し、長時間残業して頑張る。主婦は、夫不在の「母子」家庭を必死に守る。子供は、労働者予備軍として勉強一筋の生活を送る。その結果、モノだけは豊かになったが、相変らず本当の豊かさとはほど遠い生活が統いている。
「ソルダルノシチ」の精神
ポーランドに一九八0年「ソルダルノシチ(連帯)」という労働組合が結成され、共産主義政権を相手どって戦った。一時は一千万人を超える組合員をようし、共産圏内部での民主化の旗頭となった。その後非合法化されて、当時の勢いはいまどこにもないが、この連体の精神が「文明人にとって我慢できないことを我慢しない」ことだといわれている。それゆえ多くの国々から支援の手が差し延べられたのだ。
共産圏に住んだことのある筆者には、この運助の凄さがよくわかる。文字どおり命懸け、へたをすると、たちまちソ連軍の戦車の下敷にされかねない。日本の労働組合運動とは、置かれている環境が基本的に違う。ところが、我慢強い日本人の方は、政府や経営者に対して、長い間戦いを挑むでもなく、文明人にとって我慢しがたいことどもを、じっと我慢して来た。連帯が当初掲げた要求の中に、労働時間の短縮、週休二日制の実施といった生活の質的向上を目指すものが数多くあったが、日本では、今もってこうしたことにも真剣に取組んでいない。このように、文明人が我慢できないことをじっと我慢した結果が、今日の経済大国の下での生活の貧困なのだ。何時までたっても生活がよくならないのは、我慢したことによって本来確保すべき生活の質的な面を我慢してしまい(いわば文明人であることをやめることによって)、経済的な富を確保しているからだ。
だから経済的富を幾ら蓄積しても、それが文明人なら本来我慢すぺきでないものを取りのぞくために使われることもない。GNPが自由世界第二位になろうと、対外純債権が世界一になろうと関係ないのだ。
日経連の見識の低さ
今年の春闘対策の虎の巻になる日本経営者団体連盟の労働問題研究会報告は、労働時間に関しては大企業はほぼ欧米並みとし、残る問題は中小企業だが、中小企業がとくに大きな影響を受けるアジア諸国に比べれば、まだ相当短い。労働時間を何時間にすれぱよいかについては、何等客観的な目安はなく、労働時間の長さと関係すると思われる健康との関連では、産業医学上の定見はまったくない。ただ、外国から非難されるから労働時間の短縮を取りあげるというのだが、法定労働時間を短縮すれば総労働時間が短縮されるという明瞭な因果関録は存在しないとして、労働基準法の改正による労働時間の短縮に反対している。
ここには、文明人的視点がものの見事に欠落している。かくして、日本では文明人として我慢すべからざることを我慢し続け、何時までたっても生活の質的な向上は期しがたいものになる。それとも、我慢するという意識すらないのだろうか。
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この時季、多くの若者が学窓を出て社会へ巣立つ。新しく社会人の仲間入りする人は、先生や親や先輩から処生訓なるものをいろいろ聞かされる。その中に、会社員になったら一日も早く社風に慣れて、まわりの人と協調するようにといった類いの忠告が必ず混ざている。
ところで、イギリスの文豪バーナード・ショウに、次のような警句がある。
『訳の分かった人は、自分を世の中に適合させる。分からず屋は自分に世の中を適合させようと頑張る。だからすべての進歩は分からず屋のお陰である』
この言葉は、創造力というものの機微を見事にとらえている。だが、日本では分からず屋は、ことのほか育ちにくい。組織に入って自分を通そうとするとまわりから袋叩きにされ、すぐ除け者にされてしまう。組織の九割九分九厘までが、訳の分かった人ないしほ訳の分かったような顔をして自分を世の中に適合させる人ばかり、一毛の分からず屋は吹けほ飛ぶように軽く、影響力は無きに等しい。これから世に出る人にも、当初は自分に
世の中を適合させようと頑張る人もいようが、時間がたつにつれてその難しさが身にしみてくる。そのとき、大体が世の中に適合する安易な道を選ぶ。
皆おそろい良い子ちゃん
朝日新聞の論壇で小野手世(絵本作家)さんが指摘したように、幼稚園においても「皆おそろい良い子ちゃん。創意・個性ははみ出し君」という保育が行なわれている。(六一・七・一〇)。良い手ちゃんは先生や親のいいつけを良く聞き、自分をまわりの人に適合させる。創意工夫をし、個性のある子は、分らず屋扱いされ、はみだし君となる。
小学校に入ると、理想像が優等生となり、これが大学まで続く。優等生も親や先生のお眼鏡に適い、出された問題に先生が用意した答を即答できるという意味で、自分を世の中に適合させるタイプの人間だ。個性的な人物、独創性のあ人材を育てるお題目とは裏腹に、現実には全くその逆の人物を理想とする教育が行われている。
こうして園児から大学生まで良い子・優等生として育て上げられ、社会人になるとたちまち社風に適合して会社人間となる。その結果、日本の社会は世の中への適合力に優れた人だけが占めるところとなり、分からず屋はいなくなる。こうして社会から創造力が失われ、新しい時代に適応できなくなっていく。つまり進歩が止まる。
新しい事態への不適応
貿易摩擦が発生して久しいが、優等生を自認する日本側の対処振りが不十分で、各国の不満を増大させているのも、今のシステムや人材では、こうした創造的な対応が必要な新しい事態への対応が難しいことを示すものだ。日本では、社会が落着くほど自己革新能力が衰え、外圧がなければ寸毫も変わらなくなる。前の人が敷いた路線を何時までも走り続け、脱線転覆するまで改めようとしないからだ。改めようとしてもできないのだ。分からず屋、創意工夫をする人、個性的な人を育てようとせず、すべての組織から排除してしまい、常に世の中に自分を適合させようとる人だけを育て、指導的なポストを占めさせているのだから。旧陸軍の例を引くまでもなく、指導的立場に立つ人が時代の変化に適応できず、国を過った方拘に導く事例に事欠かない。最近の売上税を巡るごたごたにしても、そもそも選挙公約でなにを言おうと選挙が終ってしまえばこっちのものという旧来の手法でことを運ぼうとしたことに端を発している。
国民的な合意を形成するための新しい方策を模索する努力もせず、「大型」でない、「投網的でない」と口先三寸で丸め込もうとするだけ。それに反対する野党にしても、旧態依然たる審議拒否や審議の引き延ばしで対応し、国会の諭戦を通じて国民の前に与党の非を明らかにしようとするような新機軸を打出すわけでもない。国民も慣れたもので、またかと訳知り顔に眺めるだけ。国会も政府も国民も世の中を変えようというほどの気迫もないまま、世の中に自分を適合させ、もたれあって生きている。
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気まぐれニッポン探検<9>(政府刊行物新聞:1987/4/20)
半導体を巡る日米の通商摩擦が、激化している、先に結んだ半導体協定が守られていないとして、米国側は、高率関税の適用などの一連の報復措置を構ずると発表した(三月二七目)。
これを報道するNHKのニュースキャスターが「大人気ないことを米国がいいだした」とコメントしていた。この言葉は、米国はこれまでそれほど大人気ない振舞いをしたり、大人気のないことをいったりしなかったことをいみじくも認めている。ところが、日本の方は相変わらず大人気ない振舞いを繰返しており、いい続けている。自分の方では大人気なく振舞いながら、米国がかっとなると、世界の大国のくせに大人気ないと非難する。これほど虫のいい言い分はあるまい。これでは、米国ならずともますます腹を立てようというものだ。
米国は大国だからもっと大人のように振舞えというが、問題なのは、とっくに大人の仲間入りしたはずの日本が、何時までたっても子供じみた振舞いしかできない点にある、世界第三位の経済大国で対外純債権世界一、かつてのOPECを大幅に上回る貿易黒字国でありながら、大人のように振舞えないとすれば、世界の風が厳しいのは当然だ。マツカーサーに「日本は一二歳」といわれて久しいが、単に年月を重ねるだけでは大人にはなれぬものらしい。
組織優先の文化的伝統
日本が大人気ない振舞いしかできないのは、自国の為になると信じてやることであれば、およそなにをやっても国内的には容認されるからだ。これは、日本では、自分の属する組織のために誠心誠意やりさえすれば、非難できないという文化的伝統に立脚している。日本人は、子供の頃から勉強さえし良い成績をとれば、その他の我が儘は大抵許して貰えるし、社会人になっても仕事をし自分の属する組織(会社、官庁)の為に誠心誠意つくしさえすれば、それが少々反社会なことでも、組織からすべて尻拭いをして貰えるものだから、他人(組織外の人)の目をまったく気にしない。その意味では、世間知らずの幼児性から何時までたっても抜けきれない。会社の為なら裁判所で偽証さえ辞さず、過当競争を繰返し、商道徳にもとることさえしでかす。第三国経由の半導体の米国への安値輸出もその一例だ。この過当競争は日本のお家芸で、これを他国市場にも持ちこんで、日本の企業同士激しく争い、そのとばっちりで回りに迷惑をかける。それでも一向に反省しない。こうした身勝手さが、半導体問題だけでなく、農作物の自由化間題や、英国のC&Wの第二KDDへの参入や、米企業の関西新空港建設工事への参入問題、円高になっても輸出に全力を傾け内需の拡大に真剣に取組もうとしない体質などに色濃く反映している。
バラバラの対外折衝
各国に大人気ないと映るもう一つの理由は、こうした文化的風土を背景に、国としてのまとまりがほとんどなく、各業界各省が、自らの権益を守ることを第一義にてんでパラパラに対外折衝に当たることだ。
国としての得失や、頑張ることの意義について評価し、長期的に米国やその他の国々とどう付きあっていくかという戦略を考えた上で出るところは出、引くところは引くことをやらず(やろうにもやれず)、各業界が断固反対徹底抗戦の構えで何時も精一杯頑張る自らは戦略的な譲歩をせず、相手に押しまくられるとずるずると後退するのが、日本の伝統的な対外交渉のスタイルだ。そうしなければ自分の組織に弱腰の裏切りものといわれるので、交渉当事者も自らは譲れないのだ。したがって、結果的には大幅に譲歩しても、相手側から高く評価されることもない。摩擦も基本的な解決とまでいかない。
ただ、交渉に負けるにしても、実は皆で負けると怖くないのだ。だれも戦略の拙劣さで負けたとは非難しない。徹底的に抗戦して負けたのなら仕方がない。その姿勢を高く評価し、負けた分は皆でじっと耐える。それは国としては大いなる損失だが、一般国民のことなど業界や各省の視野にはない。旧日本軍は、その悪しき前例だ。今のような大人気ない対外交渉では、我々もまた、戦中戦後に味わった耐乏生活の二の舞を覚悟しておく必要がありそうだ。
(政府刊行物新聞1987/4/20)
円高の急速な進展で、今や我が国の一人当たりのGNPは、世界のトップクラスになった。だが、国民にその自覚はない。今もって、日本はまだ貧しいという常識が支配している。NHKのニュースでも「世界一といってもそんな実感がありませんね−」と女性アナウンサーがコメントしていたように。
だが、実感が湧くまで待っていたら、恐らく、永久にその日は来るまい。日本人の日常世界はことのほか狭く、比較の対象は周りの人だけだし、他の国の豊かさも、ましてや貧しさなど視野にはない。戦後の貧しい時代の延長線上で、今も「働け働け」の号令の下、勤勉と金儲けを最高の倫理価値としてひたすら働き、貯蓄し、明日の生活の糧を思い患いながら暮らしている。昔に比べ多少は豊かになったと思うものの、これが世界一の水準といわれても、比較の対象が側にないのだから実感は伴わない。
豊かな日本
だが、少し冷静になって周りを見つめ直してみると、比較的今まで夢に近かったことが、いつの間にか常識になっていることに気付く。例えば、結婚式に行くと、客は皆揃って黒のフォーマルウエアでバッチリ決め込んでいるし、食べ切れぬほどのご馳走攻め、飲物もシャンパンの乾杯に始まってあらゆる酒が飲み放題。凝った演出。引出物も豪華だし、新婚旅行も海外が珍しくなくなった。新婦のウエディングドレスも見事なら、新郎のタキシードもそれに負けない、飽食、飽衣の時代を象徴するような豪華さだ。
耐久消費財にしても、新入社員の年収で車が買える時代だ。テレビ、VTR、冷蔵庫の揃っていない家庭を捜すのが難しいぐらいで、下宿住いの学生でさえ結構揃えている。
確かに、驚くほど豊かになっているのだ。それを実感が湧かないから、まだ貧しいと思い込み、世界の中で、貧しい国のように振舞ううのはもはや通用しない。テレビ一台にしても、一生かかっても買えぬ貧しい国の人々にとってみれば、まさしくはた迷惑というものだ。
常識の強い慣性
日本人は極めて同質性の高い民族であるため、何事にせよ一度常識化すると強い慣性が働き、その修正がなかなかできにくい。敗戦後の壊滅的な経済状況は、赤貧洗うがごときものだった。そこで生きるためには、なりりかまわぬ生き方を是認せざるを得なかった。それは、少し余裕ができれば、早晩修正すべきものだった。しかし、同質性が高く、隣百姓の日本人はどんなに豊かになっても、それを立止まって見直そうともせず、今もなりふりかまわぬ生き方を続けている。
労働時間一つ比べても、日本のそれが他の先進工業諸国に比べ際だって長い。世界の貿易黒字を独り占めにし、貿易摩擦を激化させ、これほどの円高になっても、昔ながらの薄利多売の過当競争で輸出に力を入れるばかりで、輸入や内需の拡大の方は手を抜いている。自らの躍進によって世界の常識を変え、他の国に常識の転換を迫っているにもかかわらず、自らの常識は変えようとしない。
今やこういう生き方では、世界の他の国の人々と軋轢なく暮らしていけなくなっているのだが、いっこうに改まらない。改めようとしない。経営者は、労働時間の短縮は亡国の始まりとして反対しているし、賃金も、労働生産性基準以上にあけることに強く抵抗している。そして、日本は悪くない、悪いのは努力不足のアメリカであり、西欧諸国であると、相も変らずいいつのっている。
たとえそれが正論にせよ、貿易立国を旨とし自由貿易体制に依存してしか生きていけない我が国が、他の国の怒りを買い輸出市場を失えば、それまでのことだ。正しいから、悪くないからといって、世界が受け入れないやり口を、小国時代ならともかく、自由世界第二の経済大国になってからも続ければ、先は見えている。永久に負け続けるゲームの相手を気前良く続ける国などあるまい。
陳腐化した常識にとらわれて実態を掴みそこない、本来なら永く維持することのできる豊かさをたちまち失うがごとき愚をおかしかねないほどに、日本人の常識の桎梏は強固なもののようだ。
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戦前の日本軍では、米軍の実力や航空機・潜水艦の戦力を不当に軽視していた。逆に、日本軍の精神力や大艦巨砲を実力以上に高く評価していた。現在阿川弘之の「井上成美」が良く読まれているようだが、海軍きっての知将といわれた井上らの、米国の実力を知り、日米開戦を避けようとする言動は、「学者」の弱腰としてむしろ批判の対象になった。米国の実力を侮るような言動が大勢を占め、開戦すれば米国などイチコロだといった類いの威勢のいい言葉さえ吐かれていた。
無知が幅を利かす組織
日本の組織は内向的で、成員の同質性を尊ぶ。そのため、外部からの情報に疎くなりやすく、成員の学習意欲が衰え、前例尊重主義が支配するようになると、組織の存続にとって致命的に重要な情報でさえ、なかなか摂取できなくなる。ある種の無知が同質性の基準になり、それ以上知りすぎることは、異質性を帯びて、むしろ排除の対象にさえなる。世間に明るい者は、「学者」という蔑称を奉られ組織の中枢から排除され、中枢は前例をいわば墨守するしか能のない単純な命知らずやただ押しの強い者だけが占拠しやすい。
その同じ海軍の山本五十六の指揮した真珠湾攻撃は、緒戦で米軍を完膚なきまで叩く。しかし、この作戦は、講和の可能性については一顧だにしていない。海軍には、勝ちすぎが早期講和を難しくするとの配慮はなく、本分を尽くしてただ戦闘に勝ちさえすれぱよいとの思考しかなかった。それは軍人の限界として容認できるにしても、政治の中枢にも、そこまでの配慮はなかった。
戦闘に勝ちさえすれば後は神の見えざる手が働き。日本に戦争の勝利ないしは好条件の講和がもたらされるという子供じみた楽観論が上から下まで支配していた。あれほどの大戦争に突入しながら、明確な講和への手順や終戦工作の段取りについては無知同然だった。これは驚くべきことだ。こんなことを書くと、それはもう四〇年以上も昔のことで、現在の日本はそれほど無知ではあるまいと思いがちだ。しかし、基本的にはあまり変っていない。
予定調和の哲学
日本人の信じる「勤勉」の哲学の中には、自らの信じるところに従い、ただひたすら最善を尽くせば、何事もきっとうまく行く、という予定調和の哲学が潜んでいる。うまくいかないとすれば、それは世の中が悪い、と短絡する。現在の貿易摩擦に対する識者の発言の中にも、その哲学が見られる。
日本人は、他の国の人が怠けている時にも懸命に働き、品質のいい商品を供給している。それを各国の消費者が喜んで買うからこそ貿易黒字にもなる。どれほど黒字を稼ごうとどこが悪い。悪いのは努力不足の先方だ。との主張がそれだ。これなども、相互依存で世間(=世界)がなり立っていることに対する完全な無知を表明している。世界の貿易黒字を独り占めにし、他国の購買力を奪い、各国の失業を増大させれば回りまわって自らの首を締めることになるぐらい子供でも分かることだ。
各国の非難や一層の市場開放要求に対しても、一体、最終的にどのような形で収めるかという総合的な戦略がないまま、各省庁パラパラに最強の抵抗を展開している。米の自由化反対、金融市場の自由化反対とただ闇雲に頑張るので、へたをすると各国の総反撃を食らい、日本が孤立してしまうことさえ憂慮される。その際、それを大所高所から調整すべきが政治家であることはいうまでもないが、これまた自らに託された職務について金く無知で、なんとか族になりさがり、各省の尻馬に乗って反射の旗を振るぱかり。
このように、現在の日本でも「無知の驕り」とでもいうぺき症状が随所に見られるのであるが、自らの無知をもって驕りたかぶり、「神の御手」に全てを委ねるようでは、一時の繁栄は可能だろうが決して長続きはすまい。
気まぐれニッポン探検<12>(政府刊行物新聞:1987/7/20)
最近判決のでた三越の岡田元社長ではないが、企業のトップであろうと、組織がら浮上ってしまうと、取締役会で突然解任されることにさえなりかねない。組織から浮上ったら最後、完全に「干されて」しまい、事案上組織から排除される。この「浮上る」とか「干す」という言葉は気安くつかわれているが、ここに日本人の組織観が集約されている。
ウズ社会
浮上るとは組織の要請から逸脱し、組織の他の成員との精神的な紐帯が切れてしまう意味だが、このことは、日本人は組織というものを、求心力を失うとそこから浮上ってしまいかねない、ある種の流体としてとらえていることを示している。流体の浮上に逆らって浮上らせない力を持つものは、渦である。とすると日本の組織も流体の渦であり、成員は普通その渦に巻込まれてその底部に吸寄せられているが、組織の他の成員とうまくいかなくなると、その渦の吸引力から解き放たれて、浮ぴ上がってしまうものらしい。
ところで、その流体とは何だろう。どうも「気」といわれるものがそれらしい。日本の組織はこの「気」という流体の渦としてとらえられうるようなのであって、組織の成員は、この渦に一度巻込まれると、他の成員と「気」を合わせようと、「気」を遣い、「気」を配り、「気」を回し、「気」を通じ、「気」を構える。そこに、「気」の渦が生じ、その結果、渦の中心へ向かう求心力が生じる。この様な逆円錐形に似た渦状の構造を持つという意味で、日本型の組織を「ウズ社会」と名付けよう。
日本の組織はほとんど例外なくウズ社会であり、その成員をその中心底部へ向かって吸引する。
日本人は小さい時から、「気をつけ」「前に習え」と気を合わせるように仕付りられている。だから組織に入ると、大した抵抗感なく各成員は他の成員へ気を合せようと、気を遣い、気構え、それによってその吸心力に感応する。ところが、もともとそういう気構えを欠く人がいる。それが、一匹狼とか変人・はみだしものといった称号を奉られる一群の異端者であって、ウズ社会では「干される」。外国人を外人と呼ぶのもこの文脈だ。つまり、気を合せようとするかどうかで同質か異質かを嗅きわけ、異質なものは排除するメカニズムガこのウズ社会には組込まれており、これが閉鎖性の根源である。
「気」の支配
こうして日本人は、一度組織入ると組織から浮び上がらないように気を遣い、上司・同僚から気が利くとして気に入られるように努める。遅くまで残業もし、有給休暇もとらず、付合い・接待に明暮れる生活も我慢する。渦の求心力の源泉を成す中枢部(組織のトップ連)への接近を図り、出世しようとして、その組織の伝統的な「気風」に染まり、たとえ上司の気紛れであってもそれに合わせる。
およそ人聞の気という極めて変わりやすいものに合せることを旨とするため、このウズ社会では契約会社と異なり、原則とかルールはあってなきに等しく、その場の「空気」が変わればすぐにでも渦の流れが変わる危うさがある。
気が絶対権力を持つこの社会では、個人の能力・業績よりも、むしろ気を合わせる要領の良さ、組織の「気風」に抵抗なく合せうる気質、渦を自ら巻きおこす気質、気力が尊重される。
肩書は他でもない、個性を捨て、「気」に殉じた人への勲章なのだ。気を合せることを通じてウズ社会の成員は同質化・一体化していき、他のウズ社会の成員とは、その意味で気を合せることが出来なくなっていく。これが組織間の縄張り争いや、セクショナリズムの源泉だ。こうして、四六時中気を配っていなけれぱならないために気疲れし、気がおかしくなる人も出てくる。これが中高年に自殺の多い所以でもある。とにかく一生気に振回され、やっと定年退職すると、長年の気苦労でポックリいく人も惚けてしまう人も多い。
さてこの連載も今回で最終回。かくいう私もウズ社会の住人、私の「気まぐれ」を押し通したので、果たして気にいって貰えたか気になります。ご愛読を多謝して筆を置かせていただく。
(政府刊行物新聞1987/7/20)
四月 新社会人のシーズンである。今年学窓を出た新卒が一斉に社会人としての第一歩を踏み出す。企業では、入社式や歓迎パーティが繰り広げられる。入社当日、早速先輩に連れられて、夜の酒場で社会人としての荒々しい(ときには優しい)洗礼を受け、酔潰れるものもいる。
自分の第一志望にすんなり就職出来たもの、散々かけずり回った挙句やっと就職出来たもの、そのプロセスは様々にせよ、新しい門出にあたって、新社会人は一様に就職した先の戦力に一日も早くなりたいという抱負で胸を膨らませていることだろう。
ところで、新社会人も早晩気付くことなのだが、就職先が企業であれ、官庁であれ、また大企業であれ、中小企業であれ、およそ組織といわれるものである以上、日本型の企業は一度その中に入ったが最後、容易に足を洗うことが出来にくい仕組みになっている。
もちろんこれにはいい面もあれば悪い面もある。いい面としては、自ら望むか、もしくはよほどへまでもしでかさない限り、滅多に首を切られることはないから、ほぼ一生が保証される。悪い面としては、たとえ就職先が気にいらなくても、簡単には転職が出来にくいから我慢しなければならないということである。
もちろん転職出来ないことはないけれど、この四月に新卒の新入社員として歓迎されたほどには、決して歓迎してもらえない。外国ではむしろ一般的な中途採用を、事実上行っていない企業や官庁の方が日本では多い。
日本で組織に入ることは、丁度鳴門海峡の橋の上から、下で渦巻いている渦の中に飛び込むのに等しい。それがどの渦であるにしろ一度渦に巻き込まれたら死ぬまでその渦と縁が切れなくなるという意味で、この比喩もあながち見当外れではない。
事実、日本では一つ一つの組織が大なり、小なり、渦のようなものなのだ。渦を巻き起こす原動力は、その組織の成員の同質化への求心力である。日本人は、ある集団へ入ると自己をむなしくしてその集団へ同質化しようとする文化的伝統・規範を持っている。この伝統意識が、日本の組織をいわば「ウズ型集団」とでも呼ぶぺき形態にしている。
つまり、日本における集団においては、その成員の同質化を求心力として、集団の中心部へ向って引力が働いている。そのような場へ、その集団の構成員でない人Aが人ると、Aの他の構成員と同質の部分は、中心部へ引付けられ、異質な部分は、逆方向への反発力として働く。すでに集団を構成している人々の持っている同質性と異質性のミックスした力に対して、それぞれ引付けられる力と反発する力とが働く。これが斜め方向への力のベクトルを生出し、Aは円の中心部へ向かうウズ巻き状の回転運動の上を動き始める。
もともと各構成員はすでにウズ状の運動をしており、その力がAに働いて、Aを同方向へのウズ型運動の中へ引き込むのである。こうして、日本の組織では、一度その求心力の圏内に入ると、その成員は、次第にその組織の構成員に同質化されていき、各組織ごとの異なったタイプの人間となる。その集団の同質化への求心力の源泉は、その集団の特定された構成員自身によって生出される、その集団独自の同質性でしかないため、その同質性は(従って、各構成員のタイプも)、理論的には二つと同じものはありえない。
新入社員は、文字通り、入社一日目からこの同質化のウズのなかに巻込まれ、ウズ型集団の一員としての訓練を受けることになる。新入社員歓迎パーティや夜の酒場での歓迎もその同質化への欠くべからざる過程なのだ。こうして新入りであっても、十年もするとものの見事にその組織人間となる。いわゆる「会社人間」化である。
ところで、この様なウズ型集団のなかで同質化を演じなければどうなるか。まずはウズの一番外周部分に追いやられる。いわゆる異端者として主流から外され、さして重要ではない仕事を与えられるか、窓際族的取り扱いを受けることとなる。悪くすれば、ウズの外へ放り出される。いったん放り出されると日本の組織は、多かれ少なかれすぺてウズ型集団であるので、ウズ型集団への不適応者とみなされ正統的な組織からは、もはや相手にして貰えない。やむを得す、一匹狼として、ウズ型集団に対する呪阻を胸にうつうつたる一生を送らざるを得なくなる。鳴門のウズという比喩をもちいるのもそれほど同質化への強制力が強いからである。
同質化の尺度は、どれだけ白己(いわゆるホンネ)を抑え、集団の意思(いわゆるタテマエ〕を優先させ得るかに掛かっている。集団の意思というフィクションの前に、個人的な意思・欲望を出来るだけ抑制しなければならない。滅私奉公という行動規範は日本的組織の中では決して過去の遺物ではない。
こうしてウズ型社会の価値の優先順位は、自分の属する組織、家庭、友人の順になる。例えば、妻や子の誕生パーティ、恋人とのデート等をもって残業命令を拒否する理由にするにはよほどの勇気を必要とする。なまじっか「外国の優先順位は、家庭、友人、組織の順序になっているのに」などと言うと、ウズ型集団への不適性を示すことになる。なぜなら、日本の組織は各成員の同質化をその統合の原理にしており、同質化出来なければ統合出来ないために、成員の有する価値の優先順位においても組織を第一位に置くよう強制せざるをえないからである。
このような統合の原理はいわゆるムラ社会のそれと同じである。同質化の求心力によって、各構成員を同質化し、その間のコミュニケーションを確保することによって、組織は統合されているのである。日本においては人間と人間とのコミュニケーションにはその間の同質性が不可欠なのであって、同質性が高ければ高いほど高度のコミニュケーションが成立し、同質性が失われれば失われるほどコミニュケーションが成立しにくくなる。
日本の社会はこの様なウズ型集団というべき組織が多層構造をなしている。いわば「ウズ型社会」としてとらえることができる。ウズ型社会はその統合の原理からして組織間のコミニュケーションがとりにくく、異質なものにたいして強い排他性を持っている。これが今後の我が国に要請きれる国際化、つまり異質なものとの共存にとって大きな桎梏となることは目に見えているが、さりとて異質なものを統合する新たな原理がないところに日本のジレンマがある。また、日本の組織の強さは、従って日本経済の国際競争力の強さは、いわば、この様なウズ型社会的体質に依存しているため、新たな統合の原理の導入は、一時的にせよ、日本経済の競争力を失わせかねないことが、日本の国際化の問題をより複雑にしている。
いずれにせよ、現在の日本がウズ型社会である以上、その成員の同質化のためには、一斉に揃ってスタートを切らせ、互いに競わせる必要がある。かくして四月、入社式をかわきりに新しい同質化のレースのテープが切って落とされる。
5月一5月病の季節だ。せっかく大学に入り、さて、これから本格的な学問をという矢先、突然やる気をなくす症候群がある。
激しい受験戦争を勝ち抜いて来た学生が合格したことで突然目標を失う。これまでは「合格」という目的が目の前にぶら下がっていた。その一事にすぺてをかけ、ひたすら頑張ってきた。その結果手に入れた合格ではあるが、なにか空しい。大学に期待していた「学問」はどうも「合格」と同じ情熱をかけうる目標になりえない。といって「就職」を目標にしてみても四年先のことで張合いがない。こうして、新入生の中には、目標を見失い、やる気を失い、大学生活から脱落するものが出てくる。無気力化が進行し、世の中に対する関心を失い、自らの中に閉じ篭る。あるいは勉強そっちのけでひたすら遊び惚ける。
5月病になるのはあるいは良心的な学生なのかもしれない。最初から大学は遊ぶところと割切って入ってくるものもいる。長い灰色の受験時代を抜けて、大学の4年間こそ人生における唯一のバラ色の時代だ。就職すればまた長い”宮仕え”の時代が始まる。遊ばなきゃ損だ、というのだ。
こうして、今や多くの学生にとって大学は学間の府ではなく、いわば行楽の場所へと変貌をとげようとしている。世界中の若者が真剣に学問に取り組んでいるこの貴重な青春の時代ー最も学問に相応しい時代が、日本では浪費されようとしている。これは我が国にとって大変な損失と言わなければならない。なぜこうなったのだろう。
まず、余りに激しい受験生活があげられる。ひどいケースだと幼稚園時時から有名校目指して受験勉強を始める。子供らしい遊びから隔離され、I3〜14年間も受験一筋で明け暮れれば、反動が来るのは目に見えている。「学問」とは本来的な関わりのない受験勉強にそれだけ長く浸りきれば、学間好きになるどころか学問嫌いにならないほうがおかしい。
二つには、試験の内容にも問題がある。断片的な知識の詰め込みを旨とする内容ではこれも学問への愛を破壊するほうにむしろ貢献しよう。今ではエレクトロニクスの発達で記録媒体の進歩が著しい。断片的な知識の記憶ならICチップや、光ディスクにでも任せればいい。人が機械 の代行をすることはない。
三つには、大学へ入るのが学問が好きだからではなく、就職用の卒業証書のための人が多いことだ。生涯学問を続けたいのではなく、大卒の免状でいい就職口を得たいがために大学にくるのだから、いい就職ができ、そこで、出世しさえすればいい。それ以外のことには全く無関心。卒業すれば専門書を紐解くこともない。企業のほうでも、別に学問好きを必要とはしていない。大卒の免状を持ち、受験勉強のプレッシャーにもめげず、それを通して画一化され会社の言うことを良く聞く働き蜂であってくれたほうが都合がいい。運動部で勉強そっちのけで頑張ったもののほうが、共同生活に馴染みやすいとして歓迎されるのもこれと同じ風土に根差している。
こうして大学の施設の多くは行楽施設になり、大学生の多くが遊び人と化す。これは大変な人的資源・エネルギーの浪費である。
六月一June Bride(六月の花嫁)の季節だ。人気歌手の松田聖子は「六月の花嫁」に憧れて急遽六月に結婚式を挙げるという。でも、残念ながら、六月は日本では梅雨のシーズン。花嫁衣装がそれほどにつかわしい季節ではない。いずれにせよ、これから挙式まで、マスコミの報道合戦は益々フィーバーしていくことだろう。
結ばれる人がいれば、他方で別れる人がいるのが世のならい。芸能界のみならず、一般人の離婚率もかなり高くなった。とくに最近の傾向としては、中年あるいは熟年層の離婚が増えているのが特徴だ。これも、女性の方から持ちだすケースが増えており、慌てふためく男性が結構多いらしい。
家族思いで、真面目一方の中年の男がある日突然、妻から三下り半をつきつけられる。夫の方では、一々言わなくとも自分が、家族の為に夜おそくまで頑張っていることを妻も分かってくれていると思い、もくもくと働いてきた。ところが妻のほうでは、夫は自分より仕事のほうが好きなのだ、大切なのだ、というふうに考えて、ある日突然家を出ていく。
この様な離婚の多くは、夫婦間の会話の不足、コミュニケーションの欠如が原因のようだ。年中顔をつき合わせており、案外理解しあっているようで、基本のところが、分りあっていなかったのだ。
昔から日本人のコミュニケーションは、言葉で直接やりとりするより、むしろ以心伝心、そこはかとなく伝わるのを基本としてきた。
「話さなくても分る」、「男は黙って・・・」方式に長年頼ってきた。言葉を使う場合も曖昧であり、真意は察しなければならないが、そうしたコミュニケーションで心と心が触れ合い、真の理解が得られるとの暗黙の了解があった。
ところが現実は少し違うようだ。生活力のない女性はこれまで、家には寝に帰るだけ、夫婦共通の価値観や人生目標もなく、お互いに話しあうこともない夫にも辛抱して来たが、今やパ一トにでも出れば、なんとか生きていける時代になった。これ以上、そんな本当のコミュニケーションのない家庭に我慢しながら居続ける必要はないと、妻の方から離婚話をつきつけうる条件が整いつつあるのである。
現在でも、離婚した女性に対する社会的な風当たりはかなり厳しい。しかし、それでもあえて離婚に踏み切るからには、相当な覚悟の上に違いない。それほど妻は夫から放って置かれ、それほど、夫婦といいながら長年にわたって血の通った会話がなかったのだ。血の通った会話が日常的にあれば、妻から離婚話をつきつけられることもあるまい。
このことが示すように、社会の中で最もコミュニケーションがいいはずの、良くなければならないはずの一組の男女の間でさえ日本では充分なコミュニケーションが行なわれていないということである。後は推して知るべし。日本では親と子供の間でも決していいコミニュケーションがあるとはいいいがたい。職場や学校においてへしかり、理解しあっているつもりであっても、以心伝心や曖昧なな言葉に頼らざるを得ないコミニュケーションには自ずと限界があり、これが今日、様々な局面で破綻を見せ始めている。
仕事や受験勉強に追われて、家族が充分接する時間のない家族、受験準備におわれて、先生と生徒の血のかよった触合いのない学校、他人に合わせることを基本とし「建前」と「本音」微妙に使い分けなければなちない職場。こうしたコミニュケーション不足の環境から非行少年、家庭内暴力、登校拒否、学校内暴力、休日神経症、勤務問題を原因とする自殺等が多発している。
同一民族同一言語ということで、日本人は安易に日本では充分なコミニュケーションが行われていると思いこんできた。ところが、一皮剥くまるっきり逆の状態が浮かび上がって来る。日本の社会は本来的には、コミニュケーションのしにくい、言わばディスコミニュケーション化しやすい社会(=文化〕構造となっているのである。筆者はこれを「ディスコミュニケーション型社会」と名付ける。メシ、フロ、ネルだけで通じあえる仲睦まじい夫婦と見えながら、その実は心の結ぴつきのない男と女が、経済的な理由だけで辛抱しながら生活を共にしているのが実相に近い。確かにどれほど理解しあっていようとメシ、フロ、ネルの三言で伝えうるものには自ずと限界がある。また、夫は毎日午前様、日曜日も接待ゴルフというのでは、残された時間をどうやりくりしても理解し合うのは無理だろう。お互いに一緒にいる時間が少なすぎても充分なコミニュケーションはできにくい。
「話さなくても分る」というメンタリティの日本人には、本来コミニュケーションの難しさに対する基本的な認識が足りない。従って、コミニュケーションを図るためにことさら努力もしない。言葉でいろいろと話合うよりも同じ釜の飯を食い、同じ生活体験をすることを通じて、自然に分り合うのが最高という意識がある。したがって、夫の方では黙っていても妻は分かってくれていると思い込む。妻の方でも事情は同じで、自分の不満を口にだして言わなくても、夫はいつか分かってくれるだろうじっと耐える。ところが、その実お互いになにも分りあっていない。抜きさしならぬ所までいって、ある日突然爆発する。
アメリカ映画等を見ると夫も裏もしょっちゅう「アイラブユー」をかわしている。日本でもこれを見習い、今後はコミニュケーションためにもっと時間を割き、そのテクニックを磨く必要がある。従来型のコミニュケーションに頼っていたのでは、もはや充分なコミニュケーションが図りにくい時代に入りつつある。いや、正確に言うと従来型のコミニュケーションはそもそも充分ではなかったのだ。ただ、皆が不満を持ちながらもじっと我慢し、そういうものと諦めていたにすぎない。アメリカ映画を見、いろんな経験を通して、もっと豊かなコミニュケーションがありうることに気付くと、じっと辛抱することが次第に馬鹿らしくなって来る。その意識の変化が、熟年夫婦の離婚の急増という事態を引き起こしている。
ここにも、戦後の日本の仕事(=会社=経済)優先の社会構造の歪みが投影されている。つまり、経済(=オカネ=食ウコト)にかまけて、最も重要なはずの家庭内の人間関係をないがしろにしてきた。職場や職場での人間関係(コミニュケーション)だけを優先し、家庭や家庭内コミニュケーションを二の次ぎにしてきた。その酬いを今うけ始めているのだ。もっとも、職場での人間関係にしても時間をかけているわりには必ずしもうまくいっていないことは、最近の中高年男性の自殺の急増が示している。とくに、職場での人間関係などの「勤務問題」を原因とする自殺は、ここ五年間で倍増しているのである。
「話さなくても分る」とするメンタリティは、「話せば分る」というメンタリティに短絡しやすい。しかし、これはそれほど単純ではない。長年、コミニュケーションのための真剣な努力を怠ってきた日本には、コミニュケーションのための言語もノウハウも不足している。その意味で日本語を含め、「話して分らせる」ためのツールやノウハウを今後は、鋭意開発していく必要がある。そうした努力を通してディスコミュニケーション型社会からの脱皮を図らなければならない。
松田聖子も、結婚したら、仕事だけにかまけずに、夫とのコミニュケーションに気を配り、早すぎる結婚は、早い離婚に結びつく等と悪口を言われることにならないようにして欲しいものだ。
ところで、日本人の好きな言葉にこの「優等生」という言葉がある。「日本人は世界の優等生」「経済の優等生 日本」といったような形で盛んに使われる。この自らを「優等生」視するものの見方の中に、日本的な思考のエッセンスが、内包されている。
というのも「優等生」とは、文字通り学業成績の優秀な生徒の意である。先生の出した試験問題に旨く答えて、いい成績を上げたもの、つまり、通知表の5の数が他人に比較して多いものが、日本人のいう「優等生」なのだが、自らを「優等生」国家視する際も、無意識のうちに同じ心理が働いている。
先進国に追付き追い超すという宿題、あるいは、石油危機を乗り切るというテスト問題に、他のどの国よりも、旨く答えたという意味での「優等生」なのだ。
この際、注目すぺきは、先進国に追付き追い越すという目標を、GNPとかその成長率という、通知表と同様に、ごく一部の能力を計量化したものみでとらえながら、5の数の多いものが学業のみならず、全人格的、全人間的にも秀れているという暗黙の認識を前提とし、社会的にも「優等生」を高く評価するのと同じ意味で、日本が経済面のみならず、全国家的にも優れているという暗黙の認識の下に、日本がすべての面において、先進国に追付いたと考え、自国が「優等生」国家として、外国からも高く評価されているに違いないと思いこむ心理に陥っていることだ。
日本の学生の多くが、自らの存在意義を感ずるのは、通知表で5を沢山獲得したときだ。その他の能力を持っていても、無視されるか、大して、評価されない文化体系の下では、自らのアイデンティティさえ、この5の数の多寡に求めざるを得ない。そして、これは一生付いて回る。就職の際の評価基準になるばかりでなく、就職後も学生時代の学業成績が肩書や社会的地位に影響を与える。
この様なメカニズムの下でこそ、異常とも言えるほど、激しい受験戦争が、繰り広げられる。5の数は人の一生に付いて回るがゆえに、幼稚園時代から、全国民が必死になって、5の数を一つでも多く取ろうとして、血眼になって努力するのだ。
ところで、優等生とは、この5の数争奪戦のチャンピオンに他ならない。すべての日本人のメンタリティの中で、「優等生」の占める位置が最高に高いはずだ。
日本のGNPに基づく採点基準にも、これと同じ心理が働いている。つまり、GNPを高くすることは、いい成績を上げるのと同じことなのであり、この中に、日本人のナショナル・アイデンティティがこめられている。
日本人がGNP世界第三位になり、経済大国視されたときに示した、欣喜雀躍というに相応しい悦びようは、これによって自己の存在意義を証明することができ、世界の中での自己の位置付け、自国の優秀性の証明を果しえたと考えたからに他ならない。「優等生」が東大に合格した時のような安堵感、悦びをこのときの日本人は味わったのだ。
優等生のメンタリティは、数字万能主義といってもいい。日本の知的水準の高さ、学校教育の普及によって、数字に強くかつ弱い人間が多数養成されるが、その中のいわばエリートが優等生であって、人一倍、数字に対する信仰心が高い。学校では、テストによって、各人の能力が比較され、位置付けられる。正しく、一点差がものをいう。優等生は、他でもないその様な数字の上に乗って、初めて自己の存立の基盤を得ているのであるから、数字に対して人一倍強い信仰心を持たざるをえない。そうして、すべてのことを数字でランクづけする習性が養われる。点数差が知的能力差のみならず、人間としての立派さの格付けまで表すがごとさ錯覚をもつに至る。その挙句、国家としてもGNPを崇拝するまでになる。日本経済に対する日本人の信頼感や自信も、数字信仰の一つの現れである。
しかしながら、この世には数字で表されるものは極めて少なく、極めて限定されたもののみしか、数字では表せない。日本及び日本人は、数字に強いが故に、これまで数字に表しうるもののみに重点を置いて(置きすぎて)追掛けてきたのではないだろうか。優等生がいつもそうするように。
そして、日本人の考える日本の通知表には、今や、オール5が並ぶに至った。しかし、何か空しい。天下の優等生になった筈なのに、世界的には誰も認めてくれない。数字で表されるものをいくら整えたからといって、優等生が幸福感を味じわえなかったように。日本もそういう空しさを感じはじめている。
「優等生」的心理を裏返せば、それは、受験生的心理そのものだ。つまり、日本人の最も基本的タイプは、受験生タイプといってよく、また、日本という国自体も受験生国家といっても差支えないほど、性格的に受験生に似ている。
常日頃は人間的な生活に関心を示さず、大学に合格したら、豊かで潤いのある生活を送ろうと考えて、一点でもいい成績を上げるために日夜努める受験生の生活は、そのまま、よりよい肩書を求めて、午前様も辞さぬ会社員に投影されているし、すこしでも高い経済成長を目標に、一億総動員で非常時さながら働き続ける日本の姿そのものだ。
日本が経済大学ならぬ経済大国に合格し、先進国へキャツチアップを果したとして、一時、目標喪失感を味わったのは、正しく、大学に合格して、暫く生活のハリを無くした受験生心理と相通ずるるものがある。つまり、自らの実現すべき価値を持たず、そうした価値を実現することを目的にして受験勉強をしたり、経済成長をするのでないため、大学へ合格したり、経済大国に合格することをもって、目標を完遂したかのごとき錯覚に陥り、目標喪失感を味わうのだ。
大学への合格が、”肩書”を得るためであったり、経済大国になることで世界の中の序列が上がることが、いわば目標であったため、大学へ入ることは、大学で更に勉強し、自分の価値を実現していくための一つのステップ・条件に過ぎないという認識や、経済大国になることは、それによって、国民の幸福を確実なものにしていくための一つのステップ・条件に過ぎない、ということが忘れられる。
こうして、日本は、自らを「優等生」視するのであるが、残念ながら、日本語のこの言葉の含意は、欧米人にほとんど理解されず、欧米語には、適当な訳語すらない。外国人にとっては、GNPのみの高さをもって、自ららを「優等生」視する心理が理解できず、このところ、やたらと先生面をしたがる奇妙な国としか映らないのである。
日本人の多くは。優等生の上に「ガリ勉」という蔑称を冠することによって、それが必ずしも理想像でなはないことを自ら表白しているが、そろそろ国としても、一人よがりの「優等生国家」を理想視する国家観から卒業する必要がありそうである。
八月ー今年は四十年目の敗戦記念日が巡ってくる、四十年の歳月は、ほぽ人の半生に当たるが、明治維新以来、日本はおおよそこの四十年を一サイクルとして、大きな曲がり角に逢着してきた。
明治維新の四十年目に日露戦争に勝ち、その四十年目に太平洋戦争に敗れ、そしてそれから四十年、現在日本は繁栄の極みにあるものの、激しい通商摩擦の嵐に巻込まれている。これは、次なる大きな曲り角の予兆のように見える。中曽根首相は「戦後政治の総決算」を標榜しているが、現在の繁栄を維持しつつ、的確な方向転換ができるだろうか。
日本の社会や組織は、安定すればするほど、常に長老支配の傾向を帯びる。激動期ともいえる明治初期や戦後は、それまでの長老支配が払拭されたために、若い人々の手で旧習にとらわれることなく、大胆な改革が行われたのだが、それが成功し社会が安定するにつれ、長老支配化が進む。かつての若い人々が年老いても何時までも権力を握り続け、一度成功を産みだした価値観や社会的システムを何時までも保ち続けようとするのだ。
そうするのに、日本の年功序列式の社会システムほど適したものはない。年x功の高いものを尊重するのが、年功序列式の基本だから、結局、若くして多大な功績を上げた人々の序列が一番高くなる。このシステムには、本質的に世代交替のメカニズムは組み込まれない。つまり、年×功が増えるほど尊重せざるをえないため、それこそ維新や戦争によって、旧世代が払拭されない限り、必然的に長老(年功者)支配になってしまうのだ。
その様な長老支配が定着すると、社会の変化に対して弾力的に対応しにくくなる。一度成功に導いた価値観を捨て、新たな時代にふさわしい価値観へ転換しがたくなる。たとえば、今日、戦後長い間通用し、現在の繁栄をもたらした、ひたすら働き、金を儲けることは善、輸出は善といった価値観の見直しが必要なのだが、そうした、旧来の価値観をなかなか新しいものへ転換できないのもそのせいだ。
年功序列型のシステムは、旧来の価値観の温存には向いているが、新しい価値観を取込むことは本質的に苦手だ。そのため、逆に成功が失敗の原因になりやすい。一度成立した価値観は、非常に良く尊重されるがゆえに、それが時代に合わなくなっても墨守され、時代の壁に激突して、社会を壊滅させかねない危険性をはらむ。
太平洋戦争において、それより更に四十年前の日露戦争を成功に導いたとされる、艦隊決戦主義や白兵戦主義が墨守され、終戦に至るまで、航空戦力や戦車を主体とする近代的な戦術に転換できなかったのが、その好例である。
しかも。わが国のあらゆる組織には、江戸時代のムラと同じ共同体の統合原理が働いている。組織に入ることは、共同体の一員になるに等しく、一員になった以上、自分の属する組織の存続こそを至上命令として行動することが、第一義的な価値となる。こうしてそれぞれの組織が、従来の価値を墨守しつつ、それぞれの組織の存続に全力を傾ける。
社会が安定期に入ると、人事も危険負担を最小限に抑える必要から、衆目の一致する人選になる。つまり長老のお眼鏡に適い、従来の価値観を充分身につけ、その組織の存続に一身を投げうつような人が、いわゆる出世コースを歩む。人事担当者も、衆目の一致する人事を行っておけば、自分の地位の安定になる。へたに抜擢人事を行うなど、自らを危険に晒すようなことは避ける。
こうして異質性を持つもの、たとえば、会社の方針を批判するような人物は、まず出世コースから外される。それは、会社に対して不忠義と見なされるからだ。たとえ、会社を愛し、会社をより良くするための批判であっても多くの場合、それが本人にとって有利となることはない。日本海軍で艦隊決戦主義から、航空機主体の戦術への転換を主張した、井上中将が左遷されたように、既存の価値体系への批判は、組織全体への挑戦と見なされ、異質なものとして排除される。
こうして、日本中のあらゆる組織が従来の価値を墨守しつつ、自己の存立を維持することのみに全力を傾け、既得権を絶対に放棄しようとしなくなる。その結果、方向転換ができなくなってしまう。事実。次の来たるべき時代に備えた手(例えば、輸出に依存しない産業構造への転換など)は何も打っていないので(打てないためでもあるが〕簡単に政策転換できないのだ。戦略的な退却もできす、旧来の方式でいきつく所までいくしかなくなる。イギリスのサッチャ一首相が、日本が度々打出す市場開放策を評して、日本は実態のある政策変更がしにくいと批判したように、一度慣性が付くと、その方向へ直進せざるをえない「慣性・直進型」の体質を有している。
組織内の衆目の一致する選択とか、衆議一決の決定が組織の均質化を促し、それが進むほど、方向転換ができにくくなる。こうした、悪循環へ日本はのめり込みやすい。つまり、成功して社会が安定化すればするほど、大いなる失敗の可能性を胚胎するのだ。
高度成長期のように、組織自体が拡大できた時代には、それでも異質性を持ったものの入りこむ余地があった。しかし、組織がが拡大できなくなり、安定路線に入ると、もはやそういう余地がなくなる。同質性の高いもののみを厳選して取り込み、それを組織人間に純粋培養し、その中から、更に衆目の一致するものを幹部に登用する。こうした、メカニズムの定着が成員の意識に反映して、その同質化を更に促す。自己保身のために、自らの異質性をできるだけ払拭し、進んで、既存の価値体系の信奉者たらんと務めるからだ。
その結果、旧来の価値観が益々強固なものになり、もはや組織の内部からの打破・改革は不能となる。ここに、外圧に頼らなければ自己改革ができない、日本の社会およぴ組織の本質と限界がある。
最近学校で腕白坊主が、会社では一匹狼型の社員が減り、順応性の高い優等性タイプばかりが増えたのも、下は小学生から、上は大企業まで、その様な安定した組織となり、均質化が、一層進んだことを裏付けている。若者の保守化現象もその一つの標徴にすぎない。
安定した組織においては、その組織の価値を成員のすべてが信奉しているのだから、それを打破することは容易でない。全員がその価値を存在理由とし、純粋化しているため、その組織の既得権を犯すことは、組織の存在理由の否定になる。従って、それを犯そうとすると、組織ぐるみで強烈に反対する。組織の存立のためにひたすら尽くす組織の存立を許すことで、これまで社会の安定と繁栄を維持してきたのだから、ある組織を弱体化させ既得権を奪うことは、誰にとっても自らの存立基盤を否定することに繋がりかねず難しい。
つまり、現在存続しているあちゆる組織が、既存の価値体系へ精一杯同質化し、日本という社会において、いわば幹部・長老として登用・容認されたに等しいのだから、今更、首にはできにくいのだ。
現在、通商摩擦の解決策がいろいろと打出されているが、首相の力をもってしても依然として、既存の組織の既得権を打破しうるような抜本的なものができないのは、以上のような日本の組織のメカニズムに基因している。戦前は方向転換ができぬまま、太平洋戦争に突入し、国民は塗炭の苦しみを嘗めたのであったが、戦後四十年、わが国は正しい方向へ舵を切りかえない限り、その二の舞いを演じかねない局面に差し掛かっている。しかし、方向転換は容易ではなく、従って、「戦後政治の総決算」の目処はなかなかたちそうにない。
ところで、今年のスポーツに関する大きなイベントといえば、8月から9月にかけて、神戸市で開催された、ユニバーシアード大会が上げられよう。世界から4千人もの若者が集い、熱戦を繰り広げた。日本は主主催国ということで、総勢3百人近い選手団を送込んだが、獲得したメ
グルは最初の目論見を下回ったようだ。
こうした大きな国際大会のたびに日本選手は、本番に弱いということがいわれる。確かに、日頃の実力を出せないで負ける選手が思いのほか多い。外国選手の中には、日頃の実力以上の力を出して勝つ選手が少なくないのに、これはどうしてだろうか。日本のお家芸といわれる柔道でも期待通りの成績を上げるととができず、韓国や北朝鮮の選手に名を成さしめた。しかも、日本流の相手の出方を待つ試合方法が、最初から積極的に打って出る外国選手の流儀に付いていけなくなりつつあるとの危機感さ英だかされた。成績がもうひとつだった背景には、柔道界の内輪もめがあったとも伝えられている。
ところで、この柔道という名称が示すように日本育ちのスポーツや芸ごとの多くにこの「道」という言葉がつく。剣道、弓道、合気道、空手道、棋道、華道、茶道、香道、書道、画道、歌道・・・、そしてこの「道」がつくと、とたんに、それを通して精神修養を図るという意味合いが付加される。呼名に「道」の付いていない外来のスポーツであっても日本人は本能的には、この「道」という言葉が付いたものとして受止めている。炎暑の中で行われる夏の甲子園大会を見れば、やはりそこには野球道というものがありそうだ。サッカー道、バスケット道、バレー道、どのスポ一ツにも「道」をつけても、およそおかしくないように思える。
「道」がつくと、そこは真面目な人生の生き方の探究の場になる。不真面目は許されない。楽しみよりは、苦しみこそが求められなければならない。苦しい血の滲むような練習こそがふさわしい。笑えるようではまだ甘い。それに一度その道に入れば、その道一筋、道を極めるまで頑張らなければならない。柔道部に席を置く一方、バレー部にも手をだすような二股をかけたり、二兎を追ってはならない。
精神修養の場である以上、教師あるいは師匠には、ひたすらへりくだっ教えを乞わねばならず、師に反発したり、師の用いない技を用いたりしてはならない。弟子は弟子らしく、謙虚でなければならない。先輩後輩の序列は頭に叩きこんでおき、兄弟子は常に尊重しなければならない。従って、練習の場は道場とよばれ、神聖視される。本番は真剣勝負の場、勝って泣き、負けて泣く。これこそ人生の道そのものであり、人生修養の場でなくてなんであろう。観衆もそこに人生の縮図を見て感激する。
「みち」は、道、途、路などと書き、人が歩く道だけの意味でなく、抽象的には人生行路、人間の進むべき道、さらには、真理といった意味で用いれられる。これは、日中共同している。しかし、芸ごとや武術に「道」をつけることは、中国ではしない。書道は書法、空手道は拳法といい、法は方法・技法の意味だ。それだけ日本人のほうが、スポーツや芸ごとにも生真面目に取組んでいる様にみえる。単なる技術より、精神面や「芸」を尊重し、その一方で合理性や科学を軽んずる面がある。
日本の道は、網の目状に張り巡らされた「あらゆる道はローマに通ず」という道ではない。石畳の道ではなく、放っておくとたちまち雑草に覆われ消えてしまう道だ。雨に流され土砂に埋もれてしまう道だ。山地の多い日本の道のことゆえ、次第に高く昇っていき、奥山へ消えていく道無き道こそが日本人にとっての道のイメ一ジと言ってよい。どこへ達するかは分らない。それゆえ脇見もふらず、その道一筋に極めなければならないのだ。一度道を外したり、迷ったりしたら目的地に着けないばかりか、それこそ、行き倒れにもなりかねない。
そういう高きに昇っていく道のイメージを反映してか、柔道にしても剣道にしても、また棋道にしても技量向上の目安に「段」を用いている。一段一段高く昇っていき、その道を極めるところに人生の意義があり、人生そのものが集約されると考えるのだ。
こうした道のイメージが、今もって日本人のスポーツ観には付纏っている。従って、大きな大会になればなるほど、人生の大事という意識が前にでて、たかがスポーツ、楽しく伸び伸びやろうぜ、とはいかず、期待を精一杯背負いこんで頑張る。そこで堅くなり、上がってしまう。その結果、たかがスポーツ派の外国人に負けてしまう。
弓道や華道や茶道など、およそ「道」の付くものには様々な流派や家元が存在し、それぞれの他の流派から没交渉でその流派なりの技を磨く。華道だけでも約3千の流派があるという。つまり、本道から脇道へ脇道へと限りなく細分化していき、奥山へ奥山へとわけいるようなものだ。だから、他の道と決して交わらない。各家元が独自性を装う結果、役柄の名称の様な技術的抹消的な差異が重要視され、本道が見失われやすくなる。一度ある流派に入門すると、他の流派に鞍替え出来ないのみなちず、師匠の使う花屋の花や道具屋の道具を使い、師匠の教える技術のみ使うよう拘束さえ受ける。次第に技術の互換性は失われ、情報を交換して、技術を磨きあうことなど出来なくなる。違う流派の人と付きあうことすら禁じられる。
こうして、その道一筋に閉籠るので自ずと各流派は閉鎖的となり、お互いに対立したり足のひっぱりあいをし、些細なことで内輪もめを起こしやすい体質となる。技術は秘伝奥伝としてその流派のなかでのみ伝わるが、必ずしも汎用性のある高い技術になるとは限らない。狭い自己の道のみに閉籠り、他の道とは交流しないので、定型化し易く、技術のレベルアップにも限界がある。
日本の大学では、ラグビー部に入ればその部一筋の生活を送らなければならない。他の部に入れることはまず無理だ。入部するということは、幾筋にも分かれた交叉点でその一つを選ぶ様なもので、一度選ぶともはや引き返せない。外国では、夏には水泳部で水泳をやり冬にはラグビー部でラグビーをやるという様に、複数の部に入ることは普通だが、日本では思いもよらない。
このため、体力的技術的にもかたより戦略的にも進歩しない。どの部でも痩せ我慢の長時間練習やしごきが、精神力を鍛えるとして伝統的に尊重されているが、合理的精神とは無縁な痩せ我慢の精神力のみでは、世界の桧舞台では通用しない。こうした運動部の閉鎖性や古い体質が、次第に嫌われ始めており、いい人材が集まらなくなる傾向もみられる。
ところで、芸ごとやスポーツにしても「道」と心得る日本人のこと、仕事となればそれ以上の生真面目さで取組むことになるのは、いうまでもない。これこそが、日本経済の強さの秘密であろう。企業に入ることは、企業「道」に入り人生修行をすることと見つけたり。仕事にしろ、余暇にしろいずれにしても道に入るのだ。生真面目に取り組む点で、その間に区別がないのも、無理もない。
それにしても東京の道の分りにくく、かつ道路標識の不親切なこと。これは道とは本来そういうもの、道なき道こそ本来の道であり、各自が苦心して辿りつくところに、人生の意義があるという精神の所産だろうか。そこには、人生の縮図たる道を象徴的に感得させてあげようという、深い思いやりの心があるのかもしれない。