(7)「道」の文化:日本(1985/10)
(8)気配り社会:日本(1985/11)
(9)覗き見型文化:日本(1985/12)
(10)短期決戦型社会:日本(1986/1)
(11)身内中心社会:日本(1986/2)
(12)減点主義社会:日本(1986/3)
四月 新社会人のシーズンである。今年学窓を出た新卒が一斉に社会人としての第一歩を踏み出す。企業では、入社式や歓迎パーティが繰り広げられる。入社当日、早速先輩に連れられて、夜の酒場で社会人としての荒々しい(ときには優しい)洗礼を受け、酔潰れるものもいる。
自分の第一志望にすんなり就職出来たもの、散々かけずり回った挙句やっと就職出来たもの、そのプロセスは様々にせよ、新しい門出にあたって、新社会人は一様に就職した先の戦力に一日も早くなりたいという抱負で胸を膨らませていることだろう。
ところで、新社会人も早晩気付くことなのだが、就職先が企業であれ、官庁であれ、また大企業であれ、中小企業であれ、およそ組織といわれるものである以上、日本型の企業は一度その中に入ったが最後、容易に足を洗うことが出来にくい仕組みになっている。
もちろんこれにはいい面もあれば悪い面もある。いい面としては、自ら望むか、もしくはよほどへまでもしでかさない限り、滅多に首を切られることはないから、ほぼ一生が保証される。悪い面としては、たとえ就職先が気にいらなくても、簡単には転職が出来にくいから我慢しなければならないということである。
もちろん転職出来ないことはないけれど、この四月に新卒の新入社員として歓迎されたほどには、決して歓迎してもらえない。外国ではむしろ一般的な中途採用を、事実上行っていない企業や官庁の方が日本では多い。
日本で組織に入ることは、丁度鳴門海峡の橋の上から、下で渦巻いている渦の中に飛び込むのに等しい。それがどの渦であるにしろ一度渦に巻き込まれたら死ぬまでその渦と縁が切れなくなるという意味で、この比喩もあながち見当外れではない。
事実、日本では一つ一つの組織が大なり、小なり、渦のようなものなのだ。渦を巻き起こす原動力は、その組織の成員の同質化への求心力である。日本人は、ある集団へ入ると自己をむなしくしてその集団へ同質化しようとする文化的伝統・規範を持っている。この伝統意識が、日本の組織をいわば「ウズ型集団」とでも呼ぶぺき形態にしている。
つまり、日本における集団においては、その成員の同質化を求心力として、集団の中心部へ向って引力が働いている。そのような場へ、その集団の構成員でない人Aが人ると、Aの他の構成員と同質の部分は、中心部へ引付けられ、異質な部分は、逆方向への反発力として働く。すでに集団を構成している人々の持っている同質性と異質性のミックスした力に対して、それぞれ引付けられる力と反発する力とが働く。これが斜め方向への力のベクトルを生出し、Aは円の中心部へ向かうウズ巻き状の回転運動の上を動き始める。
もともと各構成員はすでにウズ状の運動をしており、その力がAに働いて、Aを同方向へのウズ型運動の中へ引き込むのである。こうして、日本の組織では、一度その求心力の圏内に入ると、その成員は、次第にその組織の構成員に同質化されていき、各組織ごとの異なったタイプの人間となる。その集団の同質化への求心力の源泉は、その集団の特定された構成員自身によって生出される、その集団独自の同質性でしかないため、その同質性は(従って、各構成員のタイプも)、理論的には二つと同じものはありえない。
新入社員は、文字通り、入社一日目からこの同質化のウズのなかに巻込まれ、ウズ型集団の一員としての訓練を受けることになる。新入社員歓迎パーティや夜の酒場での歓迎もその同質化への欠くべからざる過程なのだ。こうして新入りであっても、十年もするとものの見事にその組織人間となる。いわゆる「会社人間」化である。
ところで、この様なウズ型集団のなかで同質化を演じなければどうなるか。まずはウズの一番外周部分に追いやられる。いわゆる異端者として主流から外され、さして重要ではない仕事を与えられるか、窓際族的取り扱いを受けることとなる。悪くすれば、ウズの外へ放り出される。いったん放り出されると日本の組織は、多かれ少なかれすぺてウズ型集団であるので、ウズ型集団への不適応者とみなされ正統的な組織からは、もはや相手にして貰えない。やむを得す、一匹狼として、ウズ型集団に対する呪阻を胸にうつうつたる一生を送らざるを得なくなる。鳴門のウズという比喩をもちいるのもそれほど同質化への強制力が強いからである。
同質化の尺度は、どれだけ白己(いわゆるホンネ)を抑え、集団の意思(いわゆるタテマエ〕を優先させ得るかに掛かっている。集団の意思というフィクションの前に、個人的な意思・欲望を出来るだけ抑制しなければならない。滅私奉公という行動規範は日本的組織の中では決して過去の遺物ではない。
こうしてウズ型社会の価値の優先順位は、自分の属する組織、家庭、友人の順になる。例えば、妻や子の誕生パーティ、恋人とのデート等をもって残業命令を拒否する理由にするにはよほどの勇気を必要とする。なまじっか「外国の優先順位は、家庭、友人、組織の順序になっているのに」などと言うと、ウズ型集団への不適性を示すことになる。なぜなら、日本の組織は各成員の同質化をその統合の原理にしており、同質化出来なければ統合出来ないために、成員の有する価値の優先順位においても組織を第一位に置くよう強制せざるをえないからである。
このような統合の原理はいわゆるムラ社会のそれと同じである。同質化の求心力によって、各構成員を同質化し、その間のコミュニケーションを確保することによって、組織は統合されているのである。日本においては人間と人間とのコミュニケーションにはその間の同質性が不可欠なのであって、同質性が高ければ高いほど高度のコミニュケーションが成立し、同質性が失われれば失われるほどコミニュケーションが成立しにくくなる。
日本の社会はこの様なウズ型集団というべき組織が多層構造をなしている。いわば「ウズ型社会」としてとらえることができる。ウズ型社会はその統合の原理からして組織間のコミニュケーションがとりにくく、異質なものにたいして強い排他性を持っている。これが今後の我が国に要請きれる国際化、つまり異質なものとの共存にとって大きな桎梏となることは目に見えているが、さりとて異質なものを統合する新たな原理がないところに日本のジレンマがある。また、日本の組織の強さは、従って日本経済の国際競争力の強さは、いわば、この様なウズ型社会的体質に依存しているため、新たな統合の原理の導入は、一時的にせよ、日本経済の競争力を失わせかねないことが、日本の国際化の問題をより複雑にしている。
いずれにせよ、現在の日本がウズ型社会である以上、その成員の同質化のためには、一斉に揃ってスタートを切らせ、互いに競わせる必要がある。かくして四月、入社式をかわきりに新しい同質化のレースのテープが切って落とされる。
5月一5月病の季節だ。せっかく大学に入り、さて、これから本格的な学問をという矢先、突然やる気をなくす症候群がある。
激しい受験戦争を勝ち抜いて来た学生が合格したことで突然目標を失う。これまでは「合格」という目的が目の前にぶら下がっていた。その一事にすぺてをかけ、ひたすら頑張ってきた。その結果手に入れた合格ではあるが、なにか空しい。大学に期待していた「学問」はどうも「合格」と同じ情熱をかけうる目標になりえない。といって「就職」を目標にしてみても四年先のことで張合いがない。こうして、新入生の中には、目標を見失い、やる気を失い、大学生活から脱落するものが出てくる。無気力化が進行し、世の中に対する関心を失い、自らの中に閉じ篭る。あるいは勉強そっちのけでひたすら遊び惚ける。
5月病になるのはあるいは良心的な学生なのかもしれない。最初から大学は遊ぶところと割切って入ってくるものもいる。長い灰色の受験時代を抜けて、大学の4年間こそ人生における唯一のバラ色の時代だ。就職すればまた長い”宮仕え”の時代が始まる。遊ばなきゃ損だ、というのだ。
こうして、今や多くの学生にとって大学は学間の府ではなく、いわば行楽の場所へと変貌をとげようとしている。世界中の若者が真剣に学問に取り組んでいるこの貴重な青春の時代ー最も学問に相応しい時代が、日本では浪費されようとしている。これは我が国にとって大変な損失と言わなければならない。なぜこうなったのだろう。
まず、余りに激しい受験生活があげられる。ひどいケースだと幼稚園時時から有名校目指して受験勉強を始める。子供らしい遊びから隔離され、I3〜14年間も受験一筋で明け暮れれば、反動が来るのは目に見えている。「学問」とは本来的な関わりのない受験勉強にそれだけ長く浸りきれば、学間好きになるどころか学問嫌いにならないほうがおかしい。
二つには、試験の内容にも問題がある。断片的な知識の詰め込みを旨とする内容ではこれも学問への愛を破壊するほうにむしろ貢献しよう。今ではエレクトロニクスの発達で記録媒体の進歩が著しい。断片的な知識の記憶ならICチップや、光ディスクにでも任せればいい。人が機械 の代行をすることはない。
三つには、大学へ入るのが学問が好きだからではなく、就職用の卒業証書のための人が多いことだ。生涯学問を続けたいのではなく、大卒の免状でいい就職口を得たいがために大学にくるのだから、いい就職ができ、そこで、出世しさえすればいい。それ以外のことには全く無関心。卒業すれば専門書を紐解くこともない。企業のほうでも、別に学問好きを必要とはしていない。大卒の免状を持ち、受験勉強のプレッシャーにもめげず、それを通して画一化され会社の言うことを良く聞く働き蜂であってくれたほうが都合がいい。運動部で勉強そっちのけで頑張ったもののほうが、共同生活に馴染みやすいとして歓迎されるのもこれと同じ風土に根差している。
こうして大学の施設の多くは行楽施設になり、大学生の多くが遊び人と化す。これは大変な人的資源・エネルギーの浪費である。
六月一June Bride(六月の花嫁)の季節だ。人気歌手の松田聖子は「六月の花嫁」に憧れて急遽六月に結婚式を挙げるという。でも、残念ながら、六月は日本では梅雨のシーズン。花嫁衣装がそれほどにつかわしい季節ではない。いずれにせよ、これから挙式まで、マスコミの報道合戦は益々フィーバーしていくことだろう。
結ばれる人がいれば、他方で別れる人がいるのが世のならい。芸能界のみならず、一般人の離婚率もかなり高くなった。とくに最近の傾向としては、中年あるいは熟年層の離婚が増えているのが特徴だ。これも、女性の方から持ちだすケースが増えており、慌てふためく男性が結構多いらしい。
家族思いで、真面目一方の中年の男がある日突然、妻から三下り半をつきつけられる。夫の方では、一々言わなくとも自分が、家族の為に夜おそくまで頑張っていることを妻も分かってくれていると思い、もくもくと働いてきた。ところが妻のほうでは、夫は自分より仕事のほうが好きなのだ、大切なのだ、というふうに考えて、ある日突然家を出ていく。
この様な離婚の多くは、夫婦間の会話の不足、コミュニケーションの欠如が原因のようだ。年中顔をつき合わせており、案外理解しあっているようで、基本のところが、分りあっていなかったのだ。
昔から日本人のコミュニケーションは、言葉で直接やりとりするより、むしろ以心伝心、そこはかとなく伝わるのを基本としてきた。
「話さなくても分る」、「男は黙って・・・」方式に長年頼ってきた。言葉を使う場合も曖昧であり、真意は察しなければならないが、そうしたコミュニケーションで心と心が触れ合い、真の理解が得られるとの暗黙の了解があった。
ところが現実は少し違うようだ。生活力のない女性はこれまで、家には寝に帰るだけ、夫婦共通の価値観や人生目標もなく、お互いに話しあうこともない夫にも辛抱して来たが、今やパ一トにでも出れば、なんとか生きていける時代になった。これ以上、そんな本当のコミュニケーションのない家庭に我慢しながら居続ける必要はないと、妻の方から離婚話をつきつけうる条件が整いつつあるのである。
現在でも、離婚した女性に対する社会的な風当たりはかなり厳しい。しかし、それでもあえて離婚に踏み切るからには、相当な覚悟の上に違いない。それほど妻は夫から放って置かれ、それほど、夫婦といいながら長年にわたって血の通った会話がなかったのだ。血の通った会話が日常的にあれば、妻から離婚話をつきつけられることもあるまい。
このことが示すように、社会の中で最もコミュニケーションがいいはずの、良くなければならないはずの一組の男女の間でさえ日本では充分なコミュニケーションが行なわれていないということである。後は推して知るべし。日本では親と子供の間でも決していいコミニュケーションがあるとはいいいがたい。職場や学校においてへしかり、理解しあっているつもりであっても、以心伝心や曖昧なな言葉に頼らざるを得ないコミニュケーションには自ずと限界があり、これが今日、様々な局面で破綻を見せ始めている。
仕事や受験勉強に追われて、家族が充分接する時間のない家族、受験準備におわれて、先生と生徒の血のかよった触合いのない学校、他人に合わせることを基本とし「建前」と「本音」微妙に使い分けなければなちない職場。こうしたコミニュケーション不足の環境から非行少年、家庭内暴力、登校拒否、学校内暴力、休日神経症、勤務問題を原因とする自殺等が多発している。
同一民族同一言語ということで、日本人は安易に日本では充分なコミニュケーションが行われていると思いこんできた。ところが、一皮剥くまるっきり逆の状態が浮かび上がって来る。日本の社会は本来的には、コミニュケーションのしにくい、言わばディスコミニュケーション化しやすい社会(=文化〕構造となっているのである。筆者はこれを「ディスコミュニケーション型社会」と名付ける。メシ、フロ、ネルだけで通じあえる仲睦まじい夫婦と見えながら、その実は心の結ぴつきのない男と女が、経済的な理由だけで辛抱しながら生活を共にしているのが実相に近い。確かにどれほど理解しあっていようとメシ、フロ、ネルの三言で伝えうるものには自ずと限界がある。また、夫は毎日午前様、日曜日も接待ゴルフというのでは、残された時間をどうやりくりしても理解し合うのは無理だろう。お互いに一緒にいる時間が少なすぎても充分なコミニュケーションはできにくい。
「話さなくても分る」というメンタリティの日本人には、本来コミニュケーションの難しさに対する基本的な認識が足りない。従って、コミニュケーションを図るためにことさら努力もしない。言葉でいろいろと話合うよりも同じ釜の飯を食い、同じ生活体験をすることを通じて、自然に分り合うのが最高という意識がある。したがって、夫の方では黙っていても妻は分かってくれていると思い込む。妻の方でも事情は同じで、自分の不満を口にだして言わなくても、夫はいつか分かってくれるだろうじっと耐える。ところが、その実お互いになにも分りあっていない。抜きさしならぬ所までいって、ある日突然爆発する。
アメリカ映画等を見ると夫も裏もしょっちゅう「アイラブユー」をかわしている。日本でもこれを見習い、今後はコミニュケーションためにもっと時間を割き、そのテクニックを磨く必要がある。従来型のコミニュケーションに頼っていたのでは、もはや充分なコミニュケーションが図りにくい時代に入りつつある。いや、正確に言うと従来型のコミニュケーションはそもそも充分ではなかったのだ。ただ、皆が不満を持ちながらもじっと我慢し、そういうものと諦めていたにすぎない。アメリカ映画を見、いろんな経験を通して、もっと豊かなコミニュケーションがありうることに気付くと、じっと辛抱することが次第に馬鹿らしくなって来る。その意識の変化が、熟年夫婦の離婚の急増という事態を引き起こしている。
ここにも、戦後の日本の仕事(=会社=経済)優先の社会構造の歪みが投影されている。つまり、経済(=オカネ=食ウコト)にかまけて、最も重要なはずの家庭内の人間関係をないがしろにしてきた。職場や職場での人間関係(コミニュケーション)だけを優先し、家庭や家庭内コミニュケーションを二の次ぎにしてきた。その酬いを今うけ始めているのだ。もっとも、職場での人間関係にしても時間をかけているわりには必ずしもうまくいっていないことは、最近の中高年男性の自殺の急増が示している。とくに、職場での人間関係などの「勤務問題」を原因とする自殺は、ここ五年間で倍増しているのである。
「話さなくても分る」とするメンタリティは、「話せば分る」というメンタリティに短絡しやすい。しかし、これはそれほど単純ではない。長年、コミニュケーションのための真剣な努力を怠ってきた日本には、コミニュケーションのための言語もノウハウも不足している。その意味で日本語を含め、「話して分らせる」ためのツールやノウハウを今後は、鋭意開発していく必要がある。そうした努力を通してディスコミュニケーション型社会からの脱皮を図らなければならない。
松田聖子も、結婚したら、仕事だけにかまけずに、夫とのコミニュケーションに気を配り、早すぎる結婚は、早い離婚に結びつく等と悪口を言われることにならないようにして欲しいものだ。
ところで、日本人の好きな言葉にこの「優等生」という言葉がある。「日本人は世界の優等生」「経済の優等生 日本」といったような形で盛んに使われる。この自らを「優等生」視するものの見方の中に、日本的な思考のエッセンスが、内包されている。
というのも「優等生」とは、文字通り学業成績の優秀な生徒の意である。先生の出した試験問題に旨く答えて、いい成績を上げたもの、つまり、通知表の5の数が他人に比較して多いものが、日本人のいう「優等生」なのだが、自らを「優等生」国家視する際も、無意識のうちに同じ心理が働いている。
先進国に追付き追い超すという宿題、あるいは、石油危機を乗り切るというテスト問題に、他のどの国よりも、旨く答えたという意味での「優等生」なのだ。
この際、注目すぺきは、先進国に追付き追い越すという目標を、GNPとかその成長率という、通知表と同様に、ごく一部の能力を計量化したものみでとらえながら、5の数の多いものが学業のみならず、全人格的、全人間的にも秀れているという暗黙の認識を前提とし、社会的にも「優等生」を高く評価するのと同じ意味で、日本が経済面のみならず、全国家的にも優れているという暗黙の認識の下に、日本がすべての面において、先進国に追付いたと考え、自国が「優等生」国家として、外国からも高く評価されているに違いないと思いこむ心理に陥っていることだ。
日本の学生の多くが、自らの存在意義を感ずるのは、通知表で5を沢山獲得したときだ。その他の能力を持っていても、無視されるか、大して、評価されない文化体系の下では、自らのアイデンティティさえ、この5の数の多寡に求めざるを得ない。そして、これは一生付いて回る。就職の際の評価基準になるばかりでなく、就職後も学生時代の学業成績が肩書や社会的地位に影響を与える。
この様なメカニズムの下でこそ、異常とも言えるほど、激しい受験戦争が、繰り広げられる。5の数は人の一生に付いて回るがゆえに、幼稚園時代から、全国民が必死になって、5の数を一つでも多く取ろうとして、血眼になって努力するのだ。
ところで、優等生とは、この5の数争奪戦のチャンピオンに他ならない。すべての日本人のメンタリティの中で、「優等生」の占める位置が最高に高いはずだ。
日本のGNPに基づく採点基準にも、これと同じ心理が働いている。つまり、GNPを高くすることは、いい成績を上げるのと同じことなのであり、この中に、日本人のナショナル・アイデンティティがこめられている。
日本人がGNP世界第三位になり、経済大国視されたときに示した、欣喜雀躍というに相応しい悦びようは、これによって自己の存在意義を証明することができ、世界の中での自己の位置付け、自国の優秀性の証明を果しえたと考えたからに他ならない。「優等生」が東大に合格した時のような安堵感、悦びをこのときの日本人は味わったのだ。
優等生のメンタリティは、数字万能主義といってもいい。日本の知的水準の高さ、学校教育の普及によって、数字に強くかつ弱い人間が多数養成されるが、その中のいわばエリートが優等生であって、人一倍、数字に対する信仰心が高い。学校では、テストによって、各人の能力が比較され、位置付けられる。正しく、一点差がものをいう。優等生は、他でもないその様な数字の上に乗って、初めて自己の存立の基盤を得ているのであるから、数字に対して人一倍強い信仰心を持たざるをえない。そうして、すべてのことを数字でランクづけする習性が養われる。点数差が知的能力差のみならず、人間としての立派さの格付けまで表すがごとさ錯覚をもつに至る。その挙句、国家としてもGNPを崇拝するまでになる。日本経済に対する日本人の信頼感や自信も、数字信仰の一つの現れである。
しかしながら、この世には数字で表されるものは極めて少なく、極めて限定されたもののみしか、数字では表せない。日本及び日本人は、数字に強いが故に、これまで数字に表しうるもののみに重点を置いて(置きすぎて)追掛けてきたのではないだろうか。優等生がいつもそうするように。
そして、日本人の考える日本の通知表には、今や、オール5が並ぶに至った。しかし、何か空しい。天下の優等生になった筈なのに、世界的には誰も認めてくれない。数字で表されるものをいくら整えたからといって、優等生が幸福感を味じわえなかったように。日本もそういう空しさを感じはじめている。
「優等生」的心理を裏返せば、それは、受験生的心理そのものだ。つまり、日本人の最も基本的タイプは、受験生タイプといってよく、また、日本という国自体も受験生国家といっても差支えないほど、性格的に受験生に似ている。
常日頃は人間的な生活に関心を示さず、大学に合格したら、豊かで潤いのある生活を送ろうと考えて、一点でもいい成績を上げるために日夜努める受験生の生活は、そのまま、よりよい肩書を求めて、午前様も辞さぬ会社員に投影されているし、すこしでも高い経済成長を目標に、一億総動員で非常時さながら働き続ける日本の姿そのものだ。
日本が経済大学ならぬ経済大国に合格し、先進国へキャツチアップを果したとして、一時、目標喪失感を味わったのは、正しく、大学に合格して、暫く生活のハリを無くした受験生心理と相通ずるるものがある。つまり、自らの実現すべき価値を持たず、そうした価値を実現することを目的にして受験勉強をしたり、経済成長をするのでないため、大学へ合格したり、経済大国に合格することをもって、目標を完遂したかのごとき錯覚に陥り、目標喪失感を味わうのだ。
大学への合格が、”肩書”を得るためであったり、経済大国になることで世界の中の序列が上がることが、いわば目標であったため、大学へ入ることは、大学で更に勉強し、自分の価値を実現していくための一つのステップ・条件に過ぎないという認識や、経済大国になることは、それによって、国民の幸福を確実なものにしていくための一つのステップ・条件に過ぎない、ということが忘れられる。
こうして、日本は、自らを「優等生」視するのであるが、残念ながら、日本語のこの言葉の含意は、欧米人にほとんど理解されず、欧米語には、適当な訳語すらない。外国人にとっては、GNPのみの高さをもって、自ららを「優等生」視する心理が理解できず、このところ、やたらと先生面をしたがる奇妙な国としか映らないのである。
日本人の多くは。優等生の上に「ガリ勉」という蔑称を冠することによって、それが必ずしも理想像でなはないことを自ら表白しているが、そろそろ国としても、一人よがりの「優等生国家」を理想視する国家観から卒業する必要がありそうである。
八月ー今年は四十年目の敗戦記念日が巡ってくる、四十年の歳月は、ほぽ人の半生に当たるが、明治維新以来、日本はおおよそこの四十年を一サイクルとして、大きな曲がり角に逢着してきた。
明治維新の四十年目に日露戦争に勝ち、その四十年目に太平洋戦争に敗れ、そしてそれから四十年、現在日本は繁栄の極みにあるものの、激しい通商摩擦の嵐に巻込まれている。これは、次なる大きな曲り角の予兆のように見える。中曽根首相は「戦後政治の総決算」を標榜しているが、現在の繁栄を維持しつつ、的確な方向転換ができるだろうか。
日本の社会や組織は、安定すればするほど、常に長老支配の傾向を帯びる。激動期ともいえる明治初期や戦後は、それまでの長老支配が払拭されたために、若い人々の手で旧習にとらわれることなく、大胆な改革が行われたのだが、それが成功し社会が安定するにつれ、長老支配化が進む。かつての若い人々が年老いても何時までも権力を握り続け、一度成功を産みだした価値観や社会的システムを何時までも保ち続けようとするのだ。
そうするのに、日本の年功序列式の社会システムほど適したものはない。年x功の高いものを尊重するのが、年功序列式の基本だから、結局、若くして多大な功績を上げた人々の序列が一番高くなる。このシステムには、本質的に世代交替のメカニズムは組み込まれない。つまり、年×功が増えるほど尊重せざるをえないため、それこそ維新や戦争によって、旧世代が払拭されない限り、必然的に長老(年功者)支配になってしまうのだ。
その様な長老支配が定着すると、社会の変化に対して弾力的に対応しにくくなる。一度成功に導いた価値観を捨て、新たな時代にふさわしい価値観へ転換しがたくなる。たとえば、今日、戦後長い間通用し、現在の繁栄をもたらした、ひたすら働き、金を儲けることは善、輸出は善といった価値観の見直しが必要なのだが、そうした、旧来の価値観をなかなか新しいものへ転換できないのもそのせいだ。
年功序列型のシステムは、旧来の価値観の温存には向いているが、新しい価値観を取込むことは本質的に苦手だ。そのため、逆に成功が失敗の原因になりやすい。一度成立した価値観は、非常に良く尊重されるがゆえに、それが時代に合わなくなっても墨守され、時代の壁に激突して、社会を壊滅させかねない危険性をはらむ。
太平洋戦争において、それより更に四十年前の日露戦争を成功に導いたとされる、艦隊決戦主義や白兵戦主義が墨守され、終戦に至るまで、航空戦力や戦車を主体とする近代的な戦術に転換できなかったのが、その好例である。
しかも。わが国のあらゆる組織には、江戸時代のムラと同じ共同体の統合原理が働いている。組織に入ることは、共同体の一員になるに等しく、一員になった以上、自分の属する組織の存続こそを至上命令として行動することが、第一義的な価値となる。こうしてそれぞれの組織が、従来の価値を墨守しつつ、それぞれの組織の存続に全力を傾ける。
社会が安定期に入ると、人事も危険負担を最小限に抑える必要から、衆目の一致する人選になる。つまり長老のお眼鏡に適い、従来の価値観を充分身につけ、その組織の存続に一身を投げうつような人が、いわゆる出世コースを歩む。人事担当者も、衆目の一致する人事を行っておけば、自分の地位の安定になる。へたに抜擢人事を行うなど、自らを危険に晒すようなことは避ける。
こうして異質性を持つもの、たとえば、会社の方針を批判するような人物は、まず出世コースから外される。それは、会社に対して不忠義と見なされるからだ。たとえ、会社を愛し、会社をより良くするための批判であっても多くの場合、それが本人にとって有利となることはない。日本海軍で艦隊決戦主義から、航空機主体の戦術への転換を主張した、井上中将が左遷されたように、既存の価値体系への批判は、組織全体への挑戦と見なされ、異質なものとして排除される。
こうして、日本中のあらゆる組織が従来の価値を墨守しつつ、自己の存立を維持することのみに全力を傾け、既得権を絶対に放棄しようとしなくなる。その結果、方向転換ができなくなってしまう。事実。次の来たるべき時代に備えた手(例えば、輸出に依存しない産業構造への転換など)は何も打っていないので(打てないためでもあるが〕簡単に政策転換できないのだ。戦略的な退却もできす、旧来の方式でいきつく所までいくしかなくなる。イギリスのサッチャ一首相が、日本が度々打出す市場開放策を評して、日本は実態のある政策変更がしにくいと批判したように、一度慣性が付くと、その方向へ直進せざるをえない「慣性・直進型」の体質を有している。
組織内の衆目の一致する選択とか、衆議一決の決定が組織の均質化を促し、それが進むほど、方向転換ができにくくなる。こうした、悪循環へ日本はのめり込みやすい。つまり、成功して社会が安定化すればするほど、大いなる失敗の可能性を胚胎するのだ。
高度成長期のように、組織自体が拡大できた時代には、それでも異質性を持ったものの入りこむ余地があった。しかし、組織がが拡大できなくなり、安定路線に入ると、もはやそういう余地がなくなる。同質性の高いもののみを厳選して取り込み、それを組織人間に純粋培養し、その中から、更に衆目の一致するものを幹部に登用する。こうした、メカニズムの定着が成員の意識に反映して、その同質化を更に促す。自己保身のために、自らの異質性をできるだけ払拭し、進んで、既存の価値体系の信奉者たらんと務めるからだ。
その結果、旧来の価値観が益々強固なものになり、もはや組織の内部からの打破・改革は不能となる。ここに、外圧に頼らなければ自己改革ができない、日本の社会およぴ組織の本質と限界がある。
最近学校で腕白坊主が、会社では一匹狼型の社員が減り、順応性の高い優等性タイプばかりが増えたのも、下は小学生から、上は大企業まで、その様な安定した組織となり、均質化が、一層進んだことを裏付けている。若者の保守化現象もその一つの標徴にすぎない。
安定した組織においては、その組織の価値を成員のすべてが信奉しているのだから、それを打破することは容易でない。全員がその価値を存在理由とし、純粋化しているため、その組織の既得権を犯すことは、組織の存在理由の否定になる。従って、それを犯そうとすると、組織ぐるみで強烈に反対する。組織の存立のためにひたすら尽くす組織の存立を許すことで、これまで社会の安定と繁栄を維持してきたのだから、ある組織を弱体化させ既得権を奪うことは、誰にとっても自らの存立基盤を否定することに繋がりかねず難しい。
つまり、現在存続しているあちゆる組織が、既存の価値体系へ精一杯同質化し、日本という社会において、いわば幹部・長老として登用・容認されたに等しいのだから、今更、首にはできにくいのだ。
現在、通商摩擦の解決策がいろいろと打出されているが、首相の力をもってしても依然として、既存の組織の既得権を打破しうるような抜本的なものができないのは、以上のような日本の組織のメカニズムに基因している。戦前は方向転換ができぬまま、太平洋戦争に突入し、国民は塗炭の苦しみを嘗めたのであったが、戦後四十年、わが国は正しい方向へ舵を切りかえない限り、その二の舞いを演じかねない局面に差し掛かっている。しかし、方向転換は容易ではなく、従って、「戦後政治の総決算」の目処はなかなかたちそうにない。
「苦しい時の神頼み」という俗言が示すように、日常的な生活で神や彼岸に思いをはせることは余りない。しかも、頼んでも救われなければ「神も仏もないものか」と憤慨する。苦しくなれば、神も仏もごっちゃ、八百万の神を引っぱり出してきてすがりつく。
苦しい時にしか相手にしてもらえないので、神の方も現世的なご利益を提供することによって、日本人に取入る。そのご利益によって、神様の分業体制までできあがっている。いわく、安産の神様、受験の神様、交通安全の神様、家庭安寧の神様、などなど。
上智大学教授のミルワード氏のように、せめて苦しい時にでも神を思い起こすことはいいことだという人もいる(「生き方のコモンセンス」176頁)。つまり、嬉しいときには嬉しさのあまりつい夢中になり、神にお礼をいうのを忘れてしまうので、「せめて苦しいとき、喜びがひっこんで悲しみがおもてに出ているときぐらいは、神に助けを頼むぺきだ、ということになる。多分それだからこそ、神様も人間が時に苦しみにあうのを放っておかれるのであろう。つまり「苦しいときの神頼み」をさせるために、苦しい目に合せるのである。しあわせなときには神のことを忘れ、感謝を怠るなら、せめて不幸なときには神に助けを頼もうではないか」と。
これは、カトリックの司祭であるミルワード氏らしい逆説的な言い方で、神と無縁な生活を送る日本人へ、信仰をすすめているのだ。つまり。「苦しいときの神頼み」という諺を日本で一番有名で評判の悪い諺にしているほど、日本人は神と無縁な現世主義者であり、苦しいときですら、神に思いいをはせることは、めったにないのである。
それと同様に、文化や精神生活への関心も薄い。
前の駐日英国大使のコータッツィ氏は、「教育を受けた年配の政界、財界、官界、の方々と話をしていて良く失望させられるのだが、皆さんの自国の文化に対する関心の幅が狭いいのだ。「ご趣味やご関心はどういうもので?」と質問すると、たいていは「ゴルフと仕事」だといい、家にいるときはテレビを見ててすごす、という答が返ってくる」これは、日本の教育が、単に英語教育に失敗しただけでなく、広い文化的素養を培わせることに失敗していることを示している。と指摘している(『東の島国 西の島国』)
、英国では。大学で一番できる生徒が現世酌な富と関係の薄い学問分野に進むという。「人はパンのみにて生きるものにあらず」が、英国では今も生とている。「イギリスを世界の工場なりとする考え方そのものが、イギリス人の精神や性格とは縁なきものである」とセント・ポール大寺院のインジ司祭は大恐慌の時にかっぱした。「産業革命を産みだしたのはイギリスだったが、その結果をイギリスは好まなかった。一世代か、せいぜい二世代の短い間、1859年の初版以来、三十年間に13万部を売り尽くしたサミュエル・スマイルズの「自助論」の考え方が世論の主流になるかと思われたが、そうはいかなかった。新しい産業世界に見合った価値観や態度から逃れる手段を、イギリス人はまたたく間に見つけてしまった。少なくとも、精神的な面で逃れたことは事実だった」という。かくして英国は非産業的産業国家となり経済的に「失敗」する。「経済は人間の価値観や社会の状態に深く根を下している」のだ(ラルフ・ダーレンドルフ「なぜ英国は『失敗』したか」)。
これに対いして日本では、この「自助論」が明治時代に「西国立志論」として出版され数十万部も売れただけでなく、山本七半が指摘するように、江戸時代の仮名草子作者鈴木正三の「何の修行も皆仏行なり」(世俗の業務は、宗教的修行であり、それを一心不乱に行えば成仏できる)という考え方が、現在でもまかり通っている〔「日本資本主義の精神」)人々は働くために働き、いい学校、いい就職、いい肩書き=幸福という価値観が主流を占め、誰もが、現世的価値である経済的富の獲得に奔走している。仕事がそく宗教であれば、「ゴルフと仕事」を趣味とすることも、あながち精神生活と隔絶していないとの意識に裏打ちされているのかもしれない。
こうした日本人の精神と性格が、日本を世界の工場たらしめ、日本に経済的『成功』をもたらし、また、そのことを日本人が誇りとすることの土壌になっている。しかし、各国は日本が経済大国であることは認めても、残念ながら文化大国とは認めてくれない。日本商品は世界に溢れているが、文化の顔がないという批判があるのが、そのことを裏付けている。
前駐日米国大使のライシャワー氏は、日本人には、日本人が知的に孤立していることも、日本が他者に「舌のもつれた巨漢」ないしは国際社会の周辺に位置する「油断のならないよそもの」と映じていることもとんと意識されていない、と指摘している(『ザ・ジャパニーズ」399頁)。日本には、それを意識し、痛みを感ずる階層が存在しないのだ。
今後は、もてる経済力で世界に何を貢献するかが課題とされるが、文化や哲学がなけれれば貢献することすらできない。「世界の中の日本」とか「国際国家日本」というスローガンが、最近にわかに横行しだしたが、これはとりもなおさず、文化面で日本が世界とうまく折り合っていないことを示す徴候である。単に経済力のみが強く、しかもひたすら自国の現世的な利益のみを追及する国では、世界から相手にされない。経済だけが、一国のすべてではない。文化の欠如ないしは文化面への関心の薄さが、まさしく現在の様々の摩擦の原因なのだ。
つまり、自らがそれに見合う文化を持たなけば他国の文化も、国際社会のもっている普遍性のある文化やルールの理解もできない。相手の立場に立って考えることができず、日本流の甘えや自分勝手な論理で他国とも接することになる。ポール・ボネのいう「経済神童・外交タダの人」(「不思議の国ニッポン」)がそれだ。精神生活がなく、個人としての思想や哲学のない人に、外交がでさるわけがない。そうした人物が各界のトップをしめているフシギナ国と外国人には映る
韓国には、「よき鉄は釘に使わず、優れた人は兵にならず」という諺があるが、これは諺にとどまらないある実感を抱かせるという。韓国や中国では知的活動が絶対優先され、「文」が優先された。これにたいし日本では武士階級も汗を流し、仕事に熱中することを美徳とした。日本には、もともと中国や1韓国のような文と武の区別がなかったという(「韓国人が見た日本」10頁〕。こうして日本では、今もってよき鉄が釘に使われ、優れた人が「企業兵士」として兵となり、「文」の人がなかなか育たないのだ。
世界のいたるところに、日本人は出掛けているが、その土地の人との間でも多くの摩擦を引き起こしている。経済的な活動を通したつきあいはできるが、これが文化面や精神生活を含めたつきあいとなると、いずこでも失敗している。それは、ひたすら仕事に精を出すことをもって仏行とし、文化や精神生活へ関心を払わなかったことへの当然の報いといえよう。
お彼岸の中日は幸いにして、休日だ。せめてこの一日各人日頃あまり縁のない彼岸に思いをはせてみてはどうだろうか。
ところで、今年のスポーツに関する大きなイベントといえば、8月から9月にかけて、神戸市で開催された、ユニバーシアード大会が上げられよう。世界から4千人もの若者が集い、熱戦を繰り広げた。日本は主主催国ということで、総勢3百人近い選手団を送込んだが、獲得したメ
グルは最初の目論見を下回ったようだ。
こうした大きな国際大会のたびに日本選手は、本番に弱いということがいわれる。確かに、日頃の実力を出せないで負ける選手が思いのほか多い。外国選手の中には、日頃の実力以上の力を出して勝つ選手が少なくないのに、これはどうしてだろうか。日本のお家芸といわれる柔道でも期待通りの成績を上げるととができず、韓国や北朝鮮の選手に名を成さしめた。しかも、日本流の相手の出方を待つ試合方法が、最初から積極的に打って出る外国選手の流儀に付いていけなくなりつつあるとの危機感さ英だかされた。成績がもうひとつだった背景には、柔道界の内輪もめがあったとも伝えられている。
ところで、この柔道という名称が示すように日本育ちのスポーツや芸ごとの多くにこの「道」という言葉がつく。剣道、弓道、合気道、空手道、棋道、華道、茶道、香道、書道、画道、歌道・・・、そしてこの「道」がつくと、とたんに、それを通して精神修養を図るという意味合いが付加される。呼名に「道」の付いていない外来のスポーツであっても日本人は本能的には、この「道」という言葉が付いたものとして受止めている。炎暑の中で行われる夏の甲子園大会を見れば、やはりそこには野球道というものがありそうだ。サッカー道、バスケット道、バレー道、どのスポ一ツにも「道」をつけても、およそおかしくないように思える。
「道」がつくと、そこは真面目な人生の生き方の探究の場になる。不真面目は許されない。楽しみよりは、苦しみこそが求められなければならない。苦しい血の滲むような練習こそがふさわしい。笑えるようではまだ甘い。それに一度その道に入れば、その道一筋、道を極めるまで頑張らなければならない。柔道部に席を置く一方、バレー部にも手をだすような二股をかけたり、二兎を追ってはならない。
精神修養の場である以上、教師あるいは師匠には、ひたすらへりくだっ教えを乞わねばならず、師に反発したり、師の用いない技を用いたりしてはならない。弟子は弟子らしく、謙虚でなければならない。先輩後輩の序列は頭に叩きこんでおき、兄弟子は常に尊重しなければならない。従って、練習の場は道場とよばれ、神聖視される。本番は真剣勝負の場、勝って泣き、負けて泣く。これこそ人生の道そのものであり、人生修養の場でなくてなんであろう。観衆もそこに人生の縮図を見て感激する。
「みち」は、道、途、路などと書き、人が歩く道だけの意味でなく、抽象的には人生行路、人間の進むべき道、さらには、真理といった意味で用いれられる。これは、日中共同している。しかし、芸ごとや武術に「道」をつけることは、中国ではしない。書道は書法、空手道は拳法といい、法は方法・技法の意味だ。それだけ日本人のほうが、スポーツや芸ごとにも生真面目に取組んでいる様にみえる。単なる技術より、精神面や「芸」を尊重し、その一方で合理性や科学を軽んずる面がある。
日本の道は、網の目状に張り巡らされた「あらゆる道はローマに通ず」という道ではない。石畳の道ではなく、放っておくとたちまち雑草に覆われ消えてしまう道だ。雨に流され土砂に埋もれてしまう道だ。山地の多い日本の道のことゆえ、次第に高く昇っていき、奥山へ消えていく道無き道こそが日本人にとっての道のイメ一ジと言ってよい。どこへ達するかは分らない。それゆえ脇見もふらず、その道一筋に極めなければならないのだ。一度道を外したり、迷ったりしたら目的地に着けないばかりか、それこそ、行き倒れにもなりかねない。
そういう高きに昇っていく道のイメージを反映してか、柔道にしても剣道にしても、また棋道にしても技量向上の目安に「段」を用いている。一段一段高く昇っていき、その道を極めるところに人生の意義があり、人生そのものが集約されると考えるのだ。
こうした道のイメージが、今もって日本人のスポーツ観には付纏っている。従って、大きな大会になればなるほど、人生の大事という意識が前にでて、たかがスポーツ、楽しく伸び伸びやろうぜ、とはいかず、期待を精一杯背負いこんで頑張る。そこで堅くなり、上がってしまう。その結果、たかがスポーツ派の外国人に負けてしまう。
弓道や華道や茶道など、およそ「道」の付くものには様々な流派や家元が存在し、それぞれの他の流派から没交渉でその流派なりの技を磨く。華道だけでも約3千の流派があるという。つまり、本道から脇道へ脇道へと限りなく細分化していき、奥山へ奥山へとわけいるようなものだ。だから、他の道と決して交わらない。各家元が独自性を装う結果、役柄の名称の様な技術的抹消的な差異が重要視され、本道が見失われやすくなる。一度ある流派に入門すると、他の流派に鞍替え出来ないのみなちず、師匠の使う花屋の花や道具屋の道具を使い、師匠の教える技術のみ使うよう拘束さえ受ける。次第に技術の互換性は失われ、情報を交換して、技術を磨きあうことなど出来なくなる。違う流派の人と付きあうことすら禁じられる。
こうして、その道一筋に閉籠るので自ずと各流派は閉鎖的となり、お互いに対立したり足のひっぱりあいをし、些細なことで内輪もめを起こしやすい体質となる。技術は秘伝奥伝としてその流派のなかでのみ伝わるが、必ずしも汎用性のある高い技術になるとは限らない。狭い自己の道のみに閉籠り、他の道とは交流しないので、定型化し易く、技術のレベルアップにも限界がある。
日本の大学では、ラグビー部に入ればその部一筋の生活を送らなければならない。他の部に入れることはまず無理だ。入部するということは、幾筋にも分かれた交叉点でその一つを選ぶ様なもので、一度選ぶともはや引き返せない。外国では、夏には水泳部で水泳をやり冬にはラグビー部でラグビーをやるという様に、複数の部に入ることは普通だが、日本では思いもよらない。
このため、体力的技術的にもかたより戦略的にも進歩しない。どの部でも痩せ我慢の長時間練習やしごきが、精神力を鍛えるとして伝統的に尊重されているが、合理的精神とは無縁な痩せ我慢の精神力のみでは、世界の桧舞台では通用しない。こうした運動部の閉鎖性や古い体質が、次第に嫌われ始めており、いい人材が集まらなくなる傾向もみられる。
ところで、芸ごとやスポーツにしても「道」と心得る日本人のこと、仕事となればそれ以上の生真面目さで取組むことになるのは、いうまでもない。これこそが、日本経済の強さの秘密であろう。企業に入ることは、企業「道」に入り人生修行をすることと見つけたり。仕事にしろ、余暇にしろいずれにしても道に入るのだ。生真面目に取り組む点で、その間に区別がないのも、無理もない。
それにしても東京の道の分りにくく、かつ道路標識の不親切なこと。これは道とは本来そういうもの、道なき道こそ本来の道であり、各自が苦心して辿りつくところに、人生の意義があるという精神の所産だろうか。そこには、人生の縮図たる道を象徴的に感得させてあげようという、深い思いやりの心があるのかもしれない。
どの職場にも名幹事といわれる名物男が決っているものだ。名幹事は、それこそ出発から解散まで、用意万端おこたりなく参加者を一時も飽きさせない。往きの車中の飲物、おつまみの用意から、夕食の料理には解説づきで土地の名物を並べ、夕食後の余興、カラオケ、雀卓の用意、自ら率先しての隠し芸の披露、夜食用のおにぎりの手配、翌日のレジヤーの段取りまで、万事にいささかの手落ちもなく、ありとあらゆる気配りを発揮する。幹事以外の参加者は、名幹事の引いてくれたレールに黙って乗っていさえすれば、手土産の一つも持たせられて、無事我家へ送り届けられる仕組みになっている。
ところで、幹事の引いたレールが少々気にくわなくでも、黙ってその上を走るのが、参加者のルールでもある。メニューが気にくわないといって文句をつけたり、仲間から離れて別行動をとってはならない。それは、全体の秩序を乱す最も忌むべき行為、つまり逆に気配りの欠けた行為とされる。
このように、日本社会で生きていくには様々な気配りが必要だ。気配りを欠いては、まともに生きていけない。気配りにも、いわば強要される側面というものがある。気配りの欠ける幹事は、失格とされるし、周りに気配りを欠く人間も村八分に合う。このように気配りは、集団の潤滑油として不可欠なのだ。その意味で、日本を気配り社会ということができよう。紅白歌合戦の司会振りを見る限り、さして気配りしているとも思えぬアナウンサ一氏の書いた『気配りのすすめ』が、ペストセラーになるのもむべなるかな。日本は、気配りがなくては、夜も日も明けぬ社会なのだ。
ところで、日本ではガンとわかっても本人へは知らせない。これも、日本的な気配りの一種だ。このことと戦時中、大本営がたとえミッドウェー海戦で敗れても本当のことを国民へは知らせなかったことは、同じ脈絡の上にたっている。軍の側に組織防衛の意識があったにせよ、本当のことを知らせたら国民が落胆し、戦意を失うかもしれぬという気配りがあったことも疑いない。その点、ガンを患者に大抵の場合教えてしまうアメリカやプリンス・オブ・ウェールズ号の轟沈をその日のうちに議会へ報告したイギリスとは大いに違う。
日本の場合、国民もある程度までは本当のことを知りながら、本当のととをいわれるのを避けたい心理を持っていた面もあったのではないか。気配りの国とは甘え合いの国でもあり、国民も弱く傷つきやすい精神構造の持主なのだ。長年にわたる気配り文化のため、そういう国民が育ったのであり、そういう国民になってしまっているので、今更急に気配りをやめるわけにもいかず、さらに気配りを要するということでもある。
名幹事がいなければ、せっかく課内旅行へ行ってもどうしていいか途方に暮れかねないし、駅のアナウンスが突然なくなったら迷ってしまうに違いないのだ。医者が、患者にガンであることを知らせないのも、医者を知らせるような苛酷な立場に追込むまいとする周りからの気配りがあってのことだろう。医者の方でも知らせた後、死と直面している人と直面し続けることには慣れておらず、耐えられないこともある。医者にしても、きわめてナイ一ブで傷つきやすい日本人であることに変りはない。
日本では、子供の時から人生の真実に直面させないように気配りをする。子供を出来るだけ甘やかし、世の荒波に揉まれないように保護する。何時までたっても、子供扱いすることが美風でさえある。そういう土壌が育てた気配りの天才というぺき存庄が、いわゆる教育ママだ。子供になにも判断させず、すべて自分が先回りしてやってしまう。子供は、親の引いた路線の上を走るだけ。その結果、子供は、無気力、箱入り娘型に育つ。教育ママは、大学入試、卒業式はおろか、入社式へさえついていく。結婚の相手まで見つけてやる。
日本の教育も気配りの典型だ。子供に自分で発見させず、先生が先回りしてすべて教えてしまう。先生の説を繰り返す生徒がいい成績を収め、高く評価される。外国ではその反対、自分の考えがなければ評価は零、日本人は国際的な音楽コンクールに入賞するが、その後伸びない。技術は確かでミスはないのだが、この曲はこういうふうに弾きなさいということまで教えられ、それに従って弾くだけ。個性がない。みんな同じ。外国では、どう弾きたいかと先生は生徒に聞く。日本では全部教える。スポーツのコーチも同じこと、学校の規則は、自ら考えなくても良いように微に入り細に入っている。長髪はいけないとして、むりやり生徒の頭にタテ一筋バリカンをいれた女の先生さえいる。
こうした集団志向型の気配り教育は、自我の充分な発達を阻害する。常に集団に寄りかかり、集団の庇護の下に生活し、自我が出来るだけ肥大しないように、最小限度に抑圧する。いつも、小心よくよくと生きていくよう子供の時から叩きこむ。だから、周りから精一杯の気配りをしてもらえなければ生きていけない。気配りして貰える集団の中では強いが、一歩そこを出ると極端に弱くなる。内弁慶が、日本人の典型である所以だ。
日本人が、とかく気分を害しやすいのもこれと無縁ではない。日本の文化同様、自我が充分確立してないので、傷つきやすく、動揺しやすい。日本人は表情を表に出さないが、本質的には感情的で傷つきやすい。そのため、逆に感情を押し殺そうとするのだ。感情的であるということは理性的、理知的な面が少ないこと、つまり精神生活面が、貧弱であることと同義だ。そのため、真実の情報を与えられると途端にパニック症状をきたすわけだ。
日本は気配りの国であるが、反面気配りの押し付けの国でもある。名幹事がいれば一方で、名幹事をたてる名立役者が、いなければならない。これも、いわぱ逆の面からの気配りである。双方から気を回し合うのだ。気配りする側には、受入れて当然という態度、押しつけがましさがある。駅のアナウンスは、極めて事細かに注意するが、駅では静かにしていたい、という人の意向は無視している。たとえ、耳元でがんがんまくしたてられても、相手が親切のつもりなら、黙つて受入れなければならない。とやかくいうと、相手の気分を害しつまはじきになる。そこまで気を回さないと気配りが足りないとされる。
ところで、この気配りが及ぶのも、身内ないしは職業上当然払うぺき範囲内に止どまる。むしろ、その範囲外には気配りを欠く社会だ。身内に対する過剰なまでの気配りの反動で、当然払うべき社会的気配りが欠けてくるのだ。課内旅行でも名幹事差入れのお酒を聞召して、車中の周りの人のことは忘れて騒ぐ。電車の中で職場の上司であれば、たちどころに席を譲る人でも、老人や身体障害者に対して、いつもそうするとは限らない。都市施設にも車椅子を使う人への気配りは余りない。日本の高速道路では、他人への気配りを欠いた運転にでくわすことがことの他多い。むしろ、意地の悪ささえ感じさせられるほどだ。
ところで、ピサの斜塔のテラスには手すりがない。どうしてだという質問に「危ないと思う人は、テラスヘ出ないだろう。出る人は、それを覚悟でやつているはすだがね」とイタリア人は答える(妹尾河童『河童が覗いたヨーロッパ』〕。
なるほど。しかし、気配り社会である日本でこうしたさめた議論はしにくい。そこから人が落ちでもしたらどうするのかという問に、あっさり同じように答えて通じる社会でないことは確かである。
十二月一師走、師も走る忙しい月だ。それもそのはず、忘年会にクリスマス・パーティ、年賀状にクリスマス・カード書き、ベ一トーベンの『第九』を聞いて、大晦日には「紅白歌合戦」、洋の東西から取込んだ様々な歳事を次々とこなさなけれはならないのだから。
しかし、考えてみるとキリスト教徒でもない日本人がキリストの誕生日であるクリスマスを祝うのは不思議である。しかも、キリスト教国における宗教色の濃い敬虔なクリスマスと違って、三角帽子やらを頭に酒を飲み、お祭り騒ぎをするときては、キリストもさぞかし苦い顔をしているに違いない。
ところで、クリスマスに限らず外国からいろんな文化が持ちこまれるが、日本ではたちまち変形し土着化し本来の意味を失ってしまう。どうしてこの様な異文化の”誤訳”や”自己流の解釈”がまかりとおるのであろうか。
日本の文化受容の方式を振りかえって見ると、いわば「覗き見型受容」というべきものであることに気づく。我が国が、大陸から離れた島国であるという地理的条件から、日本文化は辺境文化として成立し、その文化受容は、大陸のより高度の文化を一方的に受容するという形態でおこなわれた。いわば金持ちの家のなかをドアの隙間や窓ガラス越しに覗きこみ、自分の都合のよいものを都合のいい形で取りいれ、いつ何時といえども、受入れたくなければ、自分の方で手を引く形で長い間文化を受容してきたのだ。
文化の受容が、このように一方通行的であり、かつまた、白已の認識する限りでの他国文化の摂取(模倣=真似)であったという意味で、異文化との実質を伴うコミュニケーション、つまり、覗かれる側との意思の疎通が行なわれていたとはいいがたく、また、その必要性も感じられなかつたといってよい。
およそ近世に至るまで、海の向うの大陸との船舶による交通手段には、安全は保証されておらず、しかも一航海で運びうる情報量はごく限られていた。それが日本にとつて、どれほど高度で異彩を放つ文化的情報であつたにせよ、しょせん、覗き穴から覗いた形でしかなく、到底、相手国の文化のトータルな理解に結ぴつくものではなかつた。今日、”同文同種”ながら、日本と中国の文化が大いに違うということに、日本人か改めて驚いているのはそのことを物語つている。
これは、かなり誤解して、ないしは自己流(=日本流)に解釈して、受容した文化であつても、大陸との実質的コミニュケーションを欠く日本の場合、それを是正するメカニズムがほとんど働かなかったため、そのまま受容され、そこに何の本質的な不都合も生じなかったことを裏付ける。コミニュケーション成立のために本来要請される信頼性や精度に欠けていてもそのことが民族の命取りとにならなかつた。その意味で文字どおり覗き見的気軽さがあつた。その結果、そこには、異文化とのコミニュケーション(外交を含めて〕の技術、システム、ノウハウの発達をうながす契機がほとんど成立しなかつた。
一方、異民族のひしめく大陸における国家間ないし民族間の文化受容は、相互が距離的に接近しているのみならず、武力による強制等を伴うケースが多かったため意図せざる”誤訳”や”自己流の解釈”の成立する余地は少なく、意図的な誤訳の場合をも含めて、武力による是正のメカニズムが働き易く、良かれ悪しかれ、異文化相互間のコミニュケーションが形成されていった(これが共通の文化圏の形成につながつた〕。また、文化の受容、不受容にかかわらず、自己の文化を客観視しつつ、異文化を正確に把握することが、自国ないし自民族の生存に直接的なかかわりをもっていたため、各国文化の自我(文化の統一性確保の基本となる体系化された価値観)の形成がおこなわれると共に、誤訳のない正確なコミニュケーションの重要性が認識され、そのためのシステム(外交を含めて)、技術(情報収集・管理を含めて)、ノウハウ等が各国(民族)の文化自体の中にピルトインされていつた。
この様に大陸に成立した国家は、異文化という鏡に自己を映すことによって、自我を形成するとともに、異文化、異言語とのコミニュケーションの技法を学習し、この事を通じて、異文化、異民族のひしめく国際社会ヘ適応することを習得していつた。それによつてはじめて国家(民族〕として存立しえたのだ。
それにひさかえ。日本(文化〕は、ごく近世まで、他の文化圏への適応を強制された経験をもたない類い希なる文化としての存立が可能だつた。他の文化への適応のためのノウハウを自らの文化の中へビルトインしょうにもそれを習練する適当な舞台がそもそも欠けていたのである。
こうして日本文化は、異文化とのコミニュケーションに対する内在的欲求を感ずるでもなく、自己を客観的に把握する必要もないという、他の文化との特殊なかかわりあい方に終始することになり、自我の形成を著しく妨げられることとなつた。母親(他者の存在)とのコミニュケーションを欠く幼児の自我の発達が遅れるのと同様に、他の文化との熾烈な相剋の経験を欠いた日本文化は、異文化を鏡として自らを客体視することができず、そのため。自己の文化の核心ともいうべき自我を、一人前の文化の水準にまで高めることができなかったのだ。
日本の他文化の受容が、ひとつの中核的な文化への主体的な統合化という形態ではおこなわれず、常に拡散的並列的におこなわれるのは、自我が十分強くないために、異文化をその中に統合化できす、分裂症的に受容してしまうからだ。かくしてクリスマス・シーズンともなれば、にわかクリスチャンが街を闊歩し、クリスマスツリーや、「ジングルベル」が巷に溢れ、クリスマス・ケーキが多くの家庭の食卓を飾ることになったのだ。
日本文化の自我が形成されなかったということは、自らを客観的にとらえ、それを異文化に伝える意欲が文化の中に形成されなかつたということと同義である。強い自我が形成されれば、それを異文化へ伝えようという衝動も起きる。ところが、日本の文化は異文化に対して、常に一方的に受容するという立場に自らを置いたがために、その様な内在的衝動に基づいて自らの文化の普及・異文化へのコミニュケーションを志したことはほとんど一度もない。今日、VTRやIC等日本製品は世界の市場に溢れているにもかかわらず、日本文化の顔が分らないという声が高いのもこの文化的伝統がしからしめているのだ。
これは、異文化に対して、自己を誤りなく伝えなくても、民族の安定を損う恐れが全くなかったことにも基づいている。食うか食われるかの大陸の民族の中にあつては、自らの文化をはっきりと認識し(アイデンティテイを確立し)誤りなく異文化へコミニュケートすることの必要性は高かったし、強い中核となる文化の形成がなければ、たえず、消滅の危機にさらされねばならず、一度民族が離散させられてしまうと再興することはほとんど不可能に近かつたのだ。
こうして日本文化は、長い切れ目のない歴史を通じて、他の文化と自らコミニュケートしようとする意欲を欠き、そのための能力も不十分で、大陸の他文化に比べ自我の弱い独得の「覗き見型文化」として形成されてきたのだ。
かく考えれば、日本人にテレビが人気があるのも合点がいく。テレピこそ日本的覗き見型文化の申し子なのだ。あの小さな窓から何かいいものはないかと日本人は今も世界を覗き込んでいる。「なるほど・ザ・ワールド」、「世界まるごとハウマッチ」と。
1月一1年の計をたてる月だ。早速、今年1年の計をたてた方も多いことだろう。しかし、1年の計をたてる人はいてもこれが2年、3年となると計画をたてる人の数は、恐らくその自乗に反比例して減るに違いない。それゆえに「1年の計」が元旦にあるわけでもあり、年の暮にはちゃんと忘年会をやって前の年のことはすっかり忘れて新年を迎え、来年のことを言うと鬼が笑うと言うのだ。
しかし、考えて見ると長期的な計画をたてようにもたてられないというのが、大方の日本人の置かれた立場であろう。日本人の生き方は多くのば合、他人依存型で自分の一生も自分の属する集団(職場)に委ねているので、自分の一存ではどうにもならない。就職の時にのみ、職業選択の自由はあるが、一度就職してしまえば、もう就職先の言うまま、よしんば自分の嫌いなポストをあてがわれようとじっと我慢するよりない。我慢が出来ないと言って転職すると終身雇用制の日本では多くの場合本人に不利となる。従って人事部の合ずるまま、敢えて単身赴任も辞ぜず、の心構えでいなければならない。となると1年先自分がどのポストにいるのか、果してこの住宅(たとえ自宅であっても)に、この町に家族と一緒に依然として住んでいるかさえ分らない。
欧米では、1年先の夏休みさえ計画できるのが普通だが、日本では1ケ月先の休みでさえままならない。いや、今日定刻に帰えれるかさえ分らない。仕事中心で全てが動いており、その日のうちにとかその週のうらに仕上げることが優先されるためだ。こうしていっこうに計iなどたたなくなる。もともと計画などたてて人生を選択するということが尊重される社会でなく、短期決戦型の今の今重視の社会であるためそういうことにもなったのだ。
ところで、普通の日本人の計画の視野が1年以上に及ばないといって、別にいぷかしむことは少しもない。日本が、太平洋戦争を開戦するに当たって視野にいれたのもわずか2年だった。2年間ならなんとか優位を維持しうるが「三年以降は不明なり」。長期戦になれば、我が方も不利になるという程度の見込みのもとで、東条首相の言う「清水の舞台から目をつぶって飛び降りる」ような気持ちで開戦した。その結果が惨澹たる敗北だった。
つまり。あれほどの大事の時でも日本人に見えたのは、2年先のことに過ぎない。今日我々は億、兆単位の数字を使うけれど、計画をたてたり、それを実行したりするとなるとニューギニアの奥地で発見された石器時代の部族同様、1、2、までは数えられてもそれ以上となると「たくさん」というよりなくなる。
我が国の予算制度も今もってかたくなに単年度制を守っている。これも視野が、2年より先に及ばないことと無縁ではあるまい。2年以上に跨がるものはあくまで例外、あちゆる事業が、一年ごとに分断された形で実行される。その結果、いわば一つ一つのピルは立派なものが建つが、全体としては美観にまったく欠けた都市が由来上がる。ドイツのケルンにある大伽藍は、六百年にわたって建てられているし、スペインのガウディ設計の教会にしても営々遅々と作業が続けられている。日本人には、自分の死んだ後に出来上がるような建物や都市を作るという構想が、まず浮かばない。卑近な例を上げれば、遠距離の電話番号や住居表示、道路標識ひとつとっても将来を見越した計算のうえでシステム化する発想がなく、出来上がってみるとおよそばらばら。米国などとは格段の差がある。
日本人には、たかだか2年より先のことはま視野に入らず見ようともしないのであるから文字通りその先は闇だ。また、過ぎ去った過去の方もたちまち闇の中に消えてしまう。まるで、提灯で足下を照らしながらひたすら前に前にと歩いているようなものだから、とにかく今このときに一切の関心を集中する。未来への展望をするゆとりもないし、一方で過去のことは、すぐに忘れる。日本人が、がむしゃらに働くのも、このことと関連している。先のことはだれにも分らず、何の保証もない。だからある種の強迫感にかられて、今、一刻を無駄せず、一生懸命に働いて金をためその先に備えようとするのだ。
イソップ童話の「蟻とキリギリス」が、日本人のお気に入りの童話であるのはそのためだ。蟻が日本人であり、キリギリスがレジヤーにうつつを抜かす欧米人や、貧しいにもかかわらず働こうともしない発展途上国の人々である。今に寒い冬がくるぞと日本人は考える。そのときになって、泣言を言っても、はじまらないぞと。しかし、蟻のほうも足下しか見ないのだから、知らぬうちにアリ地獄へ落込む危険性をいつも抱えている。
戦時中も、日本人のとった作戦はことごとく短期決戦型の奇襲であり、夜襲だった。これに対して相手側のとった作戦は、長期戦を根底においた作戦だった。日本軍はそれこそ昼間も、夜ものぺつ幕無しに一生懸命動きまわり、戦い続けた。敵の方はとみれば、作戦は昼間に限定し、艦砲射撃にしても夜間は中止し、せっかく占領した地点でも夜間の戦闘になれぱ惜しみ無く放棄して退却した。人命を優先して長期戦に備える作戦を一貫としてとったのだ。こちらは、長期戦に備えていないので、もともと物資が不足しているうえに、日本人の属性としてとにかく早く結果を出したがる。そのため、無理と分かっていても奇襲をかける。夜討ち朝駆けの精神で切りこむ。そのため、いらずもがなの物資の損耗を招き、兵士の消耗を来たす。こうして短期決戦型の作戦は、ことごとく敵の長期決戦型の作戦の前に破れさり、見るも無惨な状況に陥る。
しかし、自国に有利に展開する2年先までの計画しか持ちあわせない中枢部は、不利な状況に陥るやただ右往左往するばかり。収拾すべき何等の戦略も呈示しえぬまま、現実性のないソ連の仲介を期待するなどの思いつきに寄掛かるだけで、いたずらに多くの国民を犠牲にしたのだ。
これだけの経済大国になりながら、「めでたさも中ぐらいなりおらが春」で、今一つ生きているという充実感に欠けるのも社会の根底にこの短期決戦型の思想があるからに他ならない。つまり、この思想は本来長生きする人間に今の今しかなく、したがって、何等の長期見通しもなく、ただがむしゃらに働けという思想であるため、長い目で見た計画的な生き方、計画的な挑戦を排除し、常に今の今にすべての充足すぺきものを盛り込まなければならないということにしてしまう。いつも価値を今の今の中で、つまり極めて狭い時間的空間的な中で順序づけなければならないので、「生きるため」とか「生活の安定のため」とかいった、生存に直結する単純な価値が最優先され、それ以外の長期的視点からする価値(例えば余暇)は後回しにされる。人生80年時代といいながら、日本人の視野にはいる人生は、常にせいぜい目の先2年どまりであるため、その人生をトータルにどのように生きていくかということが、念頭に入らない。80年生きるという観点からみて、どういう価値がもっと重視されなければならないかという原点が忘れられる。今日か明日しかなく先の保証がなければ、ただ一生懸命働くことが是認される。その結果が、他国が長い休暇を取り、年間千六百時間しか働かなくなっても、日本では二千時間以上働き、残業して夜遅くまで働く生活となる。戦時中も夜襲、奇襲で体力をすりへらしたように、連日の残業の結果、現在も職場には多くの病人がいる。ストレス過剰からノイローゼ患者もことのほか多い。学校でも、遊びを忘れた勉強のしすぎから、いじめをはじめ様々な変事が起こっている。
さて、1986年、あなたの1年の計はたちましたか。長期計画はともかく、せめて1年の計ぐらいはきちんとたてたいものですね。
2月一節分。夜ともなるとどこからともなく「鬼は外、福は内」の掛声が聞こえてくる。懐かしさをそそる冬の風物詩だ。
だがこの「鬼は内、福は内」の掛声、考えてみると少々気になる言葉ではある。というのもここには一切の禍い(=鬼)は家の外に追出しあるいは外の人に押付け、幸福は自分たち身内だけで独占しようという考え方が伺われ、この言葉の中に日本人の他人あるいは他国との接し方のエッセンスが、要約きれているように思えるからだ。つまり、常に内中心、外のことは関心・配慮の対象外。「内」=善、「外」=悪の極端に二分法的見方をし、自分の属する集団の利益中心主義でそれ以外の利益にはほとんど関心を払わない。煎じ詰めれば身内中心主義。その結果、身内=集団への忠誠心が日本人にとっての最大の価値になり、それには全くといっていいほど歯止めを掛けようとしない。身を滅ぼし法を犯してまで尽くすことを善として容認する。むしろ集団の側が、そうした行きすぎた忠誠心を構成員に求めさえする。
その裏返しに外にたいしては一顧すらしなくても良いことになる。そうした日本人の他人への無関心の事例なら、どこにでも転がっている。地下鉄に乗ると、大股を開いて二人分の席を占領してコミック雑誌を読んでいるにきび面の青年や、席に荷物を置いて平気な顔をしている女性がいる。そんな人でも知合いが乗ってくると、いそいそと席を空けもし、譲りもする。地下鉄から降りようとすると、降りきらないうちに乗って来、席を二人分とって遅れて来た相棒に勧める人がいる。地下道を歩いでいると、どすんとぶつかっても「済みません」の一言もなく行ってしまう人や、突燃立止まって、たまたま出会った知合いの人に、腰を二つに折って丁寧な挨拶をするおばさんがいる。後ろから来た人が、危うくぶつかりそうになっても気にしない。
こんな光景に出くわしてもだれ一人注意しない。だから、本人たちは一向に悪いことをしていると気付かない。周りの人は少々の迷惑には目をつぶる極めておとなしい日本人ばかり。「触らぬ神に祟りなし」こちらの方でも他人への無干渉をきめこむ。その意味では日本ではたとえ赤の他人であっても、気心の知れた甘えられる存在だ。これほど素気なく当たり、存在を全く無視し・意地悪をしても怒り狂うでもなく、黙って見過ごしてくれる、一向に気を回す必要のない存在だ。鬼は外、福は内とばかり、豆をぷっつけても柔和な笑いを浮かべて黙っている人ばかりなのだ。
この様な、まるで温和な他人と外国人ないしは外国とを同一視する。何をやっても怒らない他人同様に、何をやっても容認してくれるものとして外国を見る。身内以外のものは一顧さえしなくてよく、身内にさえ尽くしておけば是とされる社会だから、当窓外国の事など全く無視して差し支えないと思う。外国は金稼ぎの市場ではあっても、そこに生身の人間が住んでいる場所とは意識しない。日本人であっても、他人となるとかなり抽象化されているくらいだから、外人となると更に観念的な存在と化し、人間扱いをしなくても良い事になる。日本に長年住んでいる韓国人ですら、法律的に酷い差別を受けている。日本にどれはど長く住もうと、どれだけ多くの日本人と知り合いになろうが、決して日本人扱いされることなく、何時までたってもアウトサイダー扱いされるとは、滞日期間の長い外国人の常に嘆くことだ。
女子プロゴルフ界でも外国人が賞金を荒稼ぎするといっては、外国人選手の排斥問題がすぐ浮び上る。これも内は善、外のつくものは全て悪あるいは無視して差し支えないものというような恒等式がなりたっているためだ。
貿易摩擦も、身内中心主義が生みだした鬼子である。集中豪雨的な輸出をすれば、そんな目にあった国で社会問題が発生することは分りきっている。自国が同じ目に合うことを想像すれば、容易に分る筈なのに、同じやり方を繰返しては、摩擦を起こし、他国から非難されても自分の方に一切の非はなく、相手にのみ非があるとし、勝手にいらだちとか、妬みとか焦りとか言った言葉で片付け、一向に改めようとしない。自分の方に、本当に国際社会を構成するものとしての自覚が欠けているとの認識もなく、皆相手が悪い式に反応する。
自分さえ良ければ、自分の身内さえ良ければ、自分の属する会社さえ良ければ、自国さえ良ければの思想がしからしめる事だ。日本が世界の小国であった時は、気軽に鬼は外で良かった。しかし、世界のGNPの10%を生産する経済大国になってみると、これまでのように、気軽に鬼は外とばかり豆をばらまけなくなった。日本のばらまく豆に当たって、実際の所怪我したり病気になってしまう国さえ出始めている。いや、そんな日本の行き方が、回りまわって今や自分の首を締め始めている。
ミュンヘンのはビアホールホでの話。ピールのジョッキを片手に、それぞれ5つも持った小柄だが逞しい体つきの中年のおばさんに、友達とふざけていてついうっかり足を引掛けた若者がいた。猛うく転ぴそこなったおばさんは、ピールを近くのテープルに置くや、やにわに若者の頬に平手をくわし、衆人監視の中で猛烈な勢いで説教を始めた。
「人が一生際命働いているのに場所柄も弁えず悪ふざけをして、足をひっかけるなぞもってのほかだ」
と怒っているらしい。若者は下を向いて謝るばかり。周りの人々も当然といわんばかりの顔で、件のおばさんに無言の声援を送っている。
同一民族で温和な他人ばかりで、ミュンヘンのビアホールのおばさんのような、本当の意味の怖い他人(親を含めて)の存生しない社会では、人間は大人になれない。つまり、社会性が身につかない。何時までも子供のまま、地下鉄に乗れば股を開いて二人分の席を独占し、他人にぶつかっても、「済みません」ともいえない。マッカーサーに「日本人は12歳の少年」といわれて40年経つが、日本人は依然として、未だ少年の身勝手さを脱していない。
これが、日本に国際性が欠けるとされる真の理由だ。国際性とは国内における社会性と同じこと。図体だけは一人前の大人同様になり、自分の存在や他人への思いやりに欠けた振るまいが周りに影響を与え、周りを著しく住みにくいものにしておきながら、依然として、少年時代の無邪気さをもって最上の美徳と考え、自分の方に非がある時でも、非は相手の方にあると何時も考えるのだ。
身内中心主義からくる、なりふり構わぬ激烈な競争が、日本のこれまでの成長の原動力であったが、これは小国である限り、他国が容認してくれるやり方だ。しかし経済大国になった今、国際社会では周りの国々も、電車の中で股を開いて座っていても、黙認してくれる日本的な他人ではなく、ミュンヘンのビアホールのおばさんのように、たとえ子供であっても、容赦せずびしびしと注意をする、本来的な意味での他者=他人である以上、甘えてばかりいたら国際社会からつまはじきされてしまう。日本のような資源小国でなくとも、これほと相互依存関係の深まった国際杜会のなかで孤立したら大変なのに、日本は、仲間外れにされたらそれこそ1日たりとたちゆかない資源小国なのだ。このことをしっかりと頭にいれて、今後はやっていかなければならない。
今年も家々から「鬼は外、福は内」の声が、聞こえてくるだろう。しかし、鬼にされる善良な人々の安住の地は、一体どこにあるのか。これからの日本は、外が幸福にならなければ、内も幸福になれないのだ。かつての鬼畜米英が、戦後無二の友好国になったように、自らアウトサイダーをきめこまなければ、渡る世間に鬼などはいない。
「外の福は、内の福」。
これが、これからの「世界の中の国際国家日本」に相応しい掛声というぺきであろう。
3月一退職のシーズン。「入社以来三十数年の長きにわたり、大過なく過ごすことが出来ましたのも、ひとえに皆様方のご厚情の賜であり…」。退職の挨拶は大同小異。これもまた大過なき挨拶をと心がけ、皆深々と頭を下げて去っていく。送る方も自分の身になぞらえながらしんみりと退職者の話に耳を傾ける。これから先、定年退職の日まで自分は大過なく過ごすことができるだろうかと。
日本の職場では、大過がないことが何より、大過があるとなかなか無事には収まらない。すぐクビが怪しくなる。ツメ腹を切らされかねない。窓際に追いやられかねない。終身雇用制とはいいながら、その実、一人一人の地位はかなり不安定なのだ。人間関係は難しく、ちよっとした失投も、たちまち取り返しのきかない大過となる。つまり小過はなくあるのは大過のみ、それだけ社会が減点主義に出来ている。従って入社して定年退職の日まで大過なく過ごすことは並大抵ではない。むしろ神業にちかい。だから定年退職していく人の姿を見ると誰も神様に近い顔をしている。
体操やフィギアスケートは、減点方式で採点される。減点の基準が明文化され、しかも採点者が複数でその中の最高と最低はカットされる。だから、競技者も採点の結果に黙って従う。アメリカでは、人事考課も基準が明示され、複数の人によって採点され平均化される。その結果も「知らぬは本人」は通らない。州によっては、人事考課を本人に見せ、サインまで義務付けている。自分の評価が、本人にもはっきりわかるシステムになっている。
ところが、日本の人事考課は減点主義といいながら、誰がどういう基準でどう採点しているのかが、明示されない。個人にとって極めて重要な昇格、昇給、人事異動、それらすべてがまったく闇の中で決められる。信賞必罰がはっきりせず、業績の評価の墓準も曖昧、しかもその評価には結果よりも、態度が素直とか口の利き方が生意気とかいった主観的な基準が入りこんでいる。それゆえに、ある種の恐怖政治に陥りやすい。
つまり、採点する側にたつと思われる人や組織の大義とされるものへ過剰にこび、採点の基準とされていると思われることへ過剰に留意する。為替相場がオーバーシュ一トするように、不明瞭な減点主義の下では、必ず、こうしたオーパーコミットが発生する。その結果、組織の軌道修正がなかなか出来にくい。
国や会社のトップがこれまでの輸出重視を、急に輸入重視に切替えたといっても、下々では半信半疑、単なるお題目やも知れず、安易にコミットするとそれこそ減点されかねないので態度を保留する。また。外国からの働きすぎ非難への対策として、有給休暇を消化せよ、長期休暇もとれと音頭をとっても、すぐにはそれを真に受けない。これまで休暇をとることが、減点の対象とされていたことを多くの従業員は知っている。国や会社の本音は依然として輸入軽視であり、休暇抑制なのかも知れず、安易に新方針に従えば、本音に反するとして、減点の対象になる恐れがあるからだ。そのため、なかなか方向転換が進まないのだ。
日本人に独創的な発明者がいないのもこの減点主義がはぴこっているからだ。プラスの寄与よりもマイナスにならぬことが重視されるので、プラスそのものともいうぺき独創性など発揮しようとする人が、いなくなるのだ。またよしんば独創的なアイデアを出す人がいても、減点主義のなかでは、それを高く評価する人が出てきにくい。評価することが、過ちに転化しかねないからだ。もっと権威あるもの(例えばアメリカ〕から評価されてはじめて日本で取り上げられるのは、そのメカニズムのせいだ。西沢潤一博士の光ファイバーの発明は、その典型だ。なんでもけちをつけるのはやさしいが、きちんと評価することほ難しい。創造した人と同等の眼力がいるからだ。
いじめも減点主義と無関係ではない。いじめそのものが、相手の弱点を回りから寄ってたかってとがめる行為であるし、またいじめる側にしても、いじめに加わらなければ、逆に自分がいじめられかねない。それで、いじめる側に加わる。つまり、いじめに加わらないことをもって減点されることを恐れて、いじめ側に加担するのだ。
最近起きたある中学技での「葬式ごっこ」に端を発したとみられる中二の生徒の自殺事件でも、担任の先生までが葬式ごっこの寄せ書きに署名していたが、先生の言い分は、生徒との連帯感を深めるためということであった。これは、いじめ側にコミットしなければ、逆に先生といえども減点されかねない立場におかれていたことを示している。つまり、大過なく過ごそうとした結果が、大過を招いたわけだ。
しかも、こういう種類の事件がおきると、ありとあらゆるマスコミが寄ってたかってその中学校や校長や担任の先生をせめまくる。これこそいじめの好例だ。弱いもの、もう抵抗できないものを見付けたら情け容故なく寄ってたかってたたく。この「袋だたき」の構図こそ日本のいじめの原型であり、これも減点主義のしからしめるところだ。だから、みんなが戦々恐々としてまわりの人の顔色を見ながら生きる。大過なく過ごすことだけを考える。余計なことをして、いじめの的にされたらもうおしまいなのだ。
会性では、いじめは制度化されており、成績の悪い部や課は、徹底的に成績のいい部や社長からいじめられる。だから、いじめられまいとして、夜遅くまで残業してがんばる。それが、日本の国際競争力を支えてもいる。しかし、そのストレスにたえかねて、精神的におかしくなる人もことのほか多い。
窓際族も制度化されたいじめに他ならない。必ずしも能力がないわけでもない人が、会社のお眼鏡にあわない(どうしてあわないかは明示されない〕ということで窓際に追いやられ、長年にわたってさらしものにされる。すまじきものは宮仕えの悲哀をたっぷり味わされる。終身雇用制のもとでは、そういう人に逃げ場がないことが悲劇なのだ。
減点主義の世の中では、ちょっとした落度で一生の明暗がきまりかねない。今やこの世で最高の権力者は、減点主義社会の覇権を握ったた企業のドッブである。この帝王の前では誰しも、一言の反論もできず、ただ「仰せの通りでございます」と頭を下げるよりない。頭の下げ方が足りなくても明日の地位やクビが危ない。僻地に飛ばされかねない。その結果、こぴ上手、おぺっか上手が跳梁する。大過なく生きるには、とにかく地道に生きなければならない。地道という言葉が示すように、常に足を地につけて、慎重に慎重に生きなければならない。つまり、芋虫のように周りの色に合せながら、目立たぬようじっと地をはいずりまわっていく覚悟が必要だ。
ところで、これまで地を這いずりまわっていた芋虫は、ある目忽然とチョウヘ変身し、揮やける空へ向かって飛翔する。地をはい回るのは飛翔への準備であり、そのための雌伏だったのだ。しかし、日本人にはチョウのごとき飛翔は許されない。生まれてから死ぬまで、地を這いずり続けなければならない。とにかく目立つことは禁物。あいつは翔んでるといわれたら、とんでもないことになりかねぬ。たちまち過ちのもとにされてしまう。
ギリシャ語の魂はサイキ、つまりチョウのことだ。チョウが空に飛翔する姿がギリシャ人にほ魂のごとくみえたのであろう。とすれば、飛翔をゆるされぬ日本人には、はたして魂の安住の場所はあるのだろうか。
さて今回で一年間にわたる私の「日本を考える」の連載も最終回。はたして、大過なく勤めを終わることが出来ましたやら。ご愛読に感謝しつつ文箱ならぬワープロのふたをしめさせていただきます。