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 文 化 と し て の 日 本 的 経 営


ここに掲載するのは、1990年に中央経済社から出版した同名の著書である(一部加筆訂正あり)。月刊『時評』に20回(1987年7月から1989年7月まで)にわたり、秋光 翔のペンネームで連載したものを、取りまとめたものである。忙しい仕事のかたわら、メモを作り、深夜ワープロを打ち続けた日々が懐かしい。本書の出版の意図は次のまえがきの抜粋に明らかである。

 本書は、日本的経営の実像を、その光も影も含めて明らかにすることを目的にしている。今後の日本経済のより良き発展にとっても、日本的経営の偽らざる姿をとらえる作業は欠かせないが、そのためには、日本的経営の存立を支えるわが国の文化的土壌、日本人の行動様式にまで降りたって分析することが不可欠に思える。文化的側面に光を当てた日本的経営論と言う意味で、本書は、日本文化論、日本人論としても読んでいただけよう。(まえがきより)


(1990年中央経済出版社より
秋光 翔名義で出版)


* 目 次*

まえがき                                 

一 文化としての日本的経営                 

二 日本的経営の文化的土壌

三 気の支配するウズ社会                           

四 「本気主義」の社会                             

五 宗教的共同体に類似した日本企業              ー日本的経営の現象形態ー    ウズ社会を支える日本的経営  

六 日本的経営と労働時間                            

七 日本的経営と技術開発                           

八 国際的経済構造調整と日本的経営                      

九 教育を規制する日本的経営                          

十 序列社会としての日本企業                          

十一 日本的経営と外国人労働者                         

十二 ウズ構造の日本社会                            

十三 どこへ行く日本的経営                          


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文化としての日本的経営 まえがき


文 化 と し て の 日 本 的 経 営

                   阿部毅一郎 著

まえがき

 本書は、日本的経営の実像を、その光も影も含めて明らかにすることを目的にしている。今後の日本経済のより良き発展にとっても、日本的経営の偽らざる姿をとらえる作業は欠かせないが、そのためには、日本的経営の存立を支えるわが国の文化的土壌、日本人の行動様式にまで降りたって分析することが不可欠に思える。文化的側面に光を当てた日本的経営論と言う意味で、本書は、日本文化論、日本人論としても読んでいただけよう。

 日本的経営が、日本経済の目覚ましい発展の大きな原動力になっていることについては、だれしも等しく認めるところであろう。その意味で、今日では、国際的にも大きな関心を集めるに至っており、これまでも日本人のみならず、外国人によっても、多くの日本的経営論が発表されてきた。しかしながら、それによって、日本的経営の実像が、必ずしも詳らかになっているわけではない。激動の八〇年代をまがりなりにも乗りきり、九〇年代に入り、世界第二の経済大国として、これまでの「追い付け追い越せ」から、文字通り海図なき航海へ乗り出さざるを得ない日本にとって、今ほど正確な日本的経営の実像の把握を必要としているときはない。今後とも、日本的経営のもとで日本経済の持続的繁栄を目指さざるを得ない以上、その実像をできるだけ客観的にとらえ、光も影も正確に把握したうえで、運用する必要性が高いからである。

 また、こうした時代の転換に柔軟に対応するためには、多くの点で日本的経営自体の革新が必要と考えられるが、その作業が早急かつ的確に行われなければ、今後の日本経済の発展にとってむしろ桎梏になるだろう。戦後最悪といわれる日米関係が象徴するように、日本を取り巻く内外環境はことのほか厳しく、舵取りをちょっとでも誤れば、これまで営々辛苦して築き上げた成果を一挙に失い、奈落の底へ転げ落ちる可能性さえ無きにしも非ずの時代に差し掛かっている。いかに成功したシステムと言えども四十年もたてば「制度疲労」を来しかねないのである。

 日本的経営の実像を掴まえるためには、その文化的な基盤にまで降りたって把握しなければならない。日本的経営といわれるものは文化的・伝統的所産であり、日本の文化的土壌からなかば自然発生的に成立したものである。日本人の日常的・伝統的な意識、思考、行動様式が日本的経営を支えている。日本的経営の土台は日本の文化にどっぷりと漬かっているのである。

 われわれ日本人は、一定の環境におかれると、知らず知らずのうちに、一定の行動を取る。例えば、旅行社の企画したパック旅行に個人参加した場合でも、たとえ、四五人のグループであっても、一度同じグループに入ると出来るだけ他のメンバーに迷惑を掛けまいとして、回りの人を「気にし」、できるだけ「気を合わせ」ようと「気を配る」。この様な行動を無意識のうちに取らせるのが文化であるが、こうした日本人の行動原理にまで遡り、分析のメスを入れることによってはじめて、日本的経営の実像が明らかになる。

 日本人の行動原理を子細に分析すると日本的経営がいかにこの行動原理に則ったものであるかが見えてくる。日本人は「気にする」存在として社会化される。気にする対象は他ならぬ自分の属するその場の「気」である。その場は、二人いるときは相手と自分とが作りだし、三人いれば他の二人と自分とが作り出すものである。その場は、また、その人の属する組織のほかの成員と自分とが作り出す。組織とは、家庭であり、学校であり、職場である。つまり、気にする対象は常に特定の人ないしは人のグループ(=組織を含む)である。日本人は、こうした他人と自分の関係を気にし、他人に気に入られようとして行動する。そのため他人に気を合わせ、気が利くといわれるように気を配り、気を回し、気遣う。もしそうした気構えを忘れると、気が合わないとして、組織から浮き上がってしまう。日本人がルールや原理原則にはそれほど従わず、自分の属する組織の利益のために行動するのも、こうした「気にする」文化を身につけているからに他ならない。

 筆者には、日本文化のキーコンセプトがこの「気」であるように思われる。辞書を引けば、この「気」を含む用語例がそれこそ無数に見付かるが、これに相応する単語を外国語に見出だすことは不可能に近い。

 本書はこうした行動原理を持っている日本人がいわば職場の中で行動する際の通則として自然発生的に日本的経営といわれる独特の経営法を生み出してきたことを明らかにする。また、気にして、気を合わせようとするところから、日本人の存するところどこにもいわば気の渦と称すべきものが生ずる。渦というのも、本当の渦のようにそれに一度巻き込まれるとそこから容易に脱出しにくいからである。組織にはその組織独特の気の渦があり、組織人としての日本人はこの気の渦に閉じ込められており、それに拘束されて行動する。その意味で日本人の組織を「ウズ社会」と名付ける。このウズ社会を取り仕切る組織原理がほかならぬ日本的経営なのである。

 日本的経営が戦後日本経済が高度成長する強い推進母体になりえたのも、このように日本人の日常的な行動原理、いわゆる「文化」に深く根差しているからに他ならない。本書では、ウズ社会そのものについて多面的に分析することを通じて、日本的経営そのものの属性を浮かび上がらせ、日本的経営の支配する日本企業が、宗教的共同体に近く、本気社会・序列社会となっている実態を明らかにする。また、今もって長時間労働を余儀無くし豊かさの実感を与え得ないでいるのも、基礎研究がお留守になりがちで技術タダ乗りと非難される体質を持っているのも、国際的な構造調整がいつも遅れがちで経済摩擦を起こしやすく日米経済摩擦を氷山の一角とする文化摩擦を引き起こすのも、教育が画一化し国民が同質化しやすく価値観が単純化しやすいのも、日本社会そのものが東京一極集中にみられるようなウズ構造を持つのも、この文化としての日本的経営に深く関わっていることを示す。最後に、これから二一世紀に向かって、日本社会の国際化、高齢化、成熟化が進む中で、日本的経営の当面する問題点を明らかにした上で、いくべき方向について考える。

 本書では、従来の日本的経営論よりも視野を広め、日本的経営と日本社会や国際社会との関わりについてまで論じている。日本の文化を相互規制しているという意味で日本的経営は、国際環境とも深く関わりを持っている。現在の日本をめぐる経済摩擦の本質が極めて根の深い文化摩擦でもあり、それに対して、日本的経営が強い影響力を持っていることを認識するならば、むしろ、そうした側面を抜きにしては日本的経営を論ずることは出来ない。

 日本的経営には当然の事ながら光も影もある。光の部分だけ見て日本的経営礼讃に走るのも、影の部分だけ見て日本的経営否定に陥るのも、ともに行き過ぎである。本書はこの日本的経営の光と影の部分に公平に深部照射を当て、日本的経営の姿をできるだけ客観的に描き出すことに努めた。文化としての日本的経営の実像が明らかになり、その長所と短所が解明されれば、高い成長を維持しつつ、かつ従業員が真の豊かさを実感しうる経営の在り方について、より実際的な考察を進める拠り所となろう。また、今後の国際化時代に日本企業が、世界の経済と融和ししついかに生き延びていけばいいかを考える論拠を提供することにもなるだろう。

 本書が日本的経営の望ましい在り方を真剣に考え、今後のより良い日本企業の在り方、企業と従業員の在り方、ひいては国際社会における日本のより良い在り方を考える人々にとって、水先案内人の役割を果たすことができれば筆者の望外の喜びである。

 本書は中央経済社の丹治俊夫さんから拙書『日本的システムの総点検』(通商産業調査会 一九八四年)で述べた日本的経営に関するアイデアをさらに展開して本にするように勧められ、一気に書き下ろすよりはと、『月刊時評』に二十回(一九八七年七月号から一九八九年七月号まで)にわたり連載したものをとりまとめたものである。快く誌面を提供していただいた同誌と本書の完成まで辛抱強く支援していただいた丹治さんに心からお礼を申し上げる。   

 一九九〇年五月新緑薫る日に           

秋光 翔(阿部毅一郎)


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