引用句・語録の部屋

since November 19,1997
ここには、これまで読書などで拾い集めた心に残った言葉、印象深かった文章などを掲載していきます
目次
収録日索引へ
人名索引へ
事項索引へ
 ジャン=ルイ=ランビュール『作家の仕事部屋』より
ヴィトゲンシュタイン『反哲学的断章より
ツヴァイク『メリー・スチュアート』より
ヘルマン・ヘッセ『人は成熟するにつれて若くなる』より
モンテーニュ『エセー』より
ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』より
私の好きな言葉へ

収録日索引
[1997/11/19][1997/11/21][1997/12/1~2][1997/12/4]
1997/12/14][1998/1/9][1998/2/4][1998/2/5]
[1998/2/12][1998/2/26][1998/3/241998/3/25
 
人名索引
(あいうえお順)


阿部昭[アラン]ジェームス・アレン|[アンリ四世]
池内紀|石川好井出孫六[猪木武徳]
[ヴィトゲンシュタイン]コリン・ウイルソン|コリン・ウイルソン2|コリン・ウイルソン3| コリン・ウイルソン4|コリン・ウイルソン5アラン・ウェバーキングスレイ・ウォード
エピクロスエピクロス2]ヨセフ・マリア・エスピナス|
大山康晴|オードリクール[オルテガ]


Guy des Cars開高健|開高健2加藤秀俊|リチャード・カール||Max Gallo[ジョージ川口]
バガヴァッド・ギーターバガヴァッド・ギーター2[デニス・キース]京極純一|
ロベール・ギラン|ロベール・ギラン2|エドワード・キング
[アーサー・C・クラーク]デニス・グローガンサ|クロマティ|
桂銀淑[ゲーテ] [ゲーテ2] ゲーテ3
コンラーツコンラーツ2|




[E.サイード]|サヴァラン|坂田明|桜井秀勲佐々木毅|[メイ・サートン] サン=テグジュペリ
椎名誠|[志樹逸馬]|Helene Cixious|司馬遥太郎|設楽|シャリアピンオズワルト・シュペングラージョージ・バーナード・ショー松葉軒東井| ボビー.ジョーンズサミュエル・ジョンソン|チャーマーズ・ジョンソンチャーマーズ・ジョンソン2|チャーマーズ・ジョンソン3|[城山三郎]フレッド・ジンネマン|
ローレン・スターン|マーティン・クルー・スミス
[セネカ] [セルバンテス]仙崖和尚の六歌仙|
荘子




高田博厚|高田博厚2|高任和夫竹山道雄|ピーター・タスカ|[田安宗武]ジョン・ダワー|
[チェスタトン]チェスタトン2|ウィンストン・チャーチル|[崔栄(チョヨン)]
[ツヴァイク][マーク・ツゥエン]
[キャシー・ディビィドソン]デブリン|
外山滋比古|




 中村桂子|[中村啓三] 二ーチェ二ーチェ2




[倍賞美津子]ハイゼンブルグ |Herve Bazin|[コリン・パウエル将軍]パスカルパスツールトーマス・ハックスレー|アンナ・マグダレーナ・バッハ[馬場あき子]ロラン・バルト|[ハルバースタム]ハルバースタム2|盤珪禅師

久田/水島|ビートルズ|ピュロンヨゼフ・ピーパーガブリエル・ビール|

ジェームズ・ファローズ[E.M.フォスター]藤田恒夫|藤田恒夫2|MichelButor|Alphonse Boudard |ジャン・ブバーブラウン|プラトン フロイスコンッスタンチン・ブランクーシマルセル・プルースト2|ブレイク|
フロベール|エーリッヒ・フロム

フランシス・ベイコン|フィリップ・ベイリーヘルマン・ヘッセ|フリードリヒ・ヘールペーター・ヘルトリング
[ベンヤミン]


A・T・ホカートエリック・ホッファー|[本田宗一郎]




ジョージ・マイクス|正村公宏松岡正剛|村沢博人松山幸雄| マルコム|[丸山真男]
水島
村上陽一郎|村上陽一郎2
 
[森有正]ジャン・モリス|ジャン・モリス2|[モンテーニュ]




山口隆男|山田太一| 山本ヨーガ指導士
ジノービ・ユリエフ|
四方田犬彦




 ヴィニシウス・リベイロルイ十四世|ジャン・ジャック・ルソー|
レオナルド・ダ・ヴィンチ|レオナルド・ダ・ヴィンチ2
クリスチーヌ・ロシェフォール|




[ワーズワース]
 

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事項索引
(あいうえお順)

 



[愛]愛2|[愛国的国民感情]アメリカ人|アルコール・センサー|ある物|
[いい仕事]イギリス人| 異質泉|いずれ|[][いやしい魂][陰うつな人]
 ウオッカ|[うち・そと]馬の毛の色|呻きウレシパモシリ
偉さ|
[栄光]永続性|エピソード記憶|
欧州人|大声|おしつけがましさ|思い出す力


科学[学問][学問2][賢さと愚かさ]価値の創造[悲しみ]カルチャーショック|[感心]
|危険|毅然たる老人|教養学科切り|
[糞]空母信濃|苦痛工夫君子君子の学|
形式|芸術|化粧|[欠乏と豊富]ケネディ時代|言語|健康2|[健康と生命][現在][現代]
香水|行動[幸福]功利主義|故郷心|古人孤独|[言葉]言葉-2|言葉3|言葉4|[子供] ゴリ押政治|
コンテンプラチオコンテンプラチオ2




[才能]才能2魚にリンゴ|[作品]些事|[作家]酒|三種の神器|

[死]死-2|色彩感覚|[自己]思考1思考2思考3思考4思考5思考6
[仕事][自作][自省]自然|自足||質実|失速[自分1]自分2自分3|自分4|社長|ジャーナリズム| 自由|自由2|[シュンペーターの性格]情熱|鷦鷯食事|[書物]書物2|人生|人生の泉|人生の目的神的なもの真に生きる真の人間[真理]|真理2

[スタイル]スペイン語|

[性格][政治]政治2|成熟正常な両親|成人精神的労働制服と権威|
|生命|世界漫遊|戦争と平和|戦争のルール|ゼントルマン

[憎悪][そと]
 






怠惰怠惰2大腸菌|[鷹]戦い正しい生き方| 楽しみ|[旅の行程][卵の殻]たわむれ|[探究][談合]
[][地位]地位2|[知恵1]知恵2|着陸と失速|[茶の花][著作]
[哲学者][天才]
東独[読書]




肉|日常生活における10のルール|
日本人・中国人・韓国人]日本人と欧州人|[日本人の心]日本バッシャー| 日本文化|[人間]
 




刃|ハイボール|[話し合い][話し合い-2]パスツールの3W|反権力主義|
悲劇|ビジネスライク|非人間的|[批判的知識人][比喩]標本
[不可解][富貴][文体]
米国人|[平和変転
[帽子][豊富]微笑み




[見方]
[名誉][名誉心]
[無為]
桃栗三年




[野心]
友人
余暇|余暇の語源|夜の歌




[ラグビーの定義][楽観主義][楽観論]
[リーダーの条件]理屈理想良心
[霊魂]レット・イット・ビー|
[練習]
老醜|ローソク]蝋燭|労働労働2労働3労働のテンポ|[老年老齢-1老齢-2老齢-3老齢-4老齢-5老齢-6[ロマンティスト]




若い女(ひと)|和声| [私]
 



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 (1997/11/19収録)
 

モンテーニュ『エセー』より

1973/2/22
話合い
話合いは、喧嘩腰でないならば、上品で技巧をこらすだけならば、衝突をおそれて気兼ねをしながら歩むならば、十分に力強く気高いものとはならない。
モンテーニュ『エセー』3−8岩波(5)p266
 

話合い
一致ということは話合いにはまったく退屈な要素である。
同3−8岩波(5)p264
 

自省
次のプラトンの言葉を常に口ずさもうではないか。「私があるものを不健全だと思うのは、私自身が不健全だからではないか」「私自身が誤っているのではないか。私の忠告はそのまま私自身の上にはね返って来るのではないか」と
同3−8岩波(5)p275
 

糞(屁)
自分の糞は匂いがよい。(自分の屁は匂いがよい)エラスムス格言集3の4の2
同3−8岩波(5)p275
 

地位
高位や官職は必ずその人の真価よりも運命によって与えられる。
同3−8岩波(5)p281
 

真理
真理にかなったことを言うことは誰にでもできる。だが、秩序正しく、賢明に、上手に言うことは、わずかの人にしかできない。
同3−8岩波(5)p273
 

学問
わが国では、そして、現代では、学問は財布の中身をかなりよくするが、魂をよくすることはめったにない。
同3−8岩波(5)p272
 

知恵
知恵が、知恵ある者に満足し誇ることを禁じて、常に不満と不安のうちに送り出すのに、一方では頑迷と無分別が、その主人たちを喜悦と自信で満たすというのは不幸なことである。
同3−8岩波(5)p291
 

作品、
作品は、それ自身の力と運によって、作者をその着想と知識以上に助け、作者を追い越すことがある。
同3−8岩波(5)p293
 

自己
自己を語ればかならす損をする。自己に対する非難は常に信用され、称賛は常に信用されないからである。
同3−8岩波(5)p263
 

現代
人は良き時代をなつかしがることはできるが、現代を逃れることはできない。
同3−9岩波(5)p388
 

無為と多忙
私はよどんで眠ったような無為と、骨の折れるつらい忙しさをほとんど同じくらい憎む。
同3−5岩波(5)p191
 

1973/2/28

死を覚悟して敵に挑む者は、むざむざとは死なない。
同1ー47岩波(2)p130
 

人間
人間に関することで自分に無関係なものは一つもないと思え。
同2−2岩波(2)p243
 

性格
各人の性格が自己の運命をつくる。
(コルネリウル・ネポス『アッティクス伝』11)
同1−42岩波(2)p102
 

1973/3/27
健康と生命
健康と生命以外には、(c)そのためにあくせくしようと思うものは何もない。(a)精神の苦痛と束縛の犠牲を払ってまで買おうと思うものは何もない、と
同2−17岩波(4)p79
 

悲しみ
<<悲しみの少ない者ほどはでに泣く>>
(タキトゥス「年代記」2の77)
同2−35岩波(4)p271
 

1973/2/28
豊富
豊富ということほど、楽しみの妨げとなり、人を不快にするものはない。
同1−41岩波(2)p97
 

欠乏と豊富
欠乏と豊富は同じ不幸におちいる。
同2−15岩波(4)p25
 

1997/9/20
栄光
われわれの栄光とは、自分の良心の証である。
(パウロ「コリント人への第二の手紙」1の12)
同2−16岩波(4)p42
 
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学問
学問に打ちこむということは実に苦しいことであり、容易ならぬ知的な勇気を必要とします。そうした認識への情熱を経験しない人は、何年学校に居てもついに学問の何たるかを理解しない人です。
丸山真男『戦中と戦後の間』みすず書房p.389(1995/4/6)

著作
ほとんどだれも読まないし、おそらくだれも賛成しない本を1、2冊書くことは、価値のあることなのだ。
E.M.フォスター『ロンゲスト・ジャーニー』みすず書房(1994/3/7)
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ツヴァイク『メリー・スチュアート』より

憎悪
沈黙することを知っている憎悪は、もっとも狂暴な言葉よりもっと危険である。
ツヴァイク『メリー・スチュアート』みすず書房p.177(1994/3/2)

名誉心
公然とはっきり苦情を申したてる勇気のない、侮辱された名誉心は、とかく疑惑のわなにかかりやすいものであり、自分で自分が信用できない性質の人は、すぐに他人をかたっぱしから疑ってしまうものである。
同上p.167〜168

ロマンティスト
リアリストのエリザベスは歴史において勝ち、ロマンティストのメリー・スチュアートは文学と伝説において勝つのである。
同上p.122

政治
政治においてはつねに、ゆるやかなしぶとさが奔放な力に、考えぬかれた計画が即興的な飛躍に、リアリズムがロマンティズムに勝つからである。
同上p.116
 
 

愛国的国民感情
あとになって、彼女(メリー・スチュアート)に愛国的国民感情をなすりつけることほど、わざとらしく、でたらめなことはない。愛国的国民感情というものは、実はもっと後の世紀になって発見されたものである。十五、六世紀の領主たちの考えはー彼女の偉大な敵手エリザベスを例外としてー自分の国民のことなど当時まだ完全にす通りしてしまって、ひたす個人的な権力のことへ向かう。国々は、まるで着物のように縫いあわされたり、きれぎれに寸断されたりする。戦争と結婚とが国家を作りあげるのであり、国民の内的な決定がつくるのではない。
同上p.96


彼女(メリー・スチュアート)が早朝、高くあげたこぶしに鷹をとまらせ、きらびやかな騎馬行進のまんなかで馬を歩ませながら、人びとの挨拶にいちいち親しくうれしげに答えていくとき、エディンバラの人びとは、このスチュアート家の娘を誇らしげに見つめる。
同上p.93
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書物
書物なき家は主なき家のごとし。
セネカ
 

霊魂
われわれは、霊魂を創造していると信じられるときはじめて、人生に意味を見出すことができる。しかしそれをいったん信じたらー私はそう信じるし、常にそう信じてきたのだがー私たちの行為で意味をもたぬものはないし、私たちの苦しみで、創造の種子を宿さぬものはない。
メイ・サートン『独り居の日記』みすず書房(1994/7/2)

哲学者
好奇心と驚きに満ちた幼児の魂を持続するのが哲学者
ヨースタイン・ゴルデル(朝日新聞1995/7/2)

うち、そと
うちの人間をとくにかわいがる人は、他人にきつい人だ。
本田宗一郎(エコノミスト1995/6/13)

楽観主義
常に楽観主義でいれば力は何倍にもなる。
コリン・パウエル将軍『マイ・アメリカン・ジャーニー』(日本経済新聞1995/10/16)

リーダーの条件
ひとりでおいておいても泣かない男
城山三郎(朝日新聞1996/3/2)

作家
「立派な作品」を書いたときではなく、「書きたい作品」を書いたときに満足を覚えるのが作家である。必然性のない小説を無理に書いてきた日本の近代文学の作家たちが、自分の仕事に満足しているとは、私にはとうてい思えない。
デニス・キース『忘れられた国ニッポン』

日本人の心
世界で最も病的に内省し、人の目を気にする、相対的な匿名性の中で旅行を好むのもその表われだ。
日本人は、自分の悩みをストレートに表現しない。それは自分への注目を相手に要求することであり、迷惑になると考えるから。無私の境地こそ日本人が懸命に努力すべき目標
キャシー・ディビィドソン『日本の心、アメリカの心』

ラグビーの定義
少年をいちばん早く男にして、男に永遠の少年の魂を抱かせるもの(フランスのラガーマンの諺)(朝日新聞1996/5/29)

いい仕事
西洋なら、いい仕事さえしておけば、無名でも必ず残ります。日本では無視されます。
(森有正、辻邦生から孫引き:朝日新聞1996/6/30)

読書
書も読まであそびわたるは網の中にあつまる魚の楽しむがごと
(田安宗武;朝日新聞1996/7/5)
 

幸福
幸福であるとは、なんのおそれもなしに、自分を眺めうる、ということである。
(ベンヤミン)(朝日新聞:人類知抄 百家言:中村雄二郎1996/7/30)


私とは、私と私の環境である。私がもし私の環境を救わなければ、私自身は救われないことになる。
(オルテガ)同上

不可解
人間は、不可解なものを理解できるという信念を持ち続けなければならない。さもないと、探求をしなくなるだろう。
(ゲーテ)同上

探究(1993/9/15)
考え深い人間にとって最も素晴しい至福は、探究し得るものを探究し尽くすことであると同時に、探究し得ないものをただ黙って畏敬することである。
ゲーテ(E・シャルガフ『ヘラクレイトスの火』岩波書店.p.35)
 

楽観論
悲観論は気分に属し、楽観論は意志に属す.
(アラン)(1997/1/17)
 

シュンペーターの性格
シュンペーターの性格を形容する言葉として、もったいぶった尊大さ、うぬぼれ、傲慢、知ったかぶり、エリート主義、めだちたがり屋、野心家、スノッブ中のスノッブというのが多いという。偉大な才能にとっては、その力を抑制するよりも、力のままに振る舞うことのほうが容易だったのいうことなのだろう。
猪木武徳;朝日新聞「書評欄」1995/6/11
 

練習
なんにせよ、やる価値のあるものには時間をかけた練習が欠かせないということだ。
アーサー・C・クラーク『イルカの島』新潮社p.83
 
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ヴィトゲンシュタイン『反哲学的断章』丘沢静也訳 青土社1988より(1993/7〜12)

野心
野心は、思考の死である。(1948)

p.204

賢さと愚かさ
賢さという禿山から、愚かさという緑なす谷間へ、いつもくだってゆくことだ。(1948)
p.200

賢さと愚かさ
哲学者にとっては、賢さという禿山よりは、愚かさという谷間のほうが、いつもたくさん草がしげっている。(1949)
p.211〜212
 

自分
自分以外のものでありたいと思わないことまずそれだけですでに、すぐれた独創性のはじまりなのだ。(1947)
p.160

文体
自分のスタイル(文体)にまずい点があったとしても、それを引き受けるしかない。自分の顔がまずい場合も、ほとんどおなじことしかできないのだ。(1948)
同上p.200

比喩
すぐれた比喩は、知性を新鮮で生き生きしたものにする。(1929)
同上p.11

言葉
新しい言葉は、新鮮な種子に似ている。それは、議論という土地にまかれる。(1929)
同上p.12

帽子
わたしの頭に帽子をかぶることができるのは、わたしひとりだけ。それとおなじく、わたしのかわりに考えることのできるのは、だれひとりとしていない。(1929)
P.13

才能
才能は、新鮮な水がたえず湧きでてくる泉である。だが、その泉も、正しい方法で用いられなければ、価値をうしなう。(1931)
p.35

感心
感心されることなく、愛されるようにつとめよ。(1940)
p.106

名誉
自分の手にいれた名誉に安んじることは、雪のなかで休憩すると同じくらい、危険である。コックリコックリとやりだせば、眠ったまま死んでしまうのだから。(1939〜1940)
p.98

天才
「天才とは勇気ある才能のことだ」といえるかもしれない。(1940)
p.105

見方
コペルニクスやダーウィンといった人びとの、ほんとうの功績とは、真の理論を発見した点にあるのではなく、実りゆたかな新しい見方を発見した点にある。(1931)
p.54

建築
よい建築からうける印象とは、「その建築がなにかひとつの思想を表現している」ということである。このことを、おぼえておけ。また、よい建築には、なにか身ぶりでもって反応したくなるものだ。(1932〜1934
p.64

自作
自分の性格を、外側からながめることは、ほとんどできない。自分の書いたものについても、おなじだ。自分の書いたものをながめるときには、一面的な態度になってしまう。わたしは、自分の書いたものを、他人の書いたものと、おなじ土俵でみることもできなければ、比較することもできない。(1932〜1934)p.65

卵の殻
卵を食べるときあなたは殻までは食べない。しかし殻がなければ卵の栄養を摂取することはできない。文学において文字、絵において絵具、音楽において音符は卵の殻である。芸術家は、自らの個性に一番適した殻を選び、その中に思想をたくす。
p.66,p.73
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いやしい魂(1993/2/23)
いやしい魂は、思いがけない幸運によって膨れあがり、不運によって打ちのめされる。
エピクロス
 
 

茶の花(1993/6/13)
生き急ぐほどの世ならじ茶の花のおくれ咲きなる白きほろほろ
馬場あき子

富貴
功名富貴若長在 漢水亦応西北流
李白『唐詩選 上』岩波書店p.94

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1997/11/21追加


愛(1988/1128)
愛は盲目ではない。盲目ほど愛から遠いものはほかにない。愛は束縛である。そして束縛されればされるほど、それだけ盲目から解放されるのだ。
チェスタトン

仕事
私はマイペース。しごとに命をかける、なんて嫌いなの。何でも楽しくやりたいし、自然のままに生きていきたい。
倍賞美津子(朝日新聞1988/4/28)


ジャズは私の命。42年間、一生懸命やってきたのが認められたのでしょう。
ジョージ川口(紫綬褒章を受賞して)(朝日新聞1988/4/28)

正義(1988/8/15)
プラトンの思想にユステシア、正義の理念がある。英語のJUSTICEの語源、各々の人に各々の分を与えよという意味。この思想がナポレオン法典に受け継がれた後、アングロサクソンの国際商法になる。そうやって資本主義はアングロサクソンで花開いたわけです。国際分業は世界の流れですが底流にはそういった思想もある。
崔栄(チョヨン)(季刊でんぱつ69phase p.25)
 

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日本人、中国人、韓国人
中国人は始めはちょっととっつきにくい。しかし、何か月かたって、お互い人間として認め合うようになれば、ものすごく率直ですね。日本の人は最初から最後まで深入りできない感じ。韓国人は最初から深入りして、後から喧嘩します。でも、また仲直りする。
崔栄(チョヨン)(季刊でんぱつ69phase p.23)

陰うつな人(1992/8/7)
ぼくは陰うつな人には仕えることができない。自分に対して悪い人が、どうして他人に対して良いことができようか。自分自身に対して満足できない人が、どうして他人を満足させることができようか。
アンリ四世[1553〜1610]

旅の行程(1992/8/9)
旅の行程は、宿に泊まるより得るものが多い。
セルバンテス
 

地獄(1988/1/22)
「じゃあ、よろしい、僕は地獄へ行こう」
マーク・ツゥエン『ハックルベリの冒険』
 

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批判的知識人(1994/4/11)
冷戦後の今日にあって必要とされているのは・・超越的な場所からではなく、内部から呼びかけることのできる批判的知識人なのです。
E.サイード(『歴史の終わり』と世期末の世界)

子供(1993/9/19)
空に虹を見るとき私の心は踊る。私の生涯のはじめからそうであった。大人の今もそうだ。老いてもそうでありますように。でなきゃ死んだがまし。子供は大人の父。私がおくる一日一日が、自然の賛仰で結ばれますように。
ワーズワース(虹)

ローソク(1988/6/11)
地上
どこにも
特別に大きなローソクというもはない
だのに
かの灯を見よという
各自が同じ生命をもちながら
燃やさないで周囲を暗くしていることをこそ
悲しむべきだ
志樹逸馬(1955)
 

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現在
「常に現在というものに密着していることだ。どんな状態にも、どの瞬間にも、無限の価値があるものだ。なぜなら、それは一つのまったき永遠の姿、その代表なのだからね」(ゲーテ)
エッカーマン『ゲーテとの対話』上 山下肇訳岩波文庫p.82

談合
古代ローマの民主制の終焉の最大の原因は、すべての圧力団体の利権を保証しようとした「談合」にあったといわれる。
中村啓三(エコノミスト1992/6/9 p.73)
 

スタイル
アメリカ合衆国第34代大統領は、スタイルを重視した。大統領およびその側近たちにとって、スタイルはほとんど実質と同じであった。彼はぶざまな不必要な問題を起こす、ぶざまな人間が嫌いであった。また、ぶざまで厄介な問題も嫌いであった。
ハルバースタム『ベスト&ブライテスト』p.165
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(1997/12/1追加)

私の好きな言葉

才能
才能は長い辛抱だ、勉強したまえ。
(フロベールが、ビュフォンの言葉を引いて、モーッパサンに言い聞かせた言葉)(1986/10/20)

パスツールの3W
Will,Work,Wait
パスツール(1986/5/12)
 

自分
私は、結局のところ自分こそが人間のうちで最善の者といつも信じてきたし、今も信じている。
(ジャン・ジャック・ルソー)



(1997/12/2追加)

自分
自分にとって必要なものは、すべて自分の中にある。
山本ヨーガ指導士(88/4/6)
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自足
自足の最大の収穫は、自由である。
エピクロス(1986/12/9)

質実
Plain living,high thinking.

危険
危険を冒さぬ者は何もなさぬ者である。注意深くあるのはよい。しかし臆病であってはならぬ。
A・T・ホカート

理想
一つの理想に根差すものでなければ、どんな仕事も実を結ばない。
シャリアピン(〜1938/4/12)

呻き
自分は呻きながら探る人間しか認めない。
パスカル
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努力
人間は努力するかぎり迷うものだ。
ゲーテ(『ファウスト』から)(1988/4/28)

君子の学
君子の学は必ず日に新たなり。日に新たなる者は日に進む。日に新たならざる者は必ず日に退く。
近思録(1989/2/15)

思考1
We become what we think about.
(1992/8/6)

思考2
心の内で考えていることで、人間は決まる。思考が人間を形成するのだ。
ジェームス・アレン(1992/8/6)
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思考3
人間の生きる糧・・・それは、呼吸ではなく、思考である・・・もっともよく考える人が、もっとも充実した人生を送る。
フィリップ・ベリー(1992/8/6)

思考4
心の中で考えたことが、人をつくる。
旧訳聖書『箴言』第2章7節(1992/8/6)

思考5
考え方によって人生は変わる。
(1992/8/6)

思考6
考えること、それは「人生の意味を知るための旅」
(1992/8/6)
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生命
夜毎に私たちは死に、朝毎に新しく生まれる。一日一日が、ひとつの生命なのだ。
エドワード・ヤング(1683〜1765 イギリスの詩人)(1993/5/12)

友人
苦しみをともにすることではなく、喜びをともにすることが、友人をつくる。
フリードリッヒ・ウイルヘルム・ニーチェ(1844〜1900)(1993/5/12)


壮にして学べば則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。
誌晩録

正しい生き方
それでは正しい生き方とは何か?人生は遊びとして生きなければならない。
プラトン(1989/12/7)
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未完
未来へ向かう者は常に未完である。
(1990/11/1)

悲劇
人生には、二種類の悲劇がある。一つは、心の希いがかなえられぬとき。もう一つは、その希いがかなってしまったとき。
ジョージ・バーナード・ショー(1990/2/14)

些事
人間自体が取るに足らない存在だからね。どんな些細なことだって人間には大切なはずだ。些事を観察することによってできるだけ楽しく人生を送るこつを会得するんだよ。
サミュエル・ジョンソン(1993/1/13)

鷦鷯(しょうりょう)
鷦鷯(しょうりょう)、森林に巣くうも一枝に過ぎず。偃鼠(えんそ)、河に飲むも腹満ちるに過ぎず。
荘子(1988/4/27)
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古人
古人といえば格別に思う。今人となんと変わることあらんや。
盤珪禅師(1622〜1693)

人生の泉
すり傷、ちょっとした病気、その他気をつけて何とかなるものにはせいぜい気をつけるがいい。しかし、すべて正常な精神の名において言うが、結婚その他重要なものについては、心配などしないがいい。さもないと、われわれの人生の泉が涸れてしまう。
チェスタトン(1988/11/28)

日常生活における10のルール
@積極的に考える
A目標を定める
B粘り抜く
C誠実である
D自分のチームを育てる
E意志決定を速やかにする
F生涯学び続ける
G健康に注意する
H家庭を疎かにしない
I自信をもつ
キングスレイ・ウォード『ビジネスマン、生涯の過ごし方』新潮社
(1992/12/9)
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夜の歌
夜となりぬ。いま、すべての湧きいずる泉は高らかに語る。わが魂もまた湧きいずる泉なり。夜となりぬ。愛するものの歌はじめて目覚む。わが魂もまた愛するものの歌なり。
二ーチェ(1988/4/28)

理屈
反対の理屈を持たぬ理屈は存在しない。
ピュロン(1988/4/27)

真理
異なった人間には異なった真理がある。
オズワルト・シュペングラー


心こそ、自分の友であり、心こそ自分の敵である。自分の心に勝ったものにとって、心は自分の友となる。だが負けた者にとっては、心は自分の敵である。
バガヴァッド・ギーター(1988/4/27)
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知恵
苦しみにあっても心を乱さず、楽しみにあっても執着を持たず、貪りや、おそれや、怒りを離れた者は「知恵の定まった者」と呼ばれる。
バガヴァッド・ギーター(1988/4/27)

行動
行動はペンより雄弁である。

レット・イット・ビー
レット・イット・ビー
ビートルズ(1988/4/28)

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 1997/12/4追加
 
 地位
電車の中で辺りをへいげいしているおじさんに気づきませんか。会社内の地位がどこでも通用すると思っているのでしょう。
椎名誠(1987/7/2)


The cistern  contains,
The spring overflows.
W.Blake

日本人と欧州人
私はずうと前に日本のある人類学者が欧州人と日本人との違いをハチたとえてかいた文章を思い出します。違いは三つある。
第一 迷子になったハチが別の巣にまぎれこむと、欧州ではそのハチを受け入れ働かせ、その巣の一員となります。日本ではそのハチを追い出して殺してしまう。
第二 ハチは時々群れをなして移動します。そして空になった巣を見つけたとします。欧州のハチはそこに住みつきますが、日本のハチは古い巣をこわして、全く新しいものを作る。
第三 巣の入口にいるハチの態度です。欧州のハチは顔を外へ向けて太陽や空や草を眺めています。日本のハチは針を外へ向けているんです。
ブラウン在日米国大使館参事官(日本経済新聞1986/3/30)

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佐々木毅『いま政治になにが可能か』より

着陸と失速
飛び続けることのみを考え、見事な着陸成果をあげた他国を傲慢にも「活力のない停滞国」などと呼んでいないかどうか、一考の余地がある。今日、日本は貿易摩擦、円高、経済構造の調整といった一連の難問に直面しているが、それは先のことを考えずに猛烈に飛び続けているうちに燃料切れで失速していく姿に似ている。
「過ぎたるは及ばざる如し」の喩えのように、ドグマと化した一つの路線が周囲の状況や自らの生活への適切な目配りを欠いて暴走し、自己破壊を行っているのではないか。従って、国民の間に深刻な疑問や不安、戸惑いが出てくるのは当然である。
佐々木毅『いま政治になにが可能か』p.30(1987/7/8)

ゴリ押し政治
86年の生産者米価騒動に見られたように、個別利益をなりふり構わずゴリ押しするゴリ押し政治もある。この場合、議論や政策などは方便、屁理屈の類と考えられ、問答無用に個別利益を防衛し、拡張することがすべてである。
佐々木毅『いま政治になにが可能か』p.79(1987/7/9)

反権力主義
権力の亡者型と反権力主義とを考えてみると、この二つは方向は反対でありながら、ともに権力にたいする適切な距離感を欠いている。権力の亡者は自らが他人に依存し支えられているのが全く見えないし、反権力主義は権力を軽蔑・憎悪こそすれ、権力についての態度があまりにも単純である。
佐々木毅『いま政治になにができるか』p.89(1987/7/9)

政治
治める者も治められる者も、共通のルールや法に従うということである。あるいは治める者も治められる者に対し常に責任を負い、恣意的で無責任な統治を行ってはならない。政治とは自由人の間で成立する関係であり、政治権力はそれにふさわしい権力関係にほかならない。
佐々木毅『いま政治になにができるか』p.91(1987/7/9)
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戦争のルール
日本軍独特の生命を軽視した戦法は、米軍にはまさに1つのゲームをまったくちがった二つのルールで戦っていると感じさせた。日本軍と米軍とでは戦争のルールが違っていた。
設楽『ルソンの失陥』p.147(1987/6/30)
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ビジネスライク
米軍の攻撃は非常に規則的で朝五時から夕方五時まで、徹底的に砲爆撃を加えて、五時をすぎるとさっさと引きあげてしまう。昼の一二時になると昼飯のために、一時空襲や砲撃がやむのです。・・・ビジネスライクに戦争をやっているという感じでしたね。
久田/水島『戦争と戦う』p.201(1987/6/30)
 

自由
The freedom to be oneself is the highest form of jusutice towards others.
Malcolm de Chazal(French writer:A Dictionary of Contemporary Quotations p.295)(1987/6/27)

自由
Diversity of opinion is the essence of freedom.
Lord Devlin(British lawyer:A Dictionary of Contemporary Quotations p.295)(1987/6/27)

 

 
 

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(1997/12/14追加)
 
 

ヘルマン・ヘッセ『人は成熟するにつれて若くなる』より

(V・ミヒェルス編 岡田朝雄訳 草思社1995/4/5 第1刷 1997/12/10第18刷)
 

ヘルマン・ヘッセindex
言葉老年毅然たる老人微笑み成人情熱永続性人生老齢-1老齢-2老齢-3老齢-4老齢-5老齢-6成熟変転戦争と平和[平和
 
 
 

言葉
言葉の世界よ、思考の世界よ、人間の世界よ、高まる快楽と熱狂的不安の世界よ、これからもなお十回も、百回もくりかえし、おまえは私をとらえ、魅惑し、とりこにすることだろう。おまえは千回も私を恍惚とさせ、驚愕させるだろう。ピアノ伴奏の歌で、新聞で、電報で、訃報で、申告用紙で、それからおまえのすてきな一切合切で。おまえ、よろこびと不安に満ちた世界よ、美しい旋律のたわごとにみちた魅力的なオペラよ!しかしまた、無常を思う心、変化の苦悩の調べ、死を恐れぬ心構え、再生への意志、おまえが私からもうけっして失われることのないように、神よ、はからいたまえ。いつでも復活の日がめぐって来ますように。そしてくりかえし生のよろこびが死への不安に、死への不安が再生による救済になりますように。無常を悲しむことなく、生涯無常の歌を道連れに生きて行けますように。肯定にみち、死を恐れず、希望にみちて。
(1920年)p.11

老年
森が秋に、夏がその死ぬべき運命にどのように抵抗したことか!
まるでそのように、人間は自分の夏が終わる年代に、衰弱と死に対して、侵入してくる宇宙の冷気に対して、自分の血の中に侵入してくる冷気に対して抵抗する。そして新たな親密さをもって彼は、生のささやかな戯れと響きに、生の表層の無数の快い美に、こまやかな色彩の驟雨に、すばやく流れ去る雲の影などに夢中になり、微笑みながら不安に満ちて、このうえもなくはかないものにしがみつき、その死を見つめ、そこから不安をくみとり、慰めを得る。そして死を迎える技術をおののきながら学ぶ。ここに青年と老年の境がある。
(1926年)p.21

死-2
老いた人びとにとってすばらしいものは
暖炉とブルゴーニュの赤ワインと
そして最後におだやかな死だーー
しかし もっとあとで 今日ではなく!
(1926年)p.27
 
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毅然たる老人
村で初めて出会った子どもに、私はニーナばあさん(注:78歳)はどうしていうるかと尋ねる。
おお、私はこう告げられる。彼女はあいかわらず夕方になると教会の塀のところにすわって、嗅ぎたばこを嗅いでいると。満足して私は歩きつづける。彼女はまだ生きているのだ。私は彼女を失わずにすんだ。彼女は私を心から迎えてくれるだろう。そして少しばかり愚痴を言ったり嘆いたりするかもしれないが、彼女はやはり私にまたひとりの孤独な老人の毅然たる模範を示してくれるだろう。自分の年齢や、痛風や、貧困や、孤独などに、したたかに、冗談をいって耐え、世間に取り入るようなばかなまねをしたり、卑屈になったりせず、世間など屁とも思わず、最後のときまで医者や牧師の世話になるつもりのない毅然たる老人の模範を。
(1927年)p.48

微笑み
若さを保つことや善をなすことはやさしい
すべての卑劣なことから遠ざかっていることも
だが心臓が衰えてもなお微笑むこと
それは学ばなくてはならない

それができる人は老いてはいない
p.56
 

成人
若いとか年とったとかいうことは、本来平凡な人間のあいだにしか存在しないのだ。才能があり、洗練された人間はすべて、喜んだり悲しんだりすることがあるのと同じように、あるときは年をとったり、あるときは若くなったりするものである。成人の本領は、青年よりもずっと自由に、ずっと上手に、ずっと寛大に、自分自身の愛する能力とつきあえることである。(中略)老年が青春を演じようとするときにのみ、老年は卑しいものとなる。
p.58

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情熱
情熱は美しいものである。若い人には情熱がとてもよく似合うことが多い。年配の人びとには、ユーモアが、微笑みが、深刻に考えないことが、世界をひとつの絵に変えることが、ものごとをまるではかない夕雲のたわむれであるかのように眺めることが、はるかにずっとふさわしい。
p.64

成熟
成熟するにつれて人はますます若くなる。すべての人に当てはまるとはいえないけれど、私の場合はとにかくその通りなのだ。私は自分の少年時代の生活感情を心の底にずっともち続けてきたし、私が成人になり、老人になることをいつも一種の喜劇と感じていたからである。
p.65
 
 

変転
どの花も実を結ぼうとする
どの朝も夕暮れになろうとする
変転と時の流れのほかに
永遠なものはこの世にはない
p.67

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老齢-1
簡単に言えば、老人として自分の目的を果たし、自分の使命に恥じない行為をするためには、老齢と、それに必然的に伴うすべてのものを受け入れなくてはならない。それを肯定しなくてはならない。この肯定なくしては、自然が私たちに要求するものに従うことなくしては、私たちの年代の価値と意義--私が老いていようと若かろうと--失われるのである。そして私たちは人生を欺くことになる。(1952)p.83

老齢-2

けれども、このような衰弱の過程に身を任せるのみで、老齢にもそのよいところ、その長所、その慰めの源と喜びがあることを見ないとすれば、みじめで悲しいことであろう。二人の老人が出会ったとき、ただただいまいましい痛風のことだけを、こわばった手足と、階段を上るときの呼吸困難だけを話題にすべきではない。彼らは自分の苦痛と怒りだけを交換するのではなく、楽しい慰めになる体験や見聞を交換すべきであろう。そういうことはたくさんあるのだから。
(1952)p.84

老齢-3
ここ、老人の庭には、昔ならその世話をすることなど考えもしなかったたくさんの草花が咲いている。そこには忍耐の花というひとつの高貴な草花が咲く。私たちはしだいに沈着になり、温和になる。そして介入と行動への欲望が少なくなればなるほど、自然の生命や同胞の生命に関心をもって眺め入り、耳を傾け、それらが私たちのかたわらを通りすぎるとき批判することなく、その多様性にいつも新たな驚きをもって、時には同情と静かな憐れみの気持ちで、時には笑いと明るい喜びをもって、ユーモアの心をもって眺める能力がますます大きくなって来るのである。
p.86

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老齢-4
若い人びとが、その力と無知の優越性をもって私たちを笑いものにし、私たちのぎこちない歩き方や、白髪や、筋だらけの首を滑稽だと思うなら、私たちは昔、同じように力と無知をもって老人をせせら笑ったことがあることを思い出そう。そして敗北感を味わうのではなく、優越感をもって私たちが年をとってそのような年代を卒業し、ちょっぴり賢くなり、辛抱強くなったと考えよう。
p.87

老齢-5
老齢になると多くの苦痛に見舞われるけれど、いろいろな賜わり物にも恵まれる。その賜わり物のひとつが、忘却であり、疲労であり、諦めである。これは老人と老人の悩みや苦しみの間に形成される保護皮膜ともいうべきものである。それは怠惰、硬化、醜い無関心という形をとる場合もある。しかしそれは、ちょっと別の観点から光を当ててみると、平静であり、忍耐であり、ユーモアであり、高い叡知であり、道(タオー)であることもあるのだ。
p.90

老齢-6
老境に至ってはじめて人は美しいものが稀であることを知り、工場と大砲の間にも花が咲いたり、新聞と相場表の間にもまだ詩が生きていたりすれば、それがどんな奇蹟であるかを知るようになる。p.91
 

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人生
私の人生は、現在を超越することであり、一段一段と前進することでなければならない、と、そんなふうに考えていた。音楽がひとつひとつのテーマを順に、ひとつひとつのテンポを順に片づけ、演奏し終え、完成させ、前進して行くように、けっして倦まず、けっして眠らず、つねに醒めて、つねに完全に沈着に、人生の段階をひとつずつ通りすぎ、前進して行くべきであると。目覚めの体験との関連で、私は、ある人生の段階の最後の時期が、枯れて死ぬことへの欲求の色調を内臓すること、それがさらにひとつの新しい空間への転進へ、覚醒へ、新たな開始へとつながって行く、そういう段階と期間が存在することに気がついた。
p.99

戦争と平和
戦争がひとつの試練だといった人がいるけれど、私の経験からすると、人を進歩させ、力を与えるのは平和のみである。
p.105

永続性
すばらしい魔力、万物が変転するという燃えるように悲しい魔力よ!しかし、それよりもはるかにすばらしいのは、過ぎ去ってしまわぬこと、存在したものが消滅しないこと、それがひそかに生きつづけること、そのひそかな永続性、それを記憶によみがえらせることができること、たえずくりかえし、それを呼びもどす言葉の中に、生きたまま埋められていることである。
p.106
 

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(1998/1/9追加)

1998/1/9掲載分index
 

1998/1/9掲載分事項index
 愛|ウレシパモシリ偉さ|思い出す力科学価値の創造空母信濃|工夫君子故郷三種の神器|自然真に生きる人生の目的戦い日本文化|刃|非人間的|標本桃栗三年||労働のテンポ良心
 

1998/1/9掲載分人名index
阿部昭京極純一|コンラッド・コンラッド2坂田明|竹山道雄|外山滋比古|トーマス・ハックスレー|ハイゼンブルグ|ガブリエル・ビール|コンッスタンチン・ブランクーシエーリッヒ・フロム
フランシス・ベイコン|ペーター・ヘルトリングエーリッヒ・フロム松葉軒東井|ジョージ・マイクス|山口隆男|レオナルド・ダ・ヴィンチ|レオナルド・ダ・ヴィンチ2
 
 
 

真に生きる
真に生きるというのは、永遠に子供の感情を生活のなかにもちつづけるということだ。
コンスタンチン・ブランクーシ(彫刻家;1876〜1957)(1987/1/5産経新聞書評欄:中原祐介『ブランクーシ』)
(1987/1/6)

思い出す力
マンスフィールドを読みながらつくづく考えさせられるのは、物を書く力というのは思い出す力だということである。人は彼女ほどに思い出すことに賭けはしないし、賭けることもできない。大抵のところで過去と折り合いをつけて生きているにすぎない。そして思い出す力はおのずから深く感じる力でもある。深く感じれば感じるほど、彼女が書くことへの恐れと恥じらいをも深めて行ったことは疑いない。
阿部昭『短編小説礼賛』p.165
(1986/10/29)


刃はつめたいほどよく切れる。

1998/1/9掲載分indexへ戻る
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労働のテンポ
ハインロート「現代人の労働のテンポは、セイランの風切り羽についでもっともばかばかしい種内淘汰の産物だよ」
コンラーツ『八つの大罪』p.36

非人間的
「左側」には自由な個人が開花するという価値、「右側」には社会と文化の健全さという価値がある。どちらの方向の極端も、非人間的となる。
コンラーツ『八つの大罪』p.65

故郷
初めてのものーそれが故郷(ハイマート)
ペーター・ヘルトリング
(1987/2/18)


愛は能力である。
エーリッヒ・フロム
(1987/3/22)
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戦い
戦わないで征服する人はいない。
ガブリエル・ビール(1495年)
(1987/4/20)

三種の神器
読むことは人を豊かにし、話し合うことは人を機敏にし、書くことは人を確かにする。
フランシス・ベイコン
(1987/4/20)

人生の目的
人生の偉大な目的は知識ではなく、行動である。
トーマス・ハックスレー
(1987/4/20)
桃栗三年
桃栗三年柿八年、枇杷は九年で登(な)り兼ねる。梅は酸い酸い十三年。
松葉軒東井『譬喩尽(たとひづくし)』(1789年)
(1985/12/3)
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自然
われわれが観測しているのは、自然そのものではかう、われわれの探究方法に映しだされた自然の姿だ。
ハイゼンブルグ
(1993/11/3)

ウレシパモシリ
(アイヌ語の)ウレシパモシリ「互いに育てあう大地」という言葉は、地球、つまり、人間を含めた自然界のもつ、絶妙なしくみそのものを表わしている。
坂田明(Savoir 1993/10~11月号vol.35)
(1993/11/3)
価値の創造
それほどの大きな価値の発見ではないにしても、われわれは誰でも、その気になれば、その人でなくてはできない新しい価値の創造はできるものだ。生きるにあたいする人生とは、それに成功した人間の生き方である。
外山滋比古『わたしの知的生産の技術 PART 氈xp.143
(1986/11/8)
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偉さ
私はドゴール大統領よりも偉いし、マキシムの料理長より、作家のアーサー・ケストラーよりも偉い。なぜなら、私はドゴールよりも料理が上手だし、マキシムの料理長よりはたくさん旅行している。それにケストラーよりもテニスがうまいのだから。
ジョージ・マイクス(作家)
『わたしの知的生産の技術 PART 氈xp.183加藤秀俊『雑情報の中から砂金を拾う』から
(1986/11/8)

標本
オランダが標本の保存に払う努力には頭が下がったという。「冬は休日や夜間でも標本庫に暖房を入れて、絶えず摂氏15度に保っています。日本なら通風の悪いところに放置して、カビが生えたり腐ったりしても平気ですから」と、欧州の伝統の重みに感心する。
朝日新聞『ひと』欄1986/10/9:山口隆男(熊本大学理学部助手「オランダに眠るシーボルトの標本を見つけた」)
(1986/10/9)

工夫
工夫するは、主人の仕事、実行するは召使の行いである。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 下』p.22
(1986/11/17)
1998/1/9掲載分indexへ戻る
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科学
科学は将校であり、実践は兵である。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 下』p.22
(1986/11/17)

君子
君子未然に防ぎ、嫌疑の間におらず
(1986/11/4)

空母信濃
膨大な国家予算を食い、徹夜につぐ徹夜で工員を追いまくって完成し、海上に出て二か月たらずで一度の戦場経験もなく、工員多数を含む1430余人の犠牲者とともに海のもずくとなった。
朝日新聞1986/11/8『戦争』(東京都 大島守成61才 公務員)
(1986/11/8)
1998/1/9掲載分indexへ戻る
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日本文化
自尊自恃でなく虚栄心を基調とする日本文化。
京極純一『日本の政治』p/181

良心
良心は疚(やま)しき沈黙を守っていた。
竹山道雄『昭和の精神史』
(阿川弘之『井上成美』p.23)
(1987/1/21)

1998/1/9掲載分indexへ戻る
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(1998/2/4追加)

1998/2/4掲載分index
 

1998/2/4掲載分事項index

 インスタント族経験権威国家コンピュータ島国性楽しむ者単一の原理日本の五つの欠如始まりと終わりパラドックス悲観的風格文章べた文楽貿易まわりがあってこそミス
 
 

1998/2/4掲載分人名index
コリン・ウイルソン|大山康晴|開高健|ロベール・ギラン|ロベール・ギラン2|クロマティ|チャーマーズ・ジョンソンチャーマーズ・ジョンソン2|チャーマーズ・ジョンソン3|ピーター・タスカ|ジョン・ダワー|ウィンストン・チャーチル|ヨゼフ・ピーパー|エリック・ホッファー|正村公宏松山幸雄|
 
 
 
 

経験
どんな些細な経験でも、精神を緊張させてさえいれば、知に結びつけることはできる。
エリック・ホッファー
(1987/7/6)

国家
国家の偉大さは危機において現われる。
ウィンストン・チャーチル
(1986/3/26)

楽しむ者
これを知る者はこれを好む者にしかず、これを好む者はこれを楽しむ者にしかず。
論語
(1987/3)

島国性
(太平洋)戦争の要因は枚挙にいとまがなくーそれだけで一冊の本が書けるほどだがーなかでもまず罪とすべきは、日本がながい間歴史から身をひいていたこと、その島国性だった。日本の指導者たちは、外の世界を知らなかったのだ。
ロベール・ギラン『アジア特電』p.118
(1993/1/23)
 

インスタント族
この国民(日本人)は<インスタント族>であって、いわば<振り子のように動く>のだ。自分に罪があったことを日本人は決してまともに認めはしないだろうが、そのつぐないかたは、自分の行いをつうじて、<悪しき>日本を過去に追いやるとともに、善行を積むことを本心から、夢中にさえなった望む<良き>日本を、生まれ変わりの術によって出現させ、諸邦の敬意をとり戻し、世界に名誉ある地位を占めるのにふさわしくなることにある。
ロベール・ギラン『アジア特電』p.149~150
(1993/1/23)
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ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』よりindexへ

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パラドックス
「日本が西側の一員であることを強調する人びとは西側世界の基本的価値観に対して系統的に敵意をもっている人びとだ、というパラドックス」(樋口陽一東大教授)である。
松山幸雄(国際羅針盤「日本の明日を考える」 朝日新聞1991/6/19)

日本の五つの欠如
@喜びの欠如した富
A真の自由の欠如した平等
B創造性の欠如した教育
C真の家庭生活の欠如した家族主義
Dリーダーシップの欠如した超大国
ジョン・ダワー
(1991/12/7)

コンピュータ
日本はコンピュータのように冷たく語り、その内容も全く意味不明だ。
フィリピンの有力新聞の論評
(ケン・ジョセフ(ボランティア組織マガペ・ハウス代表)「無口な友人からの脱皮を」)
(朝日新聞 論壇 1992/1/7)

単一の原理
単一の原理と単一の体系にすべてを還元する思考がしばしば大きな破壊をもたらすことは、20世紀の深刻な経験によって証明されている。
正村公宏(『「社会主義」とは何だったのか』 週刊東洋経済1991/10/19 p.109)

貿易
日本の貿易政策に対して米欧が抱いている基本的な問題は、日本は貿易を相手国同士で相互に享受し合うものとしてでなく、ゼロサム・ゲームとしてみているのではないかということだ。
チャーマーズ・ジョンソン(「ずばり直言!日本の誤解・米国の誤解」
週刊東洋経済1991/10/19 p.97)

権威
もう一つの問題は、日本経済を法規制のもとで扱うことができないことだ。日本は依然として世襲的な国家で、法律を守ることより権威による威圧によって調和が保たれているということである。これは日本社会にある深刻な欠陥である。
チャーマーズ・ジョンソン(「ずばり直言!日本の誤解・米国の誤解」
週刊東洋経済1991/10/19 p.96)
 

悲観的
日本人は世界の動向を概観する際に、悲観的になる傾向がある。これは日本の歴史や文化を反映している。
チャーマーズ・ジョンソン(「ずばり直言!日本の誤解・米国の誤解」
週刊東洋経済1991/10/19 p.97)
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ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』よりindexへ

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まわりがあってこそ
アメリカでは、一人一人が個人主義者であることを要求される。学校時代から、スックと立って意見を堂々と述べろ、と教育される。自分らしさを大切にしろと。大リーグでも、ある程度のことは自分の頭で考えることが要求される。
ところが日本では正反対だ。日本人のモットーは「まわりがあってこそ」なんだ。王が言っていたが、日本の子供たちは小学生の頃から、目上の者に口ごたえするな、目立とうとするな、と教えられるそうだ。みんなが同じ制服を着て、ヘアースタイルまで同じにさせられる。日本人の人生訓は、「つべこべ言わずに命令に従え」だ。チームメイトはまさにその通りにしている。
クロマティ
(ホワイティング『さらばサムライ野球』p.44)
(1991/9/4)

文章べた
学生は、一編の論文も書くことなく大学に入り卒業することができる。このことが、有名なジャーナリズムでさえも、散漫なとりとめのない文章しか書けないという、日本人の文章べたの牽引になっているのかもしれない。

ピーター・タスカ(『インサイド・ジャパン』笹野洋子訳 講談社1988p.127)

始まりと終わり
ヘッセの言ったことは正しく、何ごとでも始まりには必ず魔術的な魅力があり、たいがいは終わりにもそれがあるものなんだ。
コリン・ウイルソン(『形而上学者の性日記』p.141)

風格
いったい、人間の風格とはなにから生まれるものなのであろうか。他人を頼りとせず、自己の生活態度に揺るぎなき自信を持つ、良い意味での「選ばれし者」の安定感であろうか。
(朝日新聞1991/3/15夕刊『窓』(東大の岡義武をしのんでの文章))

文楽
もしブンガクを”文学”と書かないで”文楽”としていたなら、はるかにおびただしいものがやすやすと包含され、吸収され、表現され、無数の変奏をつくることができていたかもしれないと思うことがよくある。
開高健(『最後の晩餐』文芸春秋1982 p.13)

ミス
素晴しい手を中心に考えるより、ミスを未然に防ぐ手が試合内容をよくすることに気付いた。
大山康晴(将棋15世名人)

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ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』より事項indexへ

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(1998/2/4)

ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』講談社1988年より

ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』事項index
教養学科コンテンプラチオコンテンプラチオ2神的なもの精神的労働ゼントルマン怠惰怠惰2たわむれ|余暇|余暇の語源|神的なもの労働労働2労働3




余暇
余暇は西洋文化を支えている基礎の一つにほかならない。
ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』講談社1988年 p.22
(1990/1/21)

余暇(ドイツ語ではMusse)の語源
ギリシャ語でスコレー、ラテン語でスコーラ、ドイツ語でシューレ(学校)。
ドイツ人が教養、あるいは人格形成の場をさすのに用いている言葉自体が、余暇を意味している。
シューレとは、知識をつめこんでばかりいる場所のことではなく、本当は「余暇」のことなのです。
ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』p.22
(1990/1/21)

コンテンプラチオ
キリスト教の精神生活の理想とされている「コンテンプラチオ」(日常生活のあらゆる心づかいや関心をはなれ、小さな自我をぬけでることによって、世界をあるがままにながめ、その創り主にふれること)は、アリストテレスの余暇の思想にまでさかのぼる。
ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』p.25
(1990/1/21)

教養学科
こんにちの大学教育で重要な位置をしめている「教養学科」(もともと「自由な学芸」artes liberalesと呼ばれ、「奴隷的技術」artes servilesから区別された)という考え方も、アリストテレスにさかのぼる。
ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』p.25
(1990/1/21)

労働
現代社会では労働と(真の意味での)余暇のしめるべき位置がさかさまになっている。
ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』p.27
(1990/1/21)

労働2
カントは「認識すること」、そして「哲学すること」はまさしく「労働」であると理解した。
ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』p.33
(1990/1/21)

労働3
人間の「認識」活動、および「哲学すること」の特徴を「労働」という一つの言葉で言いあらわそうとすれば、全体を言いつくせないだけでなく、ことがらの本質を見落とすことになる。
ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』p.39

精神的労働
「精神的労働」という概念の背後には、安らかさや安易さを拒否して、苦労こそそれ自体で価値のあるものだ、と考える立場がひそんでいます。
ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』p.41〜42
(1990/1/21)

(1990/1/21)

ゼントルマン
職能的な知識だけではなく、「ゼントルマン」の知識も存在する。
ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』p.58
(1990/1/21)
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コンテンプラチオ2
中世の言葉「人間社会が完全なものとなるためには、コンテンプラチオーこれは実益とはかかわりがありませんーの生活に専念する人々の存在が必要である。」
ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』p.59
(1990/1/21)

怠惰
中世の人生観によりますと「余暇の喪失」、つまり「余暇を実践する」能力の喪失がまさしく怠惰と結びついているのだ、というわけです。余暇と怠惰とが結びつくのではなく、あべこべに、せわしなく働くこと「労働のための労働」をモットーに休みを知らず働くことが怠惰のしるしだ、ということになります。自殺行為ともいえるほど無茶苦茶に働くこと、それが実はなまけていることなんだ、と中世の人生観は教えているのです。
ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』p.61
(1990/1/21)
 

怠惰2
人間が彼固有の尊厳にふさわしい生き方を放棄してしまうこと、それが「怠惰」の意味でした。
ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』p.61

たわむれ
私は平和の野に立つ。そこにある愛情深い楡の木、ぶどうの木や房のように、私のまわりにいのちの甘いたわむれがからむ。(ヘンダーリンの断章『余暇』の一節)
ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』p.71
(1990/1/21)

神的なもの
人間はただ人間としてではなく、彼のうちに神的なものが宿っていることによって、ただそのことによって余暇を生きることができる。
アリストテレス
ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』p.22
(1990/1/21)
 

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1998/2/5掲載分index

1998/2/5事項索引
アメリカ人|ある物|イギリス人|
いずれ|馬の毛の色|エピソード記憶|大声|カルチャーショック|苦痛形式|芸術|ケネディ時代|自分4|
スペイン語|米国人|老醜|蝋燭|若い女(ひと)|和声|

1998/2/5人名索引

池内紀|コリン・ウイルソン2|コリン・ウイルソン3|加藤秀俊|デニス・グローガンサ|ヴァラン|司馬遥太郎|フレッド・ジンネマン|ローレン・スターン|仙崖和尚の六歌仙|高田博厚|高田博厚2|ハルバースタム|松岡正剛|村上陽一郎|
ジャン・モリス|ジャン・モリス2|山田太一|
老醜

聞きたがる
死にともながる
淋しがる
心はまがる
欲深になる
くどくなる
気短かになる
ぐちになる
出しゃばりたがる
世話やきたがる
またしても
同じ話に
孫ほめる
達者自慢に
人はいやがる

仙崖和尚の六歌仙
佐高信(「筆刀直評」エコノミスト1991/1/29 p.98)

蝋燭
(モーツアルトの時代)蝋燭、照明代がものすごく高かった。蝋燭ばかりは節約できない。そのころの明細を見ると、音楽家謝礼よりはるかに照明代に費やしています。
池内紀『モーツアルトとは何か』p.21
(1993/2)

若い女(ひと)
しわが寄ってるとか、そういうものから感じる女性のよさってありますよ。ぼくなんかの年齢になると、若い女(ひと)は怖いし暑苦しい。30代後半から40代ぐらいになると自分のしわに敏感になって、男にも手厳しくなくなるんじゃないですか。そのころの柔らかさって、とってもほっとする魅力があるなあ。
山田太一(『銀座百店』1993/10 No.467 p.70)
(1993/10/21)

和声
人が和声を発見したのもついこの間のことなのである。たった四世紀ばかり前のことなのである。
サヴァラン『美味礼賛』上 岩波文庫 p.56
(1990/3/9)

アメリカ人
おそらくアメリカ人は、勝利の必然性について歴史的自覚をもつ唯一の国民である。
デニス・グローガン

ケネディ時代
この時代を支配していたのは傲慢不遜な自信過剰である。
ハルバースタム『ベスト&ブライ(テスト』p.213
米国人
22才の青年は「暖かさがあり、とてもユーモアなジョークと悪意のないからかいが大好き」な米国人が気に入る。
フレッド・ジンネマン自伝の書評から(朝日新聞1993/12/12)
 

ある物
ある物を所有する人が誰でもそうであるように、一時それを所有することをやめたらどんなことになるかをためそうとして、彼は他のものは全部元のままの状態で、その物だけを念頭からとりのぞいたのであった。ところで、ある物がなくなるということは、それだけですむものでも、単なる部分の欠如にとどまるものでもなく、残ったすべての物の転倒であり、まえの状態では予見もできない新しい状態を招くのである。
『失われた時を求めて 氈@スワン家のほうへ』p.515
(1993/5/26)
イギリス人
典型的な11月の空模様ー小雨が降り、霧が出ている。こういう天気が私は大好きだ。真のイギリス人なら誰でもそうであろう。
コリン・ウイルソン『形而上学者の性日記』p.106
苦痛
苦痛
苦痛のない生などというものは必ずしも満足のゆくものではない。
コリン・ウイルソン『形而上学者の性日記』p.128
 

いずれ
いずれとお化けは出たことない。
加藤秀俊『パソコンと私』p.77
 

馬の毛の色
モンゴルでは馬の毛の色に種別語が五百語ほどもあり、毛の色がそのまま飼いぬしからよばれる名になる。
司馬遥太郎『草原の記』p.182

エピソード記憶
われわれの脳のしくみには長期記憶と短期記憶のほかにエピソード記憶がある。日本人はエピソード記憶が得意である。エピソード記憶はそこだけが陽だまりのように浮かびあがるだけで、前後の文脈からは解放される。そこが便利だ。和歌俳句はそのノンリニアの上に確立した。これを「都合の文化」という。都合は「都が合う」と綴るが、まさしく二つ以上の街から出た道が出合うところ、つまり辻をいう。その辻で合ってまた分かれる。そのやりかたが日本人はすきなのだ。
松岡正剛「孤客記」(週刊「エコノミスト」1991/12/17p.11))
(1991/12/19)
 

大声
エドワード時代のイギリス人のように、(スペイン人も)自分が話していることを理解してもらえないとき、とくに大声で話している場合には、相手のほうが努力して理解すべきだ、という立場をとる。
ジャン・モリス『スペイン』仙名紀訳 図書出版社1992 p.49

スペイン語
それにスペイン語は1億人が日常的に話している言葉だが、それが橋渡しになっているよりは障害になっている場合のほうが多い。あなたがスペイン語をはなそうとすると怒るスペイン人さえいる。よそ者がスペイン語を完全に理解するのは不可能だと、信じているスペイン人もいる。あなたが目の前でスペイン語を話していても、話していると信じてくれないスペイン人もいる。
ジャン・モリス『スペイン』仙名紀訳 図書出版社1992 p.49

カルチャーショック
日本研究者のアメリカ人女性が、天照大神を含めて日本では太陽が女性だと考えていることに、ものすごいカルチャーショックを受けた。これは、太陽が男性であるというように、無選択的に選んでいたということに気づいた。よその文化に行った時に、自分たちにとっては、意識の上にも上がってこないほど当り前で、一度も選択だとは考えたこともなかったことが、それは実は選択の結果であった、自分たちは選んでいたことに気がついた瞬間にドキンとするんだろうと思うんですね。
村上陽一郎「科学と非科学の間」(嗜好526号 明治屋
(1993/3/1)
 

形式
形式にこだわるには人生は短すぎる。
ローレン・スターン
(1991/6/8)

芸術
優れた芸術が持っている痛切(トウシャン)なもの、感傷や気分をこえたもっと切実(エムーヴァン)なもの、これは純な魂に常に語りかけるであろう。それからは、自分のほうからそれに近より迫ってゆく情熱(パッション)、それが導いてくれる智恵(サジエット)のみである。
高田博厚『私の音楽ノート』p.14
(1989/2/7)

自分4
日本音律にあるでたらめさはもっと異なったところから来ているのではないか?生活に秩序を持たない国民と、この頃私は思うのである。権力に屈従するのみの道徳に培われた卑屈な封建根性が日本人から自律力を失わせてしまった。「自分」のないところには芸術は生まれない。民衆の芸術も生まれないのである。こう考えてあたりを見まわすと、日本いたるところあらゆるもの、その知性までもが卑屈に見えてくるのである。だからいつまでたっても「西洋崇拝」になるのだろう。
高田博厚『私の音楽ノート』p.32
(1989/2/6)

 
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1998/2/12

1998/2/12掲載分index
 

1998/2/12事項索引
アルコール・センサー|ウオッカ|おしつけがましさ|化粧|言語|健康2|香水|功利主義|言葉|言葉3|魚にリンゴ|酒|色彩感覚|社長|ジャーナリズム|食事|書物2|真の人間正常な両親|ハイボール|



 

1998/2/12人名索引
石川好コリン・ウイルソン4ヨセフ・マリア・エスピナスオードリクール開高健2リチャード・カール|桂銀淑桜井秀勲ボビー.ジョーンズマーティン・クルー・スミス高任和夫藤田恒夫藤田恒夫2ジャン・ブバーマルセル・プルースト2|フロイスフリードリヒ・ヘール村沢博人四方田犬彦ヴィニシウス・リベイロ


化粧
化粧とはけっしてあだおろそかな仕事ではなく、初期洞窟時代のシャーマンや祭司が十分な心得をもっていた厳粛な神聖な仕事であり、生活に必要な動物狩りや人間狩りのさいに出陣の隈取りとして何千年ものあいだおこなわれてきた仕事である。化粧とは、生き延びようという意欲の偉大な技術なのだ。
フリードリヒ・ヘール『われらのヨーロッパ』杉浦健之訳 法大出版会 p.21
(1993/1/17)

健康
健康とは単にスポーツによって肉体的健康を確保することではなく、自らが無意識のうちに目を背けている心の底の部分に正面から向き合う精神の健全さである。
ジャン・ブバー(「週刊エコノミスト『海外Review』1993/1/12 p.122)

香水
日本人は風呂に入ったりシャワーを浴びて体を清潔にし、体臭を無臭化したあと香水やオーデコロンをつけるが、これはヨーロッパやアラブの使い方と異なる。フレグランスと自分の体臭をミックスして「自分の匂い」をつくり出すのが彼らの使用目的である。香りやおしゃれにも日本人は、画一的で自己主張がないといえる。
村沢博人(「週刊東洋経済」『書評欄:顔の文化誌の書評』1992/12/12 p.110)

功利主義
明治以来、われわれにはどうやら二つのものが根強く根付けられているようです。それは何かというと功利主義、つまり損得計算ともう一つが被害者意識です。・・・日本は一生懸命走らないと欧米から遅れてしまうという強迫観念めいたものがあり、そんな意識がずっと続いているような気がします。・・・バブル経済というのは、結局そうした日本人の根っこにある功利主義とまごまごしていては負けるという被害者意識を突き詰めていくところまでいった結果、生まれたのではないかという気がします。
高任和夫(「週刊エコノミスト」1993/1/12 p.18)

言葉3
人間、言葉が判らないのが一番辛いよ。言葉は女性の下着と同じ。肌に慣れて密着しているのとただ付けているのとは違うよ。コトバ、コトバ。辛かった。
桂銀淑(「週刊文春」1991/8/8)

言葉4
The words
hurt or make happy
simple grammer

(言葉ってものは
傷つけもするし幸せにもする
単純な文法です)
ヴィニシウス・リベイロ(11才、ブラジル人『地球歳時記’90』所収、朝日新聞『折々のうた』1991/6/28)

言語
フランスの反=記号学者とでも呼ぶべきロラン・バルトは、言語は伝達の手段ではなく、本質的に命令と位階秩序の制定に加担するものであって、ファシズムを内に含んでいると断言しています。ある言語を選ぶことは、無意識的にある世界観を選択してしまうことです。
四方田犬彦『最近流行』「ジョージ・オーウェルあるいはユートピアの困難について」p.374)
(1992)

魚にリンゴ
ワグナーなんかに気のないあの女には、魚にリンゴも同然だ、そんな女といっしょに二週間もワグナーをきけば、さぞ愉快なことだろう!
マルセル・プルースト(『失われた時を求めて 氈xp.507)
(1993/5/26)
 

ウオッカ
ウオッカにはいいウオッカと非常にいいウオッカと二種類しかない。
マーティン・クルー・スミス『ゴーリキーパーク』p.154
(1991/4/18)


それから彼らのために少量の米でつくった酒を探しに出て行った。というのは、日本には(その種)以外の酒はないからである。
フロイス『日本史 3』中央公論社 p.30

アルコール・センサー
「酒は百薬の長」というが、酒は消化をすすめ、胃を強くするのである。もちろん濃度の高いアルコールを一気飲みなどすれば、胃粘膜がただれて潰瘍になることは当然であるが、洋の東西を問わず、キュッと一杯やってから食事にとりかかり、その食事の合いの手にも酒を胃の腑に流しこんでいくのは、消化の仕組にかなった習慣でなのである。それにしても、アルコール(エタノール)を認識してホルモンを出す、つまりアルコールを利用して生体機能の調整をはかる細胞が存在するというのは、とても面白い。しかも、それがやるのがG細胞という特定のセンサー細胞に限るということもまた面白い。
藤田恒夫『腸は考える』岩波書店1991 p.148
(1993/4/14)
 

食事
酒や枝豆のように特殊なものでなくとも、食物を腸に入れるということは、さまざまなセンサー細胞を刺激して消化管ホルモンを放出させることであり、これらのホルモンの少なくとも一部のものが、腸壁や膵臓に栄養効果を及ぼすことになる。こうして、正常に食事をしていればーとくにいろいろなセンサー細胞を刺激するようなバラエティーに富んだものを食べていればー胃腸や膵臓は強く大きく保たれる。逆に食事をとらなくなると、消化器系は細胞分裂が少なくなり、臓器全体として萎縮する。
藤田恒夫『腸は考える』岩波書店1991 p.161

ジャーナリズム
真のジャーナリズムとは何か。それは、最も危険なテーマを、最も注意深い言葉で語ることである。ああ、それなのに、日本の皇室という最も危険なテーマを、(情報協定で)最も安全な場所と言葉で語ろうとする。ところが、長嶋であれ、貴ノ花であれ宮沢りえであれ、そして矢ガモであれ、NHKのやらせ事件であれ、最も安全なテーマを、最も過剰な言葉で語るのが、わが国ジャーナリズムというやつである。
石川好(「週刊東洋経済 1993/3/13」p.13)

ハイボール
試合の前夜、わたしは自分の部屋でまずアペリチフとして熱くした強いハイボールを一杯、それからふつうのハイボールを一杯飲み、たっぷりした夕食を摂る。
ボビー.ジョーンズ『Down the Fairway』p.459
 

色彩感覚
人間の色彩感覚は割り合い新しく開発されたものであり、古代の書物には色彩のことが出てこない。
動物実験をすると、色彩感覚が動物にはほとんどないことが立証された。動物は世界を白黒の映像として見ているのだ。色彩感覚は進化のたまものなのであり、思うに過去二世紀から三世紀ほどまでは開発されていなかったものである。
コリン・ウイルソン『形而上学者の性生活』
(1990/4/17)

社長
私は、社長は物書きであるべし、というのが持論です。物を書くには、歴史観、倫理感、正義感が必要です。本物かニセ物かも見分けられます。演説はその点、ごまかしがきくのです。
 また書くことによって、その社の文化性をアピールすることもできますし、社長の思想性を、世の人に知らしめることもできます。
 「そんなことやっている時間がない」
という社長もいます。
 たしかにこれまでは、それが正しかったのです。しかし、だからこそアメリカから強烈な抗議を受けているではありませんか。
社業を伸ばすうえで社長に文化性が必要との認識を、ぜひ持ってほしいものです。
桜井秀勲(「財界」1990/5/29 p.78)

おしつけがましさ
無数の氷の焔の煌めきのさなかに私は、昔、訪れたことのあるシャルトルの大伽藍、あの深沈としたゴチックの闇のなかに輝いていた薔薇窓の光燿を見る。あれは豪華と絢爛をきわめていたのに稚純があって、あしつけがわしくなかった。そのことに私は深くうたれたのだった。ここで見る石はそれぞれ清澄、豪奢、富饒、沈痛、綺想、温厚、じつにさまざまだけれど、どれにも共通していえることは、やっぱりおしつけがましさがないといういことだろう。人工物も天工物も、至上の傑作には、はからずしも、おなじ顔がある。顔のない顔がある。
開高健『オーパオーパ!(スリランカ篇)』集英社 1991年 p.337
(1992/6/26)
書物2
どのような書物であれ、きちんと研究すれば社会全体が現われてくる。
オードリクール
(1990/12/4)

真の人間
天才は少ないけれども、真の人間はさらに少ない。
リチャード・カール
(1992/12)

正常な両親
正常な両親とは、欠陥をもつ自分の子供が人生の一員だということを受け入れられる親、自分の人生を破壊する存在だとはみなさない親ということだ。
ヨセフ・マリア・エスピナス『君の名はオルガ』春秋社1993年
(1993/6/17)
 

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1998/2/26

1998/2/26掲載分index
 

1998/2/26事項索引
切り|孤独|制服と権威世界漫遊|大腸菌|楽しみ|東独肉| 



 

1998/2/26人名索引
井出孫六コリン・ウイルソン5中村桂子アンナ・マグダレーナ・バッハ村上陽一郎2ジノービ・ユリエフ|ルイ十四世



孤独
この地上の偉大な人たちは常に孤独なのです。そして、この地上にありながら、ひとり、至高至大の神に心を通わせているのでございます。
アンナ・マグダレーナ・バッハ『バッハの思い出』山下肇訳 講談社1997・
(1998/2/23)

制服と権威
それにしても、刃物一本使うことなく、拳銃一発ぶっぱなすことなく、日本人の最大のウィークポイントである制服と権威をさか手にとって、きわめて平和裡に一瞬の間に三億円をかっさらったその奇略に、大方の喝采がむけられたのであった。
井出孫六『その時この人がいた』
(1992/12/11)


革命前なら肉の部位や切り方に使う言葉がざっと200はあったけど、今じゃみんなお蔵入り「肉ありますか」ですむんだから。
ジノービ・ユリエフ(ソ連の作家。国内の食料事情について;1989/9/28NEWSWEEK)
(1989/9/27)

大腸菌
大腸菌は20分で倍に増え、一晩で何十億にもなる。しかし、どんな好条件下でも一週間続けては増えられない。宇宙全体の分子を全部使い切ることになるからだ。
中村桂子「21世紀は”生命”の時代」(日本経済研究所月報1991/2p.5)
(1991/3/26)
 

楽しみ
暖かくたれること、冷たく飲むこと、固く立つこと、それから柔らかく寝ること。
ルイ十四世
(1991/6/3)

切り
わざと切りの悪いところでやめるのが仕事が能率よくいくコツですね。戻ってくるとすぐ元の世界に戻れる。切りのいい所でやめると、あと戻るのに苦労しますね。
村上陽一郎「科学と非科学の間」(『嗜好』526号p.3)
(1993/3/10)

世界漫遊
チェスタトンの小説にはしょっちゅう世界漫遊する男の話がある。彼は妻との関係を刺激的に保つためにそうしているのだ。
コリン・ウイルソン『形而上学者の性日記』p.232
(1990/3/19)

東独
日本人は自分のために3時間、天皇のために3時間、そしてお国のために3時間、額に汗して働くそうだ。ところで東独では、自分のために3時間働くのはいいが、天皇はいないし、日本のために働く気もないのさ。
(NewsWeek1989/9/28)
 

 
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1998/3/24

1998/3/24掲載分index
 

1998/3/24事項索引
異質日本バッシャー| 



1998/3/24人名索引
アラン・ウェバーサン=テグジュペリジェームズ・ファローズ

異質
私が使った異質という意味は英語では、少なくとも米語では、単に数学的にイコールでないことを意味し、そこに悪いというニュアンスは全くない。私の感じでは日本語で「異質」と言うと正しくないというニュアンスがあり、日本の私の読者には、私がそう考えていると捉えた人がいるかもしれない。
私は異質だから理解ができないとか、対応できないなどとは言っていない。
ジェームズ・ファローズ(『週刊東洋経済1989/12/30〜1990/1/6)
(1990/3/20)

日本バッシャー
日本人が日本人に気に入らない発言をするやっかいな外国人に「バッシャー」というラベルを張って排斥するのは、「あいつはアカだ、組織の敵だ、非国民だ」として気に入らない発言をする従業員を排斥するのと、メカニズムは全く同じである。その点、気に入らない意見にも耳を傾けるアメリカとは違う。
cf.アラン・ウェバー(ハーバード・ビジネスレヴュー誌編集長)『日本叩きの深層』(朝日新聞1990/1/10)


ぼくにはもう、理解ができない。あの郊外電車の市民たち、自分では人間だと信じているが、じつは彼らの感じない圧力によって、その用途からいうと蟻のようなものに退化してしまったあの人たちを。
サン=テグジュペリ『夜間飛行』

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(1998/3/25)

       ジャン=ルイ=ランビュール「作家の仕事部屋」中央公論社  1979より

1998/3/25人名索引
クリスチーヌ・ロシェフォール|ロラン・バルト|Alphonse Boudard |Herve Bazin|MichelButor|Guy des Cars|Helene Cixious|Max Gallo



クリスチーヌ・ロシェフォール

「ものを書くことは肉体的ななにかであり、食べたりセックスしりするのと同じように、生理的なプロセスのひとつだとさえ言えます」p.14

胸を締めつけるような不安 p.15
 

ロラン・バルト(1915-)
 
   私はあらかじめ参考文献一覧を作ろうとはしません。問題のテキストを、かなり物神崇拝的なやり方で読むだけです。そして私を興奮させる力をもついくつかの箇所、いくつかの契機を書きとめます。それは単語であることさえあります。読み進につれて私は引用や思いつきをカードに書きつける。奇妙なことにそれがすでに文章のリズムを備えているので、その時点ですでに一種のエクリチュールとして存在しはじめるのです。p/26
 

Alphonse Boudard (1925 ー)

      私の仕事は監禁されている時のほうがはかどる。断っておくけれど、仕事が嫌いというわけじゃない。ある書物にいったんとりかかれば、それに自分を賭けます。最善を尽くすべく努力する。しかしこれから書きはじめるという時には、ありとあらゆる理由を探して先にのばそうとします。p.30
  安楽さほど恐ろしいものはありません。それは人間を精神的にふやけさせす。それどころか、作家にとってはもっと恐ろしいことですが、人間を盲にしてしまいます。p.32
 

Herve Bazin(1911-)

 強拍と弱拍の交代、現在と過去が交互に現れることが、いかに重要かつ有効であるかを私は知っています。登場人物が[ 突然〕導入されるのではなく、徐々に物語にとりこまれていなっくてはならぬことを私は知っています。p.45

  私が書きはじめようと決心するのは、実在にせよ架空にせよ、人物や場所が完全に身近に感じられるようになった時です。p.44
 

Michel Butor(1926-)

  私の書物の多くの頁は、五十回タイプで打ち直されています。p.56
 

Guy des Cars(1911-)

 幸福の価値は、それを享受している時ではなく、失ってはじめて感じとれるものだ。( セネカ)p.73

  これが私にとって楽しくなかったら、他の人たちを喜ばせるはずがない。p.76

 いったんはじまったら、問題は読者を飽きさせないことです。p.73

 Helene Cixious(1937-)

それに、とにかく一年は三百六十五日あるのです。ですから、たとえ一日に二頁だけとしても二百日書くとしたら何頁になるか計算してみて下さい...私としてはあなたの質問を裏返しにして、こうお尋ねしたいところです。作家がものを書かない瞬間なんて、どうしてありうるのか?と。私にとって、書くことは息遣いであり呼吸であり、立ったり触れたり食べたりキスしたり歩いたりする欲求と同じくらい抗い難い必然なのです。書いていない時の私は死んだも同然です。p.85
 

Max Gallo(1932-)

書く楽しみのなかでもっとも本質的なもの、それは驚きです。p.109

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ヌ ご愛読ありがとうございます。ネ
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